38.アルビオン内戦
「イーデン……二時間だけ寝かせて。起きたら交代するから……」
さすがに疲れを訴える目元をもみながら、ミシェラはイーデンに訴えた。
「それ、さっきも聞いた気がするけど、いいよ。私もそこまで鬼畜ではないつもりだからね」
イーデンがさらっとそんなことを言った。彼も疲れの色が濃いが、ミシェラは疲れどころか顔色が不調を訴えている。
「エマさんと赤ちゃんは?」
「母子ともに問題なし。……正直、帝王切開を選んでくれて助かった」
「自然分娩だと付きっきりになるからね。言い方が悪いけど、時間がもったいない」
患者に対して医師も看護師も不足しているので、回転率が悪く、つきっきり、というのは難しいのだ。
帝王切開で赤ちゃんを出産したエマは、今、ぐっすり眠っている。彼女の義母がついているので、何かあれば知らせてくれるだろう。たぶん。
「と言うかミシェラは帝王切開の経験があるんだな」
「『絶対に男性医師には触れられたくない!』っていう困った患者さんもいるから覚えておいて損はない、ってドクター・イザドラに教えられたんだよね」
「なるほどな。あの人なら言いそう」
ドクター・イザドラはミシェラの医療の師だ。三年前に亡くなっている。助けを求めている人を探して国中を巡っている途中に、盗賊に遭遇してしまったのだ、と聞いている。
「……大丈夫か?」
イーデンの言葉に、ミシェラは一瞬ぽかんとしたがふっと微笑んだ。
「正直、きついね。魔力が足りなくて今にも倒れそう」
「そっちか」
もちろん、寝不足だとか、空腹だとか、他にも理由があるが、そもそも『旧き友』とか言うふざけた連中は、睡眠時間や食事摂取量が少なくても生きていける生き物なのである。ミシェラは二時間の短い睡眠と一日一食を繰り返して五日目になるが、万全であればこれほど影響はない。
ミシェラは一度エレインとリンジーの様子を見に行く。律儀に部屋の中にいたが眠っていたエルドレッドを起こして、時々城の保護魔法を確認するように頼む。ミシェラがこれほど弱っていては、どこかに隙があってもおかしくない。
ひとまずミシェラは自分が使っている寝室のベッドを中心に魔法陣を描き、その中で休むことにした。自己輸血のようなものだが、やらないよりましだ。真円はめぐって力が増幅する。本当はリンジーがこの手の魔術が得意なのだが、今はいない。彼の弟子であるミシェラも、多少はできる。
二時間だけ休んだミシェラは、自分の体調と魔力が少しだけ回復しているのを確認する。少し食事をとり、イーデンと交代するころには夜だった。
「お疲れ様。交代するわ」
「ん、ああ……回復が早いのはうらやましいな」
イーデンはそう言って立ち上がると、肩をまわした。
不老長寿で強力な力を持つミシェラはそれをうらやましがられることが多い。だが、イーデンがそう言ったことは今までない。彼は、彼女らが長い時を生きると言う苦しみを理解しているのだ。ある意味、ミシェラより優秀である。
「一晩休んできなよ。明け方に代わって」
「……わかった。悪いけど、任せる」
さすがに消耗した顔でイーデンがうなずいた。一応、ミシェラとイーデン、もう一人の医師で夜の間はローテーションを組んでいるが、あまりうまく機能していない。
夜中、ミシェラは病室となっている部屋をそれぞれのぞいて回る。明け方まではミシェラの当番。明け方に一度交代し、また二時間ほど休もうと思っていた。
さすがに夜は静かだ。ミシェラは窓から空を見上げる。今日は三日月だった。
月は光の反射。リンジーと最も相性の良い時間。本当は満月なら回復が早いのだが、月明かりを浴びれば多少は回復するだろう。逆に、太陽と相性が良いのが炎の魔女エレインと破魔の魔女ミシェラだ。……文字に起こすとちょっと違和感がある。
見回るついでに保護魔法の状況を確認する。使い魔たちもエルドレッドをはじめとする魔術師たちも確認しているので、今のところ正常に機能している。が、エレインのものより薄弱なのは明白だ。
ミシェラは『守護者』カインの魔術知識を引き継いでいる。魔法の相性もいいはずだが、最強の守護魔法をうまくいかせていない。
特に何事もなく夜が明けた。静かに息を引き取った人々に祈りをささげていたミシェラは、イーデンに声をかけられる。
