06話 「会心の一撃」
良と彩音の二人が怪物に遭ったその時、黒縁眼鏡の男と龍の卵を担いだイケメンの男は黒いマントのようなものをその身に纏って、フードで顔を隠した一人の人物に遭遇していた。
仲良くしようと現れた人物ではないことはその服装からも明らかであり、また、このような身を黒いマントで覆い隠した格好をする組織を二人は知っていた。
「俺たちの目の前に現れたということは、この卵が狙いか?」
『さあ、どうだろうね?』
機械のような一文字一文字が分離した言葉で話す黒いマントを纏った人物。
「そんな返し方ができるとはなかなか優秀じゃないか。どれだけの金と技術が詰め込まれたかは知らないが、俺たちの前に立ち塞がるなら――――消えてもらう」
黒縁眼鏡の男が自らの特徴でもある眼鏡を右手人差し指で押し上げる。
するとその時、彼の横にいた神城風太が担いでいた卵を地面に置いた。
「ちょっと待てよ、冷一。最近、お前が戦うことの方が多いぞ? 俺にもやらせくれよ。お前はこの卵のお守り!」
そう言うとさっさと九条冷一よりも前に出て、腕を回し始める。相当な重量であろう卵をずっと運んでいただけはあって、腕に疲れがきているのかもしれない。
「お前らアレだよな? えーと……あの、新大陸の……」
「アメリカだ」
「そーそー! 冷一の言ったとおり! アメリカって言えば、悪を倒す有名なヒーローたちがいるわけで、俺もそんなヒーローに憧れて勇者やってる。んで、お前らみたいなのってそんな正義のヒーローの敵なわけだ。だから、俺がやらなきゃいけないことってなんだかわかる?」
風太の質問に黒で全身を覆っている者は答えずに、結局は風太が自分で答えることになる。彼にしてみれば、初めからそのつもりだったので、何の問題も無かったが。
「悪を――――惨殺することだ!」
風太の叫びを皮切りに相手も動き始める。
黒いマントを勢い良く翻す、と同時に飛び出した無数の粒が冷一や卵は避けるように風太のみを狙うような軌道をとっていた。
それは物理的法則を無視した、現実ではありえないような軌道だった。
無数の粒はプロ野球選手が放つボール並みの速さで、すぐに風太の体に無数の穴が開くと思われた。だが、その一瞬に黒いマントの人物は確かにその声を聞いた。
「こんなもので殺せると思った?」
笑みを浮かべて紡がれる言葉に初めての感情を覚える。そして、その感情の正体が分かった頃には既に、放った無数の粒は全て、ふるい落とされていた。
一瞬に何が起こったのかを把握するには、頭の中に残された映像をハイスピードカメラで撮った映像のようにスローで再生するしかなかった。
風太の手に握られた大きな槍。
それを一瞬で出現させて、無数の粒を無効にした。
「何、驚いたみたいな顔してんだよ。驚くにはまだ早いぜ? 見せてやるからよ。お前には俺の“会心の一撃”を――――」
「……なあ。早くこれ外してくんない?」
「そりゃあ無理だぜ、兄ちゃん。まだアヤネも目覚めてねえしな」
自分が目覚めてからどれくらいの時間が経ったのか。時計のないこの部屋では人に聞く以外分からない。だが、ずっと良を見張ってる男は人ではなく幽霊で、今の発言から教えてくれそうにもない。
彩音が目覚めるまでずっとベッドに拘束されたままの状態なのだろう。
そう思うと一気にやる気が削がれ、もうどうにでもなればいいと自暴自棄に陥る。
抵抗して体力減らすのも馬鹿らしい。拘束を解く方法を考えるのに頭を使うのも無駄な行為だ。
今目の前にいる幽霊の死んだ経緯を聞いた方がまだ有意義な時間をすごせそうな気がする。
「死ぬ前は何してたの?」
どうせヤクザか暴力団とかそんな類だろう。
「兄ちゃん。俺は心が広えから敬語使えとか言わねえし、さっき会った二人もそんなこたぁ気にしないタイプだけどよ。他のやつらにはちゃんと敬語使っといたほうがいいぜ? 何歳年上か見た目じゃわかんねえからな。殺されんぞ」
「うん……で? 何してたの?」
忠告を受けても変わらないその態度にため息を吐く男。先ほどまで言動から本当に殺されるんじゃないかと肝を冷やしていたが、そんな事はなく、死ぬ前の自分を語り始めた。
「ただの幼稚園の先生してた。こっちは子ども好きなんだけどな。こんななりだからか、子どもの方もその親も俺のこと怖がってたよ。目つきわりいし、それを隠すためにサングラスとか伊達メガネとかかけてもダメ」
