3日目 (7)
脱衣所を見る限り、争いがあった様子はない。松本いわく、麻郎の衣服はロッカーに入っているらしい。すぐにそれを見付け、三人で広げてみた。Tシャツと短パン、下着。そのどれもおかしな形跡はなかった。
「それじゃ、開けますよ」
浴室へと続くガラス扉に手をかけ、こちらを振り返りながらナベが言う。緊張した表情をしていて、それはボクも同じだと思う。
ナベがゆっくりと扉をスライドさせると、中の様子が少しずつ見え始めた。通路、浴槽、そして―――奥のシャワースペースの床にそれはあった。先程と同様、焼け焦げた人間の姿が。
すぐに壁際の換気扇をつけ、ナベが短く息を吐いた。
「入ります」
自分に言い聞かせるようにナベが呟き、大きな一歩を踏み出した。隣ではセバタが歯を食いしばり、必死にそれを視界に入れないようにしているようだった。
「何かに気付いたらすぐに言いましょう」
ナベは口元を抑えたまま調査を開始した。ボクたちもどうにか中へ入り、各々が任務をまっとうする。ボクは浴槽を覗き込み、何か重要なものがないか観察することにした。セバタはナベの近くでシャワースペースを見渡していた。
浴槽の中に特別なものはない。血痕はないし、ぶつかったような跡も。壁の様子をチェックしてみても、隠し扉があるわけでもなかった。
「何もありませんね」
「でも、どこかに通じる道があるはずです。そうでなきゃ、エーツーは出入りできない」
決め付けているようなナベの口調だった。彼の言う通りではあるものの、それがこの浴室の中だけとは限らない。脱衣所にあったっていいはずだ。
「俺、あっち見てきていい? ちょっとキツいわ」
「どうぞ。私もさっさと済ませます」
セバタがボクにも小さく手を挙げ、一人で脱衣所へと戻った。彼をズルいと思いながら、ボクも早く終わらせることにした。
「何もなさそうですね」
「そんなはずはないんです。麻郎氏はここで殺害された。たぶん、殺された後で燃やされたんでしょう」
ナベが床に倒れている台を見ている。麻郎の体はシャワーの下にあるけれど、台は通路の中央に倒れたままだ。きっと、犯人が麻郎をシャワーの下まで運んだのだろう。
「麻郎さんの死因って―――」
「見てくれますか? 私にはできない」
ボクも首を振る。それを直視できず、ボクたちには打つ手がなかった。麻郎の体には刺し傷があったり、殴られた痕があるはずだ。でも、とてもそれを確認しようとは思えない。
「どうして犯人は麻郎氏を燃やしたのか」
「―――ヤマケンさんたちは違いましたもんね。腕は切断されていましたが」
二人の様子を思い浮かべ、麻郎の場合と何が違うのか探してみる。
「燃やす必要があった、ということでしょう。理由はわかりませんが」
「本当は全員の遺体を燃やしたかったのかもしれませんね。他の二人は部屋だったから、火災を恐れてできなかった。でも、ここは風呂場だから燃やしても問題はない」
「KJさん、発想が怖いですよ」
ナベが驚いた顔でこちらを見ている。
「燃やしたってことは、火を用意していたことになります。偶然じゃなく、犯人がそれを計画していたことになりますよね」
「確かに。何のために燃やしたんだろう。よくある理由としては、証拠を燃やすためか、顔や指紋を潰してしまうため」
ナベの言うように、そのような理由は小説によく出てくる。でも、今回の場合は当てはまらない気がする。登場人物とその役割が決まってしまっている。
「何か見つかったかー?」
扉の向こうからセバタの声が届いた。一人だけ天国のような場所にいる。
「わかりません。そちらは?」
「ただの脱衣所としか思えねぇ」
水道で水を流す音が聞こえる。ボクも早く手を洗いたい。こんな場所を触ったままでいたくない。
「あ―――」
突如、あることが閃いた。そして、たった今頭に浮かんだ考えが、なぜだか正解としか思えなかった。
「どうしましたか?」
「ナベさん、あそこのシャワースペースに近付けますか?」
麻郎の倒れていた位置を指差す。当然、そっちに顔を向けず。
「正直ムリです。気が狂いそうです」
「ですよね。それこそが目的なんじゃないですか?」
絶対にそうだ。この考えが正しければ、秘密の抜け道を発見できたことになる。
「あそこに近付けさせないことがですか? ―――そういうことですか?」
ナベも気付いたようだ。奥のシャワースペース(正確にはその向こうにある壁)を見つめ、眉間に皺を寄せる。
「たぶん、あの鏡の向こうですよ」
忍者屋敷みたいなものだと思う。おそらく、鏡の裏側には抜け道がある。
「そんなことってありますか・・?」
ナベが歯を食いしばり、最大級の苦笑いを見せた。
「まだかー?」
「セバタさん、抜け道がわかりました!」
「マジ?」
すぐに扉が開き、セバタが顔だけを覗かせた。
「どこどこ?」
「あの鏡の向こうです」
「鏡のって―――うわっ!」
それが視界に入ってしまったのか、セバタが素早く顔を伏せた。そう、普通の人間はこの反応をする。焼死体なんて、専門家でもなければ見る機会はない。まともな精神をしていれば、側に寄ることもできないのだ。
