2.ニコール・ローガン
助けに行くと言っても、ニコールはこっそりと屋敷を抜け出してきた。入るにはどうしようか、と思ったのだが、ミシェラがあっさりと言った。
「そんなの、医師で~す、って言って正面から乗りこめばいいでしょう」
「た、確かに」
叔母を治したい叔父なら、入れてくれるだろう。魔術師が来てから頻度は減ったが、まだ医者は呼び寄せている。
「それはいいが、お前、その外見で信用してもらえると思ってるのか」
エルドレッドにつっこまれ、ミシェラが沈黙した。ニコールもまじまじと彼女を見る。どう見ても十代後半ほど。理知的な面差しではあるが、また若い彼女は医師と言っても信用されない可能性が高い。
「……まあ無理だね。悲しいことに」
ミシェラは自分でも認めた。ニコールも正直、信用できないし。
「別に、私自身が医者ですって名乗ることないでしょ。エルが医者で、私がその助手ってことにしていけばいいじゃない」
「えっ」
「はあ?」
ニコールとエルドレッドがそれぞれ声をあげた。ミシェラはなんで驚くのか、という表情をしていた。
「その方が自然でしょう。魔術師です、って名乗るよりは入りやすいのではない?」
「まあ……そうかもしれませんけど」
ニコールは戸惑ってエルドレッドの方を見た。彼はため息をつき、うなずく。
「わかった。それで行こう。俺も他の策が思いつかないし、お前がいる限り嘘ではないからな」
「決まりね。ちょっとエイミーの様子を見てくるわ。すぐに急変することはないでしょうし、ジェインもいるから大丈夫だとは思うけど」
ミシェラはそう言って二階に上がっていく。その後ろ姿を見送ったニコールは、エルドレッドに視線を戻す。彼は彼で、ジェインに「荷造り頼む」とか言っていた。
妹に荷造りを任せたエルドレッドはニコールに向き直った。
「ローガン男爵領は、確か隣だったな」
「あ、はい。そうです」
結構近いのだ。だから、ニコールがこっそりやってこられたというのもある。
「夜にはつくか……駄目なら、ミシェラに転送してもらおう」
「?」
わからないことを言われてニコールは首をかしげる。その間にも、エルドレッドの中で算段が立てられて行っているようだ。
「お待たせ。あ、ジェイン。ちょうどいいところに」
本当に荷物をまとめて持ってきたジェインに、二階から降りてきたミシェラが声をかける。ジェインは立ち止ってミシェラを見た。
「今、エイミーの容体は落ち着いてるけど、定期的に様子を見に行ってあげて。それから、無理やり動こうとしたら止めること、容体が急変したら、すぐに私に伝えること。いいわね?」
「わかったわ」
ジェインがうなずいた。どこかおっとりした彼女と、病人らしいエイミーという女性の二人きりにすることはためらわれるが、今までの様子を見たところ、家事などでエルドレッドが役に立つとも思えなかった。
行ってきます、と家を出る。ニコールが来たときは昼過ぎだったが、もうそろそろ夕刻に差し掛かってくるころだ。日が傾いてきていた。
ばさっと音がして顔を上げると、太陽に黒い影ができていた。その影はだんだんと大きくなる。
「え、ええっ!?」
「おー、ヴィヴィアン」
ミシェラが伸ばした手に、大きな鷹が停まっていた。ニコールは唖然としてその様子を見る。ミシェラはその大きく美しい鷹のくちばしを撫でる。
「いいかい。私は数日、帰れないと伝えてね。その後、ここに戻ってきてジェインたちの様子を見てあげて。何か異変があったら、私に伝えるんだよ。いいね、ヴィヴィアン」
鷹が鳴いた。了承した、ということなのだろうか。というか、鷹って人の言葉がわかるのだろうか。
「ほら、行け!」
ミシェラが鷹を飛び立たせる。鷹は舞い上がり、太陽の方角に飛んでいく。
「さて、行こうか……どうしたの?」
「い、いえ……今の鷹は……」
「ああ、ヴィヴィアンよ。あれでもまだ子供なの」
と、ミシェラはちょっとずれた回答をした。ちなみに鷹ではなくイヌワシなのだそうだ。そう言うことを聞きたかったわけではないのだが。どうでもいいが、雌なのか。
「子供と言うが、前に見た時よりも大きくなってないか」
「そりゃあ、成体はもっと大きいからねぇ」
エルドレッドからも問いが飛んだが、ミシェラの返答はやはり的を射ていない気がする。わざとはぐらかしているのだろうか。
