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burst  作者: 神崎由紀斗
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序章



ー静けさが彼の周囲を満たしている。

キャノピー内はまるで母胎のような静けさに満たされている。この戦闘機はまるで音というものを持たない、しなやかで、まるで鳥のような滑らかな動きを見せる。人工筋と可塑合金の機体は、その名の通り鉄の鳥、”戦闘鳥”である。

彼の機体は敵国の制空権内に侵入している。支援機はない。単独飛行である。拡張現実の警告表示は、その侵犯を警告した以外には沈黙を守っている。その制空権でさへ、人々が勝手に決めたものだ。空は本来自由である。そして彼には翼があるのだ。

それは嵐の前の静けさというのだろうか。やすやすと制空権内に侵入してしまった。敵影はどこにもなく、それは奇妙なほど沈黙している。哨戒機の姿も見えない。彼は不意に、この空に一人ぼっちのような気がした。

拡張現実を通して彼は世界の現実を眺める。喧しい現実だ。しかしいったいこれは現実なのだろうかと、彼はいぶかしく感じるのだが…。

拡張現実を通した”世界”は満身創痍である。焦土が広がり、最早人の気配はない。爆撃によって大小無数のクレーターが湖を作っている。美しい光景だが、もう、ひとは住めない。地上は再生不可能なまでに汚染が進んでいる。

もし拡張現実をログアウトして生の現実を眺めた時に、彼はもう一つの現実に直面するだろうか?このモニターを介した現実と、彼の網膜から直に接触する現実とーはたして何が違うのだろうか。

彼はログアウトを恐れている。世界の外に出ることを恐れている。それは敵から無防備になることを恐れているわけではない。彼が恐れているのは、壊れかけの現実を見つめてしまうことだ。この壊れかけの現実ー滅びようとするニッポンという現実のことだ。

ニッポンーこのキャノピーから拡張現実を通し眺める島国は、今息を引き取りつつある。それは彼の周りに、あるいはたくさんの”彼ら”の周囲に、ぼんやりと曖昧に、周縁が定まらずダラダラと拡がり、ブイのように滞留している。

ーそう、自分はこの曖昧模糊としたクニを守ろうとしているーしかしそう自分の心に言い聞かせても、実感がわかなかった。

彼はこのクニを愛していたわけではない。ただ彼は操縦士として、ただただ自由になりたかっただけだ。それは甘い考えで、空を駆けていても、彼には任務がつきまとったのである。

彼はもう帰ることができない。もし帰ることができたとしても、その帰る”場所”があるかどうかもわからない。彼らの陣営は中部戦線の最前線にある。いつ弾道弾が落ちて跡形も無くなったとて、おかしいことはない。帰る場所がないのなら、もう後には死という避難地しかない。

しかし、この重要な任務を抱え、なおかつ死ぬ運命しか残されていないながらも、彼はむしろほっとしていた。死ぬという事は、もはや現実の破滅を恐れなくて済むわけであるし、この任務は帰れないことによって全てから自由であった。

この静けさの中に、彼は一人の少女のことをおぼろげに考えていた。ある一瞬の平和の中に、彼はその少女と時を過ごした。戦争はせっかちであった。瞬く間に彼らを巻き込んでいった。そして全てを、どんな浅はかさでも許したのだ。


(自分は彼女のことをよく知らない。一瞬のうちに、それこそ「触れあった」きりなのだ。自分は彼女から免れているはず…いやそもそも介入できるはずがないのだ。それなのに…)


少女は容易に現実と彼との間に滑り込んで、彼の視界をくらませてしまう。世界を変えてしまう。広い額、艶やかな黒髪、優しい瞳に、小さな唇、白い肌…。彼女は彼の現実に浸透してゆく。そのくせ少女について彼が知っていることといえば、妙に悲しげに微笑む、その表情にエクボが浮かぶということであった。…

突如けたたましい警告表示が視界に踊り込んでくる。

彼はハッと我に帰り、操縦桿を強く握りなおす。拡張現実が見せる敵影。後方5時の方向、2機…。

奇妙な形だ。それも鳥の姿に似通っている。主翼が柔らかく波打ち、機首は合図を取るかのように首を巡らしている。同種の機体である。武器を与えているのは一つの国である。何か大きな物語の成立に、彼らは突き動かされている。ずるずると、嫌々ながら。

同族同士が大したイデオロギーもなく、互いに殺しあっている。鳥の頭部を連想させるあのキャノピーには、彼と同じ肌を持った人間がいる。そして操縦桿を握りしめ、殺そうとしている。生き残るということは、誰かを殺すということだ。そして相手は同じ色の肌を持って、ニホン語を話し、そしてこの島国に住んでいる。だが、もはや国境を越えた先は異質だ。同じ肌、同じ母語、同じ島国に住んでいるというのに、肌の色は同じでも遺伝子配列が異なると言う。もはや言葉は通じない。そして島国の両端は別の国だ。

