22.エルドレッド・アーミテイジ
アーミテイジ公爵家は、アルビオンでも上から数えたほうが早いほどの地位にある。領地にある屋敷はもちろん、この王都にある屋敷も荘厳であった。
「行き渋ってたわりには、落ち着いているわね」
からかうわけではなく、本気でミシェラがサイラスに向かって言うと、彼は悟ったような目をして言った。
「いえ……よく考えなくても王宮にだって行きましたし、師匠はお姫様だし、公爵家くらい……」
とのことだった。変な方向に悟りを開かせてしまって申し訳ない。しかし、薬師になるのなら多少の図太さは必要だ、と言い訳しておく。
「何してるんだ。行くぞ」
エルドレッドが言った。十年前に出てきたとはいえ、それまでの二十一年間は、王都にいる間彼はこの屋敷に暮らしていた。勝手知ったる、と言うやつである。ちなみに、レティシアは到着した瞬間さっさと屋敷に入ってしまった。おそらく、都合の悪いものでも隠しているのだろう。
「あなたも、思ったより素直に一緒に来たわよね」
「いつまでも避けては通れないからな。それに、お前が一緒だし。いざと言う時は頼む」
「私に対処可能な範囲ならね」
いくら『旧き友』であろうと、できることとできないことと言うものがあるのだ。
ミシェラも、アーミテイジ公爵家に入るのは、王女だったころに夜会で足を踏み入れたっきりなので、十六・七年ぶりになるだろう。というか、この家の息子であるエルドレッドですら十年ぶりだし。
屋敷の中ではレティシアが挑発的な表情で待ち構えていた。見られたくないものは隠し終えたのだろうか。
「先生、よろしくお願いします」
アーミテイジ公爵家の執事は、ミシェラにそう言って頭を下げた。旦那様の容体を気にしているのだろう。聞くと、レティシアが連れてきた怪しげな医師にしか診察を受けたことがない、とのことだった。
アーミテイジ公爵ロバートの病室は薬の匂いが充満していた。ミシェラは男性二人を振り返る。
「窓を開けて。空気を入れ替える」
「外、雨ですけど」
「エル、雨が入ってこないように障壁作って」
「わかった」
エルドレッドとサイラスが窓を開けに行く。ミシェラはロバートのベッドの枕元に膝をついた。
「ロバート、久しいな。聞こえるか」
「これは……姫君。ご機嫌麗しゅう。相変わらずお美しい」
「それだけ口が利けるなら、大丈夫そうね」
当たり前だが、アーミテイジ公爵であるロバートは、『エイリーン王女』を知っている。目があった一瞬で、彼はミシェラがエイリーンであると気付いた。わかる人にはわかるのだ。
「少し触るわよ」
「姫君に診察していただけるとは……しかし、構うことはありません」
「それを決めるのは医師である私よ」
ミシェラはきっぱりと言い切ると、ロバートの診察を始めた。窓を開け放った男性陣が戻ってくる。
「……ずいぶんやつれたな、親父」
「帰ってきたのか、エルドレッド」
顔だけ動かし、ロバートは自分の息子の顔を見た。
「ユージェニーはどうした」
「連れてくるわけないだろう」
「……そうか。姫君のところにいるのなら、安全だろう」
その姫君ことミシェラはここにいるが、そこはツッコまないでおこう。エルドレッドが眉を吊り上げた。
「それを、あんたが言うのか」
「ちょっと、脈が乱れるから話をやめなさい。それは後よ、後!」
ミシェラにぴしゃりと言われて親子はさすがに会話をやめた。ミシェラは改めてロバートの脈を計り、触診し、のどの奥を見た。さらに聴診器で肺の音を聞き、目の中や爪の色や形を確認する。
「……内臓機能が弱まっているようだけど、これは……」
ミシェラは診療鞄から注射器を取り出すと、言った。
「採血するわよ。ロバート、あなたも私に隠し事をしているようだけど、私をいつまでも騙せるとは思わないことね」
「……これは、恐ろしいことをおっしゃる……さすがは『アルビオンの戦女神』」
「それ、魔女じゃなかったかしら」
いろいろな名で呼ばれたので、ミシェラも記憶が定かではないが。ミシェラは採血すると、簡易の検査キットで反応を見る。その結果を見たミシェラは顔をしかめ、サイラスを手招きした。
「サイラス。ちょっと」
「あ、はい」
