1日目 (2)
リムジンというものに乗ったのは、今日が生まれて初めてだ。おそらく、このイベントが終わればもう二度と乗る機会なんてないと思う。こんなに広くて居心地のよい乗り物に乗ってしまえば、努力という言葉を忘れてしまいそうになる。車内には見るからに高そうな飲み物が置かれ、まるで高級レストランの飾りのようなフルーツの盛り合わせもある。とても車内で食べようとは思えず、その側にあったクラッカーに手を伸ばす。上に乗ったチーズがやけに淡白で、これが高級品というものかと実感する。味と値段を考えたら、コストパフォーマンスはひどく悪い。
窓から見える景色は、先程からたいして変わらない。木々に囲まれていて、時折遠くの山が見えるくらい。かれこれ五分ほど登っているはずだ。いったいどこまで行くつもりなのか。
リムジンに乗せられる前のことを思い出す。山の入り口にはフェンスで柵がされ、最初は国が管理している土地にしか見えなかった。発電所の入り口みたいなものだ。そこが集合場所で、ボク以外に五人の男が集まった。そこまでは全員がタクシーでやってきたようだ。このイベントの会場には駐車場がなく、そうしろと指示があった。あらかじめ集合場所の住所は連絡があり、それをタクシーの運転手に伝えると、迷わず辿り着くことができた。地元では有名な場所なのかもしれない。
ボクが到着する前に、二人の男が着いていた。その二人の距離は離れていて、初対面というのは本当だと思う。そこにボクが合流して今回のイベントについて軽く話し、そこから十五分もしないうちに、残りの三人がやってきた。
八月十三日の午前十一時二十分、待ち合わせは十一時時半という指定だった。今日も相変わらずひどい暑さで、全員が汗だくになっていた。宿泊ということで荷物も多かったし、日陰で休んでいても汗は吹き出す。そんな最悪のコンディションだった。
約束の時間になると、柵の向こう側から車がやってくるのが見えた。道が続いていることは見てわかっていたけれど、本当に車がやってくるまで、正直少し不安な部分もあった。ここまできておいて、騙されているのではないかという疑いもあったからだ。
「ようこそ、ミステリーワールドへ」
リムジンの運転席から降りてきた男性はそう言うと、ボクたち六人を後部座席へと案内してくれた。彼は〈松本〉と名乗り、自らを執事だと説明した。彼の服装はドラマに出てくるそれと酷似していて、これほど暑いにも関わらずスーツを着ていた。口元には整った髭を生やし、胸元には蝶ネクタイ。まるで役者のような格好に、思わず笑いそうになった。
リムジンに乗せられたボクたちは、用意された飲み物に手を伸ばして涼しさに癒されていた。本当に、あと五分でも外に立たされたら死んでしまっていたかもしれない。こうしてボクたち六人を載せたリムジンは山道を進み、平坦な道に出たと思った途端、その建物が目に入った。
「これはまた・・、いかにもって感じだな」
先にリムジンから降りた男の言葉に、ボクも強く賛同した。
整備された駐車場はコンビニの二倍ほどの広さで、周囲を背の高い木々で囲まれていた。そんな中、嫌でも目に入るのは、ボクたちの目の前にそびえる丸い建物だった。正確に表現するなら、『円柱形』の館だ。
「ようこそ、理の館へ。さぁ、中へ御案内致します」
松本がゆっくりとした足取りでリムジンから離れていくのを見ながら、いよいよ始まるのだと実感が沸く。それに、目の前の建物の迫力に圧倒されているのも事実だった。立っている位置から見る限り建物は円柱形で、その高さは十メートルほどだろうか。
驚くのは建物の形状だけではない。少なくとも見えている部分には壁しかないのだ。窓や屋根はなく、円柱形の壁だけで建物が成立している。唯一、今松本が辿り着いた位置にある扉だけが例外だ。高さ二メートル以上の扉があるけれど、それ以外は何もない。出っ張りもないのだ。補足するなら、入り口の扉もやや湾曲している。円周に沿った形状で、どこにも突起はなかった。
「楽しくなりそうですね」
側にいた三十歳前後の男が、怪しげに口元を緩めて歩き出す。他の四人は松本に続いて建物に近付いており、ボクだけが動けずにいた。扉を開けたままの松本が微笑むのが見え、まるで怯えていると思われているような気がした。
「やってやるよ」
誰にでもなく呟き、一歩ずつ歩みを進める。
入り口の扉から中へ入ると、十畳ほどのスペースがあった。いわゆる玄関にあたる位置だけれど、広いせいか、ひとつの部屋にしか見えなかった。しかも、家にあるような段差がなく、一面がフラットになっている。靴を脱ぐ場所がわからず辺りを見渡してしまった。
「どうぞ、靴のまま入って頂いてかまいません」
松本が手で先を示しながら言う。
「皆様以外は誰もいらっしゃらないので、どうぞおかまいなく」
「参加者は俺たち六人ってことですか?」
「はい。私を含め、この館には三人がおりますが、推理して頂くのは皆様六人だけでございます」
話しながら、松本は扉の正面に伸びている通路を示した。
「この先におりますので」
ボクたちは玄関の様子を観察していた。それでも、真白な壁があるだけで、すぐに見るところはなくなってしまった。松本に続いて横幅五メートルほどの通路を進みながら、奥にまた扉があるのが見えた。通路の長さは十メートルほどだろうか。六人とも、一言も発することはなかった。これから待ち受ける状況に身構えているように感じた。
通路の先にある扉を松本が開けると、その先には広大な広間があった。ザッと見渡して見えるのは、十人ほどが利用できるテーブル、テレビ、カフェテリアでよく見かけるような向かい合ったソファーもあった。
そして、ついに彼と出会うこととなった。ミステリーワールドの創始者、格内麻郎に。
彼のすぐ側には一人の女性が立っていた。麻郎よりも、彼女の方が身長が高かった。ボクたちはフロアの入り口で立ち止まり、誰一人として口を開くことはなかった。
「さぁ、皆様。まずはこちらにお掛け下さいませ」
松本に指示されてようやく歩を進め、テーブルへ向かった。円形のテーブルを十脚の椅子が囲んでいる。やはりここでも円形が主張されていた。ボクたちは隣り合って腰掛け、席のちょうど半分が埋まった。
「遠いところ、ようこそ来てくれた」
格内麻郎がテーブルへ向かって進んできて、その後ろを女性がついてくる。松本はフロア入り口付近で立ち止まったまま、静かに微笑んでこちらに視線を向けていた。
ボクたちは誰一人として声を発することができなかった。それはこの建物が円柱形だからだとか、若い女性が想像以上に綺麗だったからではない。フロアに死体が転がっているわけでもないし、ひどいニオイがするからでもない。格内麻郎の姿を見て、度肝を抜かれたからだ。
「私の姿に驚かれたのだろう。奇妙な体で申し訳ない」
テーブルの側へ到着した格内麻郎は、深々と頭を下げた。腰からではなく、頭だけを。
「生まれつきでな。原因は不明なのだが、これまで世間には公表せずにきた」
テーブルの側にいる彼は、全身が見えていた。テーブルで下半身が隠れていないということだ。そして、全身が見えている彼には、両腕、両脚がなかった。
「さぁ、まずは食事だ。これからのためにエネルギーを蓄えてもらった方がよいだろう。―――金子、頼むぞ」
「はい」
格内麻郎は首だけで振り向き、背後の女性はこれでもかという程の小声で返事をした。すぐに歩き出し、フロアの入り口から見てほぼ正面にある扉へと向かう。その後ろ姿を見ていると、なぜだかわからないけれど、どこか懐かしく感じてしまった。