4-12/天使の嘲り、悪魔の救い、人の迷い、魔王の叫び
【7】
【天界】と、それに連なる存在と、人類が初めて接触したのは、魔族による異界からの侵攻が、激化した折だった。
人類の前に現れた彼らは、【世を創り、見守るモノ】を名乗り、そして【規律を重んじる善の具現】だと自らを定義し、そして、劣勢にあった人々に力を貸した。闇を払い、魔を退ける、【光と秩序の力】を。
“信仰”はその時代に生まれ、彼方より救いを授けた者たちは多くを語らず地より去り。
今日に続く聖天教会は、天の御使いたちに授けられた教えを受け継ぎ、浄く、正しく、いつの日か人々が彼等と同じ位階、苦より解き放たれた楽園へ招かれるに相応しきものになれることを目指して、人間界でその教えを広めている――
「――嗚呼。なんと涙ぐましく、美しく、健気で、何より――滑稽な話なんでしょうね?」
現在、人間界――【地界】とも称される領域で、“最も神聖なる場所”と断言出来る、“輝ける峰”アウラルバ山頂。
どのような偶像でも、人々の心を惹き付ける美を持つものでも敵わない【天上の美】を全身で体現する存在、天使が、上品に、くすくすと笑う。
「【聖天教会】。そんなものをいくら作ったとて、地平線から水平線まで我らの教えで満たしたとて――おぞましく土を這いずる【羽根無し】共が、【天界】へ入る資格を持つことなど、未来永劫得られるわけがないでしょう!」
人類には。
こんなどうしようもなく、薄汚れて埃っぽい、無駄と無意味と無価値と無様で溢れ返った、欲塗れの地がお似合いだと――一切の不要なき、何もかもが過不足なき理想郷で千年の時を生きた女が、文字通り、霊峰の上空から、世界と生き物を見下して嘲笑った。
「とはいえ。ええ、さりとて。そんな場所にも、雑多なモノにも、使い道はあるのです。たとえば――そう、」
地上の、アウラルバより離れた村に差し向けた指先の先端に、無数の【円】が連なるように現れて、
「必要なものが必要なだけしかない、そんな天界では許されない――再利用可能な遊戯場にしてみたり、とか」
現れ、収束した“光”が、煌めいて、放たれる。
凄まじい、天界の力――着弾すれば広範囲に【秩序的消滅】の現象を引き起こす超常の塊は、空間を裂いて飛翔し――
――しかし。
アウラルバの外へ出た瞬間、粒と砕けて霧散した。
「……ちっ。これですもの。あーあ、これですもの。本当にもう、人類とはこれだから愚か! せっかく我らが、あの身の毛もよだつ魔界の、怪物共の侵攻から存続させてやったというのに、これっぽっちの存在信仰! 自分のことしか考えていない贅肉だらけの堕生命!」
百年前。人間界は、魔族の最大侵攻を退け、逆に攻め入り、ついに自分たちの大地から、彼方よりの侵略者をことごとく送還することに成功した。
天界にとって、誤算だったのは、ふたつ。
ひとつ。
現在の賢者ギルドの礎を創った連中による術式が、人間界各地の魔族だけではなく、天界の使徒、天使たちもまた元の場所へ戻すものであったこと。
ひとつ。
長きに渡る魔族の活動による“汚染”――“魔界の瘴気”の影響力が人間界から薄れるまで、【地界掌握】を遅らせるのを余儀なくされてしまったこと。
「信仰が足りないのです信仰が。百年姿を現さなかっただけで、天界に受けた大恩をこうも忘れ、この程度の領域でしか力を振るえない状況であるなど言語道断、総員有罪。そうですね。まずはその辺りから教育、いえ、調教してあげなければなりませんか、秩序的に考えて」
天使と、魔族。
各々に違いはあれど、人間界に於ける、絶対の共通項――【認められなければ、力が出ない】。
人間たちが、力を授けられども、その最後は自分の手で切り拓き手に入れた未来、百年に渡る平和は、天使への信仰も、魔族への恐怖も、同様に薄れさせた。
それを分けたのは、簡単に、プラスであるかマイナスであるか――全人類ではなかろうと、それが、“思い出したい感謝”なのか、“思い出したくもない嫌悪”なのか。
百年をかけて、差は開く。わずか、かすかが、蓄積していく。
ここ、アウラルバ山頂、【アレン記念碑・左神像】のように、“想念を受け止める核”の周囲であるならば、そこを天上世界の光輝満たし力の一部を持ち込める程度には、現代でも【天界/神/天使】は、人々に受け入れられ、認められている。
つまり、
「実に不本意、憤怒の極み。人類は、もしかして、”自分たちは分不相応なほど尊きお方に目をかけられたのだから、それだけ上等な存在なのだ”と思い違っているのでしょうか」
