2日目 (2)
テーブルを五人の男が囲んでいる。離れたソファーには金子が一人で腰掛け、文庫本に視線を落としている。
「これからの行動について指示もないんですよね?」
ナベの問いに、松本がゆっくりと頷く。
テルテルが起きてきて三人で談笑していると松本が二階から下りてきて、その十五分ほど後でセバタが現れた。こうして五人の男が一階に揃ったのが、午前八時前だ。
「まだここへいらっしゃらない方を起こす必要もありません。イベントの内容はこちらで用意してありますので、皆様は推理だけに集中して頂ければ」
「用意ってことは、人工的な謎なんですね」
「これ以上は、私の口からは何とも」
「麻郎さんは部屋で休んでいるんですか?」
昨日とは打って変わり、ナベが会話の主導権を握っている。これが彼の作戦なのかもしれない。
「はい。体調が優れないそうで。今朝も様子を伺いましたが、ベッドで横になっていれば問題ないかと」
「となると、あとはヤマケンとエーツーか」
セバタが二階の廊下を見上げる。二人の部屋の扉が開くことはなかった。
「申し上げにくいのですが、皆様に御連絡がございます」
松本の言葉に、全員が彼に注目した。ソファーで読書していた金子までがこちらの様子を伺っている。
「昨晩、エーツー様よりお話がございまして」
「なんて?」
セバタの気楽な声が響く。
「午後十時すぎだったと記憶しております。私の部屋を訪ねられておっしゃるのです」
「だからなんて?」
もったいぶった松本の言い方に、セバタだけでなくボクたち全員がイラついていた。自分から切り出しておいて、何を言い渋っているのか。
「『この建物から出る方法がわかった』と、エーツー様がおっしゃったのです」
「・・え!」
急に場の雰囲気が変わった。現実に戻されたように頭が回転し始めた。
「どうやって扉を開けるんです?」
ナベの問いに、松本は首を振った。
「方法は口にされませんでした。単に、方法がわかったとだけ」
「それでどうしたんです?」
今度はセバタの番だ。
「建物から出る方法がわかったところで、このイベントを解決したことにはなりません。ですから、エーツー様にはそうお伝えしました」
「どうしてエーツーさんはそれを話したんだろう」
テルテルの呟きに、セバタが勢いよく立ち上がった。
「本人に訊こう。エーツーの言葉が本当なら、こんな時間までぐっすり眠っているはずない」
セバタが一人で歩き出し、少し遅れてボクたちも彼に続いた。
エスカレーターではない方の階段を上がる。判断が早かったくせに、セバタの足取りはゆっくりだった。意外と緊張しているのかもしれない。二階に出て廊下を半時計周りに進む。エーツーの部屋である四号室は、どちらの階段からも中途半端な位置にある。
「エーツーさん! 起きてますか?」
セバタがノックしながら声を掛ける。ボクたちは後ろで待機しながら、部屋の中からの返事を待った。松本は一階に残っている。見下ろすと、不安そうにこちらを眺めているのがわかった。
「エーツーさーん。出てきてもらえません?」
再度の呼びかけにも返事はなかった。我慢ができない様子でセバタがドアノブを掴み、勢いよく扉を開けた。そう、開いてしまったのだ。
「おぉ・・!」
まさか開くとは思っていなかったのか、自分の勢いでセバタが転びそうになった。部屋の中の照明は消えていて、エーツーがいるのかすらわからなかった。
「入りますよー」
セバタを先頭にして、ナベ、ボク、テルテルが続く。壁際のスイッチで明かりが点き、部屋の中の様子を確認できるようになった。
「エーツーさん?」
通路を進み、奥の部屋へ入ったセバタの声は、どこか不安げに聞こえた。
「いますか?」
ナベの声に返事はなかった。そして、その意味はすぐにわかった。
「いない・・」
