4-08/魔王様、ヘンタイする
【4】
「えぇっ!? あ、アレンさん、持ってらっしゃらないんですか!? PCも、スマホも!?」
何日振りかの家屋、まっとうな椅子に座った金髪少女が腹の底から、“そんなはずはない”というニュアンスを混ぜた声を発する。
……先の出逢いの後。
ヴィングラウドとズモカッタは野盗団を荷馬車に積み、近隣のディパメナイア王立魔導警備隊に引き渡すべく、「二人だけに任せるのは危ないし」と同行を申し出たアレンと共に最寄りの警備隊詰所のある場所へ訪れていた。
偶然にも、アレンが住んでいる――そして、二人の旅の目的地である山、“輝ける峰”アウラルバの麓、【ゆうしゃの里】ゼーノ村へと。
「はは。やっぱり珍しいよね。現代では確か、ああいうベンリな魔法端末の普及率は、十代・二十代若者だと七割を超えてたりするんだっけ?」
「今年のディパメナイア魔導連盟による調査では、76.5%。人間界の四人に三人は、何らかの形で賢者ギルドの構築したマナ・ネットワーク・サービスを利用している、との統計が出ておりますね」
村の道具屋で素材を換金、ついでに買ってきたゼーノ村特産品のアウラル山羊のハムとチーズを持った皿を台所から運びながら、ズモカッタが補足する。
「もうそんなにも広まってるんだ。僕が子供のころ、最初にスマホが発明されて市場に並んだ時は、そんなに使ってる人も見なかったのに。いやいや、世間の流れってのは、中々どうして早いねえ」
「……ちなみに。アレンさんは、どうして魔法端末をお持ちになられないので?」
「んー。とても便利なのはわかるし、最近は昔みたいに、高級品ってわけじゃ必ずしもないのだって知ってるんだけどね。なんだか、うん、それでも気が乗らなくてさ」
「気が乗らない?」
「僕、魔法は昔っからどうにも苦手で疎いし、いまいち、世間で何が起こってるのか、とかにそんな興味が持てなくって。自分が自分で出来ることを追っかけたり、身の回りのことだけを見てるのでもう手一杯、っていうかさ。あはは」
「これはこれは。まるで隠遁者のようなことを仰いますね、アレン様は」
「いやあ。何度かそっちの“本物”の人たちとも話したことあるけど、あんな智賢は僕にはありませんよ、カズタモさん。自分で言うのも何だけど、ほら、僕、職業も力仕事一辺倒ですし」
失礼、とズモカッタがスマホを向ける。
起動させているのは、いわゆるステータス読み取りアプリ――同意のある相手から、その人の簡易情報を読み取って表示させることが出来る、各人にクエストを発注する冒険者ギルドなどでも愛用されているシロモノだ。
「謙遜なされることはない。【せんし/レベル39】――ニ十歳でこれだけのレベルは、相当に稀有でしょう。伸びしろも期待出来る。魔法使いの勢力が強いディパメナイアではなく、他の大陸に行けば、王立騎士団支部長でも、貴族抱えの懐刀にでも、引っ張りだこの用心棒にでもなれると思いますがね」
「レベルなんて、手が空いた時や、野良仕事の合間に鍛練してたら上がっただけですよ。何せ、他にやることも無い、娯楽が少ない、のんびりした村なので。まあ、そういうところが気に入ってるんですけど」
「この大陸も、ゼーノ村も出るつもりはないと」
「冒険なんて、僕の柄じゃありませんから。三大陸を渡り歩き、全種族の王と会い、最後には魔界にまで向かったような、根っからの冒険者――初代アレンとは違ってね」
生まれ持った日々の営み。
繰り返す穏やかな暮らし。
そういうささやかなものに満足しているんです、と、アレンは食卓に、大皿に乗せた山羊肉を運んでくる。
「ですから、ええ、喜んでお引き受けしますよ。普段はあまり入らないんですが、参拝者のガイドも僕の仕事のひとつなので」
「助かります。そちらもですが、本日はこうして宿泊させて頂き、食事まで振舞ってもらって、なんとお礼を言っていいやら」
「どうかお気になさらずに。ほら、こういう生活をしてると、知り合いや友人もあまり増えなくって。こちらこそ久々に、御客人をもてなす、ということを楽しませてもらっていますよ。――ただ、そうですね。先程はああいいましたが、せっかくの機会だ。旅行記を映像に納められているお二人の、旅の話なんかを聞かせて貰えれば、嬉しいな」
