41.アルビオン内戦
決着が、つく。
「……無、というより虚無だな。何も感じられない」
ミシェラはニヒルを見てそう断じた。彼女が聖の力を持つからだろうか。そう感じられた。
「お前にはそう感じられるか。彼も、本質的には私と近いのだろうな」
何かを反射する力を持つリンジーは、確かにある意味ニヒルと近いのかもしれない。それに、二人とも珍しい銀髪をしている。色味は違うが。
「『蜃気楼』と『癒し手』か。未熟者二人で、私に対抗するか。舐められたものだ」
侮ったような口ぶりに、ミシェラは目を細めた。リンジーも表情を変えずに、この二人は煽り耐性がかなり高い。ニヒルは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
リンジーは単に常に落ち着いているだけだが、ミシェラは戦い慣れている。戦闘面だけで見れば、彼女は『旧き友』の中で最も戦い慣れているはずだった。
ニヒルの声は、アーミテイジ公爵家で聞いた脳裏に響いた声と同じだ。彼はこう言った。やっと会えたな、同胞、と。
つまり彼は前アーミテイジ公爵を死に至らしめた男だ。メイドを操り、レティシアに霊薬を渡した。ミシェラたちを魔物に襲わせ、エレインを再起不能に追い込んだ。手加減する必要性などひとかけらも感じられない。
ミシェラは緑の大地を踏み込んだ。土が柔らかいので力が入りにくいが、力を頼りに戦うわけではないので、大丈夫だろう。
相手は魔術師だ。魔法障壁ではじかれる。聖剣とはいえ、純粋な魔力の術式にはかなわない。ミシェラはしびれる腕を押さえた。
「ミシェラ!」
リンジーの声が聞こえ、ミシェラはその場でしゃがんだ。頭上を魔法が通り抜ける。ニヒルも応酬したため、ミシェラは転がってその射線上を逃れた。
リンジーの全身に魔法陣が浮かび上がっている。ミシェラの杖は、組み込んだ魔法陣を展開し、タイムラグなく魔法を打ち出すものだが、その時、杖から魔術師の方へ魔法陣が逆流するのだ。その魔法陣は青っぽい色をしている。
眼の端で動くものを捕らえた。とっさにミシェラはその動くものを切り払う。
「……オルトロス?」
双頭の犬だった。大きい。オルトロスかどうか判別できないが、合成獣のようだ。それを皮切りに、多くの魔物が押し寄せてくる。ニヒルの『支配』能力だろう。
「リンジー、そっちお願い!」
「お前……まあ、わかった」
多くの、と言っても十数体。五分もあれば倒せる。いくらニヒルが強くても、リンジーを相手取っている間に、強力な支配は不可能だ。ミシェラは聖剣に魔力を流す。刀身に金色の文字が浮かび上がった。魔力の付与だ。
ミシェラは鮮やかな動きで魔物を斬り伏せていく。単調な動きなので捕らえやすかった。残り三体となった時、ミシェラは突然ニヒルに目標を移した。突然斬りかかられたニヒルだが、彼は魔法障壁に守られた。
「――――!」
ミシェラは突きの勢いのまま魔法障壁に刃を押し通そうとする。ぎりぎりと切っ先が魔法障壁を突き破っていく。最強の盾と最強の鉾では、鉾の方に軍配が上がることが多い。
リンジーがミシェラを巻き込むのもいとわずに魔法攻撃を行った。そちらにも魔法障壁はミシェラとの攻防に使われているので、ニヒルは魔法をぶつけて相殺する。供給魔力が割かれたため、ミシェラの聖剣が勝った。魔法障壁が砕ける。魔法障壁は、一度壊れると組み直すのに時間がかかる。
「なめるな!」
魔物たちが襲いかかってきた。振り返りざまに一体を倒した。もう一体がリンジーの方へ向かうのを見て、ミシェラは剣を投げる。その剣は正確に魔物の首を貫いたが、ミシェラが最後の一体に腕にかみつかれた。長い牙が腕を貫通している。その牙を折り、魔物を蹴りあげるとひるんだところを自分の腕から抜いた牙で刺殺した。失血と牙に含まれる毒性にくらくらする。
聖の力を持つミシェラに、毒物は効きにくい。効きにくいだけで、効かないわけではない。
無理やり破魔の力で押し流すと、ミシェラは剣で貫かれている魔物の方へ走った。その剣を引き抜き、いつの間にか離れているリンジーとニヒルを追う。
やはり、単純な魔法の打ち合いだとリンジーに分が悪いようだ。彼は優秀な魔術師であるが、魔法の特性上攻撃魔法が苦手だ。経験も、ニヒルに劣るだろう。
