13.リンジー・クラレンス
この辺からサブタイと視点が一致しなくなります。
ニコール視点です。
一週間もたてば、何となく王都での暮らしに慣れてきた。心配性と言うより、当然の配慮のような気もするが、この王都の家の大人たち、ミシェラとエルドレッドはニコールたち三人娘だけで外出させるのを嫌がる。そのため、買い物などはミシェラたちがいないと行けない。
というか、ミシェラの外見がニコールより年下に見える時点で意味がないような気もするのだが、元騎士だと言う彼女は見た目よりずっと強い。それに、王都に居住実態があるために周辺住民と親交がある。これは大きい。
この家の住人ミシェラは謎の多い人物だ。いわく、『旧き友』だと言うことだが、本人も言っていたように、見た目では判断できない。超童顔な人、と言われても通ってしまう年齢だからだろう。過去に何をしていたかも、正確には不明である。
不明と言えば、アーミテイジ兄妹も謎である。顔が似ているし、年の離れた兄妹であるのは間違いない。ミシェラもエイミーも保証している。しかし、十年も家出をしているってどういうことだろうか。
まあいい。ユージェニーが言っていたので、そのうち話してくれるだろうと思っている。ニコールも、しばらくユージェニーと一緒に暮らして、彼女の予知を信じるようになっていた。小さなことだが、本当によく当たるのである。
さて。ニコールは今、ミシェラの家で留守番していた。エイミーの体調が思わしくないため、ユージェニーは彼女についている。ニコールが付いていても何もできないのだ。と言うわけで、ニコールはせめてお茶を入れようと湯を沸かしていた。
がちゃっと玄関の扉が開く音がした。患者さんだろうかと思ったが、患者ならそこで声をかけるだろう。同じように、ミシェラやエルドレッドが帰ってきたのなら「ただいま」という声が聞こえるはずだ。
誰だろう。ユージェニーには、「今日お客さんは来ないと思う」と言われていたのだが。キッチンからリビングの扉の方を見ると、ちょうどリビングに入ってきた人と目があった。しまった。先にユージェニーとエイミーを呼びに行くべきだった。
「おや。君一人かな」
柔らかな口調で言ったのは、柔らかな銀髪の男性……男性? だった。声が低めなので、男性だと思う。だが、一瞬迷ったのはそれだけ顔立ちが中性的に整っていたからだ。
もう一人、銀髪の小柄な男性のほかに戸惑いの表情を浮かべた濃い金髪の男性がいる。ニコールと目があい、男性の困ったような表情に彼女は目をしばたたかせた。
「お嬢さん、お一人かな。ミシェラ・フランセス・シャロンはどうした」
柔らかな口調と外見の割には強めの言葉を使う人だ。ニコールは「えっと」とためらう。答えていいのかな。
「その、今は不在……ですけど」
ざっくりと答えると、銀髪の男性は笑った。
「警戒心が強いな。うむ、よいことだ」
「……」
失礼な態度だったのに、何故か褒められた。ニコールは反応にとても困った。
「ああ、自己紹介がまだだったか。私はリンジー・クラレンス。ミシェラと同じ存在、と言えば分るかな?」
「あっ」
名前を聞いた途端、ニコールは声をあげた。その名には聞き覚えがあった。
「もしかして、この家の家主でミシェラさんの師匠のリンジーさん……!?」
「ああ、よい勘をしているな」
にこりとリンジーは笑った。彼はニコールに「いい勘をしている」と言ったが、言わせていただくなら、ニコールは今日彼が来ると聞いていなかったし、彼の外見を教えられてもいなかった。三十代のミシェラの師であるなら、四十代くらいかな、と漠然と考えたが、よく考えれば『旧き友』は外見で判断できないのだった。
「ニコール、どうしたの? ……あ、リンジーだ」
上階から様子を見に来たらしいユージェニーが、リンジーを見て嬉しそうな声をあげた。
「ねえ。お土産何?」
「久しいな、ジェイン。お前なら聞かなくてもわかるのではないかな?」
