21.エルドレッド・アーミテイジ
「あ、ミシェラさん」
ニコールが不安げにミシェラに駆け寄ってきた。彼女は、最初にレティシアに応対したので、彼女に文句を言われたことだろう。
「何なんですか、あの人」
サイラスも不快気に眉をひそめている。ミシェラはお湯を沸かし直しながら言った。
「まあ、エルとジェインの父親の愛人ね」
「あ、愛人……」
ニコールとサイラスが顔を見合わせた。下級貴族と平民の出である二人には珍しいか。曲がりなりにも王族であるミシェラにとっては、常識だ。高位貴族なら愛人の一人や二人はいるものだ。尤も、ミシェラの父や兄たちにはいないが、祖父には三人の妾がいたらしい。
「爵位を巡って骨肉の争いか」
「あら、リンジー。二人は?」
階段を下りてきたリンジーに、ミシェラは尋ねた。彼に、ユージェニーとエイミーを二階にあげるように頼んだのである。
「大丈夫だ。レティシアが来ていることを告げたから、おとなしくしているだろう。……こちらはおとなしくしていないようだけれど」
と、客間の方を見やる。すでに怒鳴り声が漏れてきていた。ミシェラはポットにお湯を注ぐ。
「しばらく私が様子を見てるわ。何かあったら呼んでちょうだい」
「わかった。しかし、レティシアの子に爵位を持たせることは不可能だろうに、彼女も飽きないなぁ」
「そうなんですか?」
サイラスが首をかしげて、リンジーの発言を聞き咎めた。ニコールも首をかしげているので、二人とも知らないのだろう。
「貴族法で定められているんだ。爵位を継げるのは直系の嫡出子のみ。つまり、エルやジェインは爵位を継げるが、愛人であるレティシアの子は庶子とみなされ、通常では爵位を継承できない」
簡潔に要点だけをリンジーが述べた。ニコールがさらに、「普通は、ってことは継げる場合もあるんですか」と尋ねた。なかなか鋭い。
「そうだな。例えば、直系嫡出子がいない場合は、庶子でも爵位を継げる場合がある。ただし、その場合は貴族と結婚する必要があるな」
「その法律、二十年前に改定されてるわよ。今は貴族との結婚が必須ではないわ。代わりに、裁判が必要だけど」
リンジーの情報は、その年齢に応じて古かった。ミシェラが訂正を入れて紅茶の乗ったトレーを持ち上げる。
「さて。では修羅場に首を突っ込んでくるわ」
「がんばってレティシアを説得してくるんだぞ」
「常識の通じない相手って、どうやって説得すればいいのかしら?」
半分冗談、半分本気で言って、ミシェラは応接室に入った。入った瞬間、怒鳴りあっている両者に、
「うるさいわよ。いい加減になさい」
と、苦情を申し立てた。静かな声だったが、かつて王女で騎士だったミシェラの声は、二人を黙らせた。
「あなたたち、いい加減にしなさいよ。人のうちで」
説教しながら紅茶と茶菓子を出すミシェラである。二人の前に紅茶とクッキーを置くと、ミシェラはそのまま後ろに下がり、壁に寄りかかる。
「ほら、話の続きをどうぞ?」
「お前……悪魔か……」
エルドレッドが自分で注意しながら平然と先を促すミシェラに、慄然とそんな失礼なことを言った。残念ながら、ミシェラは悪魔などではなく、むしろ払う力を持っている側である。
「この男が私の息子に爵位の継承権を与えれば済む話なのよ」
「お前の子に爵位を継ぐ権利などない。法律上、認められない。何度言えばわかる」
どちらも剣呑であるが、すぐそばにミシェラがいる以上、声を荒げることはなかった。そんなことをすれば、再び檄が飛んでくるだけである。
これはエルドレッドの方が正論だ。だが、レティシアは正論だからと言って納得するタイプではない。だから、口論が過激化するのだ。
そこで、ミシェラは論点をすり替えた。
「お前がそんなことを言ってくるってことは、アーミテイジ公爵の調子が悪いのかしら」
「……なんのことかしら」
すぐさま顔と声を取り繕ったのは見事だが、レティシアは一瞬驚きの表情を浮かべた。ミシェラは目を細める。