山の中腹を駆けあがる。位置からして、ミシェラの動きはニヒルに丸見えだ。ミシェラは魔法が収束するのを見届けると、ニヒルに迫った。勢いよく切っ先が突き出される。ミシェラの足元の草が不自然に伸び、彼女の足首をつかんだ。切っ先は寸前で、ニヒルに届かない。
「惜しいな」
のけぞって目の前のニヒルから放たれた魔法をよける。だが、足元の土が壁を作り、両側からミシェラを押しつぶそうとする。魔力をぶつけて何とか押しつぶされるのは回避した。
破壊された土壁から土煙があがる。ミシェラがその場所から抜け出す前に、ニヒルが魔法を放ち、それを満を持してリンジーが弾き返す。『反射』だ。だが、その魔法も打ち消される。
「どうにも相性が悪いな……」
うんざり気味にリンジーがつぶやいた。その彼の手は、片方は杖を握っているが、もう片方では腹部を押さえていた。そのあたりからジワリ、と赤い血がにじみ出ている。以前の怪我が開いてきたようだ。ミシェラは目を細める。彼は内臓を痛めている。長引かせるのはよくなさそうだ。
「ミシェラ」
「何?」
リンジーがミシェラに作戦をささやく。ミシェラは顔をしかめたが、結局うなずいた。それ以外に方法が思いつかなかったし、ミシェラも限界に近い。
「俺を倒す算段でもついたか?」
律儀に待っていてくれたニヒルに、ミシェラがうっすらと笑いかける。
「ああ、そうだね」
これまでと同じく、ミシェラがニヒルに肉薄する。彼女の速度に、彼は追いつけない。だが、ミシェラもまた彼を斬ることはできない。魔法障壁を破ったとはいえ、彼を守るものは他にもある。支配力の強い彼は、彼のまわりにある者すべてが護り手となる。風が、土が、草が邪魔をする。それでもしゃむに斬りかかるミシェラに、ニヒルが低く笑った。
「万策尽きたか」
「どうだろうね!」
肩から腕を斬り落とそうとするが、そううまくいくはずもなかった。横合いから襲ってきた鎌鼬に、ミシェラは地面に転がってのた打ち回ることとなった。
『……――――』
静かに紡がれた古い力のある言葉。リンジーだ。彼の二つ名、『鏡』。その名の通り、彼は映しだした。ニヒルの内面を。
ニヒルを『虚無』である、と評したミシェラであるが、もちろん、ニヒルにだって『心』はある。その心をリンジーは鏡写しにしたのだ。ミシェラに気を取られてリンジーの魔法の直撃を受けた彼は、今、自分自身と対面しているはずだ。
相変わらずえげつない魔法だ。その名の通り、『ミラージュ』はその人の中の触れられたくない部分を直接えぐってくる。
だが、エレインと共に来たときにもお試し済みだったのだろう。ニヒルは数秒自失した後、すぐに立ち直った。
「同じ手が二度も通じると思うか」
「こっちが同じじゃないよね」
ミシェラは背後からニヒルの腹部を聖剣で突き刺し、さらにその剣をひねる。ニヒルがうめき声を漏らした。かなり痛いはずだ。ミシェラは彼の腰のあたりを蹴って剣を引き抜く。
いかな丈夫な『旧き友』と言えど、首をはねられれば死ぬし、失血多量で死に至ることだってある。基本的に魔術師は魔術で戦うので、今まで試す人間がいなかっただけだ。
「この、小娘が……!」
『旧き友』からはよく小娘扱いされるミシェラであるが、彼女はふと思った。
「そう言えばお前っていくつのなの」
まあ、知っても仕方のないことだが。少なくとも、ミシェラよりは年上だろう。もしかしたら、エレインよりも年上だった可能性だってある。
ニヒルは、出血のせいで答えるどころではなさそうだ。『旧き友』は腹に一つ穴が空いたくらいで死ぬことはないが、あの出血が続けばいつかは死に至るだろう。
その防衛本能だろうか。ミシェラは背後からひた、と小さな手のようなものに触れられて反射的に振り返った。空間の裂け目のようなところから、無数の小さな黒い手がミシェラに向かって手を伸ばしている。転移魔法の応用だろう。これに捕まれば、空間のはざまに閉じ込められて戻ってこられなくなる。
ひとまず一時的に止めなければ、とそちらに向かって魔法を放つ。もともと少ない魔力がごっそり持って行かれた。ミシェラはその間に自分から離れたニヒルの元へ走った。
「待ちなさい!」
「どんな身体能力してるんだ!」
ニヒルがツッコミを入れると同時に、ミシェラは手に持った剣を真横に一閃させた。
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