32.アルビオン内戦
結局、ミシェラが目を覚ましたのは王都ロンディニウムの空から分厚い雲が取り払われてから、丸一日が経過したのちのことだった。そこから、動ける程度に魔力が回復するまで約二日。エレインの城から自宅へ戻ったのは、四日目の朝のことだった。
「はい、いいよ。エイミー……私よりよっぽど元気だよ」
「やっぱり! 外出ていいか?」
「いいわよ。でも、一人じゃだめだからね。必ず私かリンジーかサイラスを連れて行きなさい」
「わかった」
エイミーがぴょん、とソファの上で跳ねる。戻ってきたミシェラは、まず、エイミーの診察を行った。魔力不足が解消しないミシェラより、エイミーの方がよほど元気だった。
「ミシェラ、今魔力どれくらいなの?」
ユージェニーが昼食を出しながら尋ねた。ミシェラは少し首をかしげる。
「半分くらいかなぁ。私、そんなに魔力が多い方じゃないんだけど」
と言っても、『旧き友』であるミシェラの魔力内包量はただの魔術師を軽く凌駕するだろう。なかなか一杯にならないのは当然だ。
「師匠。診療はいつから開始します?」
昼食をとりながら、サイラスはミシェラに尋ねた。ミシェラは「そうね」と少し考える。
「今すぐに、と言うのは難しいわね。三日後くらいから始めましょうか」
「タフですね……でもよかった。先生いないの、って患者さんが多くて」
サイラスがほっとした様子で言った。まだこの家の結界の主導権をリンジーから返してもらえるほど回復はしていないが、診察くらいはできるだろう。
エイミーが外に出たい、と言うので、外出することにした。全員で出てきたので、総勢六人と言う結構な大人数である。楽しげな少女たち三人に対し、男性陣二人とミシェラは少し後からついて行っているだけだが。
「師匠はどちらかと言うとあちらに参加すべきでは?」
サイラスが前方の少女たちを指して言った。外見は十代後半の少女にしか見えないミシェラは、確かに男性陣に混ざっていると少し浮いている。
「私ではあのテンションについて行けないわね」
そう言うと、サイラスはそれを想像したらしく、「無理ですね」とうなずいた。それはそれで結構失礼である。
店を見て回る少女たちに対して、ミシェラとリンジーは長雨での影響の確認も兼ねている。それに気づいたニコールがちょこちょこと近づいてくる。彼女に魔法を教えていたエルドレッドが実家(?)に戻ってしまったので、彼女の指導は急遽、リンジーが引きついでいる。ちなみに、ニコールの腕のうろこは痕を残す程度になっているが、もう少し様子を見なければならないし、ここまで来たら魔法を教え込んだ方がよい。
「流れが良くないな。前と同じような空気を感じる」
「表でも裏でも戦争ってことか」
ミシェラはため息をついた。
「犯罪率も上がってきているからね。リチャード王太子なら、もっとうまい手を打ってくると思ったんだけど」
相対的に、ジョージ王子の評判を下げているのかもしれない。所々根付いた魔法陣は誰が手配したのだろう。リンジーに教わりながら、ニコールが魔法陣を解除している。その様子を見ながら、サイラスがミシェラに尋ねた。
「僕にもああいうことはできるんでしょうか」
「まあ、習えばね。教わるならリンジーからの方がいいわ。私の魔法はおおざっぱだから」
もともと聖の属性の力を持つ彼女は、往々にして力押しなのである。師であるリンジーが緻密な魔法を得意とするので、そう言う魔法が使えないわけではない。詠唱魔法も使えるが、ミシェラは事前に魔法陣を用意して必要に応じて魔法を編み上げる方法を得意とする。これは、ミシェラが魔法と記憶を引き継いだカイルが得意としていた方法でもある。
「まあ、師匠の性格からして、苦手そうですよね」
「……否定はしないけどさ。サイラス、結構いうようになったわよね」
苦笑を浮かべたミシェラに声がかかった。「先生!?」と言う声だ。
「ああ、こんにちは」
「久しぶりだねぇ! 診療所は再開したのかい?」
気の良い近所の奥様である。恰幅の良い彼女は、よくミシェラに子供たちを診てもらっていた。
