33.アルビオン内戦
宮殿に入ったミシェラは、そのまま宮殿の最奥、国王の寝室まで連れて行かれた。何度か診察に来たこの部屋に、今日はこの国の王族のほとんどが集まっていた。
王太子リチャードとその息子。第二王子ジョージとその妃と娘。国内の有力貴族メイフィールド公爵家に降嫁した第二王女キャロライナ。
ほかに宰相、ナイツ・オブ・ラウンド第一席。結構な大所帯だ。彼らはミシェラを見て一礼した。
ミシェラは国王のベッドの側まで行くと、目を閉じている国王……父親の額に手を当て、脈をとる。その生気の弱さにミシェラは顔をゆがめた。
「……ああ、エイリーか」
うっすらと目を開いた国王ヘンリー四世であるが、深い緑の瞳はほとんど何も映していないだろう。ミシェラは目を細めた。
「私がわかりますか、陛下」
「……最後は、父と呼んで見送ってほしいものだ……」
小さいがはっきりした言葉に、さすがのミシェラも笑みの浮かべようもなかった。キャロライナとジョージ王子の妃レイラが嗚咽を漏らす。
国王の衰弱の理由は老いだ。ミシェラにはどうすることもできない。
ミシェラ自身が人は老いて死ぬ、と言う理から外れて生きている。長ければ三百年近くを生きる彼女の命を移し替えることもできなかった。
『旧き友』とは一体何なのだろうか。愛する人々と違う理の中の生を与えて、一体何をさせようと言うのだろうか。
「……父上、わかるか。皆が集まってきている」
「ああ、そうか……」
力のない声だった。ミシェラは視線を自分の兄弟に向けるが、誰も近づいては来なかった。レイラが意味ありげにジョージをちらちらと見ているが、ジョージもリチャードにならってこちらには近づいてこなかった。ただ、名目上は中立の立場にあるミシェラだけが側にいる。
「エイリー……頼みがある」
「何?」
声が小さかったので、ミシェラは顔を近づける。そして、ささやかれた言葉に、ミシェラは目を細める。
「頼む……お前の兄たちを、助けてやってくれ」
ミシェラは己の父を見た。光を映さなくなった深い緑の瞳が、返事を求めている。
「……盟約と誓約に基づき、誓おう」
「……ありがとう」
安心したのか、その眼が閉じられる。ミシェラは思わず、「父上!」と叫んだ。肩をたたくが、反応がない。
「……エイリー」
リチャード王太子が腹違いの妹の名を呼ぶ。ミシェラはあえて淡々と作業を下。
「呼吸……なし。脈、なし。瞳孔、反射喪失」
ミシェラはポケットから懐中時計を取り出した。
「七月三日、午後五時十七分。魔法研究所所属魔法医、ミシェラ・フランセス・シャロンがアルビオン王国第二十三代国王ヘンリー四世の死亡を確認しました」
嗚咽が部屋を満たした。懐中時計をしまい、杖を手に立ち上がったミシェラは目を閉じた。
「旅立つあなたに祝福を。癒しの島で、いつかあなたの魂がよみがえる時まで、よくお休み」
祝福を寿ぎ、ミシェラは父であり、何より国王であった人を見送る。ミシェラは目を開き、振り返った。彼女の兄弟たちがそれぞれの色をたたえて父親を見送る。
「……エイリー……いや、ドクター・ミシェラ。礼を言う」
リチャードが生真面目に言うので、ミシェラは黙って礼をした。この後のことは彼らが決めることになる。葬儀が行われるだろうが、ミシェラは呼ばれれば行くし、呼ばれなければいかない。
「それではまた、ご用があれば」
「ああ……」
ミシェラは最後に気遣わしげに二人の兄を見たが、結局そのまま宮殿を出た。やることがあった。
「ミシェラさん、どこ行ってたんですか」
帰ってきたミシェラを見て、ニコールが驚いた表情をした。先に帰ったはずのミシェラが、家にいなかったので驚いたのだろう。
「ちょっと宮殿に。リンジーはいる?」
「え、ええ。いますよ」
