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誰が為に  作者: 島山 平
39/42

後日 (6)

 世間では麻郎が亡くなった衝撃が薄れ始め、ワイドショーは芸能人の話題で持ち切りになっている。大物歌手が生放送で失態を犯したらしく、コメンテーターや大物芸能人が適当なことを喋ってばかりいる。ボクには全く興味のないことだったけれど、あの場所で起きた事件を世間が忘れ去ろうとしていることが気掛かりだった。浅原という男について、もっと注目され、批難されることを望んでいた。

 麻耶子はまだ帰ってこない。もう、ボクの元へ連絡する気はないのかもしれない。浅原との出会いが彼女に何をもたらしたのかわからない。ただ、麻郎という後ろ盾を失った彼女が平穏に暮らせるとも思えない。今頃、いったいどこにいるのか。まともな生活ができているのかと心配してしまう。

 何度か、井川から連絡があった。理の館の採掘作業は進んでいるものの、未だに誰一人発見できていないらしい。あのサイズの建物が全壊し、その中に五人の遺体が埋もれている。宝探しだとしてもムチャだ。正直、見つからないのではないかと思っている。たとえ見つかっても、切断された部位と胴体が綺麗な状態で掘り起こされることはありえない。夏場の瓦礫の中だ。想像することもためらわれる。


 土曜日、瀬尾を訪ねるためにN大学へと向かった。世間は休日でも、工学部棟のいくつかには明かりが灯っていた。研究が趣味なのか人生なのか、とてもボクにはマネできない。日本の将来のために頑張って下さいとしか言いようがなかった。

 事前に連絡しておいたし、瀬尾の所属する研究室の扉は開いていた。中を覗くと数人の学生が見え、くすんだ顔をしていた。まだボクよりも若いはずなのに、夜遅くまで研究しているせいだろうか。ほどほどにしておけよと言いたくなる。どうやら瀬尾は下の実験室にいるらしく、学生に礼を言って研究室を出た。

 三階にあると教えてもらった実験室の扉を開く。中では機械音が響いていた。それほど大きな音ではないものの、だいぶ大掛かりな試験機が動いていることはわかった。

「入るよ」

 パソコンを睨んでいた瀬尾がこちらに気付いた。無表情で頷き、またキーボードを連打する。彼女の作業に区切りがつくまで待つことにした。パソコン画面上では波形がいくつか動き続けている。後ろの機械は連続的に往復運動をしていて、耐久試験か何かに見えた。

「よし」

 最後にエンターキーを叩き、瀬尾が椅子を回転させる。

「もう大丈夫?」

「あとはほっとくだけだから。何か飲む?」

 瀬尾が立ち上がり、反対側の壁へと進む。

 壁際のラックにちょっとしたお茶くらいできそうなセットが置かれていた。実験室に置いといていいのかと思いながら、学生の頃はこんなものだったと思い出した。瀬尾からすれば、この部屋は特別なものではないのだろう。自分の部屋よりもいる時間が長いかもしれない。

「ブラックよね」

「うん、サンキュー」

 瀬尾が慣れた手つきでポットを扱う。それを見ていると、ボクの部屋で麻耶子がコーヒーを淹れてくれていた場面が頭に浮かび、一瞬だけ負けてしまいそうになった。奥歯を噛み締め、必死に心に蓋をした。

「顔怖いんだけど」

 瀬尾が怪訝な顔をしていた。

 慌てて苦笑いでごまかす。でも、たぶん無駄だったと思う。

「で、何の用?」

「麻耶子がいなくなる前のことがわかったんだ。ボクの前からってことじゃなくて、最後に目撃された場所ね」

「あんたがこないだまでいた建物に行っていたんでしょ? おじいさんの所か知らないけど」

「そう。その場所で麻耶子が会っていた男が、この間の事件の犯人なんだよ」

 瀬尾の動きが止まり、考えるように顔が歪んだ。

「浅原って男だっけ。今も逃げ回ってるっていう。そいつとマヤが会っていたの?」

 ポットが音を立て始めるのを聞きながら、松本から得た情報を伝えることにした。浅原が黒田という名で品のない活動を行っていたこと、麻郎は浅原を殺害する目的であのイベントを行っていたこと。

