25.旧き友
「どうやって帰るんですか」
サイラスがミシェラに尋ねた。もちろん、外は雨が降っている。帰れない距離ではないが、雨の中歩くのは遠慮したい。
「ねえサイラス。ここまでつけられているのに気が付いてた?」
ミシェラが何気なく言った。何気なさすぎて、サイラスが「は?」と眉をひそめたほどだ。
そもそもサイラスはただの薬師だ。気づいていたら逆にびっくりだ。
「気にしないで。途中で辻馬車を拾いましょう」
「……拾えるんですか、これ」
サイラスは不審げにしながらも傘をさしてミシェラに続いて歩き出した。ひとまず彼は、ミシェラについていくしかないのだ。
しばらく歩き、エレインの屋敷から少し離れたところ。ミシェラは歩きながら背後を確認した。それから、サイラスに診療鞄を押し付けた。
「持ってて」
「え?」
サイラスが目を見開く。さらにミシェラに頭を押さえつけられ、より驚いたことだろう。一般的な女性の体格のミシェラではありえない膂力であるが、彼女は一般的な人間の分類に入らない。
地面に押し付けられ、ぐっしょりと濡れたサイラスは不快気な表情になったが、頭上を鎌鼬のようなものが通過して行き、目を見開いた。
「な、なんですか!?」
「襲われてるのよ。そのままじっとしてなさい!」
ミシェラは空間から剣をつかみ取る。空間転移の応用だが、杖もしくは剣どちらか一本しか入らないのが難点だ。今回は剣を持ち歩いていた。
昨日、ミシェラたちを追ってきていたカラスは、使い魔のイヌワシ、ヴィヴィアンが退治した。基本的に、使い魔がいるのは『旧き友』だ。つまり、相手はミシェラが『旧き友』だと知っているのだ。
「本人が来ているわけではなさそうね」
一度剣を振ると、ミシェラは腰を落として剣を構えた。雨が体をたたき、服が水を吸って重いが、行けるだろう。
低いうなり声が聞こえる。水のカーテンの中に、獣が姿を現した。
「マンティコアかしらね」
ライオンほどの大きさ、鋭い牙、サソリのしっぽに人面。伝承では赤いはずだが、今目の前にいる奴は青い。普通のマンティコアとは違うのだろうか。
「師匠!」
「そこにいるのよ!」
サイラスに叫ぶと、ミシェラはマンティコアを討った。文字通り一撃だった。向かってきたマンティコアの首を一閃の元に落とす。それだけ。だが、かなりの技量がいることではある。
「……すごいですね」
「元の本職だからね」
「あなたの元の本職はお姫様でしょう……」
サイラスが呆れながらミシェラに傘を掲げる。サイラスは恐る恐るマンティコアを見る。
「どうするんですか、これ」
「このままにしておけないわよねぇ」
大騒ぎになる。ミシェラは剣を鞘に納め、魔法を発動すべく魔法陣を展開した。その時。
捕まえた。
そんな声が聞こえ、大きな手が伸びてきた。ミシェラやサイラスを丸ごとつかめそうな、そんな大きな手だ。もちろん、魔法のものである。
「師匠っ!」
悲鳴のような声をサイラスがあげた。ミシェラは彼の腕をつかむ。
「踏ん張りなさい!」
「え!?」
戸惑うサイラスを連れて、ミシェラは自宅前まで転移した。屋根の下には入ることができたが、さすがに強制転移は疲れる。外壁に手をついて息を整えた。
「大丈夫ですか?」
「……うん、平気。おおっ!」
突然玄関扉が外向きに開いてミシェラは扉を受け止めた。さすがの反射神経である。と言うのはどうでも良くて。
「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
顔を出したのはニコールだった。ミシェラは彼女に「大丈夫よ」と微笑むが、彼女はミシェラとサイラスを見て顔をしかめる。
「ずぶ濡れですけど……」
「雨の中歩いたからね」
「辻馬車を拾わなかったんですか?」
ニコールが不思議そうに首を傾げた後、タオルを差し出してきた。濡れた上着を脱いだミシェラとサイラスは、そのタオルで水気をぬぐう。
「ま、ちょっとねぇ。サイラスは巻き込んで悪かったわね」
「いえ。怖かったですけど、師匠が負けるとは思えませんし」
「いや、負けるときは負けるけどね」
軽口で返しながら、ミシェラはまだ水の滴る髪の毛を絞った。マットに水が吸収されていく。
「ああ、髪切りたい」
