後日 (7)
松本との約束の場所は、彼の住む一軒家だった。正直、一軒家という言葉ではふさわしくないように思う。平民からしたら別荘にしか見えない。庭には鯉の泳ぐ池があって、整備された並木道もある。
麻郎が亡くなってからというもの、松本はその家で一人で生活しているらしい。仕える相手がいなくなっても、格内麻郎の側で仕事を続けていくということか。―――あくまでも表向きは、だけれど。
ここへ来る前に金子とも話すことができた。ボクが辿り着いた真実を彼女に伝えても、具体的なコメントはもらえなかった。『仮説としては面白いと思います』それだけだった。でも、改めて言葉にしてみて気付いた。これは間違いなく真実であると。だからこそ松本に連絡をし、今日の機会を設けてもらった。
「お待たせ致しました」
松本が湯飲みを二つ食卓に置く。丁寧な仕草から、彼が全く動揺していないことが伝わってくる。金子はボクが話した内容を彼に伝えていないのかもしれない。もし知っていてこんな態度をとれているのなら、これからの勝負に勝てる気がしない。頼むから、今はまだ油断しておいて欲しい。
「それで、お話というのは」
正面の席に腰掛け、松本が余裕たっぷりの顔で言う。ボクだって、もう失うものはない。間違っていたらごめんなさいと言うだけだ。当たって砕けろの精神で挑もう。
「浅原はまだ逮捕されませんね。うまいこと逃げているのか」
「えぇ。五人も手にかけたのですから、逮捕されれば死刑は免れないでしょう。そうでなければ麻郎様も浮かばれません」
「事件は一応解決して、あとは埋もれた人たちを掘り起こすだけ。それはまだ当分掛かりそうですね」
松本がゆっくりと頷き、両手で湯飲みを持ち上げる。出されたのは、夏だというのに温かいお茶だった。それがなんとも彼らしいと思う。
「唯一、疑問に残っていたことがあるんです。警察でも話しましたが、どうして犯人は四人の手脚を切り離したのか」
「確かに、それだけはわからないままですね」
「友人に相談してみたんです。麻耶子とも親しかった女性で、悔しいけれど頭のキレるやつなんです。そしたら、なかなか面白いことを言ってくれました」
松本の様子を伺う。彼はボクが何を言うのか楽しみにするように、僅かに頬が上がっている。
「別の話をしていたときなんですが。ボクと麻耶子の関係は最初から始まっていなかったんじゃないかって。いつまでも麻耶子に拘っているボクに嫌気がさしたんでしょう」
「鍛冶様、焦らすような言い方でございますね」
松本の微笑みが全てを物語っていた。彼は気付いている。ボクがあの事件の真相に辿り着いたことに。
「こうなったら焦らしますよ。散々騙されてきましたから」
相変わらず松本は微笑んだままだ。
「それで、考えたんです。あの場所で起きた事件のこととか、麻耶子の身に起きたこととか。松本さんが教えてくれるまで、麻耶子と浅原が会っていたなんて知らなかったんです。それをわざわざ教えてくれたというのも、おかしいと考えるきっかけになりました」
「麻耶子様の恋人ですから、鍛冶様にも知る権利はあるかと思いまして」
「極めつけは、さっき言ったようにある女性の言葉です。『最初からなかったんじゃないの』って。全部をひっくり返して考えると、あの事件は別の見方ができることに気付きました」
「鍛冶様」
穏やかに口元を緩ませ、松本が静かに口を開く。
「全て、理解されているのですね?」
「はい」
松本が安堵したように瞼を閉じた。そのまま嬉しそうに頬が動き、ゆっくりと頷いた。
なんと穏やかな対決だろうと思う。目の前にいるのは殺人犯だし、この建物にはもう一人いるのだろう。出されたお茶には毒が入っている可能性だってある。それなのに、ボクにはこれっぽっちも恐れる気持ちはなかった。死ぬことなんて怖くないからか。
「麻郎さんは生きているんですよね?」
目を閉じたままの松本が、堪え切れなかったように体を震わせる。そのまま体を揺らし、歯を見せて笑った。
「お見事です」
その言葉が、ボクが正解したことを知らせてくれた。それと同時に、松本が全てを認めたことにもなる。彼は今、あの建物での秘密を隠すことをやめたのだ。
「どうして気付かれたのですか? 先程おっしゃっていた言葉だけですか?」
「まぁ色々ありまして。やっぱり一番不思議だったのは、被害者の手脚が切断されていたことでした。あの場所から脱出した後でも、そこだけは理解できなかった。普通に考えればあんなことをする必要がないからです」
「そうですね」