 話し終える頃には完全にお湯が沸いていた。二人分のコーヒーを注ぎながら、瀬尾がうんうんと頷いていた。

「状況はわかった。わかったけど、どうしてその浅原は五人を殺したわけ? 麻郎さんはまだわかる。自分を殺そうとしていることを知って、とか。でも残りの四人はどうして?」

「わからない。四人については未だに誰なのかすら特定できないし」

 瀬尾にもらったコーヒーに冷凍庫の氷を入れる。パチンパチンと弾ける音を聞きながら、ボクたちが集められた理由を探っていた。

「あんたを呼んだのは、マヤと付き合っていたからよね。さすがにここで偶然なんてこと言わせないわよ」

「まぁそうだよね。麻郎さんがボクに会いたがってた、みたいなことも聞いたし。ただ、となると残りの四人はどうなのか。麻耶子に関係していたのかもしれないけれど、ボクは一度も見たことがなかった」

「赤の他人? てか、そんなこと考えても意味ないか。無意味な議論になるよ」

 コーヒーに口をつけながら瀬尾が言う。彼女の言う通りだとしても、何か考えるきっかけが欲しいのも確かだ。せっかく、麻耶子と浅原の繋がりが見えたのだから、そこを起点にしてはどうか。

「麻郎さんの力があればさ、浅原を殺すことなんて容易いわけじゃない。それをせず、逆に殺されるなんてバカにしか思えないんだけど」

「自分の手で殺せないから、何か罠を仕掛けてたとか」

「あんたがいたとき、建物にそんなものなかったんでしょう? 建物がクルクル回転するのはスゴいと思う。ただ、それで浅原を殺せるわけじゃない」

 瀬尾が椅子に腰掛ける。脚を組み、思いにふけるように一点を見つめていた。

「そんなことよりもさ」

「なに?」

 テーブルに寄り掛かりながら瀬尾の言葉を待つ。

「マヤのこと、あんたはどう考えてるの?」

「―――どうって?」

「ほんとに無事に生きてると思ってるわけ?」

 言葉も出なかった。測定器の機械音だけが、部屋の中に響き渡っていた。

「まるで瀬尾はそうは思ってないって言い方だね」

「当然じゃない? だって普通この状況はありえないもの。三ヶ月も姿を消して、職場にも恋人にも連絡なしってさ。無事っていうパターンを教えてもらいたいくらい」

「そうだけれど・・」

 瀬尾の言うことは間違っていない。というよりも、客観的な意見だと思う。それでもボクは信じるしかないのだ。麻耶子はどこかで生きている。ボクの前に現れなくとも、彼女は生きているのだと。だからこそ、井川という刑事に麻耶子のことを相談した。

「正直に言うんだけど、私はあんたがマヤを殺したんじゃないかと思ってる」

「―――冗談にしても品がないな」

「まあね。でも半分は本気。殺してないにしても、失踪にはあんたが関係していると思ってる」

「はっきり言えるのは、ボクは麻耶子に危害は加えてないってこと」

 コーヒーを飲みながら、瀬尾が試すような視線を送ってくる。

「あんたたちの関係は終わってたの?」

「そんなわけないだろ。今だって好きだよ」

「じゃあ、最初から始まってもなかったんじゃないの? だからいなくなったこの状況でも平然としていられる」

「おい! ・・適当なこと言うなよ」

 自分が感情に飲み込まれていることがわかる。瀬尾は落ち着いたままこちらを見ていて、それが腹立たしくてたまらない。彼女の言葉は全く何の根拠もないのに、叫んで言い返すことしかできない自分が不甲斐ない。

「どうしたんだよ」

「それはこっちのセリフ。いい加減に現実見てって感じだし、むしろ何考えてるのか教えて欲しい。あんた普通じゃないよ? 頭大丈夫?」

 無表情で淡々と殴られる。どうしてボクだけが責められるのか。麻耶子のことだけを想い続け、イベントにだって参加した。願いを叶えてもらうことはできなかったとはいえ、あそこでの事件を半分は解決できた。それも全ては麻耶子のためだ。彼女に出会うために必死にやったことなのに。

