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誰が為に  作者: 島山 平
30/42

4日目 (4)

「KJ様! 大丈夫ですか?」

 突然目の前に老人の顔が現れ、意味がわからず言葉も出なかった。先程まで麻耶子と話していたのに、今度はおじいさん。すぐにさっきのが夢だと気付き、現実の味気なさに愕然とした。

「何があったんですか? エーツーに襲われたのですか?」

「―――ナベさんに」

 思い出した。勝手にボクの部屋に入っていたナベと話していたら、急に意識を失ったのだ。その直前、彼は何と言っていただろう。確か、叶えたい願いについて話していたような気がする。

「ナベさんはどこにいますか?」

「それが・・」

 松本が言葉を飲み込んだように見えた。辺りを見渡すと、部屋の奥で金子が立っていることに気付いた。不安そうにこちらの様子を伺いながら、決して目を合わせてはくれなかった。

「ナベ様も被害に・・」

「え?」

 まさか、という思いでいっぱいだった。あれだけエーツーを警戒し、答えがわかったような態度だったくせに。理由も説明せず、ボクをぶん殴ってくれたくせに。

「どこです?」

「キッチンで、突然エーツーに襲われました」

「二人は無事なんですね」

 目の前にいる松本には怪我をした様子はなかった。壁際の金子もそうだ。ナベが襲われているところを見たのに二人が無事なのはなぜだ。

「ナベ様と話していたところで、急に撃たれたのです。キッチンの外からエーツーが入ってきて」

「姿を見たんですか!」

「逃げることに必死でしたが、確かにこの目で見ました」

 謝罪するように頭を垂れ、松本が歯を食いしばった。生きて帰るだけで精一杯だったに違いない。ナベを見殺しにしたことを責める気はなかった。

「見に行きます」

 半分眠ったままの体に鞭を打つ。松本に支えてもらいながら立ち上がる。ゆっくりと歩き出し、金子を含む三人で部屋を出た。


 キッチンへ入った途端、真っ先に金子が短い悲鳴をあげた。その理由はボクにもすぐにわかり、隣にいる松本も絶句していた。

「今度は左脚ですか・・」

 一人で歩き出し、キッチンの中央で倒れているナベの元へと向かう。彼の全身を見下ろし、切り離された左脚に注目した。辺りはナベの体内から溢れた血液で汚れていた。

「なぜ、こんなことに・・」

「え? 松本さんたちが見たときは、ナベさんはこの姿じゃなかったんですか?」

 ヨロヨロと近付いてきた松本は、小刻みに何度も頷いた。

「外から撃たれ、私たちはすぐに隠れましたから。しばらくしてもエーツーが襲ってくる気配がないので、金子と二人で二階へ逃げたのです」

 入り口に立ち尽くしたままの金子も静かに頷いた。となると、二人がキッチンから逃げ出した後で、エーツーはナベの左脚を切断したことになる。壁の時計は午前九時前を示している。ナベに殴られたのが一時間ほど前とすると、時間的には可能に思えた。問題は、何を使って、どこで実行したのかだ。そして、なぜそんなことをしたのか。

「ここでやったんでしょうか」

「おそらくそうでしょうね。外へ出して戻す理由もございませんし」

「わからない・・、どうしてエーツーは手脚を切断するんだ」

 最初から、それだけは全くわからないままだ。殺害方法も犯人もわかっている。それなのに、この謎については微塵も見当がつかない。もう、エーツーの趣味なのではないかと思ってしまうほど。

「KJ様、どう致しましょう。もう時間がございません」

「エーツーのことは一度忘れて、ここから脱出することを優先しましょう。建物の外へ出てしまえばエーツーから襲われることもありません」

 松本の返事を待たずに歩き出す。金子の横を通りキッチンを出て、いつもの席へと向かった。夢の中で麻耶子の言っていたことが頭を離れない。この建物の意味を考えろ。麻郎の部屋で見つかったスイッチに注目しろ。麻耶子はそう言っていたのだ。それがわかれば、ここから出ることも可能だという。

「KJ様、何かお考えがあるのですか?」

 キッチンから二人が出てくる。一時も離れたくないのか、二人で隣り合って。

「考えます。あと三時間しかありません」

 二人がそれぞれの席に着く。この建物の中で生き残っているのはボクたち三人だけ。こうして集まっていれば、さすがにエーツーも襲ってはこないはずだ。

「エーツーはどうやってカギの掛かった部屋に入ったのか。そして、こうしている間も、どうやって隠れているのか。二階のどこかにいるとして、ボクたちと出くわしたらどうするつもりなんでしょう」

「確かに、隠れているのも危険ですね」

 先程ナベを殺害したとき、エーツーはどこかから姿を現している。それなのに、今はどこにもいない。隠し部屋があるのか、ボクたちが何かを見落としているのか。その理由はこの建物にあるのかもしれない。麻耶子のヒントが正しければそうなる。

「十二時になる前にエーツーは脱出するのでしょうか」

「でしょうね。そのときボクたちと会うかもしれない」

 エーツーが移動するとしても、今見えている部分を通ることはないはずだ。となると、各部屋同士が繋がっていると考えるべきなのか。でも、ボクたちの部屋に抜け道はなかったし、例えばボクの部屋から直接テルテルの部屋へ行こうと思っても不可能だ。そんな道はなかった。