かつて。天界勢力が、自分たちでは直接戦わず、どのような場面に於いても人間たちに力を貸すという形式を守り抜いた理由など、明白すぎる。
――魔界の存在など、魔族になど。
――穢らし過ぎて、直接触れるわけがない。
「はは、まさかまさか、いやいやそんな。人類がいくら愚かだと言っても、うん、そこまではきっとない」
だってそうだろう。
虫を潰す為に使われるちり紙風情が、どうして、自分は大切なものだと錯覚出来るというのか。
天使、ドゥヴィキエルは、自分の中に生まれた想像を笑い飛ばすと、地上へ――山頂へと降下していく。
「相当に苦渋の決断だったと聞き及んでいますよ。仕方のないことであったとはいえ……天界の天使が、地界の人間に宿るなど。その苦しみ、どんなに嫌だったことか、こちらの背まで寒くなる。……しかし、使命の為に、最悪の中から少しでもマシなものを選んで選んで選び抜いたとはいえ、本人ではなく末裔であるとはいえ、なんとまあ、さえない顔をしているんでしょうね――“勇者アレン”というものは」
「だったら、返せ」
勿論。
ドゥヴィキエルが、接近に気付いていなかったわけがない。彼女は中空に在り、そして見下ろし、冷めた視線を向けていた。
自分を睨みつけながら、山を登ってきている相手に。
獲られた相手を、奪い返さんとする身の程知らずに。
……愚か者のパーティは、二人。
先程の三人から、一人が寝返り、一人は代わっている。
「そいつは、ぼくの、にいちゃんだ」
「いいえ。この血は、この一族は、地界で唯一天使たちが依り代と決めた人間はとっくの昔に、あなたが生まれる前から契約済ですの。せめて潔く手を引きなさい、昏く穢く哀れに醜い、混沌色の鼠さん?」
「おまえらは」
震える腕で、指を差す。
示された相手――アレンは、自分の中から溢れる“光の力”で、神像に書かれた、呪詛の文字を消していた。
己の生命力を削り、反発し合う力同士の影響で、無数の傷を負いながら。
「大切なものを、そんなふうに消耗うのか」
「ええ。有用なものだから、もっともっと大事なことの為に、惜しむことなく消費うのです」
歯を食い縛り、怒りを浮かべる長々髪の少女――【混沌属性魔法使い】としての正装であるローブに身を包んだリルミリアを余所に、
「うふ」
ドゥヴィキエルは、笑いながら。
こちらに目もくれず、自身の命に危険の及ぶ【呪詛剥がし】に専念している――
――アレンの後頭部に、手を突っ込んだ。
「なッ!?」
「…………へえ。そう、成程。リルミリア・メタモロンド。そういう名前なのね、混沌鼠」
「おまえ、まさか、」
「心魂直接接触からの深層構成物の強制聴取――いえ、いえいえ。そうだわそうだわ、もっと優雅に、人間界らしく、こう言ったほうがいいかしら。……『人間よ、我らは天よりあらゆる罪を見ています』!」
握られた杖が、憎悪の籠った音を立てる。
その視線、魔眼級と見紛うばかりの眼差しに射抜かれながら天使は悠然と、
「あら。あなた、親に捨てられたの?」
「ッ!」
「七年前、聖天教会の連中に異端研究の罪で追われたメタモロンド夫妻は、あなたに研究成果を、厄介事の種を押し付けて、自分たちだけで行方を晦ませた。一人放り出されたあなたは、行き倒れたところをアレンに拾われ、以降、彼の優しさにつけこみ、研究の隠れ家として寄生している。――なぁんだ。人の家の裏に隙間を作り勝手に住み着くなんて、本当の本当に鼠だったのね!」
「ぅ、」
「流石は魔族研究者! 恥知らずの悪魔崇拝者! 他人の善意を齧るのに躊躇もしないなんて、挙句の果てに、病気を撒き散らすように、不幸にまで巻き込むなんて!」
「ぅ、ぅう、う、」
「まあ大変! あなた、知っていて!? この人間が、アレンが、自分の家に住み着いたあなたのことをどう思っていたか! 自分からは部屋にも入れない、何度誘っても食事の席にも座らない、自分が寝静まったころ食糧庫を荒らしていくだけの役立たずの同居人を、一体どう思っていたか! あのねあのねあのねそれはねッ、」
「【支え】だと。彼はそう、貴女のことを言っていましたよ、リルミリアさん」
割り込む声は心強く。
示されようとした現実を、塗り替えるように。
「…………カズ、タモ、さん」