意外すぎる話に一瞬、固まって男を一瞥した後に目を逸らす。いや、意外なことではないのかもしれない。見た目も口も悪いが勇者を恨んでるのに忠告したりする一面からそんなに悪い人ではないのだろう。
「なんだよ。俺がやってたらいけねえようなビミョーな顔すんじゃねえよ」
「いや、身なりからヤクザか何かと思って……」
「……お前しらねえのか?」
いきなり真顔で聞き返されて、今度こそ殴られて殺されるのかと思ったが、「そうか。何もしらねえのか」と呟くと、またもや親切に話し出す。
「死んだらよ。俺たちみたいな幽霊になる連中と、もう一つの種類になる奴らがいる。そいつらは人間の時に完全に人の道を外れた連中だ。だから、幽霊にはなれずに血と肉を剥がされる壮絶な痛みを味わって獣の類になる」
「……骨だけになるってこと?」
「そういうことだ。だから、犯罪とか犯すんじゃねえぞ。それに勇者ならそいつらと会うかも知れねえから言っとくが、絶対に手ぇ出すなよ」
それは多分冗談で言っているのではないのだろうから、手を出さないようにしようと思う。というよりも、こんなに恨まれるようなら勇者だってやめてしまいたい。
だが、未だに勇者としてのちゃんとした功績を上げないまま身を引くのは、病院にいたスーツ姿の男性に殺されそうな気もする。足を元通り動かせるようにするのが契約とも言っていたことだし。
本当に面倒くさい事態になりつつある。
もう十分、面倒くさいことに巻き込まれているが、ここに拘束されている限りはそれもないだろうと最終的にそう結論を出した。
それを見計らったかのように、建物のどこかが爆破されたかのような轟音と地響きを二人は感じ取って、すぐに良は目の前に立つ男の方を見たが、男はすぐにこう言い残して部屋を出て行った。
「動くんじゃねえぞ」
拘束されている今、男の忠告は完璧に全うできそうだ。
良を見張っていた男の名は塩谷晃。良に話していたとおり、生前は幼稚園の先生をしていた。
目つきの悪い塩谷は園児の保護者から陰でヤクザとも呼ばれ、怖がられていたが園児からの評判は良かった。
普通の生活を送っていた彼だったが、不運にも大きな事件に巻き込まれ、三十五歳という若さでこの世を去り、幽霊になったのは二年前とまだ浅い。しかし、塩谷は今、幽霊という魔界の中では弱い立場にある種族の重要な役職に就いていた。
幽霊が住んでいる地区の治安維持局、いわば警察だ。そして、彩音と良が連れて来られた場所は紛れもなく、塩谷が勤めている治安維持局の本部の建物だった。
そして、今まさに幽霊という種族を脅かす者たちが建物の一部を爆破させた。
幽霊は魔界での電気のような魔力が絶対的に不足している。魔界は空気の約半分を魔力が占めており、それを吸収することで、魔界で生活していける。しかし、幽霊はその量が最低限生活することのできる量しか吸収できないので、ほかのことに魔力を使うことができない。
対して、霊類の中でも上位である精霊、所謂、妖精と呼ばれるものの類は吸収量が多いため、最低限の生活できる量を超えて吸収された魔力を自由に使うことができる。
その為、幽霊は魔法に頼ることはせずに、人間だった頃と同じように電気を作り、機械を動かしている。
『ザ――――……こちら……ち、治安維持局建物……せ、正門前』
「何があった!?」
人間界でも使われている通信機器を使って、頭の中に流れ込んできた声に反応する塩谷は焦燥感漂う表情のまま、良の拘束していた部屋から出てずっと足を動かし続けている。
そのまま地響きと轟音の原因の場所まで、止めないかに思われたその足は頭の中に流れ込んできた声を聞いて、止まった。
『もういい。大丈夫だ。こんなお粗末な機械を通信に使ってるからだ。簡単に傍受させてもらった』
一瞬にして、塩谷の表情が怒りの色を帯びる。
『や、やめ……やめてくれ……!』
『いいよなぁ、お前らはその身体で。血と肉の入り混じった美しい肉体――――が、俺にはもう必要ない。その身体も、お前も』
次の瞬間、何かを圧し折ったような音が聞こえ、塩谷の頭の中では仲間の首が折られる光景が映し出され、奥歯を噛み締める。
『用済みだ。魂を回収しろ』
「何をやってる……!?」
再び足を動かし始める塩谷の質問に立った今通信を傍受し、仲間を殺したであろう男が応えた。
