51.イザドラ
ミシェラはサイラスだけを連れて登城することにした。ギャレットとヴィヴィアンを呼び出し、家の護りについてもらう。エレインが亡くなり、王都の護り自体が弱くなっている。ミシェラ自身も力が回復しておらず、なけなしの魔力を王都の守護魔法の回復に回している状態なので、あまりあてにならない。まったく、戦争なんてするから!
まあそれはともかく。ミシェラはクラリッサとフィオナを引き取りに来てからひと月以上ぶりにフェリス・コート宮殿に足を踏み入れた。今、この国の頂点に君臨する男、異母兄リチャード二世に謁見に来た……はずだった。
「お久しぶりね、お姉様」
「イザドラ様」
隣国アルスター王国に嫁いだミシェラ、というか、エイリーンの妹イザドラだ。ミシェラより三つ年下なので、今二十九歳だろうか。淡い琥珀色の髪に空色の瞳をしており、何となくだが、ミシェラと似ている。当然だ。妹だから。
一方、妹イザドラは顔をしかめた。
「お姉様にかしこまられると、気持ち悪い」
……彼女の兄弟たちは、みんな、ほどほどに毒舌であった。ミシェラはため息をつく。
「久しぶりだね、イザドラ。元気そうで何よりだ」
すると、彼女の顔が晴れやかになる。
「うん。お姉様はそうじゃないとね。かっこいいわ」
「……」
宮殿に到着し、応接間に連れて行かれたと思ったら、待っていたのはリチャードだけではなかった。アルスターに嫁いだはずの妹が、いたのだ。リチャードはサイラスを連れて出て行ってしまった。サイラス、頑張れ。あとで迎えに行くから強く生きろ。
イザドラは正直、微妙な立場である。彼女はアルスター王太子の妃であるが、先日王位継承戦争に敗北し、処刑されたアルビオン元帥ジョージの妹でもある。リチャードが直接の指導者であるジョージ以外を不問にしたため、離婚・強制送還などにはならなかったが、立場的には苦しいだろう。それに、ジョージの妻はアルスター王家のレイラだった。彼女は今幽閉されている。居心地が悪いだろう。異母兄とはいえ実の兄の戴冠式にも、彼女は参列しなかった。
「……もしかして、里帰り?」
それらをかんがみての問いだったのだが、イザドラは思ったよりも精神力が強かった。
「里帰りではあるけど、お姉様が想像しているようなものではないと思うわ」
「……」
何だろう。ミシェラはこの妹がちょっと苦手かもしれない。まあ、ミシェラが『旧き友』として見いだされた時、まだ十三歳だった彼女が、こうも懐いてくれるのはうれしくもあるが。
微笑んでいたイザドラはすっと表情を引き締める。ミシェラもそれを見て、知らずに表情を改めた。
「『旧き友』の『癒し手』ミシェラ・フランセス・シャロン。頼みがあります」
姉ではなく、『旧き友』と呼び、イザドラはミシェラに頭を下げた。
「どうか、息子を助けてください……!」
△
イザドラの息子はエイダンと言った。九歳だ。長男で、順調に行けばきっと、アルスターの王になるだろう。しかし、彼は問題を抱えていた。
足が、動かないのである。少し前までは歩けていたのだ。むしろ、元気すぎる健康体。それが突然、歩けなくなった。
「アルスター中の医者や魔術師に診せたわ。でも、誰にもどうにもできなかったの。医者は魔術の領分だというし、魔術師は医術の領分だというの。そんな時、お姉様が魔法医をやってるって思い出して」
平然と、むしろシリアスに語るイザドラであるが、彼女の背後では騒ぎが起きていた。
家具が飛び交い、侍女や侍従たちが悲鳴を上げている。怒鳴り散らすエイダンをなだめようとしているのはサイラスだ。リチャードもいるが、壁際で静かに見守るだけだ。正直、その方がいい。と言うか、出て行ってくれた方が安心だろう。
ミシェラはくいっと指を動かし、宙に浮いていた家具をすべて床に下ろした。エイダンは自分の行為を邪魔したミシェラを睨み付ける。
「お前、何するんだ!」
「危ないからやめな。その年なら、ある程度は抑制できるはずだろう」
「僕に指図するな! ぎゃん!」
