Case良子 〜柔肌と胸筋〜
外出時は念入りにムラなく日焼け止め。お風呂上がりは化粧水と乳液と美容液でしっかり保湿。鏡を見つめてにっこり笑顔。よし、これで加藤君好みの鷹宮良子の出来上がり。
私はしっとり柔らかい頬をふにふにと突つくと、いつも軽い悦に浸る。
加藤君が気になり始めたのは一年の球技大会での事だった。スラリと長い手足、筋肉質な身体。なのに動きがどこか鈍臭いというか……運動音痴。そんなギャップが気になって、気がつけば目で追うようになっていた。
一年の時は幸いクラスが違ったから、加藤君は私の奔放な性格を知らない。二年になり幸運にも加藤君と同じクラスになってから私が懸命に作り上げてきた、無邪気で可愛い鷹宮良子像を真っ直ぐに信じてるみたい。告白するまでは、加藤君好みの理想の良い子でいなくっちゃ。
そんな事を思ってたある日、幼馴染の圭介から忠告を受けた。
「お前やりすぎ。櫂にとって手の届かない高嶺の花まで上り詰めちゃってどーすんのよ」
「私が、高嶺の花? そんな訳ないじゃない。自分で言うのも何だけど、モテないよー、私。良い子をやり始めてからも、誰にも告白されてないし」
私はケラケラと笑う。だが圭介は頭に手を当てると、
「高嶺の花っつーのはそんなもんなんだよ。俺はあいつがお前のその自慢の柔肌気になってるみたいだから、そこを磨けって言った筈だ。誰が性格改変した上に、クラス委員やら生徒会長になって良い子アピールまでしろっつったよ」
「言われた通り磨いてるよ〜。あとのはついでだよ、つ・い・で。初恋なんだもん。頑張りたくなっちゃったんだよ」
私は不貞腐れたように答える。
「生徒会長がついでって……とにかくこのままじゃ、あいつ、お前を恋愛対象として見れねぇぜ」
眉根を抑えつつ圭介が告げる。えっ、頑張ったのが、逆効果だったって事? 私が頭の中で小さなパニックを起こしていると、
「安心しろ。俺が愛のキューピッドとして策は打ってある」
圭介が自信満々の笑顔で言った。
圭介の話によると、圭介は加藤君に私が筋肉フェチだと伝えたらしい。特に胸筋の厚い逞しい男の人に魅力を感じると伝えたらしく、胸筋を鍛えれば私がなびく可能性が高いと告げたらしいのだ。
確かに、胸板の厚い男の人は魅力的だし、そもそも加藤君であれば胸板が薄くても厚くても私好みだから問題ない。
でも、加藤君の私への気持ちが恋愛感情じゃなかった場合、わざわざ胸筋を鍛えてまで私にアピールしてくれるんだろうか。そう考えると圭介の戦略は早計とも思えてしまう。
だけど、そんな私の思いは杞憂に過ぎなかった。
加藤君の胸板は間違えなく日々逞しくなっていたのだ。それに気がつく自分の惚れっぷりも苦笑ものだが……ただでさえ銀幕スターを彷彿とさせる凛々しい日本顔にときめいていたのに、厚みのある胸板は更なる魅力を生み出していた。
「加藤君っていいよね。逞しくて日本男児って感じなのになんていうか鈍臭くて……母性本能くすぐられるな」
なんて声も女子から徐々にあがりはじめる始末だ。
「誰がライバルを増やせって言ったのよ」
私が圭介にキレ気味で文句を言うも、暖簾に腕押し。圭介はニヤニヤしながら「ふ〜ん」とだけ告げるとその場を去ったのだ。
もう圭介を頼りには出来ないわ。初恋は自力で仕留めなきゃ。
私はグッと手を握りしめた。
******
チャンスは修学旅行で訪れた。
というか、全く期待していなかった宰相、圭介によってもたらされた。
温泉でまったり温まって、その保湿力に満足しつつ、もしかしたら加藤君に会えないかなぁと大浴場入り口を不審者張りにうろうろしてると、程なくして圭介に支えられた加藤君が現れたのだ。
圭介は私を見るとニヤリと口角を上げ、突然ふらふらっとよろめいた。
「大丈夫?」
イマイチ状況は把握できないけど、ひとまずは圭介の怪しげな笑みに乗っかっておくのが吉だろう。私は慌てたように二人に駆け寄る。
「鷹宮……」
力なく頭を垂れていた加藤君が、チラと私を見る。逆上せているのかその顔は赤く上気しており、いつもより色気三割増しだ。
「こいつ風呂で湯あたり起こしたみたいで部屋に連行中なんだけど……正直、俺一人で支えるの、ちょい厳しいんだよね」
にやけそうな私を尻目に、圭介が状況を説明する。私はその後続くであろう言葉を固唾を飲みつつ待ちわびる。
「悪いっ、礼はするから鷹宮も部屋まで肩貸してくんない?」
やっと出てきたその一言に、
「勿論だよ。加藤君、大丈夫?」
やや食い気味で了承の意を示したのは言うまでもなかった。私は、加藤君の肩の下に、ここぞとばかりに潜り込む。図らずも私を腕で包む形になった加藤君の肩は、驚くほどの熱を持っていた。
大丈夫かな?