『何をやってる? 今、お前の仲間を殺したところだ。それとも、俺がこれからやろうとしてることを聞いてるのか? 俺の目的は死ぬ前から変わってない。その俺がすることだ。容易に想像できる』
「黙れ! お前の話には飲まれねえぞ。建物の中に一歩でも入ってみろ!? 今度こそ、てめえらを消してやる!」
声を荒げる塩谷だったが、それは全て相手に見抜かれていた。
『やけに強気だな。俺に対する恐怖か? 困惑か? 冷静な対応ができてない。こうなると、俺の目的まで危うくなりそうだ。先に伝えておいたほうがいいな――――そこにいる勇者の女を渡せ』
地鳴りがしそうなほど低い声で、そして、渡さなければ殺すという殺気も込められたその言葉はこれまで以上の恐怖を覚えさせ、冷や汗が滲んだ。
この男なら何をしてもおかしくはないと、塩谷は過去の体験から分かっていた。
そう。以前に塩谷は通信相手の男からの襲撃を受けた。その時、男を追い払ったのは紛れもなく要求された勇者の少女である彩音だった。
「……仕返しのつもりか?」
『いいや。私怨ではない。ただの依頼だ。だがやむを得ず殺してしまっても問題はないだろう。やるなら確実にお前らを潰すつもりでやる。どうだ? これ以上無駄な犠牲は出したくはないだろう?』
足を止めないまま、正門へと向かいながら必死に考える。
彩音を渡せば、この建物の中にいる幽霊は傷つかずに済む。だが、彩音は一度、自分たちを救ってくれた英雄でもある。そんな彼女を渡せば、あとでどんなことを言われるか。
そうこうしているうちに本部の正門に辿り着いた塩谷はさっきの爆発音の元凶である男を目視する。
『答えを聞こうか?』
頭の中に流れ込んでくる男の声。そして、塩谷が見ていたのは皮も肉もない、骨だけで構成された髑髏の顔に一枚の布を着た化け物だった。
両目があるはずの部分はただの黒い穴があるのみで、どうやって景色を見ているのかもちゃんと見えているのかも分からない。
そんな化け物に向けて塩谷は親指を立て、その指先を自らの首に向けて横に動かして見せた。
「お断りだ! 彩音は渡せねえ!」
『後悔しろ』
顎が上下に動いて言葉を発し、目玉のあった黒い穴が睨めるように塩谷の方を向いた。
その瞬間、塩谷は大きく目を見開いて、阿呆みたいに口を空けたままの状態で静止してしまう。
予想はしていたが、ここまで徹底的に潰しにくるとは思っていなかった。
塩谷と通信をしていた男の後ろに数千人もの骸骨が唐突に姿を現し、治安維持局本部を前に全員が口を開けて、ケタケタと笑っているように見えた。
男の後ろに現れた骸骨たちは全員、生前に何らかの人の道を外れる所業をした者達。そんな人の道から外れて、人でも幽霊でもなくなった悪魔たちがこれから行うことが人の道を外れていないわけがない。
ここで食い止めなければ、この建物の先にいる幽霊たちが危ない。治安を守るのがこの治安維持局の勤めだ。
塩谷も分かってはいるが、まだ幽霊になって二年。この職に就いて一年と少し。
「……お前のせいで死んじまったんだ……」
自らの震える足元を見ながら、自分の中の怒りや恨みを搾り出す。自分の中の恐怖を消す方法がそれ以外に思いつかなかった。
「またお前に殺されてたまるか!!」
そう言いながら顔を上げる塩谷だったが、そこには先ほどまで通信していた骸骨の姿はなく、その後ろにいた数千人の内の数人ほどが消えていたのだが、そこまでは把握することができなかった。
「あいつどこに……!?」
しかし、気にするべきは一人の骸骨ではなく、その他大勢。それに気づいた時には既に目の前の数千人が動き出していた。
奇声を発しながら走るその姿はまさに悪魔だった。
一人だけで対処できる量じゃない。誰か来てくれと願っていたその時、都合よく増援が訪れた。
「塩谷! 待たせてすまん!」
そう言って駆けつけた数十人の増援は塩谷とは違い、準備万端と言わんばかりの重火器を装備してやってきた。
塩谷にも重火器が手渡され、ヘルメットを被らされた後、すぐに頭を伏せるように促された。
「あいつらだけに反応する地雷が埋め込まれてる!」
次の瞬間、巨大な爆発と共に黒い煙と炎が六階建てのビルの高さくらいまで立ち上り、舞い上がった土煙が彼らの視界を包み込んだ。
成果をその目ですぐに確かめることはできなかったが、良い感触だと思っていた。ここまで大きな爆発なのだから、数が半分くらいに減っていてもおかしくはない、と。
