3日目 (6)
誰も口を開くことはなかった。ソファーで横になって瞼を閉じると、先程の光景が頭の中で再生されてしまう。それを振り払うようにあがいても、今度は鼻についた激臭に気付く。叫び出しそうなほどの苦痛だった。
さっき、麻郎の遺体を発見した後。ボクたちはどうにかして風呂場を離れ、全員でテーブルに集まった。現場を見ていない金子だけが、オロオロと不安げにしていたことを覚えている。松本は崩れ落ちたまま立ち上がれず、セバタとナベは互いに牽制し合っていた。
シャワーを浴びると言って麻郎が浴室へ入っていったのは三十分ほど前。そのときは松本が一緒に入り、その後で彼だけが出てきた。そして麻郎の遺体が発見されるまで、ボクたちは誰も風呂場へは入らなかった。唯一、松本だけは麻郎の着替えを持ち込んでいる。とはいえ一分程度のことで、麻郎を殺害し、遺体を燃やしてしまう時間があったとは思えない。つまり、誰一人として麻郎を焼き殺すことはできなかったのだ。そうなると、姿を消したエーツーの仕業としか考えられなかった。
それにしても、なぜ彼はボクたちを狙うのか。ヤマケン、テルテル、そして麻郎。このイベントを主催した者も招待された者も命を奪われている。エーツーの行為が何のために行われているのか、まるで見当もつかない。
「なあ」
遠くから誰かの声が聞こえる。頭が現実から離れ、それが誰のものかわからなかった。
「俺たち、ここから出られるのか?」
どうやらセバタが言っているようだけれど、誰も返事をしなかった。もしかすると、できなかったのかもしれない。麻郎が殺されてしまった今、誰がこの建物からの脱出方法を知っているのだろう。
「そのうち出られるかもしれない」
「・・適当なこと言うなよ」
ナベもセバタも、まるで現実逃避をしているようだった。それはボクも同じなのに、ひどく滑稽に感じられた。
「松本さん、何か策はありませんか?」
「残念ながら・・。この建物については麻郎様しか知らないのです」
「このままわからなければ、私たちは全員生き埋めにされることになりますね」
「ふざけんなよ。勝手に呼んどいて、あんたらは何がしてぇんだ!」
「セバタさん、あまり大きな声を出さないで下さい。頭に響きます」
ナベの声は焦燥しきっていた。口調が刺々しくなっているのは、きっと無意識だ。
「悪いけど、俺は殺されるなんてごめんだぞ。エーツーってやつの望み通りにはいかねぇ」
ガタッと音が鳴り、セバタが立ち上がったことがわかる。
「どこに行くんです?」
「玄関だよ。出る方法を探してくる」
「一人で行動しない方がいい。みんなで集まっている方が安全です」
「うっせえ」
足音が聞こえ、セバタが一人で行動しているようだ。
「麻郎さんの部屋に入らせて頂けますか。中に何かあるのかもしれない」
「―――かしこまりました。私が見たところ、それらしいものはございませんでしたが」
二人が動き出し、ゆっくりとした足音が離れていく。金子と二人でこの場に残され、何もしたくなかった。体が思うように動かず、いっそのこと気を失ってしまいたいとさえ思う。
「KJさん」
金子に呼びかけられても、返事をする気にもなれない。
「お伝えしなくてはならないことがあります」
金子がすぐ側いる。頭上から声を受け、必死に瞼を持ち上げた。
「私は嘘をつきました」
「―――嘘?」
「麻耶子様に会ったのは彼女が小さい頃だけ、そう言いました」
これだけ疲労困憊していても、麻耶子の名を聞くと力が沸いてくるから不思議だ。どうにかして体を起こし、ソファーに背を預ける。
「本当は、最近も麻耶子様とお会いしているのです」
「・・いつですか?」
「三ヶ月ほど前です。麻耶子様はこの屋敷へいらっしゃいました」
金子の言葉が、ボクのスイッチを再びオンにしてくれた。頭の中に血液が広がり、体が動き出すのを感じる。
「麻耶子は何しにきたんですか?」
「麻郎様に会いにこられたようでした。色々とお話されてましたから」
「彼女は―――何か言っていませんでしたか?」
麻耶子がどんな気持ちでここにきたのか。それ次第ではボクの覚悟も変わってくる。
「私には特別何も・・。どこか元気がないような気もしましたけど、会うこと自体がかなり久しぶりだったので」
確かに。それはわからなくても仕方がないように思う。
「そのときに麻郎さんは―――」
「開かねぇよ!」
突然扉が開き、セバタの大声が響いた。玄関に行っていたはずの彼が戻ってきたらしい。
「ダメダメ! 出られません!」
相変わらず荒れた口調で言う。ボクたちの側まで戻ってきて、音を立てて席に着いた。金子に視線を送り、この話は中断してもらうよう頼んだ。彼女もそれを察し、何事もなかったかのようにキッチンへ向かっていった。
「こうなったら扉をぶち破るか」
「できそうですか?」
「さぁな。ぶっつぶされるくらいならそっちの方がマシだ」