三人はローガン男爵領に行く乗合馬車の最終便に乗り込んだ。ミシェラが妙に旅慣れていて、先導してくれている。
「ミシェラさん、ローガン男爵領に来たことがあるんですか?」
「いや、初めてだね」
その割にはためらいがなかったが、まあいいか。この年若い理知的な少女が旅慣れている、というのが珍しかっただけだし。
三時間ほど馬車で揺られ、ローガン男爵領に入った。ローガン男爵領はそれほど広くはなく、牧歌的な土地が広がる片田舎だ。穀倉地帯であり、小麦がおもな生産物である。
ローガン男爵家の本家自体も、それほど豪奢ではない。かろうじて屋敷、と言える程度の規模だ。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
使用人たちがニコールを出迎えた。彼らは叔父が怖くて縮こまってはいるが、敵ではない、とニコールは判断していた。
「あの、お嬢様。そちらの方は……?」
叔父に人をむやみに入れるな、と言われているのだ。一応、ローガン男爵は兄なのだが、現在、実質的な権力は叔父が握っている。
「えっと、外出先でお会いしたお医者様よ」
「……医者」
「エルドレッドと言います」
「ミシェラです」
エルドレッドが爽やかな笑みを浮かべた。ミシェラもおっとりと微笑む。それまでの二人を見ているニコールからすれば「誰だあんたら」と言ったところだろうか。
やや胡散臭さはあるものの、ニコールが世話になったのだ、と言えば家人たちは客分として彼らをもてなすことにしたらしい。ニコールはほっと息をつく。
「意外と、何とかなるものですね」
心から言うと、ミシェラが「そうね」とうなずいた。ここは客室である。
「ニコール。屋敷の見取り図はある?」
「あ、はい。持ってきました」
ニコールが図書室から持ってきたこの屋敷の建設図を広げる。ミシェラが顔をしかめた。
「うーん。増設を繰り返しているのか、不思議な形をしているわね」
そう言いながら、ミシェラはいくつかの部屋を指さした。
「お兄さんが監禁されているのはこの部屋?」
「そうです」
「なら、魔術師がいるのはこの真上かな」
「何故だ?」
エルドレッドが覗き込んでくる。ミシェラが平然と「私ならそうするからね」と答えた。
「小さな力でこの広さを支配下に置こうと思ったら、高所の方が都合がいい。魔術も戦術も同じね」
「……」
魔法医だということだが、ミシェラはいったい何者なのだろうか。
そこにノックがあった。返事を待たずに扉が勢いよく開く。叔父のブレンドんだった。
「ニコール! お前、勝手に怪しいやつを屋敷に入れるな!」
「こ、この人たちに、あたし、お世話になって……お医者様らしいから……」
「……医者?」
医者と言う言葉を聞いて、ブレンダンの勢いがそがれた。彼の視線がエルドレッドを見て、ミシェラを見る。二人を見比べた結果、エルドレッドが医師だと判断したらしい。
「医者など、不要だ。どの医者も役に立たない、薮だった。彼だけが……」
彼とは、魔術師のこと。実際、どの医者も叔母を治せなかったし、魔術師が治療するようになって、叔母が少しだけ元気になったのは事実だ。ただのタイミングかもしれないが、ブレンダンがことさら魔術師を信じる地盤はあった。
「……姪が世話になったというのなら、一晩だけ体を休めて行けばいい」
ブレンダンがバタン、と扉を閉じた。エルドレッドが「ヒステリーだな」とつぶやいた。
「どちらかというと強迫観念に取りつかれているようにも見えるわね。まあそれはともかく。一晩のお許しが出てよかったわね」
妙に前向きなミシェラである。ニコールが「えっ」と声を上げる。
「一日で解決するんですか?」
「まあ、できなくはないだろうな」
エルドレッドもこと投げに言う。もはや探偵の域を越えている。まあ、依頼したのはニコールなのだが。
「叔母君の様子も気になるけど、お兄さんも気になるね。まあ、魔術師がどういう対応をしてくるかにもよるけど、そう長くはかからないでしょうね」
「ああ。向こうも俺達に気付いているだろう」
ミシェラもエルドレッドも冷静だった。ニコールは息をのむ。今日初めて会ったニコールにもわかる。この二人は、頼もしい。
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