子供っぽく甘えるユージェニーに対し、兄か父親のような優しいまなざしで見るリンジーである。まあ、ミシェラにもそんなようなところがあるけど。
「あっ。ジェイン! お客さんは来ないって言ったじゃない!」
不意に思い出してニコールは言ったが、ユージェニーはおっとりと首をかしげた。
「私の予知は全部あたるわけじゃないし……それに、お客さんじゃないでしょ?」
「……まあ、そうね」
リンジーはこの家の持ち主だし。二人のやり取りを見ていたリンジーは苦笑してユージェニーに土産を渡している。
「ありがと。あ、ミシェラは花屋の奥さんが産気づいたから、見に行ったよ」
「夜中にね……」
出産は時間がかかるものだが、ミシェラはまだ帰ってこない。エルドレッドは出て行ったばかりなので、しばらく戻らないだろう。
「それで、その……」
突然人見知りを発揮したユージェニーがちらっとリンジーの後ろにいる濃い金髪の青年を見た。そう言えば、もう一人いたのだった。
「ああ、彼はサイラス・ベケット。いろいろあって、引き取ることになった」
「……サイラスです」
サイラス青年は緊張気味に言った。こんな女性ばかりのところに放り込まれるとは思わなかったのだろう。ユージェニーが隠れてしまったので、ニコールが挨拶する。
「ニコールです。彼女はユージェニー。みんな、ジェインって呼んでますけど」
「そうかそうか。ニコールと言うのだね」
リンジーがほけほけと笑って言った。そう言えば、ニコールも名乗っていなかったか。
「さて、お茶を入れていたのか? 私たちにももらえるとうれしい」
「あ、はい」
ひとまず荷物はリビングの隅に置かれることになった。この家は、一般市民が暮らす家にしてはかなり大きいが、だからこそ使わない部屋は閉じてある。リンジーの私室はともかく、サイラスがここに住むのなら部屋を一つ開けなければならない。すっかりミシェラたちのやり方に慣れてしまったニコールであった。
「あれっ。リンジーだ。お帰り」
お茶を飲みながら話に興じ初めてすぐにミシェラが帰ってきた。リンジーを見て驚いている。
「ミシェラもお帰り。久しぶりに会っても、かわらず愛らしいな」
と、立ち上がったリンジーがミシェラの頬にキスをする。ニコールは親しげなそのやり取りに顔を赤らめた。ユージェニーは平然としていたが、もう一人も赤くなっていたので自分だけではないとちょっとほっとする。
「と言うか、帰ってくるならそう連絡してよ。それから、エルたちがこっちに来るって、私、聞いてなかったんだけど?」
「言っていなかったかな? 私も年だからねぇ」
「そんな顔して何言ってんの……って言っても、自分に返ってくるのよねぇ」
ミシェラがため息をついた。やはり、二十代前半にしか見えないリンジーも、やはり見かけどおりの年ではないのだ……。
「で、彼は?」
ミシェラの視線が紅茶をいただいていたサイラスに向けられる。観察するように細められた翡翠の瞳に見つめられ、サイラスはびくりとした。アーミテイジの兄妹やエイミーに見なれていると、ミシェラは造作は整っているものの、そこまでの美人とは見えない。だが、こうした真剣な表情をすると、怜悧な印象を人に与える。中性的、とでも言えばいいのだろうか。どこか少年めいて見えるのだ。
「あまり脅かしてやるな。彼はサイラス。薬師見習いでな、拾ってきたのだよ」
「どこで?」
「王立アルビオン記念大学」
「私の母校かい」
はあ、とミシェラはため息をつく。
「リンジー、なんで拾ってきちゃったの。カイルじゃないんだからさ」
「彼が拾ってきたお前との出会いは、私にとってかけがえのないものとなった。よって、ミシェラ。お前、彼を弟子にとりなさい」
「……は?」
ミシェラとサイラスの声がリビングに反響する。ニコールとユージェニーは同時に紅茶をすすった。ニコールは気まずさをごまかすように。ユージェニーはただ味わうように、と言う違いはあったが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。