04話 「空も跳べるはず」
「は?」
思わず声が出てしまい彼も少し焦ったが、まともな反応をしたのは間違いなく、彼の方で意味の分からない質問を投げかけてきたのは、インテリっぽい男の方だ。
「一人二万五千円、二人で五万円。良心的な値段だと思うが?」
「……いや待てよ。なんなんだよ、その金はよぉ? 五万円とか意味のわかんねえこと抜かし――――」
そう言いながら男の方に食って掛かろうとした時、後ろに隠れていた彩音が彼を引き止めるように制服を引っ張ってそのまま地面に倒した。その勢いで背中を強打してしまう。
「痛ッ……! ナニすんだよ、彩音!」
「リョウはちょっと黙ってて!」
もうリョウという名前で定着してしまっている彼女のその言葉に彼は大人しく黙り込んだ。
「勇者は二人組みが原則。お前も面倒くさそうなパートナーを任されて可哀相だ」
右手で金を促す男が呟くのと同時に彼女は財布の中から五枚の紙切れを取り出す。
彼女の左手に握られた五枚の福沢諭吉が男の手に渡るのを阻止しようと良が起き上がろうとしたその瞬間、彩音の持っていた鞘に刀身が収められた刀が宙を舞った。
それは彼女自身が投げたものであり、刀は回転しながら落ちてくる。
男二人が回転する刀に目を奪われていたその時、彼女だけは目の前の右手を突き出した男を睨みつけていた。
そして、彼女の開いた右手によって刀の柄が握られようとした瞬間に、刀の鞘と黒縁眼鏡の男の右腕を掴む、もう一人の男が急に目の前に現れた。
「おいおい。今のお前は本当に冷静だけど格好良いじゃねえよ。クール目指すんならかっこいい方じゃないと駄目だ!」
黒縁眼鏡の男の右腕は骨が折れるのではないかと思うほどの強い力で握られる。
彩音と男の間に割って入ってきたのはイケメンの爽やかオーラを纏った、黒縁眼鏡の男とは違って熱血系の男のようで、自らの腕を掴んでいた手が振り払われるのと同時に、彩音と良に対してその頭を下げた。
「ごめん! こいつ本当は良いヤツなんだけど、こんな風にちょっとハメ外すことがあって! 本当にごめんなさい! ほら! さっさと行かないと!」
そう言って彩音に刀を返して、大きな岩のような卵を担いだ爽やかな男は黒縁眼鏡の男と共に颯爽と逃げるように、どこかへと行ってしまった。
五万円を左手に、刀を右手に持った状態で動かない彼女の表情を窺ってみようと、正面に回りこんでみる。すると、彼女の表情は輝きに満ちていた。
「あ?」
刀を投げた時の、男を睨みつける表情を見ていない彼はてっきり落ち込んでるか、泣きそうな顔をしていると予想していたので、それとは真逆の表情だったことに対して、そんな声を出してしまう。
「あの人! あの人だよ、リョウ! 勇者フータ!」
憧れの男性アイドルに会えたときのようなはしゃぎようの彼女とは違って、良はそのテンションの高さについていけない。
それに彼の名前も間違えている。
「いや……そのプータの前に俺の名前ツカサな……」
「プータじゃなくてフータ! 今話題の勇者だよ! かっこいいし! 強いし!」
先ほど会ったイケメンを今話題のアイドルを称賛するように言っている彼女は目をキラキラさせながら、手に持っていた五万円を財布に戻した。
「……んで、そのフータの連れが言ってた五万円とかって何? それにお前、そいつに大人しく五万円渡そうとしてるし」
憧れの人に会えたという現実に浸っている彼女の耳をその質問は素通りしてしまい、浸っている時間が終わったであろう数分後に同じ質問をしてやっと回答が得られた。
「やっぱり勇者同士でも競争って激しいんだよ! 利益を得るのって大変だし、ライバルを少なくすれば手に入る機会が増えるって考える人たちもいてー。そんな時に見逃す代わりにお金を求めてくる人たちもいるの!」
「でも、病室に勇者の説明しに来た男は勇者の数が少ないって言ってたし、勇者の数減らさない為に勇者同士の殺し合いをやめさせるようなことするんじゃないの、普通?」
難しい質問を自分よりもバカであろう彼女にしたのは間違いだったようで、彼女は首を捻らせて、
「わかんない!」
と一言で済ませた。
勇者同士の殺し合いをやめさせるような事を何かしているのかもしれないが、今の状況ではそれが効果を発揮しているとは到底思えない。
ならば、事実上、勇者同士の殺し合いを黙認しているのであれば、どうなのだろうか。何の目的でそれを黙認しているのか。
黙認していると決定したわけではないが、彼の頭の中にある言葉が浮かび上がる。
(実験体……俺は何の実験体?)
