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誰が為に  作者: 島山 平
31/42

4日目 (5)

「試したいことがあるので、そこで待っていて下さい」

 不安が顔に出ている松本と金子を残し、自分の部屋へ入る。中にエーツーがいないかどうか、それだけが不安の種だった。でも、実際はこうして無事に歩けている。奥の部屋へ入り、中の様子に変わりがないことを確認する。遺体は転がっていないし、荒らされた形跡もない。これで安心して試すことができる。

 壁まで進み、クローゼットの扉を開ける。夏真っ盛りのため、上着は持ってきていない。からっぽのクローゼットを眺め、一呼吸置いてから中へと入る。自宅のアパートとたいして代わらぬ広さで、入っても狭いとは感じない。これなら不安も少ない。どうなるかわからないけれど、一応、目の前の扉を閉めておくことにした。扉の僅かな隙間から明かりが入り込んでいる。真っ暗じゃないだけよかった。

「さてと」

 ポケットに手を入れ、中からあれを取り出す。麻郎の部屋にあったスイッチらしきもの。建物と同じ形をした、十個のスイッチが付いたものだ。

 ボクの部屋の対角は誰だったか。頭の中で屋敷の地図を書き、ヤマケンの部屋だったことを思い出す。中には彼の遺体が転がっているはず。さすがにそれは困る。ヤマケンの両隣は確か、テルテルとエーツーだ。テルテルの部屋でも嫌だし、仕方がないからエーツーの部屋にするか。

 建物そっくりのスイッチを眺め、いくつかの計算をする。おそらくこれだろうと目処をつけ、親指をスイッチの上に置く。どうか、無事に終わりますように。失敗してぺちゃんこになるのは嫌だ。掃除をしてもらうのも申し訳ない。

 深く息を吐き、親指でゆっくりとスイッチを押し込んだ。

 

 興奮を抑えたままドアノブに手を掛ける。この先に何が広がっているのか、それを考えると、心臓がふわふわした感覚になる。自分の推理が正しかったこと、ゴールへと近付いていること。それが言葉にできないほど心地よかった。

 顔のにやつきを封じ込め、ゆっくりと、扉を押した。


 廊下の対角線上に二人の姿が見え、思わず笑いが零れてしまった。これでもう、全ての謎が解けた。なんてシンプルなんだろう。わかってしまえば、ゾッとするほど単純な答えだった。

「・・え!」

 二人もボクに気付いた。こっちに顔を向け、目を見開いたまま固まっている。

「お待たせしました」

 優越感から、苦労せずとも笑顔になれた。廊下を回り込み、二人の元へと向かう。

「どうしてそこに・・」

 まるで幽霊を見るかのような顔をした松本がいた。金子は無表情のまま、これまでに見たことないほど目を見開いて立ち尽くしていた。

「エーツーも、こうして移動していたみたいですね」

「抜け道が・・?」

「いえいえ、これです」

 スイッチを二人に見せる。麻郎の部屋で見付け、スイッチを押しても何も起こらないと思われたものだ。でも、実際にはこれが全てだった。このスイッチさえあれば、この建物の支配者になれる。

「そのスイッチで・・どうやって移動したんですか?」

 金子が手榴弾を見るような目でスイッチを眺めている。そんなに恐れる必要なんてないのに。

「スイッチを押せば、行きたい部屋に行けるんですよ。今だって、このスイッチを押しただけです」

 十個並んだスイッチのひとつを指差してやる。実際、ボクが押したのは建物でいうところのボクの部屋である十号室のスイッチだ。それを一回押しただけで、ボクをエーツーの部屋である四号室へと移動させてくれた。

「わかりません。全くわからない」

 泣き出しそうな顔で松本が言う。見ていて可哀想になり、さすがに説明してやることにした。

「まず、この建物の形を考えたんです。真上から見たら円形をしていますよね。十個の部屋はその円周状に均等に並んでいて、明らかに人工的な計算で造られている」

 廊下に立ったまま二階を見渡す。本当に、よくもまあ造ったものだ。

「円の特性を考えたとき、いくつか頭に浮かびます。中心からの距離が一定、真ん中に線を引けば線対称だし、どこから見ても同じ景色です。だからきっと、円であることに意味があるのだと思った。そしてもうひとつのヒントが、あそこのキッチンです。エーツーはあの部屋に侵入することができなかった。その意味を考えたとき、答えへの道筋が浮かんだんです」

