24.エレイン
翌日、ミシェラはサイラスを連れて辻馬車を拾い、王都の郊外に向かっていた。ちなみに、今日も雨である。ユージェニーの予知からすると、まだ続きそうだが。だとすると、ミシェラは困る。彼女の魔法は長雨と相性が悪いのだ。
やがて、小ぢんまりとした屋敷の前に馬車は停まった。ミシェラは「ありがとう」と御者に礼を言って代金を払うと言った。
「このまま、帰ってくれていいわ」
御者はこれ幸いと王都の街中に帰っていった。外れにあるこの場所では、お客さんを拾いづらいのである。
「帰りはどうするんですか?」
サイラスが尋ねた。彼女の家まで歩けない距離ではないが、少し遠すぎる気もする。
「大丈夫よ。なんとでもなるわ」
魔女であり、元騎士でもあるミシェラは平然としたものだ。それ以前に、彼女は元王女のはずなのだが。付き合えば付き合うほど、彼女のことが良くわからなくなるサイラスだった。
ミシェラは屋敷の扉のノッカーをたたいた。
「エレイン、いるかしら。知恵を拝借したいのだけど」
ノックすること数度。ぎい、と扉が開いた。出迎えたのは、家主本人だ。
「おはよう、ミシェラ。相変わらず元気そうね」
「おはよう、エレイン。貴女は相変わらず麗しいわね」
エレインがミシェラとサイラスを屋敷の中に迎え入れる。エレインがサイラスを見上げて言った。
「あなたの新しい恋人かしら」
「冗談もほどほどにしてね。弟子のサイラスよ。弟子と言うか、薬師なのだけどね」
ミシェラはエレインのからかいに動じずに言った。エレインがため息をつく。
「あのからかいがいのあった女の子はどこに行ってしまったのかしら」
「それなら、私をリンジーの弟子にしたことがそもそもの間違いね」
「……ああ、つまらないわ」
エレインはその美しい顔をむくれさせた。応接室についてから、彼女はサイラスに名乗った。
「初めまして。わたくしは『旧き友』の一人。ミシェラたちの同類よ。人はわたくしを、エレインとか、フレイムとかって呼ぶわね」
「はあ……僕はサイラス・ベケットと言います。一応、薬師です」
サイラスの簡潔な自己紹介に、エレインは微笑んでうなずいた。
「それで、医師のミシェラについているのね。もうあなたも弟子をとるころなのね。わたくしたちから見れば、まだまだ子供にも等しいのに」
「まあ、実年齢は三十越えてるからね」
とはいえ、エレインはミシェラの十倍近い時を生きているので、彼女の感覚は仕方がない面もある。
エレインは栗毛に緑の瞳をした、三十代半ばに見える美しい女性だ。ミシェラをのぞき、『旧き友』は美男美女揃いなのだ。『旧き友』は神の祝福、とも言われるが、神は美男美女を好んでいるのかもしれない。その点で行くと、ミシェラが選ばれた理由は謎だが。
「久々の訪いなのだから、歓迎しなくちゃね」
そう言ってエレインは指を鳴らす。テーブルに紅茶と茶菓子が現れた。サイラスが目を見開く。
「どうなってるんですか?」
「魔法の物質転移よ。珍しくはないわ」
無機物から有機物を作ることはできない。魔法は科学なのだ。つまり、エレインはあらかじめ用意していたお茶と茶菓子を、この場まで転移させたに過ぎない。
「相変わらず夢も希望もないこと」
「まあ、ここまで緻密に座標を計算できているのは、さすがとしか言いようがないけどね」
いただきます、とミシェラは遠慮なく紅茶に口をつけた。からかい甲斐がなさ過ぎて飽きたのか、エレインは口を開いた。
「それで、わたくしにどんな御用なのかしら」
「これを見てほしいの」
ミシェラはエレインに昨日、アーミテイジ公爵家から持ち帰った薬瓶を差し出した。それを見た瞬間、エレインの緑の瞳が細められる。貴婦人然としていた彼女だが、そのまなざしが賢者のものに変化した。
「昨日、アーミテイジ公爵家にお邪魔したの。ロバートが飲まされていたものなのだけど、私やリンジーでは、これが何なのか、わからなくて」
