18.旧き友
一応調べましたか、私に医療知識はありませんのでそんなもんだと思って読んでいただけると幸いです。
「……リー、エイリー!」
名を呼ばれてジェネラル・エイリーンはゆっくりと目を開いた。視界の右側が暗かった。エイリーンを覗き込んでいたグレーの瞳が細められる。
「目が覚めたか。重畳」
「……カイル?」
「意識もしっかりしておるようじゃ。さすがに、丈夫じゃの」
波打つ黒髪を緩く束ねたその男性は、ひどく美しかった。二十代前半に見える外見に対し、年よりじみた口調だった。
「覚えておるかの? お前は戦場で大けがを負った。トマスがここまで連れてきてくれたゆえ、ちゃんとお礼を言うのだぞ」
「ん」
声を出すのも億劫で、エイリーンは小さくうなずくにとどめる。
顔を動かさずに眼だけ動かせば、ここは病院のようだった。盟約と誓約の元、中立を保つ『旧き友』の城。助けを求めるものに開かれる門。
その城の主は笑みを浮かべていた顔を引き締めると、穏やかな口調で言った。
「いいか、エイリー。よくお聞き。お前は……」
△
「ミシェラ。ミシェラ、起きて」
ミシェラは他人にゆすり起こされると言う珍しい経験をした。目を半分開き声のした方を見やると、ユージェニーがミシェラを揺さぶっていた。彼女はベッドの上に身を起こす。
「どうした」
「ミシェラ、患者さんだよ」
「ああ、ありがとう」
魔法医であるミシェラは夜中に急患で起こされることも珍しくない。シャツにスラックスと言う格好で寝ていたミシェラは上にカーディガンを引っ掛けると寝室を出た。下の診療室に向かう。
「待たせたわね」
「ああ、先生!」
患者は少年だった。苦しげに呼吸していて、皮膚に赤い発疹が出ている。先に起きてきていたサイラスが見ていてくれたようだが。
「呼吸困難みたいですけど……誤嚥とかではなさそうですし」
「うん……食物アレルギーかな」
ミシェラも少年の顎をつかんでのどを覗き込み、何も飲んでいないことを確認する。
「夕飯、何を食べた?」
「ええっと、マッシュポテトとチキンのスープ、それにエッグパイを……」
「……うーん……」
ミシェラは食べたものを聞き、うなった。ひとまず何が原因かはさておき、呼吸困難を何とかしなければならない。
「サイラス、注射」
「あ、はい」
ミシェラはサイラスから注射器と薬を受け取ると、子供であることを考慮して薬の量は半分程度にした。少年の腕を取り、ゆっくりと投薬する。
使用済みの注射器はサイラスに渡し、ミシェラは少年の胸に手を当てた。治癒術をかけているのだ。
「苦しかろう。じきに楽になってくる」
その言葉通り、少年の呼吸は落ち着いてきて次第に穏やかな寝息をたてはじめた。ミシェラは目を細めて少年の頭を撫でた。
「ひとまず大丈夫だけど、今後も同様のことが起こる可能性があるわ。対処用の薬を渡しておくから、飲ませられるようなら飲ませてね。駄目なら、すぐに連れてくるのよ」
「はい……でも、どうして……」
親としては原因が気になるのだろう。当然だ。しかし、こればかりはミシェラにもわからない。
「アレルギーと言うのは、食べたものなどを体が異物と判断して、過剰な防衛反応が出てしまうものなんだけど……正直、食物アレルギーは種類が多すぎて一概には判断できないわ。卵や牛乳、ピーナッツなどに原因があることが多いのだけど」
一つに断定するには、いくつか実際に食べさせてみて反応を見る必要がある。ミシェラには接触感応能力があるが、それでは判断できない。
金と時間をかければ不可能ではない。ミシェラより強力な接触感応能力者を連れてくればいいだけの話で、根気強く順番にアレルギーの原因となるものを試して行けばいい。
「もし、原因の食べ物がわかっても、無理に食べさせちゃだめよ。それは好き嫌いの問題じゃなくて、体が受け付けないのだから。生死に関わるのよ……あ、あった」
ミシェラは小さな魔法石のついたネックレスを母親に持たせた。
「私の治癒魔法が入っている。多少は効くと思う。持って行きな」
「で、でもこれ……お金が、あまり……」
労働階級の中間層ではそうだろう。ミシェラは首を左右に振った。
「石の方はいいわ。試作品でもあるから。薬代はもらうけど」
