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誰が為に  作者: 島山 平
22/42

3日目 (7)

 脱衣所を見る限り、争いがあった様子はない。松本いわく、麻郎の衣服はロッカーに入っているらしい。すぐにそれを見付け、三人で広げてみた。Tシャツと短パン、下着。そのどれもおかしな形跡はなかった。

「それじゃ、開けますよ」

 浴室へと続くガラス扉に手をかけ、こちらを振り返りながらナベが言う。緊張した表情をしていて、それはボクも同じだと思う。

 ナベがゆっくりと扉をスライドさせると、中の様子が少しずつ見え始めた。通路、浴槽、そして―――奥のシャワースペースの床にそれはあった。先程と同様、焼け焦げた人間の姿が。

 すぐに壁際の換気扇をつけ、ナベが短く息を吐いた。

「入ります」

 自分に言い聞かせるようにナベが呟き、大きな一歩を踏み出した。隣ではセバタが歯を食いしばり、必死にそれを視界に入れないようにしているようだった。

「何かに気付いたらすぐに言いましょう」

 ナベは口元を抑えたまま調査を開始した。ボクたちもどうにか中へ入り、各々が任務をまっとうする。ボクは浴槽を覗き込み、何か重要なものがないか観察することにした。セバタはナベの近くでシャワースペースを見渡していた。

 浴槽の中に特別なものはない。血痕はないし、ぶつかったような跡も。壁の様子をチェックしてみても、隠し扉があるわけでもなかった。

「何もありませんね」

「でも、どこかに通じる道があるはずです。そうでなきゃ、エーツーは出入りできない」

 決め付けているようなナベの口調だった。彼の言う通りではあるものの、それがこの浴室の中だけとは限らない。脱衣所にあったっていいはずだ。

「俺、あっち見てきていい? ちょっとキツいわ」

「どうぞ。私もさっさと済ませます」

 セバタがボクにも小さく手を挙げ、一人で脱衣所へと戻った。彼をズルいと思いながら、ボクも早く終わらせることにした。

「何もなさそうですね」

「そんなはずはないんです。麻郎氏はここで殺害された。たぶん、殺された後で燃やされたんでしょう」

 ナベが床に倒れている台を見ている。麻郎の体はシャワーの下にあるけれど、台は通路の中央に倒れたままだ。きっと、犯人が麻郎をシャワーの下まで運んだのだろう。

「麻郎さんの死因って―――」

「見てくれますか? 私にはできない」

 ボクも首を振る。それを直視できず、ボクたちには打つ手がなかった。麻郎の体には刺し傷があったり、殴られた痕があるはずだ。でも、とてもそれを確認しようとは思えない。

「どうして犯人は麻郎氏を燃やしたのか」

「―――ヤマケンさんたちは違いましたもんね。腕は切断されていましたが」

 二人の様子を思い浮かべ、麻郎の場合と何が違うのか探してみる。

「燃やす必要があった、ということでしょう。理由はわかりませんが」

「本当は全員の遺体を燃やしたかったのかもしれませんね。他の二人は部屋だったから、火災を恐れてできなかった。でも、ここは風呂場だから燃やしても問題はない」

「KJさん、発想が怖いですよ」

 ナベが驚いた顔でこちらを見ている。

「燃やしたってことは、火を用意していたことになります。偶然じゃなく、犯人がそれを計画していたことになりますよね」

「確かに。何のために燃やしたんだろう。よくある理由としては、証拠を燃やすためか、顔や指紋を潰してしまうため」

 ナベの言うように、そのような理由は小説によく出てくる。でも、今回の場合は当てはまらない気がする。登場人物とその役割が決まってしまっている。

「何か見つかったかー?」

 扉の向こうからセバタの声が届いた。一人だけ天国のような場所にいる。

「わかりません。そちらは?」

「ただの脱衣所としか思えねぇ」

 水道で水を流す音が聞こえる。ボクも早く手を洗いたい。こんな場所を触ったままでいたくない。

「あ―――」

 突如、あることが閃いた。そして、たった今頭に浮かんだ考えが、なぜだか正解としか思えなかった。

「どうしましたか?」

「ナベさん、あそこのシャワースペースに近付けますか?」

 麻郎の倒れていた位置を指差す。当然、そっちに顔を向けず。

「正直ムリです。気が狂いそうです」

「ですよね。それこそが目的なんじゃないですか?」

 絶対にそうだ。この考えが正しければ、秘密の抜け道を発見できたことになる。

「あそこに近付けさせないことがですか? ―――そういうことですか?」

 ナベも気付いたようだ。奥のシャワースペース(正確にはその向こうにある壁)を見つめ、眉間に皺を寄せる。

「たぶん、あの鏡の向こうですよ」

 忍者屋敷みたいなものだと思う。おそらく、鏡の裏側には抜け道がある。

「そんなことってありますか・・?」

 ナベが歯を食いしばり、最大級の苦笑いを見せた。

「まだかー?」

「セバタさん、抜け道がわかりました!」

「マジ?」

 すぐに扉が開き、セバタが顔だけを覗かせた。

「どこどこ?」

「あの鏡の向こうです」

「鏡のって―――うわっ!」

 それが視界に入ってしまったのか、セバタが素早く顔を伏せた。そう、普通の人間はこの反応をする。焼死体なんて、専門家でもなければ見る機会はない。まともな精神をしていれば、側に寄ることもできないのだ。