その質問に回答してくれる人は誰もいなかった。
「それに私、五万円渡すつもりなんてなかったよ! リョウも見てたでしょ? 刀真上に投げるの!」
言われてみれば、彼女は五万円を男に渡そうとする前に、真上に刀を投げていた。
「私が女だって油断してたみたいだから、フータが現れなかったら気絶させるつもりだったの」
短時間でそこまで考えていたのかと感心しつつ、それが本当のことなのか、少しだけ疑った。
気絶させるだけなのに、刀を真上に投げる必要があったのか。
しかし、彼はこれ以上考えたところで意味はないと、先へと進む彼女を追いかけ、考える事をやめた。
気楽に行こうと、そう自分に言い聞かせたその瞬間、彼は恐怖の存在を目にする。
毛むくじゃらの黒い生き物は最初は熊にも見えなくも無かったが、その目は熊本県公認のゆるきゃらの目に負けず劣らずの大きさで、口は牙がむき出しの人間を丸呑みできそうなくらい大きい。
狼や犬のように鼻と口は前に突き出しており、耳も長く垂れ下がっている。
がっちりした筋肉質の体は全て黒い毛で覆われており、三本の指から伸びる鉤爪は横に振るえば人の体を三分割にできそうだった。
「ガルルル……」
狼のような鳴き声だが明らかに狼よりも凶悪だ。狼人間と表現した方が近い生き物だ。
「さっきも言ったけど、リョウは見てるだけでいいから……」
そうは言うものの、この道のど真ん中でどのように自分の身を守ればいいのか。
そんな事を考えているうちに、涎を垂らす狼のような口が大きく開き、次の瞬間、バネのように縮めた脚で彼女の方に地面に平行に跳んだ。
左手の鉤爪が黒い刀と接して金属音が鳴り響き、衝撃によって彼女はそのまま何メートルか滑るように後ろに下がった。
その隙に彼は傍にあった電柱の影に隠れ、彼女と化け物の動向を観察する。すると、彼女の方が完全に化け物よりも不利な事に気がついた。
化け物は両手に鉤爪を携え、口元にも鋭い歯。三本の武器の相手に彼女は一本。加えて、足も武器として数えるならば五対一。
このままでは、彼女が危ないと電柱の影から出ようとした時、彼は思いとどまった。
今この状況で自分が出て行ったところで何ができる?
刀は持っているが、それを扱う事などできないだろう。
彼女を助けるかどうか迷っているうちに、目の前の光景が動いた。
化け物の空いていた右手が振るわれ、鋭い鉤爪が彼女に襲い掛かる。
彼女はその鉤爪を紙一重で身体を側転するように空中で一回転させながらかわすのと同時に、化け物の身体に蹴りを入れて、数メートル後方に吹っ飛ばした。
彼女を助けようなどという考えは最初から必要なかったようだ。
五対一という状況にもかかわらず、互角か彼女の方が圧しているような攻防が続く。こんなにも曖昧な表現しかできないのは、彼女と化け物の動きが目で捉えられないほど速いからだ。
化け物の身体に刀傷が段々と刻まれていくが、殺せるほどの致命傷は与え切れていない。
このままでは持久戦になりそうだなと思いながら見ていると、状況に変化が訪れる。
彼女が勢い良く振るった刀が化け物の左腕を斬り落とす。
するとその瞬間、化け物は叫び声を上げ、怒り狂ったように右手の鉤爪で彼女に攻撃を仕掛ける。
彼女はその右手の鉤爪をするりと避けて、右腕も斬り落とした。
大量の赤い血が両腕の在った場所から流れ出し、地面のアスファルトを汚していく。
化け物が地面に倒れるのと同時に彼女は黒い刀に付いた血を振り払い、刀身を鞘に収めた。
「来週くらいにはリョウもこんな感じでやってもらう予定だから!」
笑顔で彼女はそう言うが、刀を扱ったこともない自分が一週間で彼女のように戦えるようになるとは到底思えない。
「無理! 刀とか使ったことねえし!」
「大丈夫だよー。私が教えてあげるから!」
彼女が教えてくれるとか、くれないとかそう言う問題じゃなく、時間的な問題だ。
しかし、これまでの言動を見ている限りでは、彼女には何を言っても無駄だと思われるので、彼は彼女には気づかれない程度にそっと嘆息する。
「じゃあ、もうちょっと先に行ってみよっか!」
そう告げる彼女にまたついていこうとする。
二人は完全に油断していた。
それに彼女が気が付いた頃にはもう手遅れだった。
「リョウ!! 危ない!!」
後ろを振り返ろうとする彼の制服を掴んで前に引っ張り、彼女が彼の後方に回った。
そのまま彼が地面に突っ伏すのと同時に、カランと鞘が地面に落ちる音が聞こえ、彼の目の前の地面に血が飛び散った。
すぐさま、起き上がって後方を見た彼に衝撃が走る。
「……アヤネ……?」
「大丈夫……」
彼の問いにそう答えた彼女だったが、その状態はその言葉とは程遠い。
倒したと思っていた化け物によって、彼女の左わき腹が咥えられており、彼女の右手の刀は化け物の心臓の部位を突き刺していた。
「ちょっと……しくじっちゃって、怪我しちゃっただけ……」
後ろを振り向こうとする彼を前に引っ張ったのは、彼を助ける為の咄嗟の行動だった。
地面に倒れそうになる彼女を抱きかかえ、化け物の歯を彼女の身体から抜こうとするが、逆に化け物から歯が抜け、彼女の身体にいくつもの鋭い歯だけが刺さっている状態になってしまう。
「なんで、俺なんかかばって! アヤネ!」
「……そりゃ、見学者を怪我させちゃダメでしょ?」
にこりと笑うその表情とは裏腹に