 ボクの部屋の真下にあるキッチン。どうしてそこに侵入できないのか。二階にある部屋との違い。それに気付かせてくれたのは金子の言葉だ。

「金子さんの言う通り、キッチンにはクローゼットがないんです。あれだけの広さだし、そもそも必要ない。だから違和感がなかった。・・でも違うんです。クローゼットがないということが、エーツーがあそこへ入れない理由と直結していたんです」

「クローゼットに何かがあったんですか?」

 松本が驚いた様子で後ろを振り向く。ボクの部屋のクローゼットを思い返しているに違いない。

「違います。クローゼットには何もないんです。だからこそ、答えを隠してしまっていた」

「・・KJさん、そろそろ答えを教えて下さい」

 金子が静かな怒りを纏っていた。回りくどい説明に腹を立てているはずだ。申し訳なさを感じつつ、もう少しだけ優越感に浸らせてもらいたい。

「それでは、種明かしをしましょう。見ていて下さい」

 二人の注目を集め、スイッチを持ち上げる。二人に見えるくらいの高さで、七号室にあたるスイッチを押した。

「何か気付きましたか?」

「・・はい? 何も起きてないじゃないですか」

 金子が気付かないのも当然だ。これまで、ボクたちは誰一人気付かなかった。きっと、人間の感覚では気付かない程度の振動やスピードなんだと思う。

「もしも今、金子さんがボクの部屋のクローゼットに入っていたとしたら。そこから出ると、空室になっている一号室に出ていたはずです」

「―――そろそろ怒りますよ」

 金子の表情から優しさが消えている。さすがに怖くなってきた。女性を怒らすのはあまり好きじゃない。

「そうですね。今、この建物は回転したんです。ボクたちは感じませんが」

「回転・・?」

「ぐるっと九部屋分、時計回りに。そのために、この建物は円形になっているんです」

「でも・・」

 金子が混乱した様子で考え込む。キョロキョロと顔を動かし、落ち着きがなかった。

「それじゃあ一号室には出ません。だって私はKJさんの部屋のクローゼットにいたんですよね?」

「それこそがトリックなんです。つまり、この建物の内壁よりも内側だけが回転しているんです。ボクたちの部屋で言うと、クローゼットの扉よりも内側だけが回転している」

 数秒経ってから、二人の顔に様々な感情が浮かび上がった。金子なんて声が出ていたし、松本は口をあんぐりさせて固まっている。ボクだって初めてそれを理解したとき、完全に停止してしまった。それくらい、このシンプルな答えは衝撃だった。

 さっき、ボクが自分の部屋のクローゼットに入ったとき。十号室にあたる位置のスイッチを押した。それにより、建物の内側だけが回転していたのだ。ボク自身は全く動いていない。クローゼットの隙間から射し込んでくる光が変化するのがわかった。そうして、クローゼットの扉を開けた先はエーツーの部屋になっていた。あのときの興奮は今でも体が覚えている。

「どうしてこんな・・」

「麻郎さんはこれを利用したトリックを用意していたはずです。実際には、エーツーに利用され、本人も殺されてしまいましたが」

 驚く二人を残したまま階段を下りる。こうして話している間も、エーツーはどこかで見張っているかもしれない。その可能性は低いと思いつつ、念のため広い場所にいることにした。

「エーツーはどうしてそれに気付いたんでしょう」

「わかりません。でも、この建物の秘密に気付き、麻郎さんを脅したはずです」

「脅した?」

 階段を下りる松本が声を漏らした。そんなこと知らなかった様子で。

「ボクだってその場面を見たわけじゃありませんよ。でもたぶん、麻郎さんは脅され、話すこともできなかったはずです。彼が部屋にひきこもっていた時間がありましたよね」

 歩きながら振り返り、少し上にいる松本の様子を伺う。彼は怪訝な顔をしながら考えていた。

「ヤマケンさんが殺され、テルテルさんも殺されたとき。ボクたちに姿を見せない時間がありました。松本さんも中に入らなかったんですよね」

「・・はい。麻郎様からそう言われていたもので」

「たぶん、エーツーの指示だったんでしょう。だからこそ、その後もこの建物からの脱出方法を言い渋っていた」

 中央の席に着き、二人が到着するのを待つ。背もたれに背中を預け、少しずつ興奮を沈めていく。

 麻郎が風呂に入り、殺害される前。彼はこの屋敷からの脱出方法があると口にしながら、具体的な内容は言わなかった。エーツーに脅され、彼なりに足掻いていたはずだ。そしてその直後、エーツーから殺されてしまった。話されてしまうことを恐れたのか、エーツーに利用されて人生を終えた。