「魔術師の女性は長い髪をしているものだと聞きましたけど」
ニコールが首をかしげた。と言うか、高貴な女性はだいたい髪が長い。この家にいる女性は、ニコールも含めて全員が王侯貴族の為、長髪だった。
「魔術師の髪には魔力がたまるからね。リンジーやエルも長いでしょ。私は昔、短かったんだけど」
「……ハンサムだったでしょうね」
ニコールが返答に困る様子を見せたので、答えたのはサイラスだった。ミシェラは昔、確かに王女だったが、王女であるとか魔術師の素養があるとかは全く考えなかったので、動きやすいように髪を短くしていた。
まあ、それはともかく。ある程度水気をぬぐうと、ミシェラとサイラスはひとまず風呂に入った。長い髪が魔法を使ってもなかなか乾かないため、ミシェラは適当に髪をまとめ上げると、眼鏡をかけてリビングに向かった。
「ああ、ミシェラ。私はお前が髪を下ろしている姿の方が好きなんだがね」
などと、ユージェニーたちに魔術理論を教えているリンジーがのたまうので、ミシェラも言い返した。
「あなたの好みなんて聞いてないわよ」
「まあ、湯上りと言うのも色っぽいが」
「そういうところ、おっさんくさいわよね……」
四捨五入したら百歳だし、そう考えるとまだ若々しいのか。そこをつくなら、ミシェラも三十代のおばさんであるし。
このままでは応酬を続けそうなミシェラとリンジーであるが、エルドレッドが割り込んできた。
「痴話げんかはよそでやれ。何か分かったのか」
「居候はあんたらでしょうが。わからなかったわ。でも、あの霊薬を作ったのは、『旧き友』かもしれない」
ミシェラの言葉に、ニコールが戸惑った表情になった。
「えっと、『旧き友』は、アルビオンに七人しかいないんじゃなかったですか?」
すぐに犯人が見つかるのではないか、と言うことを言いたいのだろうが、ミシェラが首を左右に振る。
「いいえ。『旧き友』として宮廷が把握しているのが七人、と言うことよ。実際には、もっといるでしょうね」
この七人は、たまたま見つかったに過ぎない。ミシェラは王女だし、リンジーは貴族出身だ。エレインはちょっとわからないが、ミシェラを『旧き友』として見出したカイルも王家に連なる出身だった。そう言うことがなければ、見つからない人もいる。
「……『旧き友』って、どういうところで生まれるんでしょう。血縁?」
ニコールが誰もが思う疑問を呈した。ミシェラは「どうかしら」と小首をかしげる。
「血縁ではなさそうね。『旧き友』は生殖能力が低いから。できれば統計を取ってみたいところだけど、データが少なすぎるのよねぇ」
「……」
さらりと問題発言を交えつつ、ミシェラは反れた話の軌道を修正する。
「まあ、結論から言うと、ロバートの体から毒を取り除くことはできないわ」
「……だろうな」
エルドレッドが静かにうなずいた。彼も魔術師だ。わかっていたのだろう。
「あれがどういう霊薬なのかわからないが、どう考えても人体に摂取するには魔力が強すぎるからな」
『旧き友』でもなけりゃ、肉体が耐えられないだろ、とエルドレッドは淡々と言った。ユージェニーが涙目でうなずく。ほとんど父親と接してこなかっただろうに、優しい少女だ。
「緩和医療くらいはできるけど……覚悟はしておいた方がいいわ。明後日、様子を見に行くけど一緒に行く?」
「ああ」
エルドレッドがうなずいた。ロバートが亡くなるのなら、様々な手続きをしなければならない。エルドレッドが嫌でも、レティシアが拒否していても、それは仕方のない話だ。法律で決まっているから。
「あ、あの! 私も!」
ユージェニーが手をあげたが、彼女にリンジーがにっこり微笑んだ。
「ジェインは我らと共にお留守番だ。何なら私を父と思ってくれてもいいぞ」
「リンジーはどちらかと言うとおじいちゃん……」
ユージェニー、涙目でとんでもないことを言い放った。いや、言われた本人は笑っているからいいけどさ。苦笑を浮かべてミシェラは言った。
「ええ、ジェインは駄目よ。今、サイラスと帰ってくるときに襲われたからね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今描いているところが、ひたすら、鬱。