だが、実状は違った。
土煙を掻き分けるように現れた白い悪魔たちの数は爆発前と然程、いや、全く変わっていなかった。
「……嘘……だろ?」
今、自分たちの持っている重火器では先ほどの爆発のような威力は出せない。つまりは全く意味がないということだ。
すぐそこにまで迫ってきている奴らからもう逃げ切ることは不可能に近い。
その場にいた全員が、幽霊になった自分の死ぬ姿を想像した。
目の前の光景には何の希望もなかった。この世界でもう一度、死を味わうのだ、と思った。
前にも一度、こんな絶望を味わったような気もする。その時は確か、英雄が急に現れて救ってくれたのだ。
「アヤネ……」
塩谷がその名前を口から搾り出したその瞬間、目の前の光景は一変する。
そう。前と同じように彼女は彼らの前に悠然と立っていた。
「あいつらに火の攻撃は通じないって前にも言ったじゃん!」
顰めっ面で彼らの方を振り向いた白いワンピースを着た彼女。その後ろでは千は超えるであろう骸骨たちが宙を舞っていた。
「あ、ああ……忘れてた……」
「忘れてた!? ……あのねぇ。私が来なかったら……もういい! その話はあと!」
腰の抜けている塩谷を一瞥した後、すぐに彼に背中を向けて、右手に握っていた刀を両手で握りなおした。
「そこ動かないでね? “会心の一撃”ですぐ終わらすから――――」
何かが爆発したような轟音を聞いて、塩谷が部屋から出てからもう一度、爆発音が聞こえるまでの間、良は拘束されているので何ができるわけでもなく、ただ、天井を見つめていた。
白昼夢に耽って暇を潰す手もあったのだが、今自分の置かれている立場自体が白昼夢のような気がしてできなかった。
いや、彼が妄想したことが一つだけあった。何らかの拍子でこの拘束が解けて、遅れてやってきた自分が颯爽と敵を倒し、幽霊たちを救い、英雄として称えられる。
勇者は危険だと拘束までしてきた幽霊たちを見返すチャンスだ。しかし、そんな都合よく事は運ぶことなく、実際に幽霊たちを助けに入ったのは彩音だということを彼はまだ知らない。
そして、彼の耳は先ほど塩谷と一緒に聞いたものよりも大きな轟音を聞き、それは建物全体を大きく揺らした。
これは状況が悪い方向に向かっている合図ではないのか。
「え……このまま攻め込まれでもしたらやばくね……? 助けに来てくれんのかな……」
拘束されているこの状況で、あんな狼男のような化け物が部屋に入ってきたらそれこそ一巻の終わりだろう。
建物に入ってきたとしてもどうかこの部屋だけは素通りして、自分の身には危険が及びませんように、と何度も頭の中で繰り返しお願いしたのだが、それはただのフラグ立てに過ぎなかった。
世の中の原則として、否定の繰り返しは肯定を意味する。そして、今の状況でもそれは変わりなかった。
部屋の外の廊下を歩く複数の足音が急に聞こえ出す。そして、その複数の足音が突然速くなり、それは段々と近づいてきた。
多分、自分を助けに来たんだ。そうに違いない、と、自分に言い聞かせながら部屋の出入り口の方に目を向けたとき、良が目にしたのは死神のような格好をした数人の骸骨。最初は仮面でも被っている、と思っていたのだが、塩谷の言葉が頭に過ぎった。
幽霊にはなれず、血と肉を剥がされ獣の類になる。しかし、彼らは獣というよりも――――
「――――悪魔だ」
そう呟いたその時、良とその悪魔は目が合った。一人だけ後ろからゆっくりと歩いている者の足音は前を走る複数の足音によって掻き消されていたのだ。
皮と血と肉の奪われたその顔は仮面などではなく、本物の髑髏だった。
そして、一瞬のうちに理解する。次に発する言葉を違えれば、確実に死神の鎌で首を掻っ切られる。
「こ、こんにちは……かっこいい顔してますね」
自分でも驚いた。それは誰かが言ったものではなく、彼自身が発した言葉だったのだ。それに気づいた時にはもう後戻りはできず、彼は引きつった笑顔を部屋の中に入ってくる髑髏に向けることしかできない。
どうして、そんなどうでもいい事を言ったのか。これが最後の言葉になるのかもしれないのに。もっと格好のいい台詞で人生を終わらせることすらできない。ああ。そうか。自分から死亡フラグを立てにいったのか。
ベッドの横にまで迫ってきた髑髏が下顎を動かすその直前に、彼は目を瞑った。