1.ニコール・ローガン
新連載です。
よろしくお願いします。
一人、郊外の田舎道を歩く女性がいた。つばの広い帽子をかぶり、きっちりと首元まであるワンピースを着こんでいる。春先なのでそれほど暑苦しくはないが、若い女性には珍しいスタイルではある。
その女性、ニコール・ローガンはいくつか立ち並ぶ小さなカントリー・ハウス風の家の一つの前で立ち止まった。手元にあるメモの住所を家を見比べる。
「ここ……で、いいのよね」
一般人が住むには少し大きめの家だ。三度確認して、やはり間違いないと判断したニコールはその家のベルを鳴らした。
が、反応なし。ニコールはもう一度ベルを押す。すると、今度は玄関扉が開いた。
「こ、こんにちは」
「……ああ」
顔をのぞかせたのは、整った顔立ちをした背の高い男性だった。ニコールは少しひるんだが、口を開いた。
「すみません。探偵さんに依頼があるのですが」
その男性はニコールを眺めて、少し身を後ろに引いた。
「入れ」
「あ、ありがとうございます」
ニコールは「お邪魔します」と家……というより既に小さな館だが、中に入った。男性について応接間らしい場所に案内される。
「ジェイン。お茶を頼む」
奥の方に男性は声をかけたが、返事はなかった。しかし、男性は気にせず応接間の中に入ってきた。
「適当に座ってくれ」
「はいっ。失礼します」
緊張気味に、ニコールはソファに腰かけたその向かい側に男性が腰かける。
「俺が一応『探偵』のエルドレッド・アーミテイジだ。よろしく頼む」
「あ……あたしはニコール・ローガンと申します。アーミテイジさんがなんでも解決できる探偵だと聞いて、本日は伺いました」
「何でも……まあいい。聞かせてくれ」
何やら気に障ることでもあったのか男性……エルドレッドは顔をしかめたが、先を促されたので口を開く。しかし、そのタイミングでノックがあり、少女が顔をのぞかせた。
「お茶を持ってきました」
小さな声で少女は言った。その少女は簡素な格好をしていたが、かなりの美少女だった。ちょっと人形めいた美貌だ。栗毛に菫色の大きな目をしていて、何となく、エルドレッドに似ている。彼は栗毛だが淡い紫の瞳をしていた。兄妹なのだろうか。親子と言うほど年が離れているようには見えない。年が離れた兄弟と言った方がしっくりくる。
少女はおそらく、先ほどエルドレッドが声をかけていたジェインと言う少女だろう。紅茶の入ったティーカップを置くと、そっと兄(仮)の後ろに控える。
「……あたしの依頼は、兄を助けてほしいのです」
「軍に行け」
エルドレッドがツッコミを入れてきた。実際、その通りだ。誘拐事件などであれば、軍に助けを求めればいい。
しかし、ニコールの依頼はそう言うことではないのだ。
「軍には、行きました。でも、お家騒動に近くて……」
取り合ってもらえなかったのだ。基本的に、軍はお家騒動には介入しない。当然だ。面倒くさいもん。
「お家騒動とは、どういうことだ?」
エルドレッドは事情を聞く気になったのか、反射的に返したのか、尋ねてきた。ニコールは簡単に事情を話しはじめる。
「あたしの家は、男爵位を授かっているのですが」
「知っている」
「……十一年前、父が亡くなりまして。当時十三歳の兄がローガン男爵位を継ぎました。でも、まだ子供だということで、後見人として叔父が付いたんです」
よくある話だ。叔父はニコールたちの父と仲が良く、これまでよく兄を助けてくれて、ニコールの世話もしてくれた。たぶん、叔父夫婦に子供がいなかったことも大きいと思う。
「……けれど、二年ほど前から、叔母……叔父の妻にあたる人が、体調を崩すようになって。いろんな医者にかかったのですが、具合は悪くなるばかりで。そんな時、魔術師が叔母の診察に来たんです」
正直なところ、何故医者ではなく魔術師が、と思わないではなかった。しかし、医師にかかっても駄目だった者が魔術師を利用するケースは皆無ではない。ニコールたちも叔母には元気になってもらいたかったし、受け入れたのだが……。
これが、今回の事態を招くこととなった。
「魔術師が来たことが引き金になったのでしょうか。叔父が豹変して、爵位を兄から奪おうとしたんです。もちろん、今では兄も成人男性ですから、抵抗しました。けれど、魔術師に捕まってしまって……」
今でも、ローガン男爵家のどこかに監禁されているはずだ。
「叔父は、叔母を助けたいがあまりに何か危険なことに手を出しているのかもしれません。できれば、そちらも助けたい。だけど、あたしは兄を助けたい。あたしにとって、唯一の、本当の家族なんです」
「……事情は分かった」
事情を理解したからと言って、仕事を受けてくれるとは限らない。ニコールは祈るような気持ちでエルドレッドの返答を待った。
「……ひとつ気になるんだが、その魔術師は、半年前からずっとお前の家に?」
「あ、はい。基本的には」
そんなことを聞くのか、と思ったが、確かに異常事態ではあるのかもしれない、と思う。ニコールの感覚がマヒしているだけで。
「その間、何か変なことがあったりしなかったか?」
「ええっと、叔父が豹変して」
