14.サイラス・ベケット
通称・癒し手と呼ばれるミシェラ・フランセス・シャロン三十二歳。『旧き友』歴十六年の彼女が、ついに弟子をとることになった。三十二歳で十六年の修業期間があると言えば、だいたいの人間にとっては一人前であろう。しかし、三百年近い時を生きる『旧き友』にとっては、やっと卵からかえったひよこ程度にすぎない。そんな彼女に、師は弟子の面倒を見ろと言うのだ。
おそらく、彼が薬師を目指しているからだろう。医師と薬師は切っても切り離せぬ関係だ。しかし、リンジーがミシェラに押し付けたと言うことは、同時に魔法も教えてやらねばなるまい。
一応、リンジーに抗議をしてみたものの、彼女の理性的な部分が、医師であるミシェラが面倒を見るのが最も効率的である、と告げていた。私なぞでいいのか、と思わないでもないが、リンジーは首を左右に振って言ったものだ。
「お前を弟子にとるとき、私も同じことを言ったものだ。しかし、われわれ『旧き友』にとってはまだまだひよっこでも、一般的に見ればお前はいい大人だ。せっかくの知識を伝える必要がある。我々は、長い時間をかけてそれができるのだから」
穏やかに説教をされてミシェラが折れたのだ。
実のところ、ミシェラにとっても助手となるべき存在がいるのはありがたかった。一人ではなかなか手の届かない部分もあるのである。薬師見習い、と言うことで医師とは違うが、医学知識があって損はないだろう。
「やはり、私たち魔女が作る薬とはちょっと違うわね」
「……まあ、僕は魔術師と言うより錬金術師に近いですし」
とサイラスは答えた。鍋の中の風邪薬を覗き込み、なるほどね、とミシェラは応じた。自然治癒力を高めるような薬を作るのがミシェラたち、魔女だ。サイラスたち錬金術師は、その病に直接の効用がある薬を作ることができるのだろう。まあ、結局それも自然治癒力につながるのだけど。
「私としては、正直助かるのよ。相談出来て、しかも診療を助けてくれる相手って、貴重よね」
それが弟子であっても。こまごまとしたことを頼めるし、人に話すことで自分の頭の中が整理できる。
「師匠、僕のこと助手だと思ってません?」
「大きくは間違ってないわね。薬学は修めたんでしょ?」
「そうですけど……」
「なら、できる範囲でいいから手伝って。できないことははっきりできないと言って。医療に関わるってことは、人の命を預かるのだからね」
不安げなサイラスに、ミシェラは苦笑した。彼女も通ってきた道だ。センスがあるようだから、魔女が作るような薬を教えてもいいかもしれない。
ミシェラの医療の師は『旧き友』ではなかった。普通の、人間の医者だった。人使いの荒い人で、数年前に亡くなっている。彼女から教わった者を、ミシェラも人に伝えていく義務があるのだろう。
家に診療室はあるのだが、ミシェラは基本的に往診に行く。身分としては王立魔法研究所所属になるが、名目上となる。盟約と誓約により、『旧き友』を縛ることは不可能だ。
ミシェラは早速サイラスを往診に連れて行った。まずは、症状の軽い患者からだ。熱を出した子供を診に言った。
「あら、先生。助手を取ったの?」
「まあ、そんなところね。様子はどう?」
「昨日から熱が全然下がらなくて……」
母親が不安げに言った。ミシェラは診てみるよ、と熱を出した子の部屋に入った。
「部屋が暑すぎるね。少し窓を開けて」
「あ、はい」
サイラスが指示に従って窓を少し開ける。風が通ったのを確認し、ミシェラは少年の額に手を当てる。
「熱が高いわね……苦しいな」
ミシェラは目を細め、苦しげに息をする少年に声をかけた。小さく呪文を呟き、少し楽になるように治癒魔法をかけやった。
肺の音を聞き、のどの奥をのぞく。のどはかなり腫れていた。
「この時期に珍しいけど、流感だね。サイラス、薬」
あえてサイラスに選ばせてみる。おそるおそる差し出された薬をみて、ミシェラはうなずいた。
「そうね。医学の知識もちゃんとあるじゃない」
「まあ、一応は……」
