眠り姫
「なぁジャコヴ…」
乾は居ずまいを正した。
「ここ5年、俺たちはこのお姫様に散々振り回された訳だが、お前の計画はどこまで進んでいる?まさかあの棺桶を引っ張って行く気じゃないだろう?」
「抜かりはない。あとは君の方の援助があればさらに助かる」
「抜かりない」
と、乾はおうむ返しに行って笑った。
「あちら側に到着したら、その後は案内人を立てる。パージ前に〈エンゼル・リング〉の経過調査で、一緒に行った奴だ。いまも居場所はわかってる。ハカタで闇売りしてシマを作っている男だ」
「ハカタか…ずいぶん遠くはないか?」
「遠いよ。船も必要になってくる。それにあいつが昔のまま現れるとは限らない。何か意図を持って接触を図ると言うのも、ありえない話じゃない」
かく言う彼はお尋ね者だ。そして裏切り者とされているのは、前述したとおりである。彼らが乾のことを忘れていなければ、破格の懸賞金(とは言っても、ハイパーインフレどころか経済が崩壊している)がかかっているかもしれない。
「クニにも満たないような派閥が、使える土地をめぐって争っている。藩何て昔の自治区分で呼ばれているようだ。戦国時代さながらってとこだろう。今のニホンは」
「その中を横断するとなると、矢張り食料や武器は必要だろう」
「当たり前だ。誰も信じるな。あの場所じゃ万人の万人による闘争ってのが始まってんだよ。すべて守り尽くすなら、武器は必要だ」
その点にも抜かりはないと乾は言う。
「旧世代の武器が大量に流れている。ナノマシンのおかげで最新兵器なんてのはオモチャにしかならん。旧世代は一大マーケットになりつつある。陸では新たに市場ができて、俺たちの作った悪魔の手の届かないところでカネ儲けしている訳だ。食い物にもならねえものを。今回は願ったり叶ったりだが…」
まだ戦争を続けるつもりなのか…ジャコヴは失望の色を隠さなかった。
万人の万人による闘争…。現状国は何の役にも立たない。人は個人の生存権に基づいて自然権を行使する。そこにどうにかして利益を求めようとするものがいる。いずれは核兵器ですら市場に出回るであろう。
ーだが、そうはうまくゆくものか。これさえあれば…。ジャコヴは、ぼんやりと手元のメモに目をやった。
「…ぉぃ、おいジャコヴ」
ジャコヴはハッと顔を上げた。夢が合皮のように現実を覆い隠していたらしい。
「ジャコヴ、しっかりしてくれ。俺たちのこれからやろうとしていることは危険なことなんだ。陸ーニホンがあの頃のままだとは限らん。汚染除去だって、俺たちの試算を大きく外れている。俺たちのポンコツ悪魔が怠けているからだ。リスクを数え上げたらきりがない」
「わかっているさ」
「…ジャコヴ」
乾はあのホログラム写真を眺めた。
「本当にいいんだな。彼女を目覚めさせて…まぁ、あの場所まで行って起きるとは限らないが…」
「…ああ」
「何が起きるかわからない。彼女の目をさますことが、あの悪魔の解体に、それと俺たちの夢を持ち逃げした、この国殺しの王子様の行方もわかるわけなんだよな。そして、お前はそれを本気で信じている。お前の妄想かもしれないものを」
「そうだ」
ジャコヴは自信を持って応えた。
乾は小さくため息をついた。
「案内人の他にも、ここから脱出…姫を連れてにあたっては、何人か軍人を抱き込んである。
言っておくが俺は全員信用しているわけじゃない。この生活で変になるやつもいるからな。この軍人もその時になるまでどう出るかわからん。正確さなんてことを言った後だが、この作戦は見切り発車だ。よくよく考えてみりゃお前も、そして俺も、まともかどうかなんてわからん」
彼はそう言ってジャコヴを指差し笑った。
「俺は誰も信用しないと言った。俺自身すら、その時になったらどうなるかわからん。そこで…」
乾は懐からガサガサ何かを取り出した。卓上におくとごとりと重たい音がする。袋を開いてみれば、拳銃が一丁。
「FKK7ーガヴリエルだ。これなら女でも撃てる」
唖然とするジャコヴをよそに乾は続ける。
「俺が変わるか、お前が変わるか、それとも他の誰かが変わるか、それはわからない。だが、その時には…」
「乾…」
乾は微笑む。
「心配するな。撃ちかた教えてやるよ」