一夜を話し明かしても尽きないような、豪勢なメニューが食卓に所狭しと並べられていく。
その仕草にも表情にも、心なしかわくわくしている様子にも、一点の染みさえ見られない。
これぞ、勇者。
直接交流したなら誰もが確信するであろう、万人をナチュラルに惹きつけてやまない人間力。
「……………………」
それを見ながら、しかし。
決して毒されない、禍々しき視線がひとつ。
「――その。ところで、カズタモさん」
「なんでしょう、アレン様」
「あの子、クララちゃん……どうして僕のこと、しきりに睨んでらっしゃるんでしょう……? もしかして何か、気付かないうちに、いけないことでもしちゃっていたとか……?」
「大丈夫です。あの子、“勇者の子孫”とかそういうのに、ちょっと敏感なお年頃ってだけですので。ここは大人の、いや勇者の余裕を見せて、どっしり受け止めてあげてください」
「うう……わ、わかりました……頂いたお仕事が終わるまでには仲良くなれるよう、僕、せいいっぱいがんばります……!」
むん、と手を握るアレンの決意を余所に、クララ――こと、666代魔王は、煮詰まりに煮詰まった不審と敵意を隠しもせず、
「――スマホもPCも持ってねえわけあるか……あのクソリプはじゃあ虚空の彼方から余のアカウントにブッこまれたってか……その善人フェイス、シェイプシフターの皮、必ずや剥がしてやるから待っておけよエセ光の勇者………!」
こちらでも、濁った決意が堅く誓われているのだった。
★☆★☆★☆★☆
出発は明朝、日の出の頃に。
今夜は早めにゆっくり休んで、体力を回復しておきましょう――と、宴は案外早めに終了したのだが、
「……そうは、いかないんですわぁ……」
家中が寝静まった深夜、寝室として割り触れられた二階の寝床を抜け出す影あり。
誰あろう。
考えるまでもない。
闇に隠れて動き、夜更かしして悪だくみを行う者など、魔王と相場が決まっている。
「クックック、しめしめ、油断しおってからに。肝心な部分で甘いんじゃよな、そういうとこだぞ人間めが……」
抜き足差し足忍び足、アレンの眠る部屋の隣をそっと抜け、階段を降りていくヴィングラウド。
「明日、用を済ませばもうこの家には戻ってこぬ……つまり、チャンスは今夜きり……なんとしても、奴の弱みに繋がる何かを掴むのだ……!」
呪わば呪え運命を、よりにもよって他でもない魔王を招いた失態を、とほくそ笑む金髪寝間着少女。
現在進行形でお世話になった人、すわ野盗団に賢者用達禁断魔導書展開に持ち込まれようとした窮地を助けてくれた恩人の家で躊躇なく、罪悪感すらなく家捜しを実行しようとするこの精神、これぞ魔王ではないか。
「いくら奴が光属性ぶろうとも、こちとらにはあるんじゃからね確かな証拠が、積み重ねられた記録が……! ならば絶対に、叩けば埃が出るはず……余が思うに、ツボの中とかタンスの中とか調べればバンバンウホッホ見つかるじゃろ人間界的に考えて……!」
“民家の中にはそれとなく・案外わかりやすくお役立ちアイテムが配置されている”という歴代魔王たちがしたためた、人間界研究の若干古くて誤った知識が炸裂しないでもいいところで炸裂する。冴えていないようで冴えてる、でもちょっと気の毒な魔王が、万が一のためにしているタオルのほっかむりの下、己が勝利を確信した笑みを浮かべた。
「さてさて拝ませてもらおうではないか……我が覇道の糧とさせてもらおうではないか……勇者の子孫とはいえ逃れられかった、決して切り離せぬ宿業たる、人間の闇というやつをなぁ……フフッ、フフハッ、フフフフフハハハハハハアフフフ……!」
予期せずして舞い込んだ、積年のライバル・勇者アレン打倒のチャンスに興奮極まり、小さく高笑いをかましながら階段を降り切ったヴィングラウドは、
「――――ん?」
ふと。
寝静まったはずの家で、ぼうとした、淡い光に気が付いた。
「……はて、面妖な」
つまり。
これこそ、この夜こそ、彼女の、いや、世界の命運を分ける。
魔王の魔王たる邪悪、明日早起きしなければならないのにこっそり夜更かしをキメた悪辣なる精神と、そして何より、自らが底無しの闇の体現であるからこそ“光”を見過ごせない、ある種の好奇心が、
その瞬間に、ヴィングラウドを導いていく。
「え」
誘蛾の如く吸い寄せられ、辿り着いたのは、台所。
