50.ナイツ・オブ・ラウンド
ミシェラはその若奥様、ローザの家にお邪魔していた。彼女の夫ニックと息子ヒューゴが攻防を繰り広げていた。
「きゃあ!」
ローザがリビングに入った瞬間に飛んできたコップを、ミシェラは難なく受け止める。
「強い念動力だね」
「やっぱり魔法ですか!?」
ニックが疲れた様子でミシェラに尋ねた。ミシェラは眼鏡を押し上げつつ、言った。
「魔法と言うか、魔力の暴走だね。魔法以前の問題だ。小さい子にはよくあるよ。私も子供のことに部屋を一つ吹き飛ばしたことがある」
五歳くらいの頃の話だ。悪霊を追い払おうとして、やり過ぎたのだろうと宮廷魔術師に言われたっけか。
「先生……小さい時からアグレッシブなんですね……」
ローザがちょっと引き気味に言った。まあ、気持ちはわからないでもない。
「ヒューゴ君、いくつ?」
「二歳です」
ひとまずローザの言葉をスルーして、状況を確認する。その間にも、ヒューゴの魔力の影響か家鳴りしている。
「まあ、魔力のコントロールができるようになれば収まるんだけど、ヒューゴ君にはまだ無理だねぇ」
二歳だから、当たり前だが。四歳か五歳くらいになると、分別がついてきて何となく魔力コントロールができるようになる。ユージェニーなども魔力を持て余していたが、彼女は少し教えればすぐに抑えられるようになった。
ぶっちゃけ、こういうのはミシェラよりリンジーの方が得意である。とはいえ、彼女もリンジーから魔法を習っている身だ。できなくはない。
「ちょっとごめんね」
ミシェラはヒューゴの額に右手の人差し指と中指をそろえて当てると、古語の呪文をつぶやく。魔法道具で抑える方法もあるが、まだ小さいので口の中に入れてしまうかもしれない。ミシェラの方が魔力が強いので、この封じでもうまくいくだろう。
すぐに家鳴りは収まった。浮いていた家具も床に戻る。若夫婦はほっとした様子で息を吐いた。
「ありがとうございます」
「簡易的なものだから、あとでちゃんと魔術師に見てもらいな。私はあまりこういうのが得意じゃないから」
『旧き友』にしては、なので、それなりにはできるけど。
ついでにヒューゴの診察もする。ミシェラが無理やり押さえたので、体に影響が出ていないか見たのだ。
「大丈夫そうだね。いい子だね」
慣れた様子でヒューゴを抱き上げてあやすミシェラを見て、ローザが首をかしげる。
「先生はお子さん、いらっしゃらないですよね?」
「そうだね」
「慣れてますね……」
「無駄に年だけは食ってるからね」
「……その顔で」
「この顔で」
ローザとニックがまじまじと自分たちより年下に見える女医の顔を眺めた。見ても面白いものでもないだろうに。
「旦那さんと、長いですよね」
「ん? うーん、そうだね」
かれこれ十六年以上の付き合いではある。対外的には夫婦である。それが一番自然だからだ。ただし、年の差は祖父と孫ほど、外見はリンジーが罪悪感を覚える程度に童顔である。ミシェラが。
「失礼ですけど、その……」
「子供のこと? まあ、私も向こうも、子供ができにくい体質だから」
本当のことだ。いろいろ説明を省いているだけで。『旧き友』は生殖能力が低い。リンジーなど、それが原因で『旧き友』だとわかったほどだ。つまり彼には離婚歴がある。半世紀以上前の話だけど。
「な、なんかすみません」
ミシェラは微笑んで、ローザの頭を撫でた。眠ったヒューゴをニックに渡す。
「そろそろお暇するよ。今、子供を預かってるんだ」
八歳と十二歳の。良く考えれば、ミシェラの初陣は十三歳だったけど。
「何か、先生のところって常に誰かいますよね」
「そうだね」
おかげで、退屈しない。ミシェラが『旧き友』である以上、いつか別れは来る。それでも、誰かと一緒にいたくなる。
「ただいま」
ミシェラが帰宅すると、家の中ではアフターヌーンティーをしていた。そう言えばユージェニーとニコールが用意をしていたな、と思い出す。
「おかえりなさーい。ミシェラもどう?」
「ああ、いただこうか」
ミシェラは微笑み、一度着替えに私室に上がった。それからリビングに戻る。
「……ジム、すっかりなじんでるねぇ」
「むしろ私もここで暮らしたい」
「それは遠慮してくれ」