「確認してみますか」

 ナベが大きくため息をつき、諦めたようにボクに視線を向けた。そうするしかないし、ボクも頷く。一人きりじゃないだけマシだろう。

「あんたら本気? 俺はパスするぞ?」

「黙ってて下さい」

 ナベが歩き出し、顔を伏せたまま麻郎の遺体へと近付く。彼に続いてボクも向かう。どうがんばっても、麻郎の遺体は視界に入ってしまう。心の中で、ただの生ゴミだと思うことにした。幸運だったのは、鼻が麻痺したのか腐敗臭を感じなかったことだ。さっき吐いてしまったのも、ニオイが原因の大部分を占めていた。

 麻郎の体を避け、ボクたちは鏡の前に辿り着いた。これだけ努力して何もないだなんて認めない。ゆっくりと手を伸ばし、鏡にあるはずの仕掛けを探す。

「スイッチとかありませんかね」

 ナベが鏡と壁の間を覗き込む。ボクは足元の辺りを探し、どうにかして扉の奥へ辿り着く方法を探った。

「最悪、割るしかないですね」

「道具取りに戻るの嫌ですよ」

 ナベが顔をしかめた。少しずつ彼とも打ち解けられてきた気がする。

「・・あ!」

「なんかありました?」

 ナベが鏡の側面を見つめている。そうかと思ったら強く鏡を押し始めた。

「おお!」

 鏡は少しずつスライドを始め、次第に鏡の奥の様子が見え始めた。そして―――、ボクたちの勝利が確かなものとなった。

「やっぱり、KJさんの言う通りでしたね」

「よかった・・」

 本当に、成果があってよかったと思う。目の前には壁がなく、あるはずの位置には空洞が存在していた。暗くてよく見えないけれど、中へ入ることもできそうだ。

「セバタさん! 壁に穴が開いていますよ」

「マジかよ!」

 ついにセバタが浴室へ入ってきた。それでもすぐに立ち止まり、遠くから壁の穴を見つめている。

「中はどうなってる?」

「暗くて・・、入ってみますか」

 ナベが恐る恐る手を中へ入れ、向こう側の様子を探っている。空洞の入口の高さはボクの顔くらいまで。一メートル五十以上はある。横幅は人間一人よりも広いから、出入りするのは簡単だ。

「何もなさそうですね」

 全身を中へ入れ、ナベが上を見上げている。ずるいとは思いつつ、ナベの無事を確認してからボクも入ることにした。

「どこかに繋がってますか?」

「いや、ただのスペースだけみたいだ」

 壁に触れてみても、コンクリートにしか感じられない。鏡の向こうにあったここを、エーツーだって利用したはずだ。麻郎を殺して、燃やして、エーツーはどうやって脱出したのか。人が二人ほど入れるスペースだけれど、これ以上どこへも行くことはできなかった。

「ただの壁―――ですよね」

 ナベが壁を叩く。ボクも強めに蹴ってみる。それでも全くびくともしない。更なる隠し扉も見つけられなかった。それなのに、どうしてだろう。息が苦しくなってきた気がする。

「あの、ナベさん・・」

 声を掛けようとしたとき、すでにナベが床に座り込んでいた。

「ナベさん!」

「・・・」

 何か嫌な予感がする。この空洞の中にいるせいで、体に何かが起きている。

「外に出ましょう!」

 一度外に出て(目の前にはあれが転がっている)、ナベの腕を引っ張る。彼も顔を上げてボクを見ている。苦しそうに目を細めながら。

「どうかしたのか?」

「手伝って下さい! 早く!」

「なんだよ・・」

 セバタが入り口付近でちんたらしているせいで、ナベを外に出すのに苦労してしまった。座り込んだままのナベを見ながら、ボクも自分の呼吸が乱れているのに気付いた。

「何かあったのかよ」

「息が・・苦しいです」

「はぁ?」

 もうセバタの相手をするのがしんどくなってきた。空洞の中にいるときよりは息苦しさは減ってきたし、たぶんもう大丈夫。もしかすると、あの中に変な気体でも充満していたのかもしれない。

 ナベの意識が確かなことを確認し、ボクは一人でゆっくりと立ち上がる。後ろにあるそれを踏まないように注意しながら、浴室から出ることにした。

「毒ガスでもあったのか?」

「さぁ。空気が薄いというか・・、頭が痛くなりそうです」

 セバタの横を通り抜け、明るい脱衣所へ出る。壁際に置いてあった椅子に腰掛け、鏡越しに自分の顔色を見た。ひどく疲れた顔をしているものの、特別問題はなさそうだった。

「ナベさんを連れてきてあげてください。早く新鮮な空気を吸った方がいいです」

「はぁ? なんで俺が」

「あとは任せました」

 セバタを無視して目を瞑る。先ほどの様子が脳裏に浮かんだ。せっかく見つけたあの場所も行き止まりだった。エーツーが利用したと思っていたのに。

「―――チクショウ、めんどくせぇな!」

 セバタが移動している。諦めてナベを助けにいってくれるみたいだ。

 目を瞑ったまま、可能なかぎり自分を落ち着かせながら考える。

 あのスペースに罠が仕掛けてあった。ということは、やはり事件に関係しているということ。エーツーは麻郎の遺体を燃やし、鏡に近付けないようにした。さらに念入りに、空洞の中に罠を仕掛け、ボクたちを真実から遠ざけようとしている。酷い目に遭ったものの、自分たちが犯人に近付いているという証拠でもある。

 一歩ずつ、この建物の秘密を暴いている気分だった。


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