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誰が為に  作者: 島山 平
35/42

後日 (2)

 瀬尾朝子(せおあさこ)と再会したのは午後七時頃だった。世間がお盆休みに入っても、大学の研究者にはそんなもの関係ないそうだ。

 N大学工学部にある構造材料工学研究室。ボクにはさっぱり理解できないことを研究しているのだろう。瀬尾はそこで研究を続けているらしい。大学院の博士課程に進み、研究一本で生きていくと決意した女だった。顔もスタイルも悪くないのに、恋愛に興味がないと公言している変わり者だ。

 瀬尾は夜遅くまで研究があるらしく、彼女の夕食の時間に合わせて大学へ出向いた。学生時代はボクも通っていて、今でも構内はよく知っている。広すぎて移動するだけでも疲れるし、構内すべてを把握できてはいない。それでも、工学部棟の周囲だけなら自分の庭みたいなものだ。お気に入りの本屋もまだあった。そんなことでも心が休まるのが可笑しかった。

 工学部棟から一番近い食堂へ入る。そこが瀬尾の指定した場所だった。腕時計は午後六時五十三分を示している。約束の時間に遅れたことのない彼女だから、もうすでに来ている可能性が高い―――と思っていたら、やはりそうだ。窓際の席に作業服を着た瀬尾が座っていた。

「もう少しお洒落したら?」

「あんたが言う?」

 定食を乗せたお盆をテーブルに置く。瀬尾はすでに食事を始めていて、半分ほどなくなっていた。もう少し他人に合わせるということを覚えた方がいい。

「最近も忙しそうだね」

「やることは無限にあるから。本当は食事の時間を削りたいくらい」

 目の下にクマができている。せっかくの美人が台無しだと思いつつ、とてもそんなことを口にできない。今後一生相手をしてもらなくなる。

 大学に入学した頃、瀬尾の外見に惹かれて何人もの男が言い寄っていた。中には強引に食事に誘おうとしている男もいたらしい。でも、瀬尾が圧倒的な罵倒を浴びせて追い払い、それが噂となり彼女に声を掛ける者は激減した。一方で、同性とはそれなりに親しく、麻耶子とも仲がよかった。それがきっかけでボクの相手をしてくれるようにもなった。

「悪いけど相談にのって」

「マヤのことなら知らないよ。連絡ないし」

「やっぱりそうか。ボクも同じ。でも、相談したいってのはそれだけじゃない」

 予想が外れたことが気に食わないのか、刺すような瀬尾の視線を受ける。別に悪いことはしていないはずなのに、自然と背筋が伸びた。

「この四日間、今日を含めるとい五日間なんだけれど、珍しい体験をしてきた。ついでに警察にも行ってきた」

「あんたが犯人?」

「犯人って何だよ」

「マヤを監禁している犯人」

 冗談なのかわからない顔で言うからタチが悪い。瀬尾の場合は本気の部分が大きいはずだから余計に困る。ボクがそんなことをするはずがない。

「決め付けるのはよくない。ちなみにボクは犯人じゃない」

 思わずため息が漏れた。みそ汁で心を癒しながら、全てを話してしまうことにした。

「殺人事件に巻き込まれてきた」

 ようやく瀬尾の顔つきが真剣になった。こちらをジッと見つめたまま、頭の中にはどんなことが浮かんでいるのだろう。

「その話、面白い?」

「他人からするとそうかも」

「手短にしてね」

 瀬尾が興味を持ってくれたことに驚きつつ、あの建物でのことを順番に話すことにした。


「あんたの言葉を全て信じるならさ」

 そう前置きをし、腕を組んだ瀬尾が言う。

「犯人は浅原ってやつか、松本って執事か、金子」

「そんなに容疑者多い?」

「一人目は誰にでも殺せたから無視。二人目のカギが掛かっていた部屋で死んだ人も、建物の構造を理解していれば誰にでもできるから無視。三人目、風呂場で殺された人、ここでその人を襲えるのは浅原か松本のどちらかになる」

 松本は麻郎に連れ添って風呂場に入ったからか。確かにそこで殺害した可能性は否定できない。

「おとりになった四人目を殺せたのは浅原か金子。五人目を殺せたのはあんた以外の誰でも。何か間違ってる?」

「いや・・」

 こうもあっさりと言い切られると、そうかもしれないと納得してしまった。実際、瀬尾の説明に誤りはないように思えた。

「浅原が犯人じゃなかったとして、どうして松本さん達はそんなことをしたと思う?」

「考える価値がないわ。私からすれば完全に赤の他人だし、わかるはずないもの。あのね、動機なんて考えなくていいの。現象を正しく見ることが最も効果的」

「そう言われても、このままじゃ犯人を特定することができないだろう? 三人のうちの誰かがやったことは確か。まぁたぶん浅原なんだけどさ。こういう理由でこの人が殺しました、って説明できないと、ボクも疑われる」

 瀬尾はゆっくりと首を振る。バカバカしい、そう言われている気がした。

「だったらもう少し考えてみなさいよ。建物の秘密を知ることができたのは誰か、拳銃を持ち込んだのは誰か、遺体を切断した理由は何か、建物が爆発したのは何故か、あんたが生きて帰れたのは何故か。ほら、ヒントはこんなにたくさんある」

