12.ミシェラ・フランセス・シャロン
ミシェラとて、この状況を考えなかったわけではない。しかし、あまり問題にならないと思って対策を取らなかったのだ。魔術師は肉体的に弱い場合が多い。その典型が、エルドレッドである。しかし、ミシェラは元騎士だった。となれば、どちらに軍配が上がるか、想像力も必要ない。
ミシェラ・フランセス・シャロンと言う女性は、実年齢の半分くらいの年にしか見えないし、どちらかと言うと小柄で華奢に見える。だが、外見に騙されると痛い目を見る。
振り返ったミシェラは、ニコールにナイフを向ける魔術師を見て、「素人だな」と判断した。そりゃそうだろう。魔術師は基本的に研究者なのである。ナイフの使い方など、知らないだろう。
つかつかとミシェラは二人に歩み寄った。魔術師がナイフを彼女の方に向ける。
「く、来るなっ!」
人質から刃物が離れ、ミシェラは間合いを詰めると、そのナイフを叩き落とした。ニコールを魔術師から引き離し、その魔術師は地面にたたきつけて腕をひねりあげる。
「いたたたたたっ」
「人質を取ったなら、最後まで凶器を放しちゃだめでしょう」
「ミシェラさん……そう言う問題じゃない……」
ニコールが半泣きで訴えてきた。人質にとられた彼女だ。ミシェラを非難したくなる気持ちもわかる。
「あなた、あの水妖の作り手かしら? 何故リーガン川に放流したりしたの!」
「っていうか、お前何者だよ! 魔術師だろ! なんでこんなに強いんだよ!」
「質問に答えなさい。腕折るわよ」
「痛い痛い痛い!」
魔術師が騒ぐ。もう少し力を加えれば折れるだろうと言う時、魔術師は叫んだ。
「研究用に買っていたワニだ! 実験に失敗して、室内で飼えなくなったから川に……!」
「……研究用なのに、かわいがるからよ。馬鹿ね」
愛着が生まれて、処分できなかったのだろう。だから、川に流すと言う中途半端な方法を取ったのだ。
「悪意があったわけではなさそうだけど、うちの娘を人質にとり、このワニのおかげで十人近い被害者が出てる。ただですむとは思わないことね」
と言うより、ミシェラが警察に突き出すつもりだ。魔術師もこの女からは逃げられないと思ったのか、うなだれた。
ミシェラは巨大ワニをいくつかの魔法を使って消滅させた。やはり、こういうのは苦手だ。
ひとまず、魔術師を警察に付きだし、リーガン川の問題を解決したミシェラたちであるが、ニコールには疑問が残ったようだ。
「さっきの魔術師も言っていましたけど、ミシェラさんってホントに何者なんですか?」
さすがに説明した方がいいだろうか。彼女とも、そこそこ長い付き合いになりそうだし。しかし。
「それは明日にしましょう。今日は帰って、寝よう」
休息は大切だ。若い女性であるニコールはもちろん、人知を超えた存在であるミシェラだって。
△
「お前たち……本当に解決してきたんだな……」
朝、エルドレッドがコーヒーを飲みながら呆れたように言った。自分の分の紅茶を入れたミシェラを見て尋ねる。
「力押しか」
「まあ、当たらずとも遠からず」
魔法も力もどちらも使った。やっぱり、剣を持って行けばよかった、とも思ったけど。
「まあ、せっかくなので、私の話をしようかと思うんだけど、エルも聞く?」
エイミーとユージェニーは既に聞く体勢に入っているので省いた。エルドレッドもさすがに二日酔いからは覚めたらしく、「せっかくだからな」とうなずいた。ミシェラは目を細める。
「ニコール。『旧き友』って聞いたことある? 最近は『賢者』と呼ばれることの方が多いかしら」
「最近はって……いえ、聞いたことはあります。長寿の魔法使いのことですよね」
ざっくりしたニコールの言葉に、ミシェラは苦笑した。
「まあ、間違ってはいないわね。『旧き友』は、人と人の間に生まれ、人と変わらぬ容姿を持つ。だけど、不老長寿で体は頑健、多くの魔力を保有し、優秀な魔術師……魔法使いである場合が多いわ」
「く、詳しいですね」
「ええ。だって、私は『旧き友』だもの」
「……へ?」
ミシェラは紅茶をすすり、ニコールの反応を待つ。彼女は驚きの声をあげた。
「ええっ!?」
ミシェラはニコリと微笑む。
