3日目 (10)
こんなに屈辱的な思いをしたのは久しぶりだ。騙され、すぐ側にいたやつを殺され、その方法もわからない。完全に敗北している自分の状況に反吐が出る。これまでの人生で、これほどまでに完敗したことはなかった。
ヤマケン、テルテル、麻郎。三人とも腹の立つ部分はあったが、殺されていいはずがない。何より、願いが叶うと言われてここへきたのに、もうそれは現実のものではなくなった。それだけならまだしも、エーツーのやつは俺たち全員を殺そうとしている。詐欺にあった、なんて生温いもんじゃない。やつを返り討ちにするまで死んでも死に切れない。
この建物の秘密はわからないが、エーツーは確かに痕跡を残している。テルテルの部屋へ侵入した以上、部屋の入り口の扉以外から出入りが可能だということ。麻郎のときだって同じだ。一階のフロアから風呂場へと続く扉を経由することなく侵入し、シャワーを浴びていた麻郎を殺した。つまり、各部屋の扉に仕掛けはなく、ただのカムフラージュだ。カギに秘密なんてない。どこか別のところから移動している。
それを踏まえて部屋を漁る。トイレか洗面所、もしくはクローゼットくらいか。壁が突然くるっと回転することはない。よく観察してみても、どこにも切れ目はなかった。ナベの言うように天井や床下からという可能性はある。この後でベッドの位置を移動させるか。どの部屋もベッドは入って左手の壁に接している。それが共通していることに意味があるなら、そのままにしておくのは危険だ。
エーツーが三人を殺した理由なんて知らない。考えてもムダなんだ。大事なのはやつが俺たちの命を狙っているということ。そして、俺たちよりもこの建物について深く理解しているということ。だからこそ麻郎を殺したんだ。ここから脱出すると言い出した直後、麻郎は風呂場で殺された。エーツーは恐れたに決まっている。麻郎には自分がやっている方法がバレている、と。
麻郎が殺されたのは一番の痛手だった。この建物のことを一番よくわかっているのはあのじいさんだ。エーツーに一泡拭かせられるとしたら、あいつの力を借りるしかなかった。それなのにあっさりと殺されちまった。そのせいで俺の願いが叶うこともなくなった。麻郎がいなければ願いを叶えてもらうことなんてできない。松本にはそこまでの力がないはずだし、ここ数日間の出来事が世間に公表されたら、俺たちの立場だって危ない。だからこそ早くエーツーを取っ捕まえて、自白させなくちゃならない。
もしここを脱出できたら、何を目的にして生きていこう。仕事はある、恋人はいないが男女ともに友人は多い。これといった趣味はないが貯金はある。比較的充実した生活をしているはずなのに、心にぽっかりと穴が開いている気がするのはなぜだ。
このイベントに招待され、久しぶりに心が躍った。退屈な生活に刺激を与えてくれると思ったし、願いが叶うなら全力で取り組んでやるつもりだった。それなのに、蓋を開けてみればこんなもんだ。
麻郎の用意した謎を解き、願いを叶えてもらえたなら。間違いなく金を要求した。別に生活に困ってはいないが、働かずに済むほどの金があれば時間を買える。人生において最も重要なのは時間なんだ。金なんて最低限あれば生きていける。
願いが叶ったら、十億よこせと言うつもりだった。目的のためには十億あれば足りる。十億なんて麻郎からすれば端金だろうし。それだけの金があれば、じっくりと世界を回ることができた。見たこともない場所に行って、価値観の違うやつらと話すこともできる。気味の悪いもんだって食えるし、外人とヤルことだってできた。会社で働いているだけでは味わえない経験ができる。そうすれば、この退屈な生活から解放されると思っていた。その夢はもう、儚く散ったわけだが。
まったく、エーツーは余計なことをしてくれたもんだ。人様の幸せを奪うなんてどういうつもりなんだ。まぁ、こうなった以上は諦めよう。諦めて、エーツーとの勝負を楽しめばいい。
他の奴らには、俺が自分を犠牲にしてエーツーに挑んでいるように見えるだろうか。実際はそんなこと興味ないし、ここでのたれ死ぬのも悪くない。交通事故に遭うようなもんだ。
だが、どうせなら最後まで刺激が欲しい。一人きりで部屋にいれば、エーツーはどこかから姿を現すはず。その方法を知りたいと思うし、目の前に現れたやつを返り討ちにしたら気分がいい。もう、それくらいしか楽しみはない。
「松本さん、何かある?」
「いえ、こちらには何も」
洗面所を確認していた松本が出てきた。奥の部屋は自分で確認したし、エーツーがどこかに隠れていることはなさそうだ。
「それじゃ、あとは俺一人で十分なんで」
「本当によろしいのですね?」
「よろしいですって。誰かと一緒にいるのって嫌いなんだよね」
松本は特に食い下がることもなく会釈した。これ以上俺に関わろうという気もないんだ。最初から、こいつは自分の仕事をまっとうすることにしか興味がない。
「それでは、失礼致します」
松本が背を向け、ドアノブに手を掛ける。奥の部屋でそれを見ながら、いよいよエーツーと戦えることに緊張した。手が震えるのは武者震いだと思い込んでおく。
「もうすぐ金子が来ますから、お飲物は少々お待ち下さいませ」
「はいはい、大丈夫ですよ」
松本が部屋を出ていく。一人きりになれば、思いっきりリラックスできる。エーツー、さっさと出てきやがれ。




