17.ジェネラル・エイリーン
ジョージ・カルヴィン・オブ・アルビオンはアルビオン王国の第二王子である。上から数えれば、三番目になる。濃い琥珀色の髪に海色の瞳をした精悍な男性で、見た目にたがわず優れた騎士でもあった。年は、今年で三十五歳になる。
先ほどの褐色の髪の女性はその妻、隣国アルスターからジョージ王子に嫁いできたレイラ姫である。ミシェラの一つ年上、三十三歳で、フィオナ王女は二人の娘である。
そのジョージ王子が、ミシェラを妹と呼び、ミシェラはジョージ王子を「お兄様」と呼んだ。つまり。
「……ご兄妹で?」
サイラスが確認のために尋ねた。師匠たるミシェラが「そうだねー」と軽い調子で言う。
「もう十六年も前の話よ」
「そうであっても、血縁は切れないだろ」
ジョージ王子は笑って気楽に言った。サイラスが目を見開く。
「じゃあ、師匠は王女殿下!?」
「元、だよ。『旧き友』であることと一国の王女であることは、両立できないもの」
「……そうなんですか?」
サイラスが不思議そうに首をかしげたが、そのあたりは帰ったら話してやろう。ジョージが師弟のやり取りに苦笑する。
「いい反応だなぁ。お前の新しい恋人か?」
「違う。弟子だよ」
ミシェラはからかう兄に即答した。妹の立場のままだったら、蹴っ飛ばしているところだ。さらに思わぬ方向から質問が飛んでくる。
「……師匠はリンジーさんの奥さんですよね?」
サイラスからの問いかけにミシェラは眉をひそめた。
「私はリンジーの弟子よ。まだ半人前だしね」
『旧き友』としては。そして、サイラスの言葉も、一応間違っていない。対外的には、リンジーとミシェラは連れ合い、と言うことになっているからだ。外見があまり似ていないため、外見年齢的にそれが一番自然なのだ。
「立ち話も何だし、ちょっと茶でも飲んでいかないか」
「いいわね。と、言いたいところだけれど、遠慮しておくわ。サイラスの胃に穴が空いてしまうもの」
半分冗談だが、半分本気だ。ミシェラとしては、ジョージともう一人の兄を問い詰めたいところもあるが、あまり長居するわけにはいかないし、王族相手に緊張していることが丸わかりのサイラスをこれ以上拘束するのもかわいそうだ。
ジョージは気持ちの良い笑顔を浮かべると、「それは残念だ」と、それ以上引き留めることはなかった。
「そうだ。兄上に会って行くか? お前のことを気にしていたからな」
ミシェラは首を左右に振った。
「それもいいわ。忙しいでしょ。というか、兄上もこんなところで油を売っていていいの?」
「これは手厳しい」
「リチャード兄上によろしくとだけ伝えておいて」
「承知した」
ジョージが承り、やっとミシェラとサイラスは宮殿を辞した。帰りも迎えに来た騎士が送ってくれた。
「緊張した……」
「うん。お疲れ様」
ミシェラは笑ってサイラスの肩をたたいた。騎士がきりっとまなじりを吊り上げる。
「そんな体たらくでどうするのです! あなたはドクターの弟子なのでしょう! こんな機会、いくらでもあるのですよ!」
「!? そうなんですか?」
騎士のツッコミにサイラスが過剰反応した。ミシェラはうなずく。
「まあ、私は貴族も診てるからね」
むしろ、往診に出かける相手は貴族が多い。平民だと、診療所に来ることの方が多い。
「一つ問題があるのよね。私の患者は女性が多いから、サイラスには外にいてもらう必要があるのよねぇ。まあいいか」
男性の医者に診られるのが嫌で、ミシェラに頼む女性は多い。見習いとはいえ、サイラスに診られるのを嫌がる人もいるだろう。だが、それはその時に考えよう。幸い、サイラスはなかなかのハンサムなので、愛想良くされれば悪い気はしないだろう。たぶん。
家に戻ると、ニコールが心配そうに出迎えてくれた。
「大丈夫でしたか?」
「うん。平気平気」
「僕は平気じゃないんですけど。胃が痛いです」
けろりとしたミシェラと、胃痛をこらえるサイラスとのギャップにニコールが不審な表情をする。サイラスの胃痛は精神的なものなので、ミシェラにはどうしようもない。
「まあ、甘いものでも食べて落ち着こう」
ミシェラはそう言って誘ったのだが、サイラスは冷静に、「それより師匠のことを聞かせてください」と言った。どうやら、忘れていなかったらしい。少し離れたリビングの入り口から話を聞いていたリンジーが笑う。
「私とは違って、ミシェラはまだ現代に影響があるからな。話しておいた方が良かろうよ。でなくば、彼らは知らぬうちに巻き込まれることになる」
「うー、そうね」
「というか、リンジーさんはおいくつで?」
サイラスは頭のいい青年だ。リンジーの微妙な言い方に気が付いたらしい。リンジーは「さてなぁ」と首をかしげる。