「やはりね。公爵に自分の息子を次の公爵にするよう要求しても、あいまいに返されるってところかしら。まあ、普通に不謹慎だものね」
体調の悪い当主にそんな話をするのは、彼が死ぬと思っているからだ。公爵が口を重くしても仕方がない。
「私のどこが不謹慎だと言うの!?」
「存在そのものがだ!」
再び声を荒げた二人に、ミシェラ自身は口を開かず、ぱん、と手をたたいてその口論をとめた。二人はすっと無口になる。どうやら怖がられているようだ。場が支配できるのでよいが。
「後継ぎの話をするのは、現在の地位の所有者が死ぬことを示しているからよ。だって、死なないと爵位が継げないでしょ」
「……」
身もふたもないミシェラの言葉に、さすがのレティシアも黙り込んだ。
「レティシア。今の場合、道理はエルにあるんだよ。お前の子が爵位を継ぐには、この国の法律を変えなければならないんだからね。こっそりやることも不可能ではないけど、根回しが大変だし、だからみんな正規の手続きを踏むんだよ」
「……何よ! あんたたちには子供がいないからわからないのよ。我が子にいい思いをさせてあげたいと思うのは、当然のことでしょう!」
「お前が望んでいるのは子の栄達ではなく、自分の派手な生活だろう」
さげすんだ口調でエルドレッドがレティシアに言った。レティシアが「なんですって!」と金切り声をあげるが、ミシェラもエルドレッドに同意見だ。しかし、余計なことは言わずに息を吐いた。
「まあ決めるのは結局君たちだしね」
このままいけば、国が次のアーミテイジ公爵と認めるのはエルドレッドだろう。どちらにしろ、レティシアは法律の壁を越えられない。どちらかと言うと、彼女はエルドレッドに現アーミテイジ公爵の死後も生活を援助してもらえるように頼みこむべきだ。
「……ひとまず、私、アーミテイジ公爵の診察に行こうか?」
提案だった。本当に体調が悪いのであれば、ミシェラが言っても不自然ではない。
「レティシアがここにいるってことは、公爵も病身をおして王都に来てるんでしょ」
「……」
レティシアが嫌そうにミシェラを見た。と言うことは、やはり王都にいるのだろう。
「……ミシェラ、頼めるか」
「ええ」
「ちょっと! 勝手に決めないでよ!」
レティシアのみが反発したが、本来、ただの愛人である彼女には何の決定権もない。ミシェラは部屋から顔を出してリビングに叫んだ。
「サイラス! 往診に行くわよ! ニコール、応接間片づけておいてね!」
「わかりました」
「はーい」
二人分の返事が聞こえてきた。たぶん、二階まで聞こえているだろうから、ミシェラたちが出て行けばリンジーたちも降りてくるだろう。
「さて、行くわよ」
「ほ、本当に来る気!?」
レティシアがあわてた様子で言った。ミシェラとエルドレッドは彼女をスルーして言う。
「十年ぶりの里帰りね」
「茶化すな」
やはりエルドレッドも一緒に来るつもりのようだ。まあ、来てもらわないとミシェラは不法侵入になるけど。
「師匠、用意できましたけど、どこに行くんですか?」
サイラスが診療鞄とコートを差し出してきた。ミシェラはそれを羽織り、診療鞄を受け取ると答えた。
「アーミテイジ公爵家」
「……はい!?」
サイラスは目を見開き、わかりやすく慄いた。
「公爵家?」
「王家の診察もしてるんだから不思議じゃないでしょ」
しれっと答えて、まだうろたえているサイラスに言う。
「大丈夫よ。エルの家だから」
「ああ……やっぱりエルドレッドさん、アーミテイジ公爵家の人なんですね……」
アーミテイジ、と言うファミリーネームはそう多いものではないので、それなりの貴族の知識があれば、たぶん、関係があるのだろうなぁと思うだろう。サイラスは大学を出ているので、頭がいいのだ。察することはできただろう。
最後までレティシアが顔をひきつらせていたが、ミシェラに何を言っても無駄だと悟ったのか、家を出るころにはおとなしくなっていた。
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