3日目 (9)
午後8時を過ぎても、ボクたちは誰も殺されずに済んでいる。全員が一階に集まっていることが功を奏しているのだと思う。
昼間、部屋で金子と話した後。知らないうちに眠ってしまい、目が覚めたのが午後四時前だった。すぐ側に金子がいて、相変わらず本を読んでいた。四時間ほど眠ってしまっていたのに、その間彼女はずっと見張ってくれていたのかもしれない。もっとも、女性一人でエーツーに敵うとは思えないけれど。
その後、二人で一階へ下り、他の三人と合流した。ナベもある程度元気になっていて、意識もしっかりしていた。彼には力になってもらいたいから、復活してくれたことは幸運だった。
とりあえず栄養補給が必要だということになり、金子が食事の支度を始めた。夕食までは三時間ほど時間あった。その間にボクたちは再び屋敷の中を捜索した。ナベとセバタと共に歩き回り、松本と金子はキッチンで過ごすこととなった。
捜索した結果、いくつか理解できたことがある。
まず、建物の入り口はやはりひとつしかなく、玄関の扉は閉ざされたままだった。ドアノブは回るのに扉を押し込むことができず、まるで扉の奥に壁がある感覚だ。閉じ込められたときから同じで、どうなっているのかはわからないまま。
次に、麻郎の部屋について。間取りはボクたちの部屋と同じで、変わったことはない。麻郎が乗っていた台を浴室から運び、彼の部屋へと戻した。もう使う人はいないとはいえ、故人を偲んで悪いことはない。ただ、彼の遺体を運ぶことは誰にもできなかった。
麻郎の死因はやはりわからないままだ。三人で浴室へ入ってみたものの、成果は得られなかった。素人にはこれが限界だということだ。科学的な捜査ができないというより、あの遺体に近付けるほど精神が麻痺していない。壁の空洞も外から見てみたものの、ただのスペースだった。つまり、エーツーが麻郎を殺害した方法はわかっていない。
ただ、ナベが興味深いことを言っていた。エーツーは浴室に入らず、麻郎を殺したのではないかと。あの空洞にガスを充満させておいたように、どこかに発火装置を設置することはできる。麻郎は素早く動くことができないし、シャワーの水を流すことも一苦労だと思う。具体的な方法はわからないけれど、あそこへ近寄らずに殺すことはできそうだ。そう考えた方が、浴室へ侵入する方法を推理するよりも簡単に感じた。
麻郎の部屋で見つかったアクセサリー(ナベがそう呼んでいるだけ)について、三人で知恵を出し合った。スイッチについて色々試した結果、やはり直接何かが起きることはなかった。ただ、明らかに建物を模擬している以上、無視することもできない。十個の突起以外にひとつだけある丸印も気になる。
また、アクセサリーがきっかけとなり、この建物についても考えてみた。
建物は円柱形で、おそらく完璧な円になっている。円の形に沿うように部屋が十個並び、一階にあるのは風呂場とトイレとキッチン、それと倉庫だけ。風呂場にあったような空洞がほかにも隠されている可能性はある。
ここで、円の特性を考えてみた。半径は一定だから、フロアの中央から各部屋までの距離が同じということ。一階のテーブルから二階を見上げると、どこを見ても同じ景色が広がる。三百六十度、同じなのだ。それが何に繋がるのかはまだわかってはいない。各部屋、奥の壁は円周に沿って湾曲しているはずだ。見てもわからないくらい微妙に。それはこの屋敷の図面でも確認できた。
殺された人たちの部屋の位置関係について。麻郎の部屋は二号室、ヤマケンの部屋が五号室、テルテルの部屋が六号室だ。殺された順にすると、五、六、二。その数字の意味を考えてみても、ボクたちには何も思い当たるものはなかった。意味のないことを考えているような気がして、頭の隅に置いておくことにした。
以上が捜査した結果で、決定的なものは何もない。一応、ボクたちの所持品も調べてみた。それでも殺害に利用したと思われるものはなかった。殺された三人の荷物を調べても同じ。ヤマケンとテルテルの腕を切断した刃物だって見つからないままだ。
こうして、ボクたちは打開策を得られないまま、午後七時に夕食をとった。のん気に食事をしている場合ではなかったし、建物の中に殺人鬼がいる可能性が高い。誰も、場を盛り上げようとはしなかった。
そして、食事を終えて全員が手持ち無沙汰になったとき、ついにセバタが動いた。
「俺、おとりになるよ」
コーヒーカップをテーブルに置きながら言ったセバタの言葉を、ボクたちは一瞬理解できなかった。
「二階の部屋で一人になる。エーツーのやつをおびき出してやる」
「ダメです、危険すぎます」
「このままじゃらちがあかねぇだろ」
ナベの言葉に耳を傾ける気配はまるでなかった。セバタの中で、それを実行するのは決まっているように見えた。
「ただじゃ死なねぇから大丈夫だ。それに、あんたらにも手伝ってもらう。部屋のカギは開けとくし、ずっと見張っててくれ。こっからでもいいし、廊下にいてくれてもいい。居眠りはゴメンだけどな」