なかなか優秀な学生だったようだ。ミシェラは注射器で薬を投与すると、しばらく少年の額に手を当てて様子を見ていた。
「……落ち着いてきたね。サイラス、お母さん呼んできて」
「はい」
サイラスが呼んできた母に薬を一日一袋、もし熱が下がらないようなら、朝と夜に一袋ずつ飲むように言い、ミシェラたちは家を辞した。
「師匠は魔法治療を行うんですね」
「まあね。本当は外科が専門なんだけどねぇ」
だから怪我して大丈夫よ、とうそぶいて見せるミシェラに、サイラスはちょっと引いたようだった。
性格はともかく、ミシェラは医師としては結構優秀だ。サイラスも、彼女について学ぶことがあるだろう。ミシェラも、サイラスが一般的な知識があるとわかって一安心したところだ。
「ただいま」
「ミシェラ!」
家に帰るとユージェニーが駆け出てきた。相変わらず彼女は留守番役なのである。
「ジェイン、どうしたの?」
「エ、エイミーが……!」
ミシェラはユージェニーの脇をすり抜けて家の奥に入った。ユージェニーから「部屋にいるわ!」と言われ、そのまま階段を駆け上がる。サイラスがついてきていないが、まあいいか。
エイミーが使っている部屋の扉は開け放たれていた。部屋の中には苦しげな息をしているエイミーと、様子を見ているニコール、リンジーがいた。
「見てくれていたのね」
「一応は。だが、私にはこれ以上は無理だ。力の相性が悪いからな」
「ええ。替わるわ」
ミシェラはそういうとリンジーと場所を替わった。ベッドの上で背中を丸めて咳き込んでいるエイミーの背中をさする。
「苦しいな。もう大丈夫よ」
言い聞かせながら、呪文を小さく唱える。魔法式を編み上げ、治癒を行う。エイミーのものは体質なので、完全に取り除くことはできない。ただ、年を重ねるごとに丈夫にはなってきているので、発作の頻度も少なくなってきている。興奮による発作が多いので、落ち着いて暮らせるとよいのだが、エイミー自身が好奇心旺盛なのでちょっと難しいのである。
だいぶ呼吸が落ち着いてきたエイミーに水を飲ませ、ミシェラは尋ねる。
「大丈夫? 心臓苦しくない?」
「今は平気」
「ん。ちょっと不整脈が出たかな。夜眠れてる?」
エイミーが整った顔をしかめたので、眠れていないのだな、と察した。エイミー曰く、
「だってずっと家の中にいるんだよ? おなかも減らないし眠くもならないよ」
「それもそうね。まあ、リンジーもいるし、少し外に出るようにしようか」
本当は呼吸器系の弱いエイミーを、王都の街中に出したくないのだが、そうも言っていられない。引きこもって体を悪くするのは本末転倒だ。数日前ならともかく、今ならリンジーもいる。
「でも、いいこと、エイミー。必ず、私かリンジー、もしくはエルを一緒に連れて行くのよ」
「わかった」
ここで反対すると外出がより難しくなるとわかっているのだろう。エイミーが素直にうなずいた。
「それから、これはジェインやニコールも一緒だけど、下町には絶対に近づかないのよ。バラバラにされて売り飛ばされちゃうからね」
「……わかりました」
引き気味にニコールがうなずいた。田舎育ちの彼女にはちょっと刺激が強かったようだ。
「教会まではいい?」
「いいわよ。一応私も申告してから外出してるけど、行先がわかる場合は誰かに言っておくのよ。何か困ったことがあったら、迷わず助けを呼びなさい。駆けつけるわ。私かリンジーが」
「はい」
後から上がってきたユージェニーも含めた三人娘がうなずいた。ミシェラはユージェニーと共に上がってきたサイラスを振り返る。
「サイラス、あんたもよ」
「……わかりました」
男だと思って楽観視してはいけない。世の中、何があるかわからないのだ。
「ミシェラ、お母さんみたいだな」
「……まあ、否定はできないわね」
リンジーの言うように、母親に近い心境ではあった。
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