26.エルドレッド・アーミテイジ
ミシェラの衝撃発言から最初に立ち直ったのはリンジーだった。と言うか、彼は驚きもしていなかった。
「サイラス、本当か?」
「本当です。師匠が撃退して、転移魔法で帰ってきましたけど」
「まあ、ミシェラの戦闘力なら造作もないわな」
リンジーは納得したが、ミシェラにとってはそうもいかない。
「まあ、今回は相手が魔獣だったからね。だけど、『旧き友』に襲撃されたら、私、逃げ切れる自信がないのだけど」
「お前は『旧き友』の魔術師としては二流だからなぁ」
リンジーがしみじみと言った。もちろん、ただの人間であればそこそこの魔術師として見られるが、長き時を生きる『旧き友』としては、まだまだ成長の余地あり、と言うことになる。
「だが、私はこの場を動けん。次善策としてエルを連れて行くのはいいな。ミシェラが前衛、エルが後方から援護」
「俺、いらなくないか」
エルドレッドがかなり真面目な表情で言った。ミシェラが憤慨する。
「ねえ、リンジーにエル。あんたたち、私をなんだと思ってるの。自動殺戮マシーンじゃないのよ」
敵国から似たような扱いは受けたことがあるけど。リンジーがとりなすようにミシェラに微笑んだ。
「そんなことは思っておらん。ひとまず、ミシェラ。この状況下において、最も冷静に判断を下せるのはお前だろう。お前の判断に任せる」
「ええぇ……」
半世紀以上も長く生きている魔術師に丸投げされ、ミシェラは鼻白んだが、確かにこうしたことの判断力に関しては彼よりミシェラの方が上だろうと思われた。
「ひとまず、リンジーは家にいてね。私は往診とかに出かけないといけないし……サイラスは、どうするかなぁ。留守番してる?」
「そんな!」
サイラスが置いて行かないでください! と叫ぶ。ああ、いい子だなぁ。
「でも、一緒に行くと襲われるかもしれないわよ」
「ぐっ」
サイラスが返答に詰まる。ミシェラも連れて行った方がいいのだろうなあとは思うが、彼女も襲われたら、サイラスを護りながら戦うのは難しい。
「そうだなぁ。エルの家にはついていかない方がいいだろうけど、近場ならいいんじゃないか。突然お前が弟子を連れ歩かなくなったら、何事かと思われるからな」
「そうね」
リンジーの意見にミシェラは同意する。って、結局リンジーも口を挟んでいる。
「サイラスにしばらく使い魔をつけておくのも……まあ、私のヴィヴィアンはあまり戦闘力はないけど……」
ミシェラは自分が戦闘力S級なので、使い魔には求めなかったのである。それよりも情報収集能力を優先し、イヌワシのヴィヴィアンを使い魔とした。護衛には向かないし、雨が続くこの頃では、彼女も空を飛びにくいだろう。
「ミシェラ、お前な……わかった。ギャレットをつけよう。姿も消せるし、いい護衛だ」
「リンジー、感謝するわ」
そうなるように仕向けたのに、ミシェラはしれっと礼を言った。「ギャレットって誰です?」と尋ねたサイラスに、ミシェラは簡潔に答えた。
「リンジーの使い魔よ」
つまりはオオカミである。
襲撃にあった翌日は、サイラスに見えない護衛をつけて往診に駆けずり回ったミシェラだが、さらにその翌日はサイラスを置いてエルドレッドと共にアーミテイジ公爵家へと向かった。ロバートの容態を見て一言。
「ロバート。あなた、もう持たないわ。肉体が限界を迎えているの。もう少し早く、私が出向いていれば……」
どうにかなった? いや、ならなかったかもしれない。騎士であった彼女は、世の中にはどうにもならないことがあるのだと知っている。ロバートのこともそうだし、ミシェラの父のこともそうだ。
ロバートははっきりと残酷なことを言いきったミシェラを見て、疲れたように微笑んだ。
「姫君は、相変わらずお優しゅうございますな」
「あなた、奇特な人ね」