「あんた、本当にマヤのこと見てたの? 最初から夢だったんじゃない?」

「瀬尾! 何が言いたいんだよ!」

「だから、マヤはもういないんだって!」

 瀬尾のこんなに大きな声を聞いたのは初めてだった。いつも冷静で、一歩引いたような意見を言う。そんな彼女が、初めて声を荒げた。

「たぶんもう生きてないし、生きていても私たちの前に帰ってくることはないの。ほんとはあんたにもわかってるんでしょ? 認めたくないだけで」

「証拠がない。まだ諦めるには早すぎるだろ」

「だったらそうやって、いつまでもしがみついてなさいよ! 自分が被害者だって顔して、マヤを探すふりだけしてなさいよ!」

 もう我慢の限界だった。知らぬ間にコーヒーカップを床に叩きつけ、足元が悲惨なことになっていた。瀬尾とにらみ合ったまま、互いに怒りをぶつけ合う。どうしてわかり合えないのだろう。ボクたちが望んでいるものは同じはずなのに。

「・・麻耶子がいなくなっていたら、ボクにはもう生きる意味がないんだ」

 瀬尾は言葉を返さない。虚しい男の呟きだけが、機械音の間を埋めていた。

「だから信じるしかないんだって。しがみつかせてくれよ」

「最初からいなかったと思えばいいんじゃない? マヤとの思い出も忘れて、一人で生きていきなよ」

 瀬尾の言葉には棘がなかった。まるで子供を慰めるような言い方を、ズルいと思ってしまう。ボクが間違っていて、瀬尾が正しい。そう思わされてしまう。

「麻耶子がもういないっていうけどさ、どうして死んじまったんだよ。自殺したっていうのか?」

「知らないわよ。ただ、この状況を考えたらそう考えるのが妥当でしょ。あんたとマヤの間に何があったのかはわからないけど、その後で浅原って男に会って、それがマヤにとってキツいことだったのよ。たぶんだけど」

「納得できない」

 できるはずがない。麻耶子がどうなっていようと、彼女が最後に何を想っていたのかもわからないのだ。もういないと言われて、はいそうですかなんて納得してたまるか。彼女はボクの側にいた。確かにいたのだ。それを最初からなかったと考えるなんて、ボクたちの人生を否定するのと同義だ。

 死んでいった麻郎はどんな想いだったのだろう。大切な孫を傷付けられ、その復讐のために浅原を招いた。ボクや残りの四人を利用して計画を立てていたはずなのに、志半ばで逆襲されてしまった。たぶん、彼が計画を企てたのは五体不満足だったことも関係している。ボクのように健常者であれば、麻郎は自らの手で復讐したかったはずだ。それくらい、浅原に対する憎悪が大きかったはず。あれだけ手の込んだことをしたのだから、それは間違いない。


 ―――あれ?


 今頭に浮かんだのは何だったのか。

 瀬尾は相変わらず困ったように睨んでくる。でもそんなことに気を揉んでいる場合ではない。姿の見えない何かが、ボクの頭の中に浮かんでいる。煙のように掴むことのできないそれの正体が何か、本能的に探ってみたくなった。

「あんた、大丈夫?」

 瀬尾に頷きながらも、別のことを思考していた。

 麻郎のことを考えていて、彼が障害者であることに同情し、麻耶子を助けられなかった気持ちを察した。それともうひとつ、思い出せない何かがボクを刺激したのだ。

「ねぇってば」

「・・さっき何て言った?」

「え?」

「だから、さっき何か言ったよね」

 瀬尾が不気味なものを見るような顔をしている。微妙にイラッとしつつ、とりあえず見なかったことにする。

「色々言い過ぎてるからどれかわかんない」

「なんかさ、ピンときたんだよね。瀬尾の言葉がきっかけだったと思うんだけれど」

「知らないってば。勝手に思い出しといて」

 もう興味がなくなったのか、瀬尾がカップに視線を落とした。ボクの中に生まれたこの感情は、いったいどこから出てきたのか。瀬尾の姿を眺めていると、ようやくそれを思い出すことができた。