と言うことで、ミシェラは親子から薬代をもらうと、彼らを返した。外はまだ夜中だった。
「……師匠。試作品っていうの、嘘でしょう?」
サイラスが尋ねてきた。ミシェラは腕を組んで肩をすくめる。
「あの大きさだと、価値がないのも確かよ」
小さすぎるのだ。魔法道具には使えない。サイラスはさらに言う。
「それに、診療代だって、あれじゃ本当に薬の元しか取れませんよ」
さすがに薬師。ちゃんとわかっている。
「一応、慈善活動ではないんですよね?」
「もちろん。ないところからぶんどるわけにもいかないでしょ。あるところからもらえばいいのよ」
「……師匠、一応元王女ですよね」
微妙にシビアな金銭感覚に、サイラスは驚いたようだ。ミシェラは「一応、人生の半分は『旧き友』をやってるからね」と適当に答える。
「あと」
「まだあるの?」
サイラスを見上げると、彼はミシェラをじっと見て言った。
「眼鏡なくて、前見えてるんですか?」
「あー、うん。伊達眼鏡だからねぇ」
寝起きで置き忘れてきたらしい。一応、ミシェラの正体であるエイリーン王女との差異を出すために、苦し紛れに眼鏡をかけていたのだ。短かった髪も伸ばし、口調も女性的にするようにしている。これは、半分くらいの確率で失敗しているが。
しかし、それよりも問題なのは。
「昔との差異を出そうとしているんなら、まず、振る舞い方を変えるべきだと思いますよ。男前すぎます。僕、時々患者さんに言われるんですけど、『先生って格好いいよね』って」
「……そうかぁ」
「もともと、顔立ちが中性的ですしね」
サイラスは苦笑を浮かべた。少年めいた顔立ちの魔法女医は眉をピクリと動かすと、自分より背の高い弟子の頭を手荒く撫でた。
「今日はありがと。目を覚ますのが遅くなって悪かったわ。ここはもういいから、寝なさい」
ミシェラを起こしに来たユージェニーにもそう言ってあった。今はちゃんと寝ているだろう。
「わかりました。診療録を書いてから寝ます」
「まじめだね」
ミシェラは微笑むと使った機材を片づけにかかる。手伝おうとしたサイラスには診療録を書くように言って、ミシェラは注射器を分解しはじめた。
「……師匠。何で師匠は医者になろうと思ったんですか」
「逆に、どうしてサイラスは薬師になることにしたんだい?」
問い返されて、書く音がしばらくとまり、少ししてから再開された。
「医師になるより、薬師の方が僕に向いていたからです。僕は父が錬金術師で、父にいろいろ教わってたんですけど、興味を持ったのが薬の調合でした」
「親の後を継ごうと思ったってこと?」
「そういうわけでもないですけど、父に影響されたのは確かですね」
よいことだ。尊敬できる父親だったのだろう。
「いえ。どちらかと言うと、錬金術以外はさっぱりで、よく母に怒られていました」
「……そうかい」
研究者気質の人に多い傾向だ。ミシェラは一応、王立魔法研究所に籍があるが、そこにはそう言った魔術師・錬金術師が多いのだ。
「師匠は……親御さんに影響されたわけないですね」
「そうだね」
そりゃそうだ。ミシェラの父親は国王である。親に影響されたのなら、第三王女である彼女は王位を簒奪するしかないだろう。そんなことはしないが、不可能ではないんだろうな、と彼女は思う。
「私はね、元騎士で、十三歳から十六歳の三年半の間に、多くの人間を殺した」
「……」
たった三年半だ。彼女が戦場に立っていたのは。しかし、その期間でどれだけの命が失われただろうか。
「『旧き友』である私の人生は長い。だから、殺すよりも助けるほうが、いくらか素敵だろうなって思ったの」
失われた命は帰ってこない。多くの騎士を死なせたミシェラにそんな権利はないのかもしれない。それでも、失わせたぶんだけ助けられたらいいと思ってしまって、今彼女はここにいる。
「さて、とっとと終わらせて、寝よう」
「……そうですね」
そこから、二人は黙々と片づけや書き込みを終わらせ、夜が更けきる前に診療室から撤収した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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