答えを聞くと、ミシェラは足早に家の奥に入った。リンジーはサイラスに魔法を教えていた。たぶん、こういうこともミシェラは教えないといけないのだが、何分彼女は二流であった。
「あ、師匠」
「お帰り、ミシェラ。何かあったようだな」
確信ありげなリンジーは柔らかな笑みを浮かべていたが、ミシェラは真剣な表情で言った。
「国王が崩御した」
「……」
一瞬、リンジーが返答に詰まった。サイラスや少女たちが息をのむ。リンジーの表情がゆるゆると変化し、彼は「そうか」と一つうなずいた。
「ミシェラ、わかっているな? 私たち『旧き友』は、古の盟約と誓約の元、どちら側にもつくことができない。私たちは王の要請があれば手を貸すが、彼らを王位につけることはできない」
「わかっている。だが、私がどちらにもつかなくても、王位継承戦争は始まる」
「そう思うか?」
「思う」
予想ではなく、すでに確信だった。
「情勢や物流を見ていればわかる。リチャード王太子は根回しと布石に余念がないし、ジョージ元帥も武器や兵を集め、陣を固めている」
「なるほど。ジェネラル・エイリーンの目は確かだろうな」
リンジーが穏やかに言った。リチャード王太子も、ジョージ元帥も、一歩も引く気はないだろう。二人とも、ミシェラにとっては良き兄であった。
「なら、お前はどうする?」
「野戦病院を開きたい」
「そう言うと思った」
リンジーは再び微笑むと、ミシェラの頭を撫でた。
「手はずを整えよう。みな、しばらく引っ越しになる。荷物をまとめておけ」
「あ、あの、私たちも一緒にいていいの?」
ユージェニーが手をあげて尋ねた。サイラス以外の預かり人三人は、みな貴族だ。王太子か、元帥か。どちらにつくかによって身の振り方が変わってくるのではないか、と言うことだろう。だが、ミシェラは首を左右に振る。
「ジェイン、エルは内戦に加担するようなまねはしない。ローガン男爵家は、内戦に参加するような状況じゃない。エヴァレット伯爵家は……王太子派だな。なら大丈夫だ」
ミシェラが請け負うと、リンジーが女の子たちと弟子を散らせた。
「ほら、片づけをしておいで」
四人をリビングから追い出したリンジーは、するりとミシェラの頬を撫でると、抱きしめた。
「ミシェラ、お前は『旧き友』だ。立場を忘れてはならないよ……だが、お前は父親を亡くしたのだ」
「……だから?」
「泣きそうな顔をしている、ということだ」
ぽんぽん、と背中をたたかれて、ミシェラは自分の目が潤むのを自覚した。
「今のうちに泣いておけ。すぐに、それどころではなくなるからな」
残酷な言葉だ。ミシェラはうなずきながら、リンジーの肩に顔を押し付けて泣いた。あの時、カイルが亡くなった時も、こうして彼にすがって泣いたっけ。
リンジーの手が優しくミシェラの背中を撫でる。これくらいでうろたえるわけにはいかない。わかってはいる。しかし、理屈ではないのだ、こういうのは。
騎士として、医師として、『旧き友』として、ミシェラは多くの死を見てきた。今際のカイルの言葉通り、ミシェラはこれからこれまでとは比較にならないほどの死を見なければならない。そうなるのを選んだのは、ミシェラだ。
そして、それよりも差し迫った問題がある。数日後には、王位継承戦争が勃発する勢いなのだ。
「多くのものを失って、最悪よりは少しましなものを手にするわ」
王都にやってきたばかりの時、予知能力者ユージェニーはそう言った。彼女の予知は、当たるのだ。
「ごめん。ありがと」
鼻をすすり、ミシェラはしゃくりあげながらも一応落ち着いた。リンジーは彼女の頬を撫でて涙をぬぐうと、その頬にそっと口づけた。
「悲しければ思い切り泣けばよい」
リンジーがいる間は、彼が受け止めてくれるだろう。ミシェラは赤い目元を細めて微笑んだ。
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