正直に話すミシェラに、エレインは首を左右に振った。
「わたくしにもわからないわ。だけど、とても高度な霊薬ね。通常の……つまり、一般的な寿命の魔術師や錬金術師には、こんなものは作れないと思うわ」
「と言うことは、『旧き友』?」
「……どうかしら」
エレインが柳眉をひそめる。
「今いる……もっと正確に言うと、アルビオンにいると認められている『旧き友』の七人のうち、誰にもこんな霊薬は作れないと思うわ。さかのぼれば、カイルがかろうじて作れたかもしれないけれど、彼はもういないわ。つまり、彼の『知識』を受けついているあなたが、最も詳しいはず。あなたにわからず、作れないのであれば、誰にもわからないわね」
「そう……」
あての外れたミシェラはうなる。こういうのは、作った者に聞くのが一番速いのだが……。
「少し、分析にかけてみましょうか。半分預かるわ。それにしても……この霊薬は、魔力が強すぎるわ。こんなものを体に取り込んでいたら、それは毒も同じよ」
「薬も過ぎれば毒となるものね……」
そのあたりはミシェラも専門の範囲内だ。おそらく、アーミテイジ公爵ロバートは、そう長くは持つまい。医師としてのミシェラの見解だ。そうとなれば、後継争いが起きる。まあ、エルドレッドが勝つことは目に見えているのだが……。
アーミテイジ公爵家のお家騒動に関しては、結果が見えているし、ミシェラには直接関係ない。エルドレッドが「ジェインを保護してくれ」と言うのであれば、ミシェラはそうするし、言われなかったら何もしない。『旧き友』としてのスタンスを貫くつもりだ。だが、一点、気になることがある。
「この薬、どこから手に入れたのかしら」
「あら。あなた、その問題をついちゃう?」
楽しげにエレインが言った。ちなみに、笑いごとではない。
「あなただって、わかっていないわけではないでしょ。これが存在するってことは、これを作れる人間が存在するってことなのよ」
「……さすがに、元司令官殿は言うことが違うわ」
エレインがまじめな表情になる。それでも美人は美人だ。うらやましい。ミシェラも決して不美人ではないのだが、華やかさが足りない。
薬を二つに分け、中身が半分になった薬瓶を渡しながら、エレインはミシェラに言った。
「あなたの言うとおりね。これを作った人物は、わたくしたちよりも知識を持った魔術師かもしれない。そしておそらく、認可されていない『旧き友』でしょう」
「……捕まえることはできるかしら」
「わからないわ。優れた霊薬を作ることができるからと言って、魔法使いとして優れているわけでも、魔法戦に長けているわけでもないけれど……」
長き時を生きる『旧き友』だ。もしかしたら、全てに優れている可能性だって皆無ではない。
「……あなた、まだまだ『旧き友』の魔女としては二流なのよねぇ」
「悪かったわね」
エレインの嘆きは、裏を返せば、ミシェラが『旧き友』の魔女として大成していれば、この霊薬を作った人物に対抗できただろうと言うことだ。どうにも、ミシェラの能力は未だ戦闘方面に傾いているのである。
「気を付けるのよ、ミシェラ。リンジーにも言っておいてね。『旧き友』は同朋を見分けることができるわ」
ミシェラにはまだ無理だ。リンジーにも、はっきりと知覚することは難しいらしい。二人とも、『旧き友』としてはまだまだ半人前なのだ。
「何か分かったら連絡するわ。……それにしても、嫌な雨ね。早く止めばいいのだけど」
「エレインは『火焔』だものね」
「あなたも同じでしょう、『癒し手』」
エレインの答えに、ミシェラは肩をすくめた。
「知恵と協力をありがとう。それと、お茶とお菓子もおいしかったわ」
「こちらこそ、たまに来てくれると楽しくていいわね」
エレインが笑顔で手を振った。ミシェラは診療鞄を持って彼女の屋敷を出た。サイラスも忘れずに。
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