10.ミシェラ・フランセス・シャロン
ミシェラが結構ひどいので、不快感を覚える方は回避してください。
ミシェラの反応が薄かったのは理由がある。リーガン川から死体が引き上げられるのは、別に珍しい事態ではないのだ。自ら川に飛び込む人も後を絶たないし、誤って落ちてしまうこともある。非常に不愉快であるが、殺した遺体を投棄する殺人犯までいるのだ。
「水死体は死因がわかりにくいのよねぇ」
などとぼやきながらご遺体の検死にやってきていた。場所は小さな区教会だ。
「おはようございます。お邪魔します」
「ああ、おはよう、ドクター」
一人でやってきたミシェラは、出迎えの牧師に向かってぺこりと頭を下げてあいさつした。魔術師と教会、と言うのは相いれないもののような気もするが、そうでもない。お互い、関わり過ぎないことでうまく共存している。そもそも、アルビオンは古くから魔法が染みついた国だ。後からやってきた宗教が、魔法に合わせた、と言う面もある。
それでも、魔術師を良く思わない聖職者も多い。この教会はミシェラの住まう家から近く、よくお世話になっているため、何となく受け入れられているが。まあ、責任者たるバックス牧師の気質も大いにかかわっているのだろうが。
さて。この国では多くがそうなのだが、教会に病院が併設されている。そして、教会にはご遺体を安置する部屋がある。つまり、医者がいてどうにも不審なご遺体は調べるのだ。
もっとも、よほど凶悪不可解な状態でないと検死などしないが。検死ができる医師が少ないのもある。
「お世話になります、ドクター。こちらです」
ミシェラの実年齢と同じくらいの男性医師がミシェラを案内し、棺に入れられたご遺体を見せた。彼女は「わお」と声をあげた。
「……さすがに、女性には厳しいでしょうか」
「あ、そう言うのは平気です」
戦場で見なれているので、臓物が飛び出していようが手足が変な方向にねじ曲がっていようが基本的に平気だ。今回はそれに加えて顔が半分ないが。
「人間の力ではできなさそうですね」
「ええ。なので、魔法かなと」
この医師も治癒魔法が使える魔法医であるが、そのほかの魔法に詳しいわけではない。なので、ミシェラが呼ばれてきたのだ。
「……魔法と言うより、大きな獣にかまれた、とか、そう言う感じにも見えますね」
戦場でも、オオカミにかまれて負傷、などが後を絶えなかった。しかし、この噛み傷から推測するに、体長は二メートルをくだらないと思うのだが、そんな生き物、存在するだろうか。
「……実は、これが初めてではないのです。他の教会にも問い合わせてみたのですが、リーガン川沿いで、同じようなご遺体がいくつも上がっているそうなのです」
医師の言葉に、ミシェラは顔をしかめた。つまり、被害者が増えすぎたので解決依頼があったわけか。
「……これ、警察には?」
「話しましたが、事件性は見られないと断られまして」
「ま、仕方がないですね……」
警察と教会は仲が悪いのだ。たぶん、魔術師と教会よりも。教会はいわゆる聖域で、警察の捜査権が及ばないからだ。さすがの教会も殺人犯をかばったりはしないが、告解に訪れた迷える子羊をたたき出すことはできない、というのが教会側の主張だ。
この国の宗教、エクレシア教のトップは国王であったりするのだが、現在の国王ヘンリー九世はあまり宗教に関わらないようにしている。そのため、協力体制が敷けないという事態になっているのだが、まあ、これは国王が積極的にかかわったところで解決する問題でもない気がする。
一通り検死を行い、ミシェラと医師は棺の蓋を閉める。
「ほかのご遺体も見てみたいところですが……」
「と、私も思って聞いてみたのですが、すでに埋葬しているそうです」
「ですよねぇ」
そりゃあ、放っておけば腐るから。魔法でしばらく保存することはできなくはないが、貴族や資産家でもない限りそんなことはしないだろう。
必要があれば墓を掘り返すことくらいするところだが、そこまでの問題でもない気がする。
「もうない方が良いのですが、またご遺体が上がるようなことがあればお知らせいたします」
「よろしくお願いします……ちなみに、似たようなご遺体が上がったと言う教会を教えてもらっても構いませんか」