結果を書き留めていたサイラスはミシェラに呼ばれて彼女に近づく。ミシェラは声を低めて尋ねた。
「当たり前だけど、サイラスは薬師だから毒物の知識もあるわよね」
「そうですね」
「魔術師よりも、錬金術師の方が近いわよね」
「まあ、総じて薬師は錬金術師に近いですけど」
サイラスは嫌な予感がする、と顔で訴えていた。もちろん、ミシェラはサイラスが反応に困ることを尋ねるのである。
「毒が盛られていると思うのだけど、どう思う?」
「いや、どう思うって言われても……」
サイラスも一応検査結果に目を通すが、首を左右に振った。
「わかりません。言われてみれば、そのような気もしますが……」
「ごめん。変なこと聞いたわね」
ミシェラは肩を竦め、今度はエルドレッドを呼んだ。
「どうだ?」
「内臓機能が弱まっているけど、病気によるものとはちょっと思えないわね」
かといって、ミシェラの父ヘンリー四世のような老衰でもない。ロバートは五十歳を数えるので、早ければ衰えが見えてきても不思議ではないが、そうではないと思うのだ。
「何か薬が盛られていると思うのだけど……もっとはっきり言うと、毒ね」
「……」
エルドレッドが何とも言えない表情になった。毒が盛られていると言われ、真っ先に疑われるのは彼だろうから。
「まあその辺は探偵さんの役割だからよろしくね」
「探偵が容疑者って、推理小説じゃないんだぞ」
「まあ、そんなことはどうでもよろしい」
ミシェラにとっては、たとえロバートに得が盛られているとしてもエルドレッドが犯人なわけがないので、どうでもよい話なのだ。本人はそうは言っていられないだろうが。
「つまり、何がしたいんだ」
「家探し」
「身もふたもないな。いいぞ」
いいのかよ。と言うツッコミは心の中だけにして、ミシェラはこの家の息子に許可をもらったことをいいことに、ロバートの寝室にある棚の扉を片っ端から開き始めた。どこかに、薬が入っているはずだ。一応、常用している薬は魅せてもらっているが、それ以外にも頓服薬や、個人的に飲んでいる薬があれば使用人にはわからないかもしれない。
「ないわね。レティシアが片づけたのかしら」
先に屋敷の中に入って行ったレティシアを思い出す。あの時、片づけた可能性もあるし、そもそもないのかもしれない。
「失礼します。ドクター、少しよろしいでしょうか」
「ん? どうかした?」
廊下にいた執事が中に入ってきていた。彼は、小箱をミシェラに差し出す。
「こちらを。先ほど、レティシアが持ちだそうとしていたので、隙をみてすり替えておきました」
「……助かるけど、あなた、手品師にでもなった方がいいんじゃないの……」
少し呆れ、ミシェラは小箱から小さな薬瓶を取り出した。それをサイラスとエルドレッドも覗き込んだ。ミシェラもそれほど小柄ではないのだが、男性二人に囲まれると小さく見える。
淡い光を放つように見えるその液体。ミシェラは明りにすかしてみたりして観察をする。
「魔法薬っぽいけど……どう?」
ぽん、と薬瓶をミシェラから渡され、サイラスはおっかなびっくりそれを受け取り、蓋も開けて中身を確認してから言った。
「すみません。わかりません。少なくとも、僕が知っている薬の中にはないものですね。魔法薬と言うよりは霊薬に近い気もしますが……」
「う~ん。私が持っている知識の中でも、引っかからないのよね……」
ミシェラは三十年と少しの人生にしては、広範な知識を持っているが、その中でも一致するものが見いだせない。尤も、サイラスが言うように霊薬であるとしたら、ミシェラにはわからないだろう。霊薬は錬金術による薬であるが、ミシェラはその性質上、錬金術にはあまり詳しくないのだ。
「バトラー、これ、持って帰ってもいいかしら」
「構いません」
確保したのは執事なので、彼に許可をもらい、ミシェラはそれを診療鞄に片づけた。
「どうするんですか?」
サイラスが尋ねる。
「分析するのよ。リンジーにも見てもらう。それでもわからなければ……少し、足を伸ばすことになるわね」
「?」
首をかしげたサイラスに、ミシェラはニコリと微笑んだ。
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