『最初からなかったんじゃないの?』

 これだ。この言葉に触発されたのは確かだ。となれば、あとはどう繋がっていくのだろう。

 麻郎、浅原、麻耶子、そしてボク。ひとつずつを繋げていくと、やがてそれは円形に広がっていく。理の館と同じように、ボクたちが体験した出来事の根元には、ひとつの要因が残されているはず。

 そこまで辿り着いた結果、ようやく見つけ出すことができた。

「―――そうか、最初からなかったんだ」

「なに?」

「最初からなかったと考えれば・・」

 頭が爆発しそうだった。容量いっぱいの情報が脳内を駆け巡る。前へ進む一歩が、すでに崖の端っこにきている。次へ進むためには自分で地面を作らなければならない。本当に落下すれすれで走り続ける。心を落ち着け、全神経を集中しながら走り続けた。

 その結果、目の前にはあの建物が現れていた。

「天才だ」

「・・ほんとに頭おかしくなった?」

 もう涙が溢れそうだった。瀬尾のぎこちない表情を見ていても、ボクの心は複雑な想いでいっぱいだ。

 ようやく、辿り着くことができた。

 あの場所で何が起こっていたのか。そして、誰がそれを計画し、実行したのか。全てがわかってしまう。それはボクも同じだったからだ。彼と同様、ボクは麻耶子に会いたかった。この気持ちだけは嘘じゃない。だからこそ、ボクは格内麻郎の次元にまで辿り着くことができた。

「ありがとう。瀬尾のおかげだ」

「本気で気持ち悪いんだけど・・」

「ケリつけてくる。また連絡するから。―――カップ、悪いね」

 足元に散らばったコーヒーカップを掃除する暇なんてない。申し訳ないけれど、どうやら一刻を争う事態のようだ。瀬尾の視線を背中で感じながら、ゆっくりと部屋の扉へと向かう。ここを出て、行くべき場所はひとつしかない。最後に待ち受けているのは、やはり彼だった。天才と形容するのは好きじゃないのに、他に言いようがなかった。普通はこんなことを思いつかないだろう。これも全部、麻耶子を想ってのことか。


 実験室を出て、ひんやりとした廊下に立つ。

 さぁ、格内麻郎に会いに行こう。

 いや、その前に確認しておくべきか。新しく買い直したスマホを取り出して電話帳を開く。井川という名を見つけ、電話をかける。しばらくの呼び出し音の後、ようやく彼の声が届いた。

『どうされましたか?』

「すみません急に。調べてもらいたいことがありまして」

『少々お待ち下さい』

 場所を移動するような音が聞こえる。彼も忙しい身だ。

『すみません、どうぞ』

「格内麻耶子の捜索願を出しましたが、それに関係して。現在日本で捜索願が出されている人の中で、次の条件に当てはまる人がいないか調べてもらいたいんです。二十五から四十歳の男性、と絞ってもらってかまいません」

『その条件とは?』

「『五体不満足の者』です」

 井川の返事はなく、それは彼が困惑しているからだと思う。理由を聞かなければ、誰だって同じ反応をするはずだ。

『わけを教えてもらえますか?』

「自信はありませんが―――」

 ボクの閃きを井川に伝えてみた。電話では十分に伝わらないと思うし、当事者でない彼にはピンとこなかっただろう。それでも、最終的に井川は調査することを承諾してくれた。

『今の話の真偽はともかく、一度調べてみましょう』

「よろしくお願いします」

 通話を終え、一人きりの廊下を眺める。

 井川の調査結果次第で、この考えの信頼性が変わってくる。それなのに、無邪気に正解を待つことができないのはなぜだろう。心のどこかで、間違っていて欲しいと思っているということか。


 翌日、井川から連絡があった。

 ボクの推測を裏付ける事実を伝えられ、思わずため息が漏れた。

 現在の日本で捜索願が出されている人々のうち、二十五歳から四十歳に限れば、五体不満足の者は六人いた。そのリストの名前を全て目にし、ボクは開き直ることにした。彼は天才だ。叶うはずがない。

 今度こそ諦めて、格内麻郎に会いに行くことにした。


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