15.ミシェラ・フランセス・シャロン
外出を許されたエイミーは、翌日から早速出かけようとしていた。ユージェニー、ニコール、エルドレッド、リンジーと言う大所帯である。ミシェラとサイラスは往診に行かねばならないので数に入っていない。
「それじゃあ三人とも、はぐれてうっかり一人にならないようにね。エルは三人を放任せず、リンジーの手綱を握ること。リンジーはくだらないことで四人をからかわないこと」
三人娘は素直にうなずいたが、男性陣は意見を言ってきた。
「俺だけ難易度高くねぇか」
「お前が私をどう思っているかよぉくわかったよ」
「エルならできるでしょう。あと、リンジーに至っては今更でしょ」
ミシェラはしれっとそう言うと五人を送り出した。近くの公園に散歩に行くそうだ。残ったミシェラに同じく残ったサイラスが言った。
「リンジーさんじゃないですけど、師匠、母親みたいでしたよ。もしくは学校の先生」
「まあ、君たちを見てると母親とか、姉のような心境になるのは認めるわ」
少女たちが、あまり母親と接することなく生きてきており、ミシェラに懐いてくれるために母親っぽくなっているところはあると思う。ミシェラも、本来の兄弟であれば下から数えたほうが早い年齢だが。
新人薬師にしては優秀なサイラスの補助を受けて、ミシェラは往診を終えて帰路についた。リンジーに押し付けられた感はあるが、ミシェラにとっても診療がかなり楽になったことは認めざるを得ない。
帰るには大通りを通るのが一番速く、安全なのだが、そこに面する公園に人だかりができているのを見た。関わるつもりはないが、ミシェラとサイラスは目を見合わせてそれを眺めた。しかし、それがいけなかったらしい。
「ああ、先生! ちょうどよかった! ……おや、先生、浮気?」
ミシェラの腕をつかんだ挙句に失礼なことを言ったのは、近所の奥様だった。
「サイラスのことを言っているのなら、答えはノーよ。彼は助手」
「そうかい。ああ、それよりちょっと来て! 大変なんだよ!」
「ええ~」
引っ張られてミシェラは公園内に足を踏み入れた。
「ちょっと! 先生を連れて来たよ!」
女性の声に「おお!」と声が上がる。彼女は輪の中央に押し込められた。そこには、向かい合う男性二人と一人の女性。
「ちょっと待って。人を痴話げんかに巻き込まないで」
面倒なことに巻き込まれたと思い、ミシェラは訴えたが、誰も聞かなかった。
「その男、決闘を申し込んできたんだよ! ポールとエミリアの間に割り込んできたのはそいつなのにさ!」
輪の中の誰かからそんな言葉が飛んできた。いや、ミシェラもポールとエミリアには面識がある。エミリアの主治医がミシェラだからだ。女性は男性の医師に見られるのを嫌がり、ミシェラにかかる者が多い。
と言うことは、剣を持っている方が割り込んできたという男か。エミリアは華奢でかわいらしいので、声をかけたくなる気持ちはわからない。それくらいで目くじらを立てることはないのではないだろうか。
「違うわよ! エミリアを無理やり連れて行こうとしたのよ!」
エミリアの友人の少女が言った。そこにポールが入ってきて、この状況なのか。男の方にもほかに二人、仲間がいる。ミシェラは男が持つ剣を眺めた。
「王国騎士の既製品ね。これが王国騎士とは……」
ミシェラがいたころは、もっとましだったと思うのだが気のせいだろうか。ため息をついたミシェラに、男たちはイラついたようだ。
「俺達が誰かわかっているんだろうな! 騎士をなめるな!」
「……」
元騎士であるミシェラは半眼になった。ミシェラが騎士団にいれば、根性をたたきなおしてやるのに。
「俺はその男に決闘を申し込んだんだ。彼女をかけて!」
と、示されたエミリアがびくっとすくむ。ポールがすがるように「先生」とミシェラを呼んだ。ミシェラは再びため息をつく。
「では、私が代理を承ろう」
「はぁ? お前みたいな小娘が、何ができると言うんだ」
サイラスに診療鞄と眼鏡を預けたミシェラは振り返って、自分より十歳は年が若そうな騎士を見て眼を細めた。
「言っておくけど、私は元騎士だから遠慮はいらない。何事も、見た目で判断しないことね」
代理を受けたのは、ミシェラ自身がイラッとしたのもある。
「ふん。もう少し可愛げのあることを言うようなら、お前も俺のものにしてやってもいいんだぜ?」
ミシェラは王宮に正式に苦情を入れようと決めた。今決めた。
「好きにしなさい。そこの彼、剣を貸してちょうだい。すぐすむわ」