「ミシェラ、おはよう。代わるよ」
「ああ、おはようイーデン。少し顔色が戻ったね」
ミシェラは少し微笑むと彼に引き継ぎを行う。取り立てて緊急なことはなかったが。
まずミシェラはエレインとリンジーの様子を見に行った。まずリンジーの容体を確認する。呼吸も安定しているし、魔力が回復すれば目を覚ますだろう。影はまだ治りきっていないが。
一方のエレインは回復しない。いや、じわじわと怪我もふさがってきているし、呼吸も薄いができている。だが、ミシェラの見解では彼女が目を覚ます可能性はかなり低い。
「ミシェラ」
膝をついたミシェラの側に大きなオオカミがすり寄ってきた。リンジーの使い魔ギャレットだ。ミシェラはその背中を撫で、頬を寄せる。もふもふした。
「さみしいか」
ギャレットがミシェラに鼻を押し付けながら言った。相変わらず渋いいい声だ。
「さみしい、と言うより、怖いね」
置いて行かれるかもしれない。一人に、なってしまうかもしれない。そう思うと、寂しいと言うより、怖い。
「優しい子だな、お前は」
ミシェラの肩に乗ってきたのはエレインの使い魔、猫のランスロット。ミシェラはこちらのもふもふもなでる。
「……ねえ、ランスロット。ランスロットは怖くない? エレインが死んじゃったら、お前も消えちゃうんだよ」
主と使い魔は一心同体。エレインがその生を終えれば、ランスロットも追うことになる。
「愚問だな」
ランスロットがミシェラの指をぺろりとなめる。
「私とエレインは、もういいだけ生きた。彼女が終わると言うのなら、彼女がさみしがらないように私も共に行くだけだ」
「……そう」
ミシェラはギュッとギャレットに抱き着く。
「お前も休め。日が昇る時間。お前が最も回復できる時間だ」
「二時間経ったら起こしてやる」
「うん」
ランスロットとギャレットに言われ、ミシェラはソファで横になった。小柄、と言うほどではないが普通の体格であるミシェラは三人掛けのソファでも眠れた。
宣言通り、ギャレットは二時間ほどでミシェラを起こした。背もたれに手をついて起き上がると、ソファから降りる。ベッドを覗き込むと、エレインもリンジーも眠ったままだ。ギャレットはミシェラについて回っているが、ランスロットはエレインの枕元で丸くなっていた。ミシェラはギャレットの首のあたりをもふもふする。
食事をとってミシェラは怪我人たちを見に行った。わかっていたが、患者が増えている。サイラスを見つけた彼女は、彼に駆け寄った。
「どう? 薬足りる?」
ミシェラが声をかけると、疲れた顔をしたサイラスが自分の師匠を見て言った。
「師匠、大丈夫なんですか?」
「うん、まあ」
魔力が足りないけど。疲労はだいぶ回復した。
「薬は、この城には薬草園がありますから多少は……ほかの魔法素材が手に入らないので、僕の調剤より師匠のレシピの方が作りやすいですけど」
魔女の薬と錬金術師の扱う薬は少し違う。錬金術師に近いサイラスは薬の調合がしづらい状況のようだが、ミシェラの弟子もしているため魔女の作る薬にも造詣がある。素晴らしいことだ。
「苦労を掛けるけど、もう少しよろしくね」
「いえ。勉強になりますし」
薬師もサイラスだけではない。現場にも触れられて、彼は成長できるだろう。
ミシェラが軽症患者を診ていると、入口のあたりが騒がしくなった。看護師がミシェラに声をかける。
「ミシェラ先生。重傷者が……」
「わかった。今行くわ」
ミシェラは別の部屋に入る。最初の処置を行っている、診療室代わりの部屋だ。運び込まれた重症患者たちを見て、ミシェラは顔をしかめた。エレインに及ぶほどの重傷者もいる。離れたところでイーデンやアドルフも処置を行っている。
ミシェラは傷口をきれいにしようと服を切り裂く。手際よく処置をしようとして、ミシェラは「ん?」と声をあげた。眉をひそめる。
「生体反応が……」
かっとその患者の目が見開かれた。赤い虹彩があらわになる。ミシェラはとっさに身を引いた。鋭く突き出された手刀をつかみ、その腕を容赦なく折る。警告を発する。
「全員、離れろ! 不死者だ!」
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