「ええ。もちろんです」
そう言って医師はいくつかの教会の名をあげた。さすがに小さな教会の名まで頭に入っていないので、あとで地図を見て調べておこう。
一瞬、ミシェラも警察に訴えてみようか、と思ったがやめておいた。どうせ取り合ってもらえない。某ルートから圧力をかけてもらうこともできなくはないが、そんなことに権力は使いたくないし、自力で解決する方が早そうだ。
ちょうど教会で説教が始まったので何となく聴衆に紛れ込んで聞いた後、ミシェラはリーガン川に向かった。今日も微妙な色をしている。願わくば落ちたくないものだ。
この静かな水面のどこかに巨大生物でも隠れているのだろうか。二メートル級のものが自然発生すると思えないので、いるのなら誰かが放流したか、逃がしてしまったのだろう。そして、そんなことをできるのは魔術師くらいだ。
「またこちらの案件か……」
そう言う役回りなので覚悟はしているが、面倒くさいと思ってしまうのは仕方がないだろう。
そう言えば、ニコールが川に違和感がする的なことを言っていた気がする。おぼれた彼も、怪物がいた、と言っていたし、たぶん、本当にいるのだろう。
はあ、とミシェラはため息をついた。先日、ニコールの実家でキメラを退治したばかりだ。あのキメラはよくできていたが、通常の獣サイズだったので武力に物を言わせることができたが、今回はそう簡単にはいかなさそうだ。とはいえ、ミシェラの技量があればなんとかなるだろう。
彼女を知る者たちは、彼女は優れた魔女だと思っている。しかし、そんなことはない。彼女の師を見れば、彼女がまだ半人前であることをおのずと知るだろう。それくらい、師は、師たちは強い。尊敬している。
まあ、その話は今はいい。とりあえず帰って、地図を確認したい。そう思って急ぎ足になったミシェラに、背後から声がかかった。
「おーい、シャロン先生! 急患だ! 助けてくれ~!」
声がかかり、医師の習性として振り返ってしまった。見知った近所の男性が両手を大きく振っていた。ミシェラはそちらに足を向ける。
「どうしたの?」
駆け寄ってみると、少年が足を抱えていた。赤くはれている。母親らしき女性が「どうしましょう、先生!」とあわてた声をあげている。
「触るわよ」
膝をついたミシェラはそう宣言すると少年の足に遠慮なく触った。少年は火が付いたように泣き叫ぶ。母親が余計におろおろしだした。
「うん。折れてるわね」
ミシェラはそういうと、その場で診療鞄を開き、包帯と注射器を取り出す。
「添え木になるものをくれない? まっすぐな棒みたいなもの」
「棒……?」
「ないなら椅子の足をはぎ取っていい?」
「すぐに持ってきます」
さすがにそれは嫌だったらしい。ミシェラは少年に向き直る。
「今治すからね。先に鎮痛剤を打っておこう。痛いでしょう」
「注射もヤダ!」
「こ、こら!」
泣きわめく息子に、母親がおろおろとミシェラに謝る。子供にはよくあることなので、ミシェラは笑って「構わないわ」と答えた。
そっと少年の額に手を当てる。沈静魔法で少しおとなしくなった少年に、ミシェラはすかさず鎮痛剤を打った。飲み薬もあるが、注射の方が即効性がある。
「先生、これは?」
「お、いいんじゃない?」
何か不明だが、まっすぐな木の棒を差し出されて、ミシェラはそれを受け取ると手早く少年の足を固定した。その上から治癒魔法をかける。
「……痛くなくなってきた」
「鎮痛剤が効いてきたのね。足の方も、一応つながったわよ」
一応、だ。ちゃんと病院に行く必要がある。このまま、ミシェラの診療所に来るか、教会などの病院に行くか。
「……先生がいい」
少年が言った。年若い女性に見えるミシェラは、大人には不評であるが、子供には結構評判がいい。
「じゃ、一緒に診療所に行きましょうか」
「すみません……よろしくお願いします」
母親が少年を立ち上がらせようとし、そして、足をけがしていることに気が付いた。
「……背負おうか」
「いや、それは俺が」
ミシェラを呼びに来た男が名乗り出てくれたので、ありがたく少年を抱えてもらうことにした。
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