「今朝、登山の最中に――昨夜、何者かが食事を行った形跡のある魔法氷室前の掃除を手伝った話題を出した時、貴女のことを聞き及んでおりました。昨日は久しぶりの来客で、今日こそはとごちそうを用意して待っていたんだけど、結局、顔を出させてやれなかったと」
彼は語る。
アレンは、いつでも、奇妙な同居人・リルミリアのことを、気にかけ、そして、大切に思っていたと。
「勇者の末裔が、この時代、もうとっくの昔に平和で、魔族の侵攻もなく、“レベル上げ”なんてそう熱心にする必要もないはずなのに、それでも鍛練をしているのは――七年前。土砂降りの中に倒れていた女の子が、もう二度と、あんな辛そうな目に合わないように、守る為だと。」
勇者を勇者、足らしめるもの。
振るう相手のいない剣を、それでも、磨いていた理由。
「あなたと出逢い。あなたと過ごし。初めて、戦いたいと思うものが出来た。格好つけて、勇者でいたい、とそう感じた。いつか――アレン・ティカラニアは、何も傷付けない、側にいることで安らげる、そんな、《温かい剣》になるのだと、ちょっぴりだけ、恥ずかしそうに、語ってくれた」
だから、と告げる。
その背に、手を添える。
「決して、正しいだけでも、キレイなだけでもなかった、実に普通に人間らしい彼のことを、取り返して、目を覚まさせて。そして、言ってやりましょう、リルミリアさん。……安心した。勇者でも、そういうところがあるんだな、って」
「あははははははははははははっ!!!!」
哄笑が空を打つ。
笑い転げるあまり、天使が空中で回っている。
「これだから! これだから人間は! ねえ、知らないの!? 絶対に不可能なこと、決してありえないことを約束するものではないわ、不心得者! そんなことをすればするほど、罪は重くなり、魂は穢れ、苦しむだけだとわからないのかしら!」
【勇者】の血筋。
かつて魔王討伐の為に、天界と交わした”光の契約”、魂と肉体を清められた人間への影響は、百年を経て、世代を重ねていようとも、無効になどなってはいない。
その証拠に、【天界存在】に接触しただけで、一目会った瞬間に、現代のアレンはたちまち掌握されてしまった。
契約が再び結び直されたことで、今の彼は、初代アレンに勝るとも劣らないほどの、全盛期の状態にあり、
「頭が高いわ、地虫」
天使の指先、放たれた光線が、カズタモ――ズモカッタの頬を、掠めて焼いた。
身じろぎすらできない。今、狙われたのが眉間でなかったのは単に気まぐれ、慈悲とは呼ぶべくもない、“弄んで楽しもう”“過ぎた口を公開させよう”という楽しみが故である。
「ねえ。今、あなたたちが敵対しているのは何かしら? そう、“天使”と“勇者”ね。かつて、人類が、人類のみでは対抗し得なかった存在である魔族を駆除した、地界全土の森羅万象、それに勝る上位種であり天上種なの。これに逆らうことは無為であると、秩序的に考えなさい?」
「ええ、どうにもまったく、困ったことにそのようで。【天界の光輝】に満ちたこの領域で、畏れ多くも天使様に、我等が勝てる道理などほんの一部もありえない」
「ふ。なんだ、順序立てて説明してやれば理解する頭を持っているのね。いいではないの、そこのメガネ。私、身の程を理解出来る相手には寛容よ。いい気分だわ! 興奮してきた! そこに這い蹲って着ているものを、」
「ですから、逆に」
「え?」
「人間界らしく、無秩序に。混沌的に、掻き乱しましょう」
ズモカッタが、頬の傷を指で拭いながら、不敵に言い放った、その時だった。
「ウォーーーーーーーーアーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
頂上までの登山道、体力温存の為に楽な道を選んでいた、リルミリアとズモカッタに遅れ――木陰にまぎれ上空からは見えないルートで、時間をかけて登ってきていた、そのとっておきが追いついたのは。
「なんてラブリーな日だ! 余を見ろ! ここにいる余を見よ、勇者・アレェエエェエエエエエエンッ!!!!」
「な、ぁっ!?」
ドゥヴィキエルが驚いたのは、現れたその女――先程、アレンと共に山頂までやってきていた金髪少女が、どこぞの荒野の部族のような、冬眠中のヘルグリズリーですら二度見するような、嫌でも目を引く格好、奇抜極まる装飾品でがちがちに身を固めていたから、
以上に。
「ちょっ、え、え、えええええっ!? も、戻りなさい、何をやっているのです、アレンッ!?」