「麻郎様を殺害したときも、先程のトリックを利用していたのですか?」

「おそらくは。一階にはクローゼットがありませんが、その代わりとなるものといえば、浴室の鏡の奥にあった空洞と玄関。そこが、二階でいうところのクローゼットになっているんでしょう」

「では、エーツーはその場所に立ち、この建物を回転させた。それにより浴室が目の前にやってきたのですか」

 松本の察しがよくて助かった。細かいところはボクにもわからないけれど、エーツーはそのようにして誰にも見つからずに浴室へ侵入した。そして、シャワーを浴びていた麻郎を殺害したはずだ。

「だからこそ、玄関の扉が開かなかったんです。最初、ボクたちがここへ入ったときは通常の配置だったはずです。それが、中へ入った後で麻郎さんが建物を回転させた。一部屋分なのか、そうでないのか。玄関扉の向こうに風呂場の空洞がこないような配置にすれば問題はありません。すると玄関扉の向こう側にはもう一枚の壁がきてしまうから、どれだけ押しても扉は開かないし、カギを掛ける必要もないんです」

「では、通常の位置に戻せば玄関の扉が開く・・!」

 玄関の方へ視線を送り、松本が興奮していた。金子はまだ信じられない様子で怯えている。まともに考えられる状態ではないようだ。

「そうだと思います。さっきやってみた感じ、このスイッチの一番下にあるのが玄関の位置みたいです。それを基準に考えると―――」

 十個あるスイッチの一番下にあるボタンを押す。何も感じないものの、この建物全体が回転しているはずだ。そして今、玄関は通常の位置に戻っている。

「出られる状態ですか? それでは急ぎましょう!」

 今にも飛び出していきそうな麻郎をなだめる。感情に任せて行動するのは危険極まりない。

「万が一、万が一の話ですよ。エーツーが建物の外で待ち構えているかもしれません。無防備に出るのは危険かと」

 松本の動きが止まり、ジッと考え込んでいた。

「考え過ぎだとは思います。でも準備するに越したことはありません。幸いまだ時間は一時間以上ありますから、最低限の支度を済ませましょう」

「武器になりそうなもの、用意しておきます」

 金子が言うと、なんだか可笑しかった。

「他の皆様は・・どうしましょうか」

 松本が苦悶の表情を浮かべている。おそらく、彼にとっては麻郎の遺体を置いていくことが許されないのだろう。他の四人はおまけに過ぎない。彼は、忠誠を誓ってきた麻郎をここに残していく罪悪感に耐え切れないはずだ。

「諦めましょう。生きている自分の身を守るべきです」

「―――わかりました」

 感情を押し殺した声で言う。奥歯を噛み締めているに違いない。

「バラバラに動くのは危険です。三人で一緒に荷物を詰めましょう。順番に」

「急いだ方がいいのでは? もしエーツーが屋敷の外にいるなら、建物の中は安全ということですよね?」

「金子さんの言う通りですが・・、どこかの部屋に隠れている可能性はあります。一人で部屋に戻るのは怖くないですか?」

「そのときは悲鳴をあげますから、お二人は逃げて下さい」

 どうやら金子は本気で言っている。そんなリスクを負いたくはないけれど、焦ってしまう気持ちは理解できる。どちらにしろボクの考え過ぎだろうし、急いで身支度をすれば大丈夫か。

「それでは、最低限の荷物だけ持ってここに集まりましょう。揃い次第、すぐに脱出します」

 二人が頷くのを見て、ようやく終わりを迎えられる気がした。

 四人は殺されてしまった。でも、ついにその殺害方法を暴くことができた。この建物の秘密も理解し、どんなトリックでも解決できる自信がある。―――それなのに、目の前に麻郎はいない。ボクの願いを叶えてくれる男はもう、いない。何のためにここへ来たのか。必死になって推理した価値はあったのだろうか。

 自分の無力さ、麻耶子に辿り着けない絶望、それらを噛み締めながら、脱出の準備を進めることにした。


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