そこに、いた。
明るさの正体は、今や一家に一台が当たり前、氷結魔法で食料を保存する魔法氷室が開かれた中からの光で。
その前に、うずくまるようにして。
無造作に、不気味に、奇妙に長い、長い、身の丈より長い、【不吉の朝焼け】の黒く青みがかった紫と、呪祖の沼地に生える千年苔の緑を混ぜたような色の髪を、床を侵食するように垂れ流した、何かが。
がつがつ、がつがつ、がつがつ、と。
「あ、」
足が、勝手に。
一歩、後退る。
踵が壁に当たり、音で、振り向いた。
それは、冥界の死神に似た眼。髑髏を思わせる白き肌。
赤く染まる口元、糸を引く粘液、裂ける唇、歯が覗く。
細く長い指が、何かの果実を、握り潰して種が飛んだ。
ああ。
なんて、呪わしい。
「 み た な 」
「 可 愛 い 」
言葉が交錯し、そして、先に喋った相手の方が、先に根負けした。
眉を寄せた。
「…………あ?」
「ちょっ……待って、こんなのダメ……ヤバい……ツボ、ツボすぎる…………ムリ、しんどい、えぇえぇええぇ……ありがとうございますぅ……」
魔法氷室の光を受けながら、顔がみるみる、紅潮していく。
傍から見ても誰もが本気だとわかる、心の底からの感動に、666代魔王が打ち震え。
「…………おまえ。もしかして、ヘンタイ?」
いっそ、そちら側こそが常識的に。
突然に注がれた、完全に予期していなかったのであろう熱視線に、不吉を煮詰めた容貌の少女が、ドン引きしながら尋ねた。
★☆★☆★☆★☆
「……おぉぉっ!? お、ふぉっふっふっは、来た! ここで来た、このタイミングでおいでなさった、315代魔王・ゴイサゴイサ様! この瞬間を待っていた! 勝つ! これは絶対しのげまい! くらえ、必殺、ゴイサアビスーーーー!」
「クソ技乙」
「にゃあにぃぇーーーーーーーっ!?」
――広い世代で根強い人気を誇るスマホ用アプリゲーム、魔王キャッスルバトル。
白熱したローカル対戦、その幕切れは――【ゴイサアビス返し】で決着した。
誰もが奈落に落とされるはずの斜面、踏み止まった100代魔王は後手に圧力を掛け、哀れ、ヴィングラウドの置いた魔王が、成すすべなく地の底へ吸い込まれていく――
「は!? え!? な、な、なして!? ゴイサアビスは、魔王キャッスルバトルにおける必殺の詰み配置【魔王技】のひとつであって、」
「それ。情報、古い」
「んみぃ!?」
「昨日のアプデで、修正が入った。従来の【魔王技】は、一部を残して大幅に刷新。このゲームは、新しい理不尽と、不条理に進化してる」
「き、貴様、このゲームやりこんでいるなッ!?」
「ちっちっち」
ベッドにうつ伏せに寝転がった姿勢で、長々髪の少女は指を振り、
「これ、ぼくが開発したアプリ」
「――――なっ、ま、まさか、」
見せられる。
鼻先に突き付けられたスマホには、開発者本人であることを示す、ゲーム内IDのNo.0(ゼロナンバー)。
「いえす。あいあむ、創造主」
「なあぁあああぁあぁっ!? ず、ずっりぃいいいいーーーーーーーーっ! というか、え、すっごい! そなたが創っとったのか、この神ゲー!? お、お、うぉおおおお、その節は大変お世話になりましたぁあぁあああああああっ!」
床からベッドに乗り上げ、そのシーツでも被っているみたいな長い髪をわしゃわしゃしようとするも、おそるべき手さばきによりペペペペペペペ、と弾かれる。
「さ、遊んであげただろ。ぼくが勝ったし、タッチはおあずけ。約束通り、帰って寝ろ。こっちもそうヒマじゃないんだ」
「ぬ、ぐ、ぐ、ぐぎぎぎぎぃ……仕方ないか、約束は約束だものな……!」
歯を食い縛り、目から血を流さんばかりの勢いで悔しがるヴィングラウド。
「……のぅ」
「はいはい」
「触るのは諦めたし、もうちゃんと帰るから。あ、あと一分だけ、見ていさせてもらえぬか?」
「――――嫌、と、いいたいところだけど。下手に断ると。ヤケにでもなりそうな顔してるよな、おまえ」
不承不承、といった具合に。
彼女は自分のスマホのほうに視線を落としながら、
「つまみ食いの口止め料、払ってやる。ぼくは用事をやってるから、勝手に眺めて納得しろ」
「――――――――ッ!」
風を切る音さえ聴こえる激しい頷きと、対照的な溜息。
そうして、あまりにも温度差の激しい一分間が始まる。
