30.長雨
途中で視点が切り替わります。
雨は降りやまない。家の中核を担う一人が倒れているこの家……何家と言えばいいのだろう? 仮にシャロン家とするが、シャロン家に一人の客が訪れた。長い栗毛をなびかせた、美しい女性だ。彼女はノッカーをたたいた。
「はーい……?」
いつも通り応対に出たニコールはぽかんと口を開けた。彼女の美貌に見とれたのだ。
「こんにちは。あなたが水の魔術師見習いね。わたくしはエレイン。リンジーとミシェラはご在宅かしら」
「え……っと、はい」
魔術師見習いであるニコールにもはっきりわかる。彼女は『旧き友』だ。普段、リンジーとミシェラと言う二人の『旧き友』に接していて、気配に敏感になっているだけかもしれないが。
そのエレインは客室ではなくリビングに通され、リンジーとその彼に寄りかかるミシェラと対面していた。エレインは目を閉じたミシェラの頬に触れた。その感触でミシェラは目を開く。
「……エレイン」
「さすがのあなたも、顔色が悪いわね。この雨のせいね」
「さすがにおかしいな。こんなに長く、雨が続くのは」
リンジーがミシェラの髪を撫でながら言った。エレインもするりとミシェラの頬を撫で、うなずく。
「誰かが気象に干渉しているのでしょう。長く準備をしないとこんなことはできないわ」
「エレインにも無理か?」
「準備を、そうね。二十年くらいかければ不可能ではないわ」
「……」
現存する魔術師の中で、おそらくもっとも手練れであろうエレインですらそれだけの時間を必要とする。気象を操っている人間がいるのは確定だが、それは『旧き友』である可能性が高いだろう。
だとしたら、エルドレッドの父親の愛人……というか、レティシアに霊薬を渡したのと同じ人物だろうか。それならば、その人物の知識はかなり広範に藁るのだろう。
「この雨、どちらかと言うと穢れにあたるわ。ミシェラの破魔の力が対抗できる。……まあ、だからこそこの子の力がそがれているわけだけど」
対抗できると言うことは、力が対極に位置する。だからこそ力がそがれるわけだが。
「おい、ミシェラ、生きてるか……って、エレイン」
勝手に入ってきたのはエルドレッドだ。彼は父親の死後、爵位をついでアーミテイジ公爵邸にいるが、妹のユージェニーはミシェラの元に預けたままだ。
「お久しぶりね、エルドレッド。爵位を継いだそうね。おめでとう……ということではないわね」
エルドレッドが爵位を継いだのは、父が亡くなったからだ。おめでとうというのは少し不謹慎だろう。
エルドレッドがミシェラを上から覗き込む。
「魔力欠乏症か。だから結界がリンジーの韻律結界なのか?」
「よく気が付いたな」
リンジーが感心したように言った。ミシェラの頭を撫でているのであまり威厳はないけど。
「お前もミシェラも魔力が独特だし……というか、何してるんだ?」
「お前もどうしたんだ?」
質問に質問で返す男、リンジー。エルドレッドは「ジェインの様子を見に来た」と答える。
「あと、この長雨はなんだ?」
エルドレッドの質問に、エレインがにこりと笑う。
「それを解決しようかと思うの。ちょうどいいから、手伝ってくれない?」
「は?」
エルドレッドが怪訝な表情になった。エレインは意味深に笑うと、突然ミシェラに口づけた。突然のことにミシェラも目を見開き、エルドレッドも「うおっ」と声をあげた。遠巻きに見ていたユージェニーたちも声を上げる。
「そんな感じなんですか!?」
「まさかの三角関係ですか!?」
外野の騒ぎを気にせず、エレインはミシェラから離れ微笑む。
「少しは回復したかしら。魔力の性質は近いはずだけれど」
確かに、火の性質を持つエレインと聖の性質を持つミシェラは力の性質が近い。リンジーから供給されるよりは回復した気がする。それでも体がだるい気がするが。