宮殿から捜索隊が来てしまう。冗談なのはわかっているが。
「ローザのお子さん、大丈夫でした?」
サイラスが尋ねる。ミシェラは「うん」とうなずいた。
「魔力がコントロールできなくて暴走してたんだよ。私はそういうの得意じゃないんだけどね」
「でも、できなくはないよね」
ユージェニーが小首をかしげる。どうでもよいが、彼女はジェイムズと並んで座っていた。
「そりゃあね。魔力コントロールは魔術師が最初に覚えることだ」
魔力が暴走するということは、それだけ魔力が強いということ。ユージェニーもそうだ。彼女の力は今も日々強くなっているが、今のところうまくコントロールできている。最近は予知能力の暴走を見ない。彼女の予知はかなり精度が高いので、ミシェラもたまにどきっとする。
「ジムさんも魔法を習ってるんですか」
「一応、教養の一つとして。まだまだだが……叔母上に弟子入りしたい」
「なんでそうなる」
ユージェニーはジェイムズと話をしたいのだろうが、ミシェラは巻き込まれて目を細めた。ティーカップに口をつけ、ん? と眉をひそめる。
「この茶葉、うちにあったっけ?」
ミシェラ宅にはそれなりの種類の紅茶の茶葉が用意してある。お客様用の高級茶葉もあるが、この茶葉はなかったと思う。
「ジムさんからのお土産」
「っていうか、ミシェラさん舌が肥えてますね」
ニコールが感心したように言った。それなりに良いものを飲み食いしているので、確かに舌は肥えているかもしれない。
アフターヌーンティーのあとは、ジェイムズとクラリッサに請われて庭に出て剣術の稽古をつけた。当たり前だが、ジェイムズは王太子としての訓練を受けているのでそれなりに強い。
「ジェイムズお兄様でも勝てないなんて!」
何故かクラリッサが憤慨する。ミシェラは笑って「どれだけ年が違うと思ってるの」と反論した。年季が違うのだ。
「まあ、父上が叔母上は規格外だと言っていた。……伯父上も、正直勝てる気がしない、とか言っていた気がするな」
「あの人たちは私をなんだと思っているんだろうね」
リチャードがまじめな顔で妹について語っているのを想像すると、ちょっと面白い。彼がミシェラに優しくしてくれたのは、彼女が国の役に立つと思ったからだと思うが。ジョージについては今となっては語る言葉を持たない。
「ミシェラ!」
今度はユージェニーがミシェラを呼んだ。先ほどはニコールだったが。
「お客さん。王宮から」
その言葉に、彼女の甥と姪がびくっとした。姪の方はともかく、甥の方は一人で出てきているのでさもあらん。
「ジェイン、フィーは?」
「エイミーが二階につ入れていったよ。リンジーの部屋だから大丈夫」
「そう。クララも上に上がりな」
「……そうする」
さすがに宮殿からの使者と顔を合わせるのはまずいとクラリッサはわかっている。だから、彼女はおとなしくうなずいた。
「わ、私は」
「お前はここでジェインとしゃべってな」
ひどく動揺したジェイムズに適当に言い渡すと、ミシェラは家の中に入った。そこには、ナイツ・オブ・ラウンドの制服を着た男性が立っていた。
「……誰?」
「初めまして……ではありません。貴女の旗下で戦ったことがあります。リチャード陛下のナイツ・オブ・ラウンド第三席に任命されました、フレドリック・エンズリーと申します。お見知りおきを」
「ご丁寧にどうも。申し訳ない。まったく覚えていないけど、ミシェラ・フランセス・シャロンだ」
父の代のナイツ・オブ・ラウンドに代わり、兄のナイツ・オブ・ラウンドになったのだろう。一部そのまま残留する者もいるが、たいていのものは王が替わると入れ替わる。
背の高い男性だ。日に焼けた肌と茶髪。瞳の色は深緑。小柄なミシェラは見あげなければならなかった。どう見ても三十代前半なので、ミシェラの旗下で戦ったといっても、少年の時分だろう。外見のほとんど変わらないミシェラと違い、彼は成長する。つまりは面影がない。
「どのようなご用件かな」
ミシェラが尋ねると、当然だが、彼はこういった。
「陛下がお呼びです」
ナイツ・オブ・ラウンドが来ているのだから、当然である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ある意味生ける伝説のミシェラさん。