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誰が為に  作者: 島山 平
37/42

後日 (4)

 麻郎の屋敷から脱出して一週間以上が経過した。世間でも麻郎が亡くなったことは公表され、なかなかに大きな騒ぎとなっている。ただ、連日ニュースで報道されていながらも、具体的なことは伏せられている。彼の遺体をこの目で見たボクとしては、奇妙な優越感を感じなくもない。

 あの場所で麻郎以外にも四人が殺害されたことについては公表された。でも、ボクと同様、警察も四人の特定はできていないらしい。四人が殺された、という情報だけが明らかにされている。また、容疑者としてAという人物が浮上している。それは浅原のことで間違いない。『浅原明』という名は伏せられているものの、公表されるのも時間の問題ではないかと思う。

 こんなにも不可解な事実だけが世間に伝えられたのは、麻郎の力が働いているからだろう。彼自身はいなくとも、何かしらの巨大な力が存在するとしか思えない。警察だって、この奇妙な事件を扱うのは苦労しているはずだ。

 屋敷から逃走した浅原の行方はつかめていないままだ。事件の全容は隠されているけれど、四人を殺害し、逃走したことは知られている。こうなってしまったら、もう逃げられないと思う。どこかで力尽きて逮捕されるのを願うばかりだ。そして、なぜ遺体の手脚を切断したのか話してもらいたい。未だに、それだけが謎のままだからだ。

 松本や金子とは何度か連絡をとっている。二人とも無事らしく、浅原に狙われていることはなさそうだ。また、麻耶子の居場所については相変わらずわからない。もしボクが当初の予定通り事件を解決していたら、麻郎は麻耶子の居場所を突き止めることができただろうか。こうして松本や金子が動いていても、麻耶子には辿り着けていない。案外無理だったのではないかと思い始めているくらいだ。

 

 チャイムが鳴った。荷物が届く予定はないし、麻耶子がいなくなった今、ボクの家を訪ねてくる者がいるとも思えない。なんだか嫌な予感がしながら玄関へ向かうと、「鍛冶さん、いらっしゃいますか」と男の低い声が届いた。

 返事をしてカギを開ける。案の定、この間取り調べを受けた男の顔が目に入った。

「少しお時間よろしいですか?」

「えぇ。どうぞ、入って下さい」

 確か、井川という名の刑事だった。四十歳を越えたくらいだと言っていた。外見は若々しいままで、エネルギッシュとも感じられ、少しだけ苦手なタイプでもあった。

「突然お邪魔して申し訳ありません。―――あぁ、おかまいなく」

 二人分のお茶を用意して席に着く。この事件に巻き込まれるまでは刑事が家にやってきたことなどなく、正直、今でも少しだけ緊張していた。

「それで、何の用件でしょうか」

「事件のことを再度お訊きしたくて。もう一度話して頂けますか?」

「構いませんが・・」

 これまで、何度説明させられたか数え切れないくらいだ。違う刑事にも話したし、同じことを言葉を変えて話した。そのうち自分でも気付いていないことが出てくるかと思ったのに、今のところそんなものはない。

 数分掛けて説明をし終えると、井川は頷きながら唸っていた。新しいことなんて言っていない。彼にとっても収穫があったとは思えない。

「やはり、犯人は浅原だと考えるべきなのでしょうか」

「セバタさんが殺されたとき、勝手に扉が開きましたからね。あの状況を説明できるのは浅原が犯人である場合しか」

「一応、他の二人も容疑者ではあります。鍛冶さんだけが例外なのです」

 作り物の笑顔を向けられる。まぁ、とりあえずはその言葉を信じておこう。警察がボクのことを容疑者から除外しているはずはないのだ。

「格内麻郎が風呂場で殺害されたとき、松本であれば殺すことができた。この点については、我々も注意しているんです。犯人が浅原だと決めつけるのは危険なので」

「でも、浅原が犯人だと考えると全て辻褄が合いますよね。セバタさんの部屋の扉が勝手に開いたとき、ボクたちは全員一階にいました」

「部屋の中から出ようとした浅原が扉を開けた。確かにそれしか考えられません。そして彼ならば、他の被害者を殺すこともできた。証拠が残っていない今、それを否定することはできないでしょう」