機体は急降下した。敵機もそれに続く。まるで鳥と戯れに空を駆け巡るようだ。そう考えると、この危機的状況にも、彼の口元には笑みが浮かんだ。


(やれるか…いや…)


機体の腹部には、精密誘導弾を搭載している。胎児を抱える母親の動きがひどくのろのろとしているように、この機体では闘えない。逃げるしかない。

敵影は執拗に彼の拡張現実の中に入り込む。広げられた副次的現実は、鬱陶しくその機影を捉える。見逃してくれるわけがない。彼らも生きるために操縦桿を握っている。たとえそれが明日死ぬかもしれないという矛盾を孕んでいても、だ。…

拡張現実はこの機体に搭載されたうち最も最適な武器を検索し、その兵器を提示する。


(闘え)


とそれは彼に指図する。戦闘鳥は好戦的だ。まるで戦う意思をその無機質な鳥自身が持っているように…それは操縦士となんら関係性がない。迷いがあってはいけない。一瞬の迷いが、空戦では、いや戦場では命取りになる。戦闘鳥は自らが生き残るために戦っている。それは操縦士の思惑と何ら関係がないのだ。次のシリーズを、子孫を残すように。あらゆるデータを蓄積し、次世代に伝える。あらゆるオリジナルはコピーに自分の蓄積したデータを遺そうとする。コピーはまた意思を受け継がれた瞬間オリジナルになる。戦闘鳥はただの戦闘機ではない。”進化する鳥”だ。

しかし、彼は任務のためにここにきたはずである。戦闘鳥の思惑など、知ったことではない。


(馬鹿な…こんな機体で…!)


彼は怒鳴りつけ、警告を押しのける。

翼は空を切る。速度では敵の機体にかなわない。しかもアクロバットな飛行も、この機体の腹部にあるひどくデリケートな爆弾のために制限されている。負担がかからぬように、緩やかな回避行動を続ける。”若きエース”と呼ばれた彼でさへ、もはや自分の力を発揮できない。戦争は末期症状を顕していた。

彼の機体に激しい振動が襲いかかった。攻撃をかけられたのだ。拡張現実は肩翼の損傷警告を発している。何件もの警告表示を、彼は視線をずらして次々と押しのける。と言って、この状況を打開する策はない。支援機もいない。重すぎる機体は、ただ逃げ惑い、目標に向かうしかない。


(失速している…)


彼は軽く舌打ちした。どうやら激しい損傷のようである。

敵影は彼の機体の周囲を、まるでからかうように飛び回る。人間の極限状態における残酷さは、戦闘鳥を、まさに動物らしくさせる。


彼は自機の位置を確認する。目前に立体的な地図と航路が浮かび上がる。目標はすぐ目の前に浮かんでいる…。


ー巨大な輪だ。それは天上でゆっくりと回転している。テラフォーミングを目的とした惑星規模の構造体として大国に、彼等に武器を供与する国家によって設計された〈エンゼル・リング〉などと言うお洒落なドーナツ。皮肉なことに、それは地球上の汚染除去装置として、この地でのろのろした回転を続けている。大国は破壊と再生を繰り返して永久戦争をこの世界に贈与しようとしているようにこの天使の輪を見ると思える。

撃ち落とすーそれが彼の任務。

何のためかわからない。それは地上を再生しようとしているのに、彼の任務は新たな泥沼に地上を引き摺り込もうとしている。

何故?は禁物だ。理屈は必要ない。

理不尽か?そもそもこの戦争に真理はない。

彼は引き金に手をかけた。

撃とう。撃ち落そう。それが彼の任務だったのだ。


その時である。計器は様々な異常を感知した。拡張現実は次々警告を発する。しかし、何が原因かわからない。〈不明〉の文字が躍るばかりである。精密誘導弾の制御装置も動かない。これではグライダーである。目標を前になすすべもなく滑空する。


(くそっ!何でだ!)


と、彼は悪態を吐く。操縦桿は言うことを聞かない。拡張現実は幾つもの警告を連発するばかりで役に立たない。これまでか、と彼は観念したように、その滑空に身を任せた。

ー光が見えた。いったい何処から差し込んでくるのか。極彩色の光が放射状に彼自身を包み込んだ。再び彼は孤独を感じた…。


彼の機体を追っていた二機が目標を見失ったのは、その直後であった。…





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