52.リチャード二世
帰宅する前に、ミシェラはリチャードの執務室に招かれた。要するに王の執務室である。
「どうだった、エイダンは」
「よくないね。……これ以上は言わない。例え、国王陛下だとしてもね」
ミシェラとリチャードがにらみ合った。外見上は父と娘ほどの年齢差である。正直異様な光景だった。
眼光鋭くにらみ合う異母兄妹だが、折れたのは兄の方だった。
「……わかった。お前が正しいだろう」
「ご理解いただけて何よりだ」
「……お前、態度悪くないか?」
「気のせいじゃない?」
ミシェラがしれっと言うと、リチャードはまあいいか、と勝手に納得した。
「すねているのか」
「違うわッ! っていうか、三十路越えの女がすねるとか、きもくない?」
「お前、世の中の三十代女性に謝った方がいいぞ」
まじめな兄の言葉に、確かに、とミシェラは口ごもった。かなり失礼である。
ひとまず、話をそらす。
「それにしても、兄上が引き受けるとは思わなかった。いくら妹の子とはいえ、異国の王族だ。アルビオンで治療するにはリスクがあるんじゃない?」
万が一失敗したときの責任が取れない。
「だから失敗してくれるな。国王命令だ」
「私に命令はできないよ」
軽快なやり取りに、ミシェラは息を吐く。リチャードは基本的にまじめだ。なのにたまに冗談を挟み込んでくるので、ミシェラでも判断に困ることがある。
「……アルスターに貸を作っておくのは悪くない」
しばらく沈黙を置いて答えたリチャードの言葉は、これは本心だろう。だが、それだけではないだろう。
「イザドラの立場を危うくさせた、罪滅ぼし?」
「怒るぞ」
「ごめんて」
ミシェラは苦笑したが、自分の言葉が図星だとわかっていた。ミシェラは目を細めて少し微笑む。
「まあ、なんにせよ、仕事は果たすよ。ナイツ・オブ・ラウンドを遣いにくれるのはやめてほしいけど」
「……善処するが、みんな志願して行きたがるんだ」
「ああ……」
ミシェラが王家を離れて十六年。忘れられるには、まだ短いのだろう。主に三十代半ばの騎士(男女問わず)から人気があるらしい。思わずミシェラは頭を抱えた。
「よし。次も騎士を遣いにやろう」
「兄上って微妙にサディストだよね」
ミシェラは息を吐くと、座っていた椅子から立ち上がった。
「さて。そろそろ帰るよ」
「なんだ。夕食を取っていけばいい」
「いいよ。子供を預かってるんだから」
ついでにサイラスもそろそろ限界だろう。
「なるほど」
リチャードが一応納得した。これでも三児の父である。そして、王族には珍しく、子供をよく構う人だった。
「不肖の息子がたびたび邪魔をしているようだな」
「ああ……そうだね」
そう言えば放置してきてしまったが、無事に宮殿に帰ってきただろうか。まあ、ジェイムズなら大丈夫だろう。
「子供たちの面倒を見てくれるから、助かってる」
「ついでに軍略を叩き込んでやってくれ」
「……まあ、うん。やってみるけど……」
剣術は教えたことがあるが、そう言えばそちら方面を教えたことは無い。
魔法に医術に剣術に軍略。ミシェラはどれだけ教えればいいのだろうか……。
△
昨日、やっと家に帰ることができてほっとした様子のサイラスは今日はおいてきた。白衣を着たミシェラは宮殿内でもそれほど浮いていない。どこかの軍医だと思われている。まあ、軍医にしては若く見えるのでやっぱりなどぞなのかもしれないが。
「おーい、イーデン」
ミシェラは軍の訓練場に出ると、そこにいた本物の軍医を呼んだ。呼ばれた軍医イーデンはぎょっとした表情になる。
「お前、何やってるんだ?」
「召喚されたから登城してるだけだよ」
「……」
たぶん、イーデンが言いたいのはそういうことではないだろう。軍医のふりをしていることを突っ込みたかったのだろうが、ミシェラがこんな調子なので追及はあきらめたようだ。
「まあいいや。どうかしたのか」
「ねえ、イーデンって専門なんだっけ」
「何って言われても困るけど……敷いて言えば循環器内科かな。消化器とか外科も見れるけど」
まあ、軍医や町医者をしていると専門範囲が広がっていくのはわかる。ミシェラも魔法外科を一応の専門としているが、女性であることから産婦人科や小児科もかじっている。
「消化器官が生まれつき弱い子がいるんだけど、どう治療をすればいいかな」
「……難しいことを聞くな。まあ、移植とか、魔法とか、いろいろ方法はあるけど。悪い部分を切除するとか」
一番現実的なのは悪い部分を切除する方法だろうか。だが、必要な器官を切り取り、あの子は生きていられるだろうか。外科的手術をするには、かかっている魔術を一度解く必要があるが、そうするとエイデンの体力は一気に奪われるだろう。難しいところだ。
「お前の魔力で病を押し流せないのか?」
「……先天性って、病じゃないんだよ。そもそも、病は私の破魔の力では押し流せない。私の力は癒しの力ではないからな」
「へえ。魔法も万能じゃないんだな」
イーデンは魔法医であるが、魔術師ではない。感心したようにうなずいた。それからミシェラを見下ろして笑う。
「珍しく困っているようだな」
「まあ、困るよねえ。私は剣術以外全部中途半端だし」
「あと、戦術とな」
からかっては来るが、イーデンは深く事情を聞こうとしない。容体も教えないのに助言だけくれとは、都合の良すぎる話なのに。単に、詳しく聞いて巻き込まれるのが嫌なだけの可能性もあるが。
「イーデンは魔法と病が絡み合った症例を見たことがある?」
「何回かあるぞ。手術はしたことがないが」
「……そう」
さすがにそこまで求めるのは酷か。実際、そう言う症例は無くはないが数が少ない。これは書庫で調べるしかないだろうか。
ミシェラはイーデンに礼を言って宮殿の書庫へ向かう。書物で調べる以外にも、彼女の中には方法がある。彼女が記憶を引き継いだ『旧き友』の『守護者』カイルの記憶をのぞき見るのだ。知識は、彼女の中にある。
カイルは医師の真似事をしていたが、ミシェラのような大学で免許を取得したような医者ではない。古くからある、まじない師に近い存在だった。医学を学んだミシェラには、エイダンの容体は外科的手術が必要なように見えるのだ。
国王リチャードの許可があるので宮殿書庫の禁書の棚もいくらでものぞける。まあ、今回はそこまでいらないだろう。いくつか論文を呼んだが、ミシェラは机の上に伸びた。
「あの、そろそろ閉めたいのですが……」
司書に声をかけられ、ミシェラはあわてて貸出手続きをして書庫を出た。今日一日調べてみてわかったこと。それは。
「私一人の力ではどうにもならない……」
と言うことである。帰宅したミシェラは、リンジーが眠っているベッドに突っ伏してつぶやいた。彼がいれば、話を聞いてもらうのに。
「ねえ、あなた、いつ起きるのかしらね……」
手を握れは温かい。生きているのだ。『旧き友』には、半世紀以上眠り続けているものだっている。それが可能なのが魔術で、『旧き友』なのだ。
「近いうちに、親しいものがあなたの元を訪ねる……そして目覚める。長き眠りから……」
ミシェラは以前にユージェニーから渡された予言を思い出す。親しい者……おそらく、イザドラのこと。では、長き眠りから目覚めるのは? リンジーの眠りは長くない。
「……」
また面倒なことが起こりそうだ。
ここまでおよみいただき、ありがとうございます。