私が心配になり、チラリと顔を覗き込むと、加藤君は軽く頷く。でもその顔は、とても大丈夫とは思えない。
「わっ、顔真っ赤だよ! 本当に大丈夫?」
加藤君はその言葉に困った表情で軽く頷く。すると圭介が、
「んー、確かに真っ赤だねー。これは部屋戻る前に水分摂って、もう少し休ませた方がいいかも。俺何か飲み物買って来るから、二人はそこの椅子で待っててくれる?」
と軽い調子で提案する。その表情は、悪巧みをするかのような、宰相の顔だ。
……加藤君の赤い顔は、湯あたりが原因じゃない。
そう確信を持たせる笑みを浮かべる圭介に、
「うん、わかった。加藤君の事は任せて」
と力強い声で私は答える。途端に加藤君の顔に焦りが浮かぶ。でも無常にも圭介はヒラヒラと手を振ると、その場を立ち去っていった。
ーー時は、満ちた。
******
私は加藤君と二人、横並びで椅子に腰掛ける。
「掛けてると、少しは楽?」
圭介の表情からして、そんなに深刻ではないと思うけど、やはり想い人の元気がないと、心配になる。
「もし辛いようなら、寄りかかっても大丈夫だからね」
多少の他意が無いとは言えないけれど、少しでも加藤君が楽になればと提案してみる。すると加藤君は、鳩が豆鉄砲という形容がぴったり来るような、びっくりとした表情で私を見た。
やりすぎたかな?
彼のプライベートゾーンに踏み込んでしまったのかも……ちょっと不安になりつつも、他意の無さをアピールするために、真面目な表情を貫く。
すると、加藤君は探るような表情で私を見てから、ワンテンポ間をおいて、そっと私の肩に頭を寄せた。
お風呂上がりの熱が、私の肩周辺を、しっとりと熱くする。だが、一向に重みを感じないその距離感がもどかしく、
「緊急時に遠慮は無用。ちゃんと体重掛けないと楽じゃないでしょ」
そう言うと、加藤君の頭をホールドするように、ぐいっと寄せた。ちょっと強引すぎたかも……でも、加藤君が私から離れていく様子は無い。
肩にダイレクトに伝わる、加藤君の存在に、今更ながらに照れくさくなり、
「ふふっ、加藤君なんだか弟みたい」
なんて、心にも無い言葉を紡ぎ、私は平静を保とうとする。でも、意識すればするほどに、身体中が熱を孕む。
このままずっと、加藤君と一緒に……
そんな事が頭をよぎった刹那、私の肩から、温かな重みが消えた。
私が名残惜しげに加藤君を見ると、そこには、先ほどとは打って変わって、真剣な顔で真っ直ぐに私を見つめる加藤君が居た。
あ……告白、されるかも。
可愛く無い思考だが、そんな期待が胸に膨らむ。
加藤君の手が、そっと私の頬に添えられ……
「うふふー、柔肌でしょ。今日も温泉でしっかり保湿したからモチモチなんだよ」
私は期待と喜びから気持ちがはしゃぎ、加藤君の手に、そっと手を添えた。すると加藤君は慌てたように手を離し、
「おいっ、鷹宮! 触った俺が言うのもなんだが、お前無防備過ぎだ。男にそうやすやすと触らせるなよ」
狼狽えたような、それでいて怒ったような声で、私を叱責する。だけどその表情から、私は彼の想いに確証を得て、
「それ、本当に加藤君の言えた台詞じゃないよね。じゃあ、ほっぺ触られた仕返し」
と言うと、ペタッと頬を加藤君の胸元へと押し付ける。
ーーあと、一歩。
静かな沈黙が続く。少しは、狼狽えてくれてるかな。私への気持ち、盛り上げられてるかな。
私がチラと加藤君の顔に目を向けると、彼は真っ赤になりながら、やり場の無い、そんな表情を浮かべていた。
ーー今しか無い。
私は心を決めて、口を開くと、
「告白します。圭介君はきっと戻ってこないよ。だって私の協力者だから」
そう、明言した。
もし、圭介の情報が嘘で、全てが私の勘違いだったら、加藤君とは気まずくなっちゃうのかな?
ふとそんな不安に駆られるけど、もう、引き返せる段階では無い。
驚きの表情で、口を半開きにしている加藤君に、引かれない事を祈りつつ、
「加藤君は柔肌が好きって聞いたから、お肌のお手入れ頑張ったんだよ。加藤君が頑張って胸筋鍛えてくれたのと同じで」
そう、言葉を続ける。顔が熱い。極度の緊張からか、自然と目には熱っぽい涙が溜まっていく。
だけど、もう腹は決まっている。
「ここまで言ってもわからないかな? 加藤君、好きだよ。私と付き合って」
言った。
言い切った。
ホッと息を吐こうとした瞬間、目線も定まらない加藤君が、ただ、本能に任せるように、真っ直ぐ私のの背中に、手を伸ばした。