「先生がお休みで、難儀したもんだよ。体調が崩してたって話だけど」
「あはは、ごめんね。再開にはもうしばらくかかるかな」
困ったようにミシェラは笑い、奥様はいたずらっぽく笑う。
「もしかしたら、おめでたかと思ったんだけどねぇ。旦那さん、帰ってきてるだろう?」
と、奥様はリンジーの方を見た。たまに忘れるが、対外的にはそうなっているのだった。
「……先生のとこも、人が増えたね……」
「まあ、預かり人が多くて」
ニコールも預かり人、ユージェニーも預かり人、エイミーも預かり人。サイラスだけがミシェラの弟子だ。ニコールも、魔法を習っているのでリンジーの弟子と言ってもいいかもしれないが。
ふいに、ミシェラは寒気を覚えた。ぞわりと肌が泡立つ。ミシェラだけではなく、リンジーも同じ感覚を覚えたらしく、女の子たちを手招きしてミシェラの方へ近寄ってきた。
「ミシェラ」
「リンジー」
「ああ……奥さん、お子さんたちは?」
リンジーが奥様に尋ねる。彼も、彼女のことは見知っていた。
「え、この時間なら学校に行ってるけどね」
と、答えた瞬間、どこかで悲鳴が上がった。ユージェニーがミシェラにしがみついた。ニコールもびくっとして「なんですかね」と不安げな声を上げる。
人々が逃げてくる。ミシェラとリンジーはみんなを道路のわきに連れて行った。犬のような咆哮が聞こえた。
〈ハティだ〉
すっと姿を現したオオカミのギャレットが言った。種類が近いからわかるのかしら、とミシェラはちょっと失礼なことを考えた。リンジーがわしゃわしゃとリンジーを撫でる。
「ギャレット。子供たちを頼む。ミシェラ、無理をするな」
「したくてもできないわ」
ミシェラもリンジーも手に杖を持っていた。こうなるなら、剣を持ってくればよかったかもしれない。ミシェラはあまり魔獣の討伐経験はないが。
〈来る〉
ギャレットの忠告と共に角を曲がってきたのは、大きな狼に見えた。だが、ギャレットとは種類の違う狼なのだろう。ハティだ。六頭ほどだろうか。
ハティは大陸の北の方に生息する魔獣なのだが。月を追う生物だと言われており。
「もしかしてリンジーを追って来たんじゃないの?」
「ふむ。確かに私の魔力は月に近いが」
月も太陽の光を反射しているため、『鏡』の力を持つリンジーと近いものがあるのだ。
軽口をたたいている間にハティが迫ってきた。ミシェラは杖を振るってハティの首をたたいた。足を踏み込み半回転しながら杖の先をハティに向かってついた。さらに体を回転させ、両手で杖を握りかみつこうとしたハティを押しとどめる。両手で握った杖の真ん中にかみついたハティに、ミシェラは膝蹴りを食らわせた。
半分を片づけたミシェラは、体を反転させると杖の底を地面にたたきつけた。杖から地面へ魔法陣が流れていく。呼応するようにミシェラの肌にも魔法文字が浮かび上がる。
ガラスが割れるような音がした。六回。ミシェラの破魔の魔法だ。リンジーが残り三体もたたいてくれていたので、破魔の魔法は広範囲に展開しなくてもよかった。リンジーも心配するのが馬鹿らしくなるくらいには強い。人生の長い『旧き友』は暇人なので、変な方面に力を入れる者も多いのだ。
ハティが全滅したのを確認し、ミシェラは魔法を終息させる。その途端、くらっときた。杖にすがり、何とか崩れ落ちずに済んだ。
「大丈夫か」
リンジーがミシェラの肩を支える。魔力不足で倒れかかったのに気が付いただろう。
遅れてきた軍警察に後を任せ、ミシェラは先に帰宅することにした。若干ふらふらするが、家にまではたどり着いた。
リビングのソファにそのまま倒れ込む。そのまま眠ってしまったのだろう。ドアベルをガンガン鳴らす音で目が覚めた。
「はい……」
玄関扉を開けると、そこに立っていたのはナイツ・オブ・ラウンドの騎士だった。
「ドクター。至急、フェリス・コート宮殿までご同行願います」
それは、葬列の始まりだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。