「確認してみますか」
ナベが大きくため息をつき、諦めたようにボクに視線を向けた。そうするしかないし、ボクも頷く。一人きりじゃないだけマシだろう。
「あんたら本気? 俺はパスするぞ?」
「黙ってて下さい」
ナベが歩き出し、顔を伏せたまま麻郎の遺体へと近付く。彼に続いてボクも向かう。どうがんばっても、麻郎の遺体は視界に入ってしまう。心の中で、ただの生ゴミだと思うことにした。幸運だったのは、鼻が麻痺したのか腐敗臭を感じなかったことだ。さっき吐いてしまったのも、ニオイが原因の大部分を占めていた。
麻郎の体を避け、ボクたちは鏡の前に辿り着いた。これだけ努力して何もないだなんて認めない。ゆっくりと手を伸ばし、鏡にあるはずの仕掛けを探す。
「スイッチとかありませんかね」
ナベが鏡と壁の間を覗き込む。ボクは足元の辺りを探し、どうにかして扉の奥へ辿り着く方法を探った。
「最悪、割るしかないですね」
「道具取りに戻るの嫌ですよ」
ナベが顔をしかめた。少しずつ彼とも打ち解けられてきた気がする。
「・・あ!」
「なんかありました?」
ナベが鏡の側面を見つめている。そうかと思ったら強く鏡を押し始めた。
「おお!」
鏡は少しずつスライドを始め、次第に鏡の奥の様子が見え始めた。そして―――、ボクたちの勝利が確かなものとなった。
「やっぱり、KJさんの言う通りでしたね」
「よかった・・」
本当に、成果があってよかったと思う。目の前には壁がなく、あるはずの位置には空洞が存在していた。暗くてよく見えないけれど、中へ入ることもできそうだ。
「セバタさん! 壁に穴が開いていますよ」
「マジかよ!」
ついにセバタが浴室へ入ってきた。それでもすぐに立ち止まり、遠くから壁の穴を見つめている。
「中はどうなってる?」
「暗くて・・、入ってみますか」
ナベが恐る恐る手を中へ入れ、向こう側の様子を探っている。空洞の入口の高さはボクの顔くらいまで。一メートル五十以上はある。横幅は人間一人よりも広いから、出入りするのは簡単だ。
「何もなさそうですね」
全身を中へ入れ、ナベが上を見上げている。ずるいとは思いつつ、ナベの無事を確認してからボクも入ることにした。
「どこかに繋がってますか?」
「いや、ただのスペースだけみたいだ」
壁に触れてみても、コンクリートにしか感じられない。鏡の向こうにあったここを、エーツーだって利用したはずだ。麻郎を殺して、燃やして、エーツーはどうやって脱出したのか。人が二人ほど入れるスペースだけれど、これ以上どこへも行くことはできなかった。
「ただの壁―――ですよね」
ナベが壁を叩く。ボクも強めに蹴ってみる。それでも全くびくともしない。更なる隠し扉も見つけられなかった。それなのに、どうしてだろう。息が苦しくなってきた気がする。
「あの、ナベさん・・」
声を掛けようとしたとき、すでにナベが床に座り込んでいた。
「ナベさん!」
「・・・」
何か嫌な予感がする。この空洞の中にいるせいで、体に何かが起きている。
「外に出ましょう!」
一度外に出て(目の前にはあれが転がっている)、ナベの腕を引っ張る。彼も顔を上げてボクを見ている。苦しそうに目を細めながら。
「どうかしたのか?」
「手伝って下さい! 早く!」
「なんだよ・・」
セバタが入り口付近でちんたらしているせいで、ナベを外に出すのに苦労してしまった。座り込んだままのナベを見ながら、ボクも自分の呼吸が乱れているのに気付いた。
「何かあったのかよ」
「息が・・苦しいです」
「はぁ?」
もうセバタの相手をするのがしんどくなってきた。空洞の中にいるときよりは息苦しさは減ってきたし、たぶんもう大丈夫。もしかすると、あの中に変な気体でも充満していたのかもしれない。
ナベの意識が確かなことを確認し、ボクは一人でゆっくりと立ち上がる。後ろにあるそれを踏まないように注意しながら、浴室から出ることにした。
「毒ガスでもあったのか?」
「さぁ。空気が薄いというか・・、頭が痛くなりそうです」
セバタの横を通り抜け、明るい脱衣所へ出る。壁際に置いてあった椅子に腰掛け、鏡越しに自分の顔色を見た。ひどく疲れた顔をしているものの、特別問題はなさそうだった。
「ナベさんを連れてきてあげてください。早く新鮮な空気を吸った方がいいです」
「はぁ? なんで俺が」
「あとは任せました」
セバタを無視して目を瞑る。先ほどの様子が脳裏に浮かんだ。せっかく見つけたあの場所も行き止まりだった。エーツーが利用したと思っていたのに。
「―――チクショウ、めんどくせぇな!」
セバタが移動している。諦めてナベを助けにいってくれるみたいだ。
目を瞑ったまま、可能なかぎり自分を落ち着かせながら考える。
あのスペースに罠が仕掛けてあった。ということは、やはり事件に関係しているということ。エーツーは麻郎の遺体を燃やし、鏡に近付けないようにした。さらに念入りに、空洞の中に罠を仕掛け、ボクたちを真実から遠ざけようとしている。酷い目に遭ったものの、自分たちが犯人に近付いているという証拠でもある。
一歩ずつ、この建物の秘密を暴いている気分だった。