「その優しさに漬け込み、お願いがあります」
苦しそうに言葉を切ったロバートに、ミシェラは「何かしら」と尋ねる。ロバートが骨ばった手でミシェラの手をつかんだ。
「姫君、どうか、エルドレッドとユージェニーをよろしくお願いします」
「……ええっと」
思いがけない頼みに、ミシェラはさすがに驚いた。ロバートは最後とばかりに言った。
「今だから申し上げます。レティシアの子は、私の子ではありません」
「……まあ、そうでしょうね」
ミシェラはレティシアの男女の子に会っているが、二人ともロバートの子ではないし、母親は同じレティシアだが、父親はそれぞれ別だろう。骨格が違う。
「レティシアは、私の父が侍女に産ませた子です」
なんだかとんでもないことを暴露されている気がするが、今のミシェラは姫君ではなく、『旧き友』。誓約と盟約の元、約束は守らねばならない。
「レティシアはユージェニーにつらく当たりましたが、彼女は私の母に同じことをされていた……たぶん、実の母親にも。子は親をまねるものです」
「うん、まあ、そうね」
統計学的に、その傾向があることはミシェラも理解している。
「レティシアを引き離すべきでしたが、私には彼女を放り出すことができなかった……」
「話を聞いていると、あなたの方が優しいと思うのだけど」
ミシェラが眉をひそめつつ言うと、ロバートは静かに首を左右に振った。
「いいえ。私のはただの偽善です。エルドレッドがあなたのお相手にと、言われた時にはしめた、と思いました。これで、エルドレッドのこともユージェニーのことも護ることができると。しかし、あなたは『旧き友』として姿を消した……ですが、だからこそ頼めることがある」
そこから、エルドレッドとユージェニーを頼む、と言うことになるのか。自分では、もうどうすることもできないから。
「私とは違い、あなたはあの子たちより先にいなくなると言うことはないでしょうから……」
『旧き友』は長寿だ。確かに、十六歳年下のユージェニーより、ミシェラが長生きするはずだ。
「……いつまでも面倒を見ることはできない。だけど、見守ることはしましょう」
「ありがとうございます」
ほっとしたのか、ロバートはミシェラから手を放し、目を閉じた。脈を確認するが、弱い。ミシェラは顔をしかめた。
書斎で手続きなど事務仕事をさばいているエルドレッドを呼ぶべきだろうか。と言うか、レティシアと喧嘩をしていないといいが。
ふと、ミシェラは奇妙な気配に気が付いた。顔をあげて扉の方に目をやる。外の様子を見ようかと立ち上がったところ、その扉が開いた。
「ド、ドクター!」
駆け込んできたのはレティシアの子だった。男の子の方、オリバーである。親がどうであろうと、この十代半ばの少年には罪はないので、ミシェラは微笑んで尋ねる。
「あわててどうかしたの、オリバー」
「あ、あの! エルドレッド兄様とかが、大変!」
両手をばたばたさせながら言うオリバーに、ミシェラは意味が分からん、と思いつつ、廊下に顔を出した。またエルドレッドとレティシアがダイナミックな喧嘩でもしているのだろうか、と思いながら。発想が多いに失礼である。
「馬鹿! 顔を出すな!」
エルドレッドの声が飛ぶ前に、ミシェラは半歩ほど身を引いてその魔法攻撃をよけた。ミシェラはオリバーを振り返る。
「オリバー、あなたはこの中にいるのよ」
「う、うん」
よしよしと彼の頭を撫でると、ミシェラは堂々と廊下に出てゆっくりと扉を閉めた。ミシェラの左側、というか側にはエルドレッドとレティシア。右手向こうにはメイド服姿の女性がいる。手に持っている魔法道具からこちらに向けて攻撃があったようだ。ミシェラは思わず、剣呑に目を細めた。
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