奥の部屋にエーツーの姿はなかった。急いで通路へと戻り、トイレと洗面所を確認する。
「こっちにもいません!」
「クローゼットは?」
セバタが言うと同時にテルテルがクローゼットの扉を開けた。
「いませんね」
振り返ったテルテルの顔は、これまで以上に青ざめていた。
「まさか、建物から出たのか?」
ナベの声がむなしく響く。全員が部屋の中で立ち尽くしていた。
「エーツー様はいらっしゃいましたか?」
廊下へ出ると、待ち構えていたように松本がいた。
「いません。少なくともこの部屋には」
「他の部屋も確認してみますか?」
「私たちの部屋にはいないだろうから、空室だけ見てきましょう」
ナベが歩き出し、廊下を進んでいく。空室である一号室は、松本、麻郎の部屋の前を通り過ぎた先にある。
「カギは?」
「開いております」
松本がすぐに答える。その言葉の通り、ナベが取手を押すと扉は簡単に開いた。
ナベが先頭で部屋へ入り、明かりを点ける。セバタがそれに続き、ボクとテルテルは廊下から中の様子を伺っていた。それと同時に、一階フロアを見下ろしておく。全員が二階に集中している間に、エーツーがこっそり移動しているかもしれないと思ったからだ。それでも、ソファーに座ってこちらを見上げる金子の姿しかなかった。
「ここにもいません。確認してみて下さい」
部屋から出てきたナベが言う。一応ボクとテルテルも中へ入ってみたものの、報告通り、部屋の中には誰もいなかった。人が生活していた痕跡すらなかった。
「これって、そういうこと?」
セバタが独り言のように呟く。まさに、ボクたち全員の気持ちを代弁していた。
「そうだ、ヤマケンさんは? 様子を見に行きませんか?」
ナベの提案で、ボクたちはヤマケンの部屋を訪ねることにした。エーツーと同様、ヤマケンも姿を消している可能性はある。早いうちに確認しておくのが吉だろう。ヤマケンの部屋である五号室はエーツーの隣、つまり、来た道を戻ることになる。全員で廊下を進みながら、その足取りはどこか焦っているようにも感じられた。
「ヤマケンさーん、起きてますか?」
先程と同じようにセバタが声を掛ける。今度はすぐにドアノブを掴み、ゆっくりと扉を押す。先程のデジャヴかと思うくらいに、やはり扉は開かれた。全員で部屋の中へ入ると、すぐに得体の知れない違和感を感じた。
「臭くね?」
部屋の明かりをつけながらセバタが言う。彼の言う通り、ひどく生臭いニオイがしている。まるで、何かが腐っているような。
セバタが奥の部屋へと進む。ボクたちがトイレと洗面所を確認しようとした―――その瞬間だった。
「うわああああ!」
「どうした!?」
奥からセバタの叫び声が聞こえ、ナベがすぐに反応した。ボクがトイレを覗き込みかけた顔を戻した瞬間、その様子が視界の端に入った。
「ヤマケンさん!」
わけもわからず奥へと急ぐと、ナベが床に倒れたヤマケンに声を掛けていた。そして、状況は理解できないけれど、彼らの叫び声の意味はわかった。瞬時にわかってしまうほど、この部屋の異様さは明らかだったからだ。
「ヤマケンさんから離れて!」
すぐ側から聞こえてきた声がテルテルのものだと気付くまで、二秒ほど時間を要した。彼がこんなにも大きな声を出すのを初めて聞いた。
「不用意に触れてはダメです、たぶん。とにかく―――一旦離れて下さい・・」
怒鳴るような迫力はないものの、テルテルの声にはしっかりとした意志があった。それだけに、ボクたちは誰も動けずにいた。全員がこの部屋の状況に圧倒されていた。
なぜ、こんなことが起きてしまったのか・・。
部屋の中央で仰向けになって倒れているヤマケン。その顔に生気はなく、死亡していることは明らかだった。そして、彼の体から切り離された右腕が、はっきりと存在を主張しているのが不気味だった。