16.ジェネラル・エイリーン
その日もサイラスと共に往診に行き、家に戻ってきたミシェラだが、その自宅の玄関先で妙なものを見た。
「ドクター・ミシェラ・フランセス・シャロンはご在宅か!」
「ミシェラさんなら往診に行っていると、さっきも申しあげましたが……」
「この緊急事態に、どこへ行っているのだ!」
立派な騎士服を着た男性が騒いでいる。年は、サイラスより少し上だろうか。応対に出ているニコールが思いっきり困った顔をしていた。
「……あまりうちの子を困らせないでくれるかしら」
呆れ気味に話しかけると、その騎士服の男性はミシェラを見て眉を吊り上げた。
「ドクター! この緊急事態にどこへ行っておられた!」
「今この瞬間にも、緊急事態の人はいるのだよ」
まぜっかえしたが、伝わらなかったらしい。別にいいけど。そんな事より、と自分で振っておきながら自分で完結させている。
「今すぐ、私と宮殿に来ていただく!」
「……急病人?」
「それはお察しいただこう!」
いちいち大げさな騎士に、ミシェラは白い目を向けた後、ニコールに笑いかけた。
「ごめん。もう少し留守にするわ。患者さんが来たらそう伝えておいて」
「わかりました。いってらっしゃい」
「ええ。サイラス、行くわよ」
「僕もですか!?」
一人だけい残るつもりだったらしいサイラスだが、そうはいかない。ここまで来たら一蓮托生なのである。
騎士と迎えの馬車に乗りこみ、ミシェラとサイラスは予定にない診察に向かうことになった。一般市民ではまず乗ることのできない豪華な馬車に、サイラスが身を縮めている。かわいそうだが、これも修行のうち。
「……今から、宮殿に行くんですよね」
「そうね」
「宮殿って、フェリス・コート宮殿ですよね」
「現在の宮殿はそう呼ばれているわね。正確には、レヴィンズ城。昔、ロンディニウムがまだ王都ではなかったころに、フェリス地域の裁判所が置かれていたから、そう呼ばれることが多いわね。だから、レヴィンズ城の方が正確だわ」
もっとも、そう言っても通じないのだが。現在はフェリス・コート宮殿の方が一般的になっている。
「く、詳しいですね、師匠」
「そりゃあ、昔住んでたからね」
「!?」
サイラスが何か聞きたそうな表情をしたが、その前に騎士が口を挟んできた。
「ドクター、ご自分のことを話していないのか?」
「設定盛り盛りな私のことを一気に話しても、頭を貫いていかないでしょ」
事実だ。元騎士の『旧き友』というだけで珍しいと言うのに。
そんなことを言っているうちに宮殿に到着した。ミシェラは騎士の手を借りて馬車から降りると、白亜の居城を見上げた。フェリス地域の裁判所があった、と言ったミシェラだが、今も裁判所は置かれている。
「ドクター! 急いで!」
「はいはい」
ミシェラはサイラスを手招きして宮殿内に足を踏み入れた。案内された場所は宮殿の奥、王宮と呼ばれる場所の最も地位のあるものが住まう場所。つまり、国王の寝室だった。
「ちょ、師匠!」
小声でミシェラを呼ぶサイラスであるが、ミシェラは構わずに足を踏み入れた。奥の寝台の側にいた初老の男性が振り返る。
「おお、レディ・ミシェラ。いつもご苦労様です」
「お久しぶり。陛下のご様子は?」
「少し熱がありましてな」
と、初老の男性・侍医のブレア医師が言った。彼の様子からして、大したことはないのだろう。それでも一応、ミシェラは目を閉じている男性……この国の国王ヘンリー・オーガスト・オブ・アルビオンの診察を行った。ミシェラの診断も熱発であった。
「少し、循環機能が弱まってきているのかしらね」
ミシェラがつぶやいた時、国王が目を開いた。深い緑の瞳がミシェラを映し、微笑んだ。
「おや、エイリーン。会いに来てくれたのかい」
「たまにはね。さみしがるだろうと思って」
ミシェラはそう言って、ベッドに腰掛けた。そんな彼女を見て、国王は嬉しそうに微笑む。
「何も変わらんな、お前は。あの頃のままだ」
「よく言われるよ」
ミシェラの外見は、十六歳のころからほとんど変わっていない。ミシェラは目を細めると国王の手を握った。男性の手の大きさだが、骨ばって知っているものより細くなっていた。