「うぅぅ、やっぱりいい、すっごい惹かれる、この全部――髪の色、肌の質感、ぞくぞくするような不吉さがもッ最高……ありがたい……ありがたみしかない……余の好みにドンピシャだよぉ……」
ふんすふんすと荒い鼻息が触れそうな距離での様々な角度からの嘗め回すようなガン見、それをされている本人は実に涼しい顔で、すいすいとスマホをいじっている。
――少女同士であるとはいえ、もしも人に見られたら、色々とアウトな絵面に間違いなかった。
「…………はい、一分。顔上げて。さっさと離れろ。大声出すぞ」
「ぐぅぅぅぅっ、時間の流れ早すぎるぅっ……!」
名残惜しさを引き剥がすように顔を離すヴィングラウド。気がつけば涎すら出そうになり、慌ててぬぐい取っている。
「満足……は、してないな、そのだらしない顔つきだと。でもダメ。もうイヤ。これ以上は、おあずけ。残念でした」
仰向けになりながら、両腕で示されるバッテンマーク。
残念さを吐き出すような溜息で、きっぱりと吹っ切るように、
「……うむ! 確かに残念至極極まる、しかし、満足はし切れずとも実に嬉しい、楽しく素敵な時間であった! 心より礼を言おう、麗しき少女よ!」
ではなおやすみ! と踵を返したヴィングラウドに、
「なあ」
背中から、声が掛かる。
後ろに、去ろうとした影に、何かが投げつけられたような音。
「ほんとうにおかしくて、奇妙なやつ。何も聴いたりしないんだな――こんな部屋に入ったのに」
――先程の、遭遇。
逃げ出した長々髪の少女は、“何もない廊下の突き当り”に、“扉を出現させて逃げ込んだ”。
ヴィングラウドはそれを追い、開けられた扉に便乗する形で中へ入ったからよかったものの、空間か認識への干渉に類する術式が作用、普通は知覚することも入ることも出来ない領域であったことに疑いようもなく。
しかも、窓の無い部屋は、そこかしこに、足の踏み場も無いほど散らかっている――見るものが見れば即座に卒倒する呪われた異本、地域によっては所持だけで罪となる植物類、取り扱い要注意の魔獣素材、壁一面に設置された夥しい数の魔法端末、そういったもので溢れかえった空間を、
「ありえない。変わってるを通り越して、異常だろ。ぼくに対して、“かわいい”なんて。――きもちわるいって、思わないとか」
己の巣としている、不吉と邪悪を煮詰めたような陰の気を纏う少女が――誰もが目を見張る、金の髪と赤い瞳の美少女を、俯いた顔で、覗き込むように、皮肉で染まった声で罵倒する。
「知ってるぞ。心の中では、ばかにしてるんだろ。あたりまえだよな、こんなぼく」
少女が寝転がっている、ベッドの下で。
何かが動いた、気配があった。
「心にもない言葉でおだてて。その気になったところを、笑いのめしにきたんだろ」
錆び付いた歯車の軋み、年老いた狼の歯ぎしり、嵐にざわめく枯れた木の葉、それらを混ぜた不気味な音が、誰も見ていない、何一つ確定できない“闇”の中でざわざわと混ざり、絡まり、次第、次第に、どこかから近づいてくる。
「ぼく。からかわれるのが、一番嫌い。そんなやつ、なくなっちゃえばいいって思う」
少女の目の奥、肥大した苛立ちと嫌悪感が、臨界を超え、ついに、破裂しようとした、
寸前で。
「ん」
振り向いて、歩み寄って、わずかに屈んで。
ヴィングラウドが、その額に口付けていた。
「……………………え、」
「幾度驚かされてきたが、こう呆れたのは初めてだ。愛いものを愛いと感じるのにも、誰かと違ってはならぬのか、人間界は?」
「――――」
「名も。理由も。その口が語りたくないないことを、何故に語らす無粋があろうか。一緒に遊んで、楽しかった。それ以外、何一つどうでもいい。己をいかに卑下しようとも――我が心にとって、そなたはとうに価値ある華だ、紫の君。姿も、心も、在り方も、な」
背を向ける。
扉を出る。
遠ざかっていく足音は階段を上り、自身の寝床へ帰っていく――本来、部屋を抜けだした目的も、今の気分を害するならば無用であると思い直して。
残された部屋の主は、呆然自失の状態から回復するまでに暫しの時間を要し、それから、先程口付けられた額をそっとなぞり、今更ながらその白い顔を紅潮させ、
「――――趣味も、理屈もおかしい。やっぱりあいつ、ヘンタイだ」
呟いて、思い切り枕に顔を埋めた。