腕を組み、セバタが冷静さを失った様子で言う。それを見ながら、ボクの折れかかった心が復活してきた。体を起こし、ふらつく脚に鞭を打ってテーブルへ向かう。このまま諦めてしまっては何も生まれない。麻耶子の居場所を突き止めるためにも、金子と共にここを出る必要がある。
「一度、落ち着いて考えませんか。ボクたちがここにきてから何が起きて、これからどうすればいいのか」
「考えてわかんのかよ」
「感情的になるよりは希望があります」
何か言い返されるかと思ったのに、セバタはボクを見つめたまま口を開かない。ジッと考えるような間の後、小さく鼻で笑った。
「あいつらが何かを見つけてくるといいけどな」
二階へ上がった二人は、今頃麻郎の部屋を捜索しているはずだ。松本は何度も入ったことがあるだろうから、ナベが何かを発見してきてくれることを願う。
五分ほど経ってから、麻郎の部屋の扉が開いた。無事に二人が姿を現し、こちらに向けて小さく手を掲げる。
「面白いものがありましたよ」
ナベがゆっくりと階段を下りてくる。松本も少し離れてついてきて、五人がテーブルを囲む形となった。
「これ、見て下さい」
ナベがテーブルに置いたものにボクたちの視線が集中した。それはアクセサリーのようなもので、大きさは直径八ミリほどだった。
「この建物の形とそっくりですね」
「そうなんです。円形で、十個の部屋があるように見えますよね」
ナベの目には光があった。力を取り戻したかのように。
彼の持つものは、ボクには単なるキーホルダーにしか見えない。円形のそれには、形に沿うように小さな丸い突起が十個ついていた。黒い突起で、この建物の部屋と同じ配置をしていた。そして一ヶ所だけ、黒い突起の下にもうひとつ小さな丸印もあった。
「扉を開けるカギか?」
「違うみたいです。でもこれ、ボタンを押せるんですよ。ほら、ひとつずつ」
ナベが黒い突起をひとつずつ押す。確かにスイッチみたいに凹むけれど、だからといって何かが起きるわけではなかった。
「さっき麻郎氏の部屋で試してみて、扉のカギの開閉とは関係なかった。でも、何か意味のあるものに違いないと思いませんか?」
「どうやって使うかわかんねぇんじゃ、持ってても意味ねぇだろ」
「必ずこれの意味を見つけ出しますよ。麻郎氏はこの屋敷の秘密を知っていた。カギの掛かった部屋を移動する方法も、建物の扉から出る方法も」
「・・あの、思うことがあるんですが」
興奮したナベの邪魔をするのは申し訳なかった。でも、全員で知恵を出し合いたい気持ちがあった。
「エーツーさんはこの屋敷の秘密を知って、カギの掛かったテルテルさんの部屋へ侵入した。それとさっき、麻郎さんはここから出られると言いました。だから、この屋敷に仕掛けがあったとしても、それがひとつのアイテムだけで成立するわけじゃないと思うんです」
「何が言いてぇんだ?」
「つまり、今見つけたこれがカギだったとしたら、エーツー氏が自由に部屋に出入りできたことがおかしいってことですね。これは麻郎氏が管理していたから」
ナベのフォローがありがたかった。
「そうです。だから、テルテルさんの部屋へ侵入できたのは、単にマスターキーを持っていたからとか、このアイテムを使ったっていうだけではないはずです。それに、さっき麻郎さんを殺害したのも、このフロアを通っていない。どこかに抜け道があるのかも」
「そうか、あのじいさんがどうやって殺されたのか考えるべきかもな」
風呂場を見つめながらセバタが呟いた。短時間に色々なことがありすぎたせいで考えが及ばなかった。ボクたちは、ひとつずつ現場を調査する必要があるのだ。
「あそこにもっかい行くのか?」
無表情でセバタが言うのは、行きたくない気持ちを必死に隠しているからだ。ボクだって、あの地獄のような浴室に入りたくはない。
「・・行くしかありませんね」
ナベが覚悟した声で言う。そこにしか進む道がないことをよくわかっている証拠だ。
「マジかよ・・。アレの近くを調べるわけだろ? お前また吐くんじゃねぇの?」
「・・努力します」
正直、平然としていられる自信はない。それでも、あの場所に何かがあるはずだから、逃げるなんてできない。エーツーから身を守るためにも、彼と同じ土俵に立ちたい。
「そうと決まれば、行きますか!」
ナベが立ち上がり、ボクとセバタを交互に見る。
「松本さんは彼女の側にいてあげてください。―――あなたのこと、信じますからね」
「かしこまりました。飲み物でも用意させますので、どうかご無事で」
ナベが歩き出すのを見て、セバタの様子を伺う。漫画みたいにわかりやすく嫌そうな顔をしていて、自然と笑ってしまった。それだけ余裕が戻ってきたと思いたい。
「移動させるわけにもいかねぇしさー。何のバツゲームだよ」
ブツブツ言いながら、セバタもゆっくりと立ち上がる。ボクたちは三人で風呂場へと向かった。麻郎が殺された現場を、もう一度調べてやろうじゃないか。