「少し熱が出ただけだ……大したことはないのに、呼び寄せてすまなかった」
国王の言葉に、ミシェラは小首を傾げて言った。
「彼らの気持ち、わかるよ。みんな心配しているんだよ、父上をね」
「そうか……そうだな」
国王はそう言ってまた目を閉じた。熱が体力を奪っているのだろう。ミシェラは握っていた手をほどくと立ち上がった。
「サイラス、診療鞄を取って」
「は、はい」
緊張で上ずった声だった。サイラスはミシェラに鞄を手渡し、少し離れる。そんなに緊張しなくてもいいのだが。
「一応、栄養剤を打っておくね。免疫力を高める薬も出しておくから朝と夜に飲むこと」
「いつもすまんな……」
「気にしないで」
栄養剤を注射したミシェラは、そのまま国王の額に手を当てて治癒術を施す。熱にはあまり効果はないが、多少は楽になるだろう。
薬を置いて出て行こうとしたミシェラに、見送るためか、目を開いた国王は言った。
「次は、私が起きられるときに来てくれ、エイリーン。積もる話でもしよう」
「……できればね」
ミシェラは医師だ。基本的に、病人やけが人がいる時しか呼ばれることはない。
「……師匠」
サイラスが事情を聞きたそうに呼びかけてくるが、ミシェラは「あとでね」と笑っていなす。ミシェラが宮殿内を知り尽くしているので二人で王族の生活スペースを移動していたのだが、一人の少女がミシェラに突進してきた。
「ミシェラ!」
「あら、フィオナ王女殿下。お元気そうですね」
「うん!」
元気良くうなずいた八歳前後と見える栗毛の少女は、懐くようにミシェラにしがみつく。
「ねえねえ。またお話聞かせて。博士の話より、ミシェラの話の方が面白いしよくわかるわ!」
さすがは王女だけあり、言葉がしっかりしている、と感心するミシェラである。しかし、ミシェラはフィオナに視線を合わせると言った。
「駄目ですよ、博士の話もちゃんと聞いてあげないと」
「……でも、難しいんだもの」
唇を尖らせたフィオナの頭を、ミシェラはよしよしとなでた。そこに、鋭い悲鳴が上がる。
「わたくしの娘に何をしたの!」
少し離れたところに、豪奢なドレスを着た褐色の髪の女性が立っていた。ミシェラと同世代ほどの彼女は、侍女をひきつれミシェラたちの方へ歩み寄ると、ミシェラからフィオナを引きがした。ちなみに、同世代と言っても、年齢的な話なので、三十代前半に見える、と言うことだ。
「わたくしの娘に近づかないでちょうだい!」
「お母様。私、ミシェラとなら勉強したい」
「フィオナは黙ってなさい!」
ミシェラは肩をすくめた。きっ、とミシェラを睨み付ける母と、不満そうな娘。ミシェラが下手なことを言えば、余計にこじれるであろうこの状況。
「レイラ! 何をしている」
また人が増えた。今度は一人、三十代半ばに見える男性だ。彼はミシェラを認めると、了解したような顔をした。
「レイラ、ドクターは何もしていないだろう。そう目の敵にするものではない。何より、私の妹だぞ」
「そ、そうですけれど……」
「フィオナも懐いているし、『旧き友』は盟約と誓約に基づき、我らに友好的に接してくれる。なら、私たちも友好的に接するべきではないか?」
理性的に反論され、レイラと呼ばれる女性は黙り込んだ。男性は微笑むと彼女に言う。
「さあ、フィオナを連れて行きなさい。その子は、また勉強部屋を抜け出したようだからな」
「……わかりましたわ」
レイラはおとなしくそういうと、未練がましそうなフィオナを連れて奥に戻っていった。それを見送り、男性はミシェラに向き直る。
「悪かったな、エイリー。あれも悪気があるわけではないんだが……」
「わかっているわ。理解しがたいのでしょうね、三百年もの時を生きる魔女の存在が」
同時に恐ろしいのだ。彼女は、まだミシェラが『本当の名』と共に生きていた時に、隣国から彼の元に嫁いできた。
「それにしても、タイミングが良かったこと。何か用かしら、お兄様?」
おどけるようにミシェラに『お兄様』と呼ばれた男性は、その精悍な顔に苦笑を浮かべた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミシェラの過去に首を突っ込みます。