「多すぎるだろ。瀬尾にはわかる?」

「さぁ。その場にいたら違うかもしれないけど。解決して欲しいなら、目的と条件、それをハッキリさせてからにして」

 まるで試験問題にケチを付けるような言い草だった。彼女らしいとはいえ、これでは全く先に進めない。

「ま、正直に言うと。殺された人達の手脚を切断した理由が一番興味深いかな」

「四人全員、ひとつのパーツずつ切断されているんだ。麻郎さんは元々なかったから切断できないとして、犯人の目的に見当がつかない」

「切ったのに、現場に残っていたんでしょう? だったら切ることが目的。たとえばこういう考えができる。切断部位に、犯人にとって望ましくないものがあった。腕を切断された人は、その切れ目に何か書かれていたとか」

「ダイイングメッセージ?」

 そんなわけはないか。

「入れ墨とか、何でも考えられる。一人目のヤマケンって人の腕を切断することが目的で、残りの三人は偽装のためかもしれない。使った刃物はわかってる?」

「たぶんキッチンにある包丁。屋敷には他に刃物がなかったから」

「浅原が犯人なら、凶器を建物の外に持ち出しているはずだしね。これって確証はないわけか」

 瀬尾が腕を組み、考え込むように目を瞑る。彼女の思考の邪魔をしないことに徹底した。

「でもさ、人間の体ってそんな簡単に切り離せるもの? 骨とかあるのに」

「やったことないよ」

「切断面は見た?」

「ちらっとはね。間違いなく切られてることは確認済み。もっとちゃんと調べとけよって思うかもしれないけれど、実際その場面にいたらムリだからね」

 ボクの正直な気持ちは否定されなかった。文句を言われたら、できるものならやってみろと言うつもりだった。

「じゃあ、本物かどうかわからないのね」

「うーん・・否定はできない。でも、本物である可能性が高いと思うよ。そもそも偽物を用意する必要がないだろ。本物をどこかに持ち出したとして、何に使うんだよ」

「知らない。物好きはどこにでもいるものよ」

 瀬尾が興味なさそうに言い、残っていた水を飲み干した。

「そのイベントの参加者は本当に初対面だったの?」

「ボクが知る限りは。誰も見たことなかった。浅原以外は名前も知らないし」

「警察は把握しているの?」

「まだじゃないかな。主催側の誰かが招待状を送っているはずだから、いずれはわかると思う」

 正直、松本が嘘をついているのではないかと疑っている。麻郎の側にいる者で、招待状を送るのにふさわしいのは彼なのだ。その部分だけわざわざ別の者に頼むというのも無駄な気がする。なんだか、掌で踊らされているようで気に食わない。

「だったら、さっさと捜査が進むのを期待するしかないわね。実は知り合いでした、なんて言われたら元も子もないもの」

 瀬尾の言う通りでも、それを黙って待つわけにはいかない。容疑者として疑われるくらいは我慢できる。それでも、麻耶子の居場所は掴めないままなのだ。松本も知らないと言うし、自分にできることはあるのかと不安になる。

「そんなことよりさ」

 瀬尾の顔色が変わった。他人からすれば笑顔に見えるだろうけれど、彼女のことをよく知っているボクには不気味だった。ここからが本番なのだとわかってしまう。

「あんた、マヤに何したの?」

「―――何って、別に」

「もういいよ」

 瀬尾が呆れたように肩をすくめた。

「この状況はおかしいでしょう? 三ヶ月も姿を消すなんて異常だもの。事件に巻き込まれている可能性はあるけど、それならあんたが警察に行くはず。それをしないってことは、あんたの中には何かしらの考えがあるってこと。マヤが姿を消しても驚かない何かが」

「何もかも見透かしたように話すのはやめよう」

「見透かしているもの。だって、あんたは一度だってマヤが死んでいる可能性を考慮していない」

 瀬尾が真直ぐに視線をぶつけてくる。嘘を見破ろうとしているのか、自分の考えに絶対の自信があるのか。そのどちらも、ボクにとっては厄介だった。

「マヤに何したの?」

「何を言っても嘘だと思うんじゃない?」

「私が納得すれば信じるよ」

 工学者らしからぬことを言う。瀬尾が納得するような答えを、ボクは用意できるのだろうか。

「マヤはおじいさんに会いに行ったんでしょ? その理由は何? お金?」

「そんなはずない。そこまで困ってないし、困っていても麻耶子は金を借りにいくようなやつじゃない」

「わかってるって。その理由はあんたしか知らないんだから、正直に話してってば。それ次第で事件も解決できるかもね」

「関係ないだろ」

「いや、これは本気。マヤはおじいさんに会いに行って、今度はその場所で殺人事件が起きて。無関係って方がムチャじゃないかしら」

 それらしい顔で言われたくない。あの事件のことも、ボクと麻耶子の間に何があったのかも知らないくせに。

「マヤ、あんたとの結婚のことで相談してきたし」

「―――なんて?」

「言わなくてもわかるんじゃない?」

 瀬尾の様子からは、彼女がカマをかけているのかどうか判別できなかった。でも、もう隠し切れないことはわかっている。ボクが自分自身の心に秘めておくことに耐え切れないからだ。

「後ろめたいことがあるんでしょ」

 そろそろ諦めてしまおう。おそらく瀬尾は何も知らない。麻耶子から相談されたというのも嘘だ。でも、それでもいい。ボクはもう打ち明けてしまいたい。麻耶子に掛けた言葉、ボクの罪を。


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