その声を聞いた――ドゥヴィキエルの支配下にあるはずのアレンが、ぐるりとそちらを向き、手に光の剣を出現させながら、一目散に駆け出したからであった。
「うおおおおおぉあああああああめっちゃ来ためっちゃ来たマジで来とる早っえええええええぇえええっ!?」
「グッドジョブ! グッドラック! クララ・ウィンウッドッ!」
サムズアップで健闘を祈るズモカッタのことなど見ていない、そんな余裕は一切無い。
山頂のシリアスシーンに闖入してきた未知の部族はすぐさま反転回れ右、山林の中へと逃走して消えた。
――それを追う、アレンと共に。
「ど、ど、どうして、私が命じてもいないのに、こんなこと、秩序的にありえない……!?」
「ははははは。はてさて、なんででしょうねえ」
余裕が消え、現れる困惑、苛立ち。
そんな視線を受けながら、ズモカッタは飄々と肩を竦め、
「普段なら、“せんし”の彼なら、別にそうでもないんでしょうが。天使に無理矢理、“勇者”の契約を目覚めさせられてしまったアレン様だと――もしかしたらもしかして、何か、“宿命的に引き寄せられるなにか”でも、感じてしまったのかもしれなかったり、して」
「――――ッ!」
「おっと」
再び。
今度は威嚇でも遊びでもなく、眉間に向けて放たれた光線を――ズモカッタは、避けた。
放たれる前に、動くことで。
「どうですかねえ、そういうのは。貴女、ちょっとばかりわかり易すぎだ。余裕が剥げたら優雅が消える。屈辱の後には即応報。こう素直だと、行動が読めてならない。天界暮らしだと仕方ないんでしょうが、いっそつまらないくらいに昔から変わってませんね――ドゥヴィキエル・エリラ・ヴォリロ・フルットン?」
「――――あなた。どうして、その名を。人間界では、教会にさえ、残していないはずなのに」
「はい、当然、教えませんけど? 精々悩んで気にして迷って、睡眠時間を減らしてください。――っくふ、格下とさえ思ってなかった相手に、嘲弄されるというのはどんな気分ですか? ああこれは駄目ですね、悪い癖が出てしまった、仮面を被っていないとどうにも、感情の抑えがきかない。玩具遊びに夢中になる。ちょろそうな相手がいると、ついつい何もかも放り出してからかいたくなってしまう!」
「ッ! き、さ、まぁぁあぁああぁあぁッ!!!!」
両手、両指、十指に光。
こざかしい回避など通じない数と範囲、天使の口は激昂に燃え、その目は今すぐ裁かねばならない相手に照準を合わせ、
「ほんとによ」
おかげで。
侮ったものを、取り零した。
「ガチちょろいじゃん、おまえ」
創られた、隙。
奪われた注意力のせいで、気付いていなかった。
ヴィングラウドが現れ、そちらを向いた時、取るに足らない、嬲って遊ぶだけだった少女が、
リルミリアが、記念碑の裏から、回り込んできていたのを。
よじ登り、
飛び下りてきたのを!
「よい――っしょおッ!」
「うぅっ、ぐぁぁっ!?」
身をかわす。
間に合わない。
右の翼が杖に打たれ、傷は負わずとも、揺らされ、バランスを崩して転落する。
「こ、こ、この、ちょろちょろと隠れてっ……!」
「は。何それ今更、そっちがぼくのこと、ドブネズミだとか言ってたくせに」
「御見事! 作戦、大成功! 見事、リルミリア様! ――では、私は」
「うん」
「ッおおおぉおおおぉおおおッ!!!!」
怒りと共に放たれた光線を――リルミリアは、その杖で地面を突くと同時に湧きだした、“黒い闇の壁”で、弾き飛ばさせられながらも凌ぐ。
「あのなっさけないヒーロー、助けにいって、カズタモさん。一人で”勇者”に追われたんじゃあ、さすがにどーにもなんないだろ」
「お言葉に甘えまして。あなたも、御武運を」
「……あんがと。ま、ほどほどにがんばっとく。前線に出るのって、どう考えても、【魔法使い】の役割じゃあないからね」
優雅に一礼をし、ヴィングラウドの後を追うよう、斜面を駆け下りていくズモカッタ。
そうして此処には、人間一人と天使一体。
「さぁ、てっ、とっ」
ひきこもりの、ダウナー気味の、若干コミュ障の気もあり、陰気と不吉の雰囲気を常日頃纏う混沌属性魔法使いは、
――――にひ、と。
自分で出来る限り、精一杯、明るく、元気よく、不器用にでも前向きに、何より、
己を奮い立たせるように、笑って。
「そんじゃま戦闘ろうぜ、光属性。あんたみたいな、レア中のレアもの、ひとりで倒しちゃったら――ぼく、あのにいちゃんより、一日でレベル勝っちゃっうんじゃない?」
ひどくジットリと、見栄を切った。