 井川の口調からは、彼自身はその説を信じきれていないようにも感じた。捜査する立場にいると、安易に答えに飛びつくことができないというのも理解できる。

「あの場所はどうなっているんですか?」

「現在掘り起こしているところです。といっても、あれだけ酷く崩れてしまっているので、どこまで見つけ出せるかわかりませんが」

「警察の人が作業しているんですか?」

 そんなに親切なことはないだろうと思いながら尋ねる。

「松本氏が躍起になって、業者に頼んでくれています。あの下に格内麻郎が眠っているとなれば、どれだけの金を使ってもかまわないのでしょう。遺体をきちんと葬れるかどうか、それが彼らの今後を左右します」

「他の四人も見つかるといいんですが、厳しそうですね」

「まぁ、正直何の見込みもありませんね。―――今のはここだけの話にして下さいね」

 井川が苦笑いを見せる。正直ボクも同感だった。

「浅原についてはいかがですか? 目撃情報とか・・」

「ありませんね。鍛冶さんたちの話を信じるなら、浅原は八月十六日の十一時半までには脱出している。ナベ氏をキッチンで殺害したのが、彼が目撃された最後のタイミングですね。脱出してからすでに一週間以上が経過しているので、世界のどこへでも行けてしまっているでしょう」

 井川は不満を隠そうともしない。事件が起き、時間が経つほど証拠は薄れていくはずだ。そして、犯人を逮捕できる可能性はどんどん低くなっていく。浅原が今どこにいるのか、ボクには見当もつかなかった。

「浅原はどんな人なんですか? 事件を起こす動機とかありそうなんでしょうか」

「正直、まだ何も掴めません。フルネームを把握できたおかげで、住所も職場もわかっています。人間関係も把握できてきているのですが、殺害された四人と思われる人物が周囲にはいません。赤の他人としか思えないのです」

 それにも関わらず四人を殺害し、腕や脚を切断したというのか。その動機は考えてわかるものではないかもしれない。瀬尾の言う通りだ。

「ただ、ひとつわかったことがあって。浅原はゲームクリエイターとして働く傍ら、ゴシップ記事の売り込みをしていたようです」

 井川の言葉が、ボクの中の何かを刺激した。この情報をどこかで聞いたことがあるような気がするのだ。

「今日はそれについて伺いたくて。浅原が格内麻郎の身辺に首を突っ込んでいた可能性はあります。というか、あれだけの資産家ですから、スキャンダルでも掴めればいいカモになります」

「浅原がどんな記事を売り込んでいたのかわかるんですか?」

「いくつか見つかっています。芸能人の不倫だったり、県会議員の賭博なんかも。どれもゲスい内容ですよ」

 井川が呆れたように顔をしかめた。

「そんな話を聞きませんでしたか? あの場所にいる間、格内麻郎や松本氏から」

「どう・・だったか。それどころじゃなかったので」

 仕方がないという顔をしながら、井川はどこか残念そうにも見えた。浅原の裏の一面を掴めれば、事件の真相に一歩近付けるのは確かだ。

 ただ、ボクの中に一抹の不安がよぎっている。井川が口にした事実、浅原がゴシップ記事を売り込んでいた、というもののせいだ。それをどこかで聞いてはいないか? 麻耶子があの場所を訪れた際、フリージャーナリストだと名乗る男が登場している。