「移動することなく別の部屋へ行くことなんてできるのか・・」

 無意識に頭を抱えてしまう。エーツーの移動手段がわからない。それがわからない限り、ボクたちに勝ち目はないし、脱出することもできない。麻耶子の言葉を頼りにしても、やはり意味などわからなかった。

「そういえば、どうしてエーツーは姿を現したんでしょう。さっき、キッチンでナベさんを撃ったとき」

 金子が呟くように言う。

「このフロアにいたことは確かなのです。もの凄くリスクの高いことをしているように感じます」

 松本が同意した。現場を見ていたのは二人だけだ。ボクは信じて推理するしかない。

「これまでは直接部屋の中へ入っているのに、今回だけ違う。何が違うんでしょう」

 フロア中央のこの席にきたのに、またキッチンへ向かいたくなった。ナベの遺体があるとしても、見なければならない。

「キッチンへ行かれるのですか?」

 立ち上がったボクに松本が訊く。

「すぐに戻ります」

 どうしても、こだわってしまう。おそらく、ここに重要な点があるからだ。リスクを負ってでもエーツーは一階フロアへ姿を現した。つまり、直接キッチンへ入ることはできなかったということ。その理由さえわかれば―――。

 キッチンの中へ足を踏み入れる。先程と同じく中央でナベが仰向けになっていた。キッチン全体を見渡しても特別なことは気付かない。二階にある部屋と違うこと。何かあるはずなのに。

「ここだけ広いから、とかでしょうか」

 金子もあとを追ってきていたようだ。彼女の言う通り、面積だけならばキッチンが最も広い。他に違いはないか?

「壁が広いから、実は曲がっている分は多いですよね」

「円弧の長さってことですよね。確かに」

 金子の言うように、数学的に考える必要があるかもしれない。この屋敷は円形をしている。麻耶子の言葉にもあったではないか。この建物の形の意味を考えろ、と。

「あとは、クローゼットがないことくらいでしょうか」

 キッチンにクローゼットなど必要ない。これだけ広ければスペースにも困らないだろう。となると、全ての面が壁で囲まれていることに意味があるのか。数学的には、凸も凹もないということになる。

「何かお気付きですか?」

 松本がやってきて、三人が揃った。彼に首を振りながら、壁の様子を眺めていた。壁際には調味料が揃って並んでいる。塩コショウ、七味、見ただけではわからない香辛料も多い。

「エーツーがここへ入れなかった理由を考えているんです」

「ここだけは繋がっていないのでしょうか」

 その可能性は高いものの、理由は全く思いつかない。ブラックペッパーの蓋を開け閉めしながら、あと少しのきっかけを掴めずにいた。

「そこにこだわる必要はないのでは? 偶然、一階に誰もいなかったから出てきただけかもしれません」

 諦めたように金子が言う。それでも、ボクはこの考えにこだわりたかった。岩塩を手に取り、残り時間の短さに焦っていた。

「ナベさんを撃ったとき、彼は私と松本さんを見逃しました。それは―――ターゲットが決まっているからでしょうか」

「ボクはターゲットに含まれているんですかね」

 ゾッとする思いだった。金子と松本が違うとはいえ、ボクがそうとは限らない。現に、すでに四人が殺害されている。残る一人、ボクが殺される場面が簡単に頭に浮かんでしまった。右手で掴んだプラスチックケースの蓋をクルクル回す。中から答えがポロッと出てきてくれはしないだろうか。


 あれ―――? 


 今、何かに気付いたように思う。

「KJ様、外へ出ませんか? ここに長居するのはちょっと・・」

 松本に返事をする余裕などなかった。たった今頭に浮かんだ疑問の正体、それを思い出すことが重要だった。なんだろう、調味料がいい刺激をくれたのか。蓋をクルクル回してみる。そこにヒントがあるような気がした。

「KJ様?」

「・・ぅわ!」

 岩塩の入ったプラスチックケースを落とし、足元で跳ねて転がっていくのをただ見ていた。自分の体が思うように動かない。視界は揺れ、意識だけが天井まで浮かび上がる感覚だった。

「どうされましたか!」

 すぐ側まで松本が駆け寄っている。彼の姿が視界に入りつつ、視線を動かすこともできなかった。転がったケースは壁にぶつかり、おとなしくじっとしていた。

 まさか―――本当に答えがあるだなんて思いもしなかった。

「・・わかりました」

「何がでしょうか?」

「この建物の秘密です」

「え!」

 ようやく体に熱が戻り、動き始めることができた。隣にいる松本が酷く驚いた顔をしている。それがなんとも滑稽で、笑いが溢れ出てきた。

「そういうことだったんだ・・。だからカギの掛かった部屋にも侵入できた」

「KJ様! どういうことです?」

「確認しないと。あっちに戻りましょう!」

 心が慌てふためいている。それに振り回されぬようジッと堪えながら、一歩ずつ着実に歩く。自分で自分をわざと焦らしながら、辿り着いた答えに向かって進んでいく。

 本当に、麻耶子の言う通りだったのだ。


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