「百は越えていなかったと思うが」
「私の祖父と同世代なんだから、それくらいよね」
ミシェラが肯定する。彼女も、リンジーの正確な年齢を覚えているわけではないが、九十歳以上百歳未満と言うところだろう。『旧き友』にしては、若い方だ。実際、登録のある中ではミシェラの次に年少である。
「……そうなんですね……」
サイラスとニコールが何とも言えない表情で言った。確かに、反応に困るだろう。見た目、サイラスと同世代くらいにしか見えないし。
「というか、それより師匠です。また訳も分からず宮殿に連れて行かれたくありません」
チェスをしていたエルドレッドとエイミー、そしてお茶を入れていたユージェニーが顔をあげた。ニコールがユージェニーの手伝いに行く。
「そうね。じゃあ、ニコールとサイラスはそこに座りなさい。話しをしましょう」
と、ミシェラは二人を座らせる。ユージェニーがお茶とお菓子を出した。そのままエルドレッドの隣に移動する。ちなみに、リンジーはテーブル席にいるミシェラの隣に座った。
「君たちは私たちに引き取られた。巻き込まれる可能性が高いから、ちゃんと話しておくよ」
そう前置きして、ミシェラは口を開いた。
「まず、私はヘンリー四世の第五子、第三王女エイリーン・ジューンだ。本名はもっと長いけれど、はしょるね」
現在名乗っているミシェラ・フランセス・シャロンもその長い名前の一部なのだ。
「……元騎士って言ってませんでしたっけ?」
ニコールが首をかしげた。ミシェラも首をかしげて「そうだよ」と答える。
「君たちの年では知らないかな。かつて戦争をしていたころ、私は王女でありながら王国騎士でもあった。ジェネラル・エイリーンと呼ばれていたね」
「あっ」
ニコールがはっとしたように声をあげた。
「……お父様が、ジェネラル・エイリーンの話をしていたのを覚えています。その旗下にいたって言ってました」
「そう。君の父、トマスは私の部下だった。彼には世話になったよ。命の恩人でもある」
ミシェラの言う『借り』がそれだ。やっとミシェラと父親の接点が明らかになり、ニコールはむしろミシェラが王女であることに納得したようだった。
「私には兄が二人いる。王太子リチャードと、元帥ジョージだ。今日、サイラスが会ったのはジョージの方だね。彼が第二王子にあたる」
「はあ……」
サイラスがうなずいた。ミシェラは一口紅茶を嚥下し、話を続ける。
「リチャード王太子とジョージ元帥は母親が違う。リチャード王太子はヘンリー四世の最初の王妃の子、ジョージ元帥は二番目の王妃の子になる。ちなみに、私はジョージ元帥と同腹だ。二番目の王妃は、最初の王妃が亡くなったことで召し上げられたからね」
「……」
だんだん宮廷内の政略戦争の様相が見えてきて、サイラスもニコールも黙り込んだ。実際、政略戦争ではある。
「最初の王妃はアルチュレタ王国の王女だった。体の弱い王女で、リチャード王太子を生んだ後すぐに儚くなった。そこで、新たに召し上げられたのがアルビオン王国の大貴族、ホリングワース大公家の息女だ。これが、私たちの母だね」
「……」
微妙な表情を浮かべた弟子たちに、ミシェラは小首を傾げて微笑む。
「わかるかい? 今、この国は王太子派と元帥派に別れているんだよ。そのうち、王位継承戦争が起きるだろうね。ジョージ元帥は、同じ母を持つ私を自陣営に引き込みたい。対して、リチャード王太子は『旧き友』の盟約と誓約により、私には手を出してほしくない。ま、当然だね」
「……師匠が、王位を狙えるからですか」
「その通り。四人の王女の中で、結婚していないのは私だけだ。『旧き友』だからだけど……アルビオンは今、非常に微妙なパワーバランスの上にあるんだ」
ミシェラの庇護下にあると言うことは、安全であるが同時に巻き込まれる可能性が高いと言うことなのだ。
「まあ、お前たちは宮殿の使者や貴族に気を付ければよい。『旧き友』である以上、ミシェラは玉座につくことはない」
リンジーが笑って言ったが、サイラスは相変わらず鋭い。
「つまりそれは、『旧き友』でなければ女王になれる可能性があるってことですよね」
「さて、どうかな」
にこにことリンジーが言った。ひとまず、警告はした。
「まあ、兄たちもばかではないからめったなことはないと思うけど、思わぬところから足元をすくわれたりするから、気を付けるんだよ」
「それ、どうやって気を付ければいいんでしょう……」
ニコールが眉をひそめた。まったくもってその通りである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
サイラス、そのうちストレスで倒れるんじゃなかろうか。