「それではエル。行ってくるから、しばらく留守番していてくれ」
「は? まあ別にいいけど……」
エルドレッドは怪訝そうにしながらも了承した。『旧き友』が全員出払ってしまうので、代理だ。
「うう……はあ、体が重い……」
「話せるなら上等。行くわよ」
連行するようにエレインとリンジーがミシェラを両脇から抱えて引きずって行った。サイラスとニコールが心配そうに見守り、ユージェニーが兄を見上げた。
「ミシェラ、大丈夫かな?」
「……たぶん。まあ、あいつはそう簡単には死なねぇだろ」
さらっとひどいことを言うエルドレッドだった。
一方のミシェラ。どこに連れて行かれるかと思えば、エレインの住んでいる城の敷地内だった。その庭は魔力の集まるところなのだ。逆に言うと、そういう場所にこの城が建てられたのだが。
「お久しぶりですね、蜃気楼、癒し手」
にっこり笑ってその青年は言った。せいぜい二十代後半ほどにしか見えないダークブロンドに淡い緑の瞳をした、いかにも賢者です、と言ったような容貌の男性だ。
「風使い」
リンジーが少し驚いたようにその男性の名を呼んだ。片眼鏡の奥から淡い緑の瞳が細められる。エレインがミシェラを放したので、リンジーが力の抜けているミシェラを支え直す。
「アーリン、急に呼び立ててごめんなさいね。手伝ってちょうだい」
「もちろんです。私も、この雨には難儀していたところですから」
風魔法の使い手である彼、アーリンは、気象に干渉する力がある。偉大なる自然に対して些細なものだが、多少は影響があるだろうに、どうにもならなかったのだろう。自然現象以外の力が働いているということだ。
「ミシェラの体力が尽きる前に、さっさと始めましょう」
エレインがすっぱりと言った。リンジーがミシェラに彼女の杖を持たせると、少し離れる。ミシェラは気力で立ち上がった。正直、戦場で大けがをしたときよりもしんどい。
「――――……」
ミシェラは小さく呪文を呟き、魔法陣を織り上げる。自他ともに認める二流魔術師である彼女だが、単純な破魔の魔法を織り上げるだけなら簡単だ。それを相性の良い『炎』エレインが助け、『蜃気楼』リンジーが増幅する。
エレインはわかりやすく発火魔法を得意とする魔女であるが、リンジーの魔法はちょっと変わっている。『蜃気楼』と呼ばれているが、その実態は『鏡』なのである。相手の魔法を映すのだ。鏡返しなどがその最たるものだが、他にも使い方がある。魔法を反射させ、増幅させる『反射』の能力がある。
これを使って、穢れの払しょくを試みるのだ。
ミシェラが魔力不足とはいえ、三人分の『旧き友』の魔力だ。厚い雲に一点の光が差した。ここで、アーリンの出番である。
アーリン、彼も『旧き友』である。エレインなどと同じく、本名は既に不明だ。エレインに次ぐ長寿な『旧き友』である。たぶん、二百七十歳くらいではないだろうか。見た目はせいぜい、その十分の一であるが。
気象に干渉する力のある『旧き友』の魔術師。それがアーリンだ。彼の魔法もリンジーの『反射』で増幅を行うので、この方法だとリンジーが一番負担が大きいかもしれない。
かなりの力技だが、空がひらけ、青い空が見えた。ミシェラは詠唱を続け、徐々に青空は広がっていく。空間を満たす『穢れ』を太陽光の発する陽の気が上回れば、自然と雨雲は消えていくだろう。
ミシェラは空を見上げる。彼女らの頭上は、すでに晴れていた。
久しぶりの青空だ。ミシェラがカイルに見いだされた時も、こんな晴れ空だった。
眼を細めたミシェラだが、さすがに限界だった。彼女はその場で気を失った。
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