仲間の騎士から剣を借り、ミシェラは感触を確かめるように柄を握った。身分が高かった彼女は、騎士団の支給品である剣を使ったことがない。だが。
「まあ、大丈夫だろう」
審判は騎士の仲間が務めることになった。合図でミシェラは剣を上段に構えた。騎士は正眼に構える。一応、それなりの訓練を受けているようだ。ミシェラは、自分の剣術がかなり正道から外れていることはわかっている。
「はじめ!」
その声に先に動いたのはミシェラだった。鋭い突きを、さすがに現役の騎士か。防がれた。続いた反撃は受け流す。
なかなか良い腕だ。しかし、すぐに決着はついた。鍔競り合いになっても、ミシェラは押し勝てた自信はあるが、あえてしなかった。横ざまから打ち合った剣を巻き上げるように手から取り落とさせた。
「……勝負あり」
誰が見ても、ミシェラの勝ちは確実だった。ただ一人、対戦した騎士だけが納得できない。
「納得できるか! お前みたいな小娘に……! もう一戦、相手をしろ!」
いきり立つ騎士だが、実際に動く前に制止が入った。
「そこまでにしておけ」
落ち着いた低い声に、騎士たち三人がびくっとした。対してミシェラは「あら」と声を上げる。
「うちの馬鹿どもがお騒がせして申し訳ない。お二人の幸せを心より祈っている」
言われたカップル、ポールとエミリアはぽかんとした。無理もない。こんな公園に、立派な騎士服を着た精悍な男性がやってきたら、それは驚く。
「そして、ドクター・ミシェラ・フランセス・シャロン。手加減などせず、叩きのめしてくれてよかったんだが」
「それは今度の機会にとっておくわ。だから、とっとと回収して行ってちょうだい、サー・アレックス・グラスプール」
ミシェラがその騎士の名を言った瞬間、どよめきが起こった。顔は知らなくても、名を聞いたことがある人は多いだろう。騎士の国アルビオンの国王直属近衛、ナイツ・オブ・ラウンド第五席を賜る騎士の名だからだ。
三十代半ばになる彼とミシェラは顔見知りである。三十二歳の彼女にとっては同世代だ。
「これは手厳しい。ですが、ご迷惑をおかけしたのは事実だ。情報提供にも感謝します」
「その情報提供者に事情を聞いておくわ」
ミシェラはいいから早く行け、と手を振ったが、自分が剣をまだ握っていることに気が付いた。ミシェラはそれをアレックスの手に押し付けると、本当に彼らを追いやってしまった。何故か拍手が沸き起こる。
「先生、格好良かった!」
「ありがとうございました!」
「……もういいから。エミリアも、もう絡まれないようにね」
若いカップルの惜しみない称賛にミシェラは苦笑を浮かべてそう答えた。見学者たちが散り散りに帰っていく。
「師匠! 師匠って強かったんですね!」
サイラスが驚いたように言った。まあ、ミシェラは体格的に恵まれているとは言えないため、その技量を発揮するとたいていの人は驚く。
「そうか。サイラスには言ってなかったわね。私、元騎士なのよ」
「……はい? 失礼ですけど、師匠っておいくつですか」
「……サイラス、お前もだんだん遠慮がなくなってきたね……」
まだ出会って数日なのだが、ミシェラが怒らないと思って遠慮がなくなってきた。一度怒るべきか? まあいいか。
「さすがに、見事だった」
そう言いながら近づいてきたのはリンジーだった。ミシェラは呆れる。
「やっぱり見てたのね。なら、あなたがやっても良かったでしょ」
「サー・アレックスを呼んだのは私だ。その方がいいと思ったんだが、思ったよりやつら、手が早かったなぁ」
情報提供者はリンジーであった。確かに、下手に手を出すよりもその方が確実だとは思う。
「周りがあおったせいもあると思うけどね」
リンジーがいると言うことは、一緒に出掛けた少女たちとエルドレッドも一緒と言うことだ。興奮している少女二人と目を白黒させている年かさの娘一人、当然だろ、と言う表情の男一人。
「怪我はないな。よかった」
と、リンジーがミシェラの頬にキスをする。ミシェラはそれを甘んじて受けつつ言った。
「心配するなら、最初からあなたがやりなさい」
「私よりお前の腕の方が上だからな」
ミシェラの髪をもてあそびながらリンジーがそう返した。ミシェラはため息をつき、同居人たちに言った。
「帰りましょうか」
「帰る前に、全員居ることだし、何か食べていくのはどうだろう」
リンジーの提案に少女たちが賛成したので、他、誰も反対意見を出さなかった。
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