「その話はもう聞いた。そうではない。お前から、魔術の気配がする。しかも、よく無い部類のやつだ」
「よ、よくないって」
何だろう、と一瞬考えたが、そう言えば、ここではなくそれこそ魔術師か医者に相談しようと思っていたから忘れていたが。
「そう言えば……ひと月くらい前からでしょうか。段々、腕が……」
と、ニコールは袖をめくる。そこには、銀色に光る魚のうろこのような肌があった。エルドレッドは目を細めただけだが、ジェインは息をのんだ。
「……ジェイン。大丈夫そうなら、ミシェラを連れてきてくれ」
「わ、わかった」
ジェインがあわただしく応接間を出て行く。ミシェラと言う人を呼びに行ったらしいが、探偵助手みたいな人だろうか。
数分もしないうちに、ジェインは戻ってきた。白衣を着た女性が一緒だった。
「悪いな。エイミーは?」
「今のところは大丈夫。で? 往診に来ただけの私を呼びよせるなんて、何事?」
眼鏡をかけた、理知的な顔立ちの女性だった。エルドレッドやジェインの美貌に比べると普通だが、端正な顔立ちをしている方だろう。琥珀色の長い髪と翡翠色の瞳が印象的であるが、それよりも、彼女が男装姿であることの方が気になった。何ゆえ男装なのだろうか。
「何事も何も、わかってるだろ。ちょっと彼女の腕を診てやってくれ」
エルドレッドに言われて、女性はニコールを見た。目が合うと、意外と若いな、と思った。それどころか、ニコールより年下かもしれない。十代後半ほどに見えた。
「依頼人?」
「ああ」
ただ、三十を越えているとおもわれるエルドレッドとのやり取りは軽い。気安い仲のようだ。
女性はニコールの足元にひざまずくと、「失礼するわね」と断ってからそのうろこ状になっている腕を取った。そっとその腕を撫でる。
「どうだ?」
尋ねるエルドレッドは、足を組み肘置きに頬杖をつき、やけに偉そうだ。
「呪いの一種だね。このまま放っておくと、この子は人の形を保てなくなるだろう」
女性の言葉は現実離れしていて、ニコールにはなかなか理解できなかった。ひとまず、このままにしておくのは危険だということはわかった。
「引きはがせないのか」
「できなくはないけど、彼女の身が持たないわね。かなり深く定着しているから、長期間にわたって少しずつ浸透させたのだと思うわ。解除するには、これを仕掛けた魔術師を捕まえるのが一番速い」
「なるほど……」
女性はニコールに微笑むと、立ち上がった。その状態で腕を組む。
「依頼人なのでしょ。助けてあげればいいじゃない。あなたも仮にも魔術師なんだから、できなくはないでしょ」
「……一緒に来てくれないか」
「三十路越えの男がそんな顔しても気色が悪いだけよ」
ニコールははらはらと二人を見守る。ちらっとジェインを見ると、彼女は平然としているので意外と平気、なのだろうか。
「彼女の叔父が彼女の兄を監禁しているらしい。兄を助けてほしいという依頼だ。何でも叔父の妻が重い病で、それを助けるために魔術師を引き入れたらしいが」
断片的だが要点の押さえられた説明だった。女性は「さりげなく巻き込もうとしないで」といい顔をしないが。
「ついて行ってもいいけど、代わりに何をくれるの」
「……お前らのしきたり、面倒くさい」
「あんただって依頼料もらうでしょうが」
「あ、あの!」
険悪そうな雰囲気に、ニコールは思わず口をはさむ。
「お金……なら、一生かかっても私が払います!」
「ああ……いや、君に言っているわけじゃないんだよ」
苦笑気味に女性は言って、それからふと気づいたように言った。
「そう言えば、名前はなんていうの?」
「あ、私ですか? 私は、ニコール・ローガンと申します」
素直に名乗ったニコールに、女性は目を見開いた。
「ローガン? ローガン男爵家の? トマス・ローガン卿はご親戚?」
「むしろ父ですが……」
トマス・ローガンと言う人は過去に何人かいるが、ここ最近ではニコールの父しかいないはずだ。
「でも、父は十一年前に亡くなっていて」
ニコールが言うと、女性は「知っているわ」とうなずき、それから微笑んだ。
「それにしても……そうか。トマスの娘か。あの小さかった子が、こんなに大きくなったのね」
と、女性はそう言ってニコールの頭を撫でた。自分と同世代の人に頭を撫でられるのは不思議な感覚である。
「わかったわ、エル。力を貸そう。この子の父親には借りがある。どうやら、返す時が来たようね」
「よし。よくわからんが、言質はとったからな」
エルドレッドがそう言って立ち上がる。そして、ジェインにいくつか指示を出しはじめた。どうやら、助けてくれるようでニコールはほっとソファに身を沈めた。女性は再びしゃがみ込む。ニコールの手を取って言った。
「ひとまず、進行を遅らせるわ。すぐに解決できないかもしれないからね」
「はい……あの、あなたは」
何者なのだろう、この女性は。女性は翡翠の瞳を細めて微笑んだ。
「私はミシェラ・フランセス・シャロン。魔法医なんてものをしている。よろしくね」
そう言って彼女……ミシェラは微笑んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。