「詳しいのは当たり前よ。自分のことだもの。知らなければ、生きていけないわ。まあ、受け入れるのに四年ほどかかったけど」
「ちなみに、現在アルビオンで確認されている『旧き友』はこいつも含めて七人しかいない」
希少な七人のうち一人なのだ。エルドレッドが口を挟んでそんなことを言った。
ニコールはじっとミシェラを見つめた。彼女の外見から、彼女が『旧き友』であるという証拠を見つけ出そうとしているようでもあった。三十代であるのに十代後半にしか見えないという点以外は、差異を見つけ出すことはできないだろう。
「えっと、なんていえばいいのか……」
「まあ、信じることはできないわよね」
ミシェラはあっさりと言った。自分ですらなかなか信じられなかったのに、人に信じろと言うのは土台無理な話だ。
「信じなくてもいい。だけど、知っておくのは大切だ。何かの時に、それが差になるかもしれない。情報は多い方がいいからね」
「……ミシェラさんってたまに口調がぶれますよね」
ニコールが違うところに突っ込んだ。まあそうだろうな、と思う。
「まあそうだろうね。普段は意識して話してるから」
女性言葉は意識しているものだ。女性的なふるまいはすべてそう。昔は一人称も「僕」だった。
「ミシェラ、元騎士なのよね」
「そうだね。ジェインが生まれたころには、もうやめてたけどね」
ユージェニーににっこりと笑いかける。十六歳のユージェニーは、ミシェラが騎士の時代を知らない。まあ、エイミーやニコールもそうだろうが。エルドレッドあたりが、ぎりぎり知っている世代になるだろう。
「トマスと出会ったのは、私が騎士をしていたころだ。とても世話になったんだよ」
「父と?」
ニコールが父親が騎士団に所属していた時のことを思い出すように眉をひそめた。しばらくしてあきらめたようだったが。
「そう言えば、ジェインやエイミーたちはどうしてあの家にいるの? たぶん、貴族の出身よね?」
なかなかいい洞察力だ。ユージェニーは困ってエルドレッドを見やったが、エイミーは気にせず答えた。
「私は昔から体が弱くて、空気がいいからあの家に引き取られたんだ」
「そう言えば、そんなようなことを聞いたような気もする」
エイミーの説明にニコールは納得したような様子を見せたが、エイミーはかなり説明をはしょっている。彼女がエルドレッドたちと暮らすようになったのは五年ほど前だ。彼女の主治医をしていたミシェラが勧めたのだ。空気が良い上に、あの家は魔法的に条件の良い立地であるのだ。実際、エイミーの体調はこの五年でだいぶ回復している。
割と単純な理由のエイミーに対し、アーミテイジ家の二人は結構複雑だ。しかし、一言でいうなら。
「家出かね?」
「言いえて妙だな」
エルドレッドも認めざるを得なかったらしい。ただし、家出なら十年も彼らは家出をしていることになる。しかも、当時六歳のユージェニーを連れて。彼が頼ってきたのは当時医学生だったミシェラだった。おそらく、ミシェラの師が狙いだったのだと思うけど。当時から頭は良い男だった。
「……そのうち話さなきゃならないから、今言っても同じだと思う」
兄をうかがったユージェニーだが、きっぱりとそんなことを言った。彼女の予知は本当にあたるので、話さなければならない時が来るのだろうな、と思う。まあ、ミシェラには関係ないけど。
「さて。私はこれから往診が入ってるから、ちょっと行ってくるわね」
「俺も少し出かけてくる」
「王都ならより仕事が見つかりそうね。同業者もいるけど」
ミシェラは笑って言った。エルドレッドは半眼になったが、何も言わなかった。
「留守番をよろしくね。お客さんが来ても、開けなくてもいいから」
「はい」
事実上留守を預かるのはユージェニーなので、彼女がうなずいた。三人娘の中では最年少であるが、家庭的と言う意味で一番能力的にすぐれている。
少し不安ではあるが、いつでもミシェラやエルドレッドがいるわけではない。慣れてもらわねば、と思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミシェラの年なら、驚異的な童顔であると言い張れないこともない。