笑っているセバタの表情には開き直った色が浮かんでいる。エーツーと直接勝負することを覚悟している顔だ。
「これからずっと起きているつもりですか?」
「あぁ。徹夜くらいどうってことねぇよ。エーツーと根比べしてやる」
「ですが・・」
ナベが心配そうに眉を潜める。セバタの案に賛同していないことはよくわかる。ただ、こちらから動く必要があるのも事実だ。
「テルテルのときみたいに、部屋にカギをしていたってムダなんだ。となると、エーツーはどうやって殺しにくるのか。お手並み拝見ってとこだな」
「彼は突然現れるはずです。壁や天井から、秘密の抜け道を使って。トイレに入っている間に忍び込まれたら勝ち目はありませんよ?」
「俺だってわかってるさ。悪いけど包丁を借りてくぞ。武器になりそうなもんくらい持ってねぇと」
金子は戸惑いながら頷いた。どうすべきなのか自分では判断がつかない様子で。
「あんたらは四人で集まっててくれ。俺が囮になってる間に、あんたらの誰かが油断して殺されたなんて勘弁してもらいてぇし」
「それはもちろんですが・・」
ナベが助けを求めるような視線を送ってくる。正直、ボクはセバタの作戦に乗っかりたい。全員で協力すればエーツーに勝てるかもしれないし、このまま疲労していくだけというのは困る。―――自分が危険な目に遭わないというのが条件になっているのは確かだ。
「よし、そうと決まればさっさとやろう。なぁ、夜食になりそうなもんを用意してくれねぇか? ずっと部屋にひきこもらなくちゃならんから」
「・・かしこまりました。すぐに用意します」
金子が立ち上がり、空になったコーヒーカップを片付け始める。それを見ながら、ボクたちはこの流れを止めることができないのだとわかった。ナベも、感情とは裏腹に理解している。セバタの案が最も手っ取り早いことを。
「あんた、ついてきてくれ。今はまだ部屋の中が無事だってことを確認してぇし。二人はここに残ってくれて構わねぇから」
セバタが立ち上がり、松本がそれに続いた。
「さぁ、今日で終わりにしようぜ。エーツーが俺の前に出てくれば、あいつがどうやって移動しているのかもわかるんだ」
「くれぐれも、無茶なことはしないで下さいね」
「彼女かよ」
ナベをバカにするような言葉も、セバタの強がりなのだとわかってしまう。一番不安なのは彼自身のはずだ。自らの命を懸けているのだから。二人が歩き出し、ボクとナベはそれを見守った。これでいいのかと自問しながら、セバタに全てを委ねてしまう。自分の弱さをしみじみと感じていた。
二人がセバタの部屋に消え、いよいよ勝負が始まった。後戻りはできない。勝たなければ先のない勝負だ。
「大丈夫ですかね」
「セバタさんを信じるしかないですね。うまくいけばこれで全てが終わる」
自分に言い聞かせるようなナベの言葉には、諦めの気持ちが含まれていた。これ以外に方法はないのだと自分を騙しているかのよう。
三分もしないうちに松本が姿を現し、こちらに向かって一度頷いた。問題はないということだ。
「とりあえず部屋の中に異常はございませんでした」
「セバタさんの様子は?」
「しっかりしておられました。自暴自棄にはなっていないようです」
戻ってきた松本も席に着き、男三人の静かな時間が過ぎる。キッチンから金子が戻ってきて、その両手でお盆を抱えていた。皿やコップを乗せ、すぐ近くに布で包まれたものがあった。
「では、運んできます」
「私も行きましょうか。一人では大変でしょう」
ナベの動きを制すように、金子が首を振った。
「私だってこれくらいできます。皆さんに頼ってばかりじゃ申し訳ありませんから」
そこに彼女の強い意志が見え、ナベもそれ以上食い下がらなかった。金子は小さく頭を下げ、一人で階段を上がっていく。セバタの部屋の前で立ち止まり、中へ声を掛けていた。すぐにセバタが顔を出し、こっちをチラッと見てから金子を部屋の中へと招いた。
それから一分もしないうちに、金子が再び姿を現した。
彼女の料理が、セバタの力になると信じたい。これから一人きりで辛い時間が続くはずだ。ボクたちはこの安全な場所から彼を見守るだけ。まさかエーツーもボクたちが見ている前を通るとは思えない。セバタがエーツーと対面するとしたら、どこかから彼の部屋に侵入した場合だけ。そうなったとき、ボクたちは完全に無力になる。セバタに全てを託し、無責任な地位を守り続けるだけだ。
金子が一階へ下りてくる。持っていたものは全て置いてきたようだ。
「大丈夫でしょうか」
誰にでもなく、呟いてしまう。
「信じましょう、セバタさんを」
「からかわれましたし、大丈夫だと思いますよ」
金子が呆れるように言った。
「『一緒に朝まで過ごしてもいいよ』って。もちろんお断りしましたけど」
セバタらしい発言に、少しだけ頬が緩んだ。再び彼の軽口を聞けるときがくる。ボクは、それを無理やり信じることにした。