悲鳴をあげたのはミシェラがその頭に拳を叩き落としたからだ。サイラスが「師匠!」と咎める声を上げる。しかし、母親のイザドラは「あら」とあまり気にしたそぶりを見せない。
「年上は敬うべきだ。例え、君が可愛そうなのだとしてもね」
「僕はかわいそうなんかじゃない!」
エイダンは車椅子に座っていた。足が動かないからである。おそらく、ソファに移動させようとしたが、彼が暴れて出来なかったのだろう。
「ああ、そうだね。少なくとも君は生きているんだから」
ミシェラは膝をついてエイダンに視線を合わせる。
「初めまして。私はミシェラ・フランセス・シャロン。魔法医なんてのをやっている。君の名前は?」
「……エイダン・キラム・アルスター」
「そう。よろしく」
ミシェラはそう言って立ち上がると、エイダンの頭を乱暴になでた。エイダンは「やめろよ」と言うが、振り払うことはしなかった。
「……先生、少し母上に似てる」
「そうかい?」
ミシェラは目を細めて微笑んだが、それ以上答えることはしなかった。
おとなしくなったエイダンを診察したミシェラは難しい表情を浮かべた。
「エイダンの足の魔法陣を確認した。あれのせいで足が動かないのは確かだ」
「……じゃあ、魔術師の領分ってこと?」
眠ったエイダンの頭を撫でながら、イザドラが尋ねた。ミシェラは首を左右に振る。
「いや、医術の領分だって言うのも間違っていないよ。エイダン、小さいころ体が弱かったんじゃないか」
「……ええ。よくわかったわね」
イザドラが驚いたように目をしばたたかせる。ミシェラは苦笑を浮かべる。
「まあ、私には接触感応能力があるからね。内臓系が弱っていて、手が出せなかったんだろう。今でも外科的手術は命がけだからね」
と、魔法外科医のミシェラ。魔術と医術を組み合わせることで、だいぶ生存率は上がっているが、両方を極める者は少ないし、医者も魔術師もそれぞれのプライドがある。元は同じ存在だったはずなのに。
「ええ……だから、魔術師に魔法をかけてもらったのだけど……」
「それが、この子の運動機能の障害になってるんだ」
ミシェラの言葉に、イザドラは眉をひそめた。
「それはつまり……どういうこと?」
「彼が歩けるようになるには、魔法を解除するしかない。しかし、そうすると体が弱ってしまう。体が弱っている状態で手術をするのは、どの医者も嫌がるだろうね」
「……どちらが言っていることも、間違ってはいなかったのね」
「そういうこと。まあ、責任を負いたくないがための逃げかもしれないけど」
エイダンは王族だ。誰も、王族の不況を買いたくないに決まっている。
イザドラはすがるようにミシェラを見た。
「お姉様……何とかできない? 無理なら無理と、はっきり言って」
「うん……」
ミシェラは無理ならはっきりとそう言う。無駄に期待を持たせることはしない。
だが答えるのは、全てを出し尽くしてからだ。
「イザドラ。どれくらいアルビオンに滞在するの?」
「特に決めてないけど、十日くらいかしら」
「なら、時間はあるね」
ミシェラは少し口角を上げる。
「少し、調べてみよう。それでもだめなときはあきらめてくれ」
「わかったわ。どのみち、お姉様に出来ないなら、誰にもできないと思っているから」
姉を信頼しているようするのイザドラに、ミシェラは苦笑を浮かべる。彼女は、ミシェラが剣を片手に走り回っていた時期のことしか知らないだろうに。
「詳しそうな医師や魔術師にもあたってみるよ」
ミシェラは、剣の腕には覚えがあるが、医学や魔術に関してはそこまで自信が持てないでいた。いっそのろいなら、ミシェラの破魔の力で押し流したのだが。
「お姉様……ありがとう」
瞳を潤ませて、イザドラは礼を言った。ミシェラは目を細める。
「盟約と誓約の元、全力を尽くすよ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
さすがにストックが亡くなってきました…。もう少しなんですけどねぇ。