「格内麻郎が命を狙われているとか、そういったことも?」

「さぁ。そんな大事なことを教えてもらえるほど親しくはないので」

「実際に殺害されているわけですが、何かお考えは?」

「ありませんよ」

 ボクに何を期待しているのかと笑ってしまいそうになる。

「彼の遺体だけが燃やされていたというのは気になります。でもその理由も自分なりに納得していますし、彼個人を恨んでいた人なんて、何も心当たりがありません」

「そうですか・・」

 井川は落胆を隠そうともしなかった。

「こちらからも、よろしいですか?」

「えぇ、どうかしましたか?」

 井川が表情を変えた。ボクが新しい事実を口にすると期待した顔だ。残念ながら、彼の期待には答えられないと思う。

「捜索願を出したくて・・」

「どういうことですか?」

 急に井川が刑事の顔に戻った。こっちまで緊張してしまう。

「恋人がいなくなったんです。ケンカして気まずい感じになったので、連絡がこなくても仕方ないって諦めてたんですが」

「捜索願ということは、職場なんかにも行かれていないんですね?」

「はい。中学校の教師をしているんですが、学校にも行ってないらしいんです。彼女には両親がいないので、たぶんまだ届けは出ていないと思います」

「その女性のお名前は?」

 手帳を広げながら井川が言う。ボクを睨みつけるような真剣な目をして。

「格内麻耶子です」

 井川の目に驚きの色が浮かんだ。彼の頭の中が激しく動き出すのが手に取るようにわかる。だからこそ、この話をするのは怖かった。

「格内麻郎と関係のある女性ですか?」

「はい。おそらく、孫です」

「―――どうしてこれまで教えてくれなかったんですか」

 批難するような言い方をされる。言う義務はなかったはずだ。もっとも、ボクがそれを口にするのが怖かっただけだけれど。

「すみません。刑事さんに言うと、大事になっちゃうんじゃないかと心配で」

「きちんと手続きをして頂けば捜索しますよ。我々の仕事ですから」

 口ではそう言いつつ、井川の興味が別のところにあるのは明らかだった。目の奥に鋭い光を宿し、犯人を背後から襲う準備を進めている。

「でも、なんというか―――。その女性の失踪はこの事件にも関係していそうですね」

「いなくなったのは三ヶ月前なので、なんとも言えないんですが」

「麻耶子さんが失踪した理由については?」

「わかりません。最後に会ったとき、微妙な感じで終わっちゃったので」

 適当にごまかすしかなかった。井川も特に追求せず、すでに事件のことで頭がいっぱいのようだ。

「今の日本で、行方不明になっている人ってどれくらいいるんですか?」

「正確にはわかりませんが・・、捜索願自体は、毎年十万件ほど出ているはずです。届けが出ていない人を含めるとさらに多いでしょう」

「今回の事件で亡くなった四人もその中に含まれるんですかね」

「現在、捜索願が出ている人々の調査を進めています。おっしゃるように、その中に、今回の事件の被害者が含まれている可能性はありますから」

 ヤマケン、テルテル、セバタ、ナベ。この四人の家族や友人は、どういう気持ちで過ごしているのか。すでに届けが出ていればいいけれど、案外出ていない可能性が高い。日本人は悠長な人種だ。

「必ず手掛かりはあるはずなので、四人の特定も時間の問題かと」

 意外と根拠のないことを口にする。井川の言う通りになるとはとても思えない。

「あの、浅原がゴシップ記事を売り込んでいたという件なんですが、彼は本名で働いていたんですか?」

「いえ、ペンネームというか、別名でしたよ。確か―――」

 井川が手帳を忙しくめくる。やがてメモを見付けたのか、目を細めながら言う。

「『黒田正城』という名でした。掲載された記事にはその名が載っていたようですね」

 口を強く結んで頷きながら、ボクの心は穏やかではなかった。ポーカーフェイスを作ることに精一杯だった。これで全てが繋がる予感すらしていた。


 その後、しばらくして井川は去っていった。

 彼の求めていた話はできなかったはずだ。でも、ボクにとっての収穫は尋常じゃなかった。浅原の副業が、麻耶子や麻郎たちと関係していた。麻耶子があの屋敷を訪ねた際に出会った黒田という男、その正体は浅原だったのだ。松本自身が、黒田正城というフリージャーナリストが訪ねてきたと言っていた。つまり、彼は全てをわかった上でボクに隠していた。その理由としてはいくつか考えられる。

 ボクたちがあの場所に招待されたとき、松本も麻郎も、全てを理解していたはずだ。浅原と名乗る男が以前にもやってきたこと、そして逆に、浅原もわかっていたのか。それなのに、彼らは誰もが黙り、顔見知りであることを隠していた。そこに何の意味があるのだろう。麻耶子を傷付けた黒田、つまりは浅原を招待した理由とは何か。そして、浅原が五人を殺害した理由。

 進展したものの、疑問は山積みのままだ。これはもう、諦めて質問する方が早いか。


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