「でも、犯人にとってはそうする必要があったんです。『全ての現象には理由がある、そうなるべくして起こる』学生時代に友人から言われた言葉です」
「素敵な御友人をお持ちですね」
認めたくはないものの、今は瀬尾に感謝するしかない。
「切断する必要があった、でも切断した後は何もしていない。ここには矛盾があるように感じます。でも、切ることだけが目的だったと考えれば答えは見えてくる。犯人はとある(・・・)仕掛けを残したんです。遺体を発見した者に対し、『被害者は腕や脚を切断された』と思わせるための」
静かな部屋だった。松本は柔らかな表情をしたまま、ボクを見つめて動かない。肯定も否定もせず、ボクの言葉を受け止めている。
「その理由としてふさわしいのはひとつしかない。被害者は元々、『五体不満足』だったからです」
部屋の中を風が舞った気がした。そんなはずはないのに、空気が揺れたように感じたのだ。それくらい、僅かな気配にすら敏感になっていた。
「―――お見事です」
ようやく松本が口を開き、肩の力を抜いたように見えた。
「四人ともですよね?」
「はい。彼らはみな、腕や脚が一本ずつ足りておりませんでした。生まれつきの方もいれば、事故で失った方もいるようです」
やはりそうだった。これで全てが繋がる。彼らに対する些細な不安も全て、今なら説明することができる。
ヤマケンとテルテル、彼らは片腕ずつ欠けていた。普段はおそらく義手をつけていたはずだ。記憶を呼び覚ましてみると、彼らが義手側の腕を使っているところを見なかった。簡単な動作はできるとしても、力仕事はできないと思う。テルテルの料理の食べ方が不自然だったのもそのせいだ。彼には右腕一本しかなかったからだ。
セバタとナベ、二人は片脚を欠いていた。セバタはあんな性格をしていながら動作がゆっくりだったし、階段を下りるときも慎重だった。そして二人とも、一度だって走っていない。義足をつけていたとしても、走ってしまえば違和感を与えてしまう。走ることができなかったのだ。
また、テルテルの部屋の扉を破壊しようとした際のこと。階段に一番近かったのはセバタなのに、彼は一階にある工具箱を取りにいこうとせず、その役目をボクに押し付けた。自分勝手なやつだと勘違いしたけれどそうじゃない。彼は走れなかった。一刻も早く取りにいくためには、別の者に頼むべきだと判断したのだと思う。
「四人は五体不満足だったために、あのイベントに招待されたんですよね?」
「はい。麻郎様の計画を実行するためには、どうしてもその条件に当てはまる人物が必要でした。彼ら個人には、恨みなど微塵もございません」
となると、彼らは完全に被害者で、運悪く巻き込まれてしまっただけだ。まさか自分たちがそんな理由で殺されるとは思いもしなかっただろう。
「切断されたと思われる彼らの一部、それは存在するはずのないものだった。では、それは誰のものなのか」
松本はボクをジッと見つめながら、続きを待っている。彼の期待に応えるために、頭を冷静に保つ。
「別の誰かの手脚だと考えるべきです。殺された四人には元々、体の一部がなかったのですから。別の人の手脚をひとつずつ、殺害した四人のそばに置いたんです。そうすることで、四人は体の一部を切断されたと勘違いさせることができる」
「その目的は?」
「とある人物の存在を隠すためです。手脚のないはずの四人にそれを生やした。そしてもう一人、浴室で殺された人物がいる。遺体は燃やされ、顔も何も確認できなくなった人物が。その姿から、ボクたちは麻郎さんだと思い込んでしまったわけですが」
ついにここまできた。ボクの口から、この先を話してよいものだろうか。ある意味、同士である彼を裏切ることにもなるのに。
「燃やされていたのは手脚の元の持ち主であり、そして、あの建物から姿を消した人物。―――浅原明ですね」
「・・その通りです」
夏の熱気も、ボクの緊張も、このための犠牲だったと思えた。それくらい、心の歯車がガッチリとはまった気がした。
「よくそこまで推理できましたね。お見事です」
ボクが辿り着いた真実は正しかった。それを、松本でも麻郎でもなく、麻耶子に褒めてもらいたかった。
「褒美と言ってはなんですが、麻郎さんに会わせて頂けませんか?」
返事はない。松本はこちらを見て微笑んだままだ。彼の心境はなかなかに読み取りづらい。
「彼は、生きているんですもんね」
「一応、鍛冶様の推理を全て話して頂けますか?」
あの事件の全容を話そうと思うと、五分やそこらじゃ終わらない。正直面倒だったけれど、そうでもしなくては松本が折れることはないだろう。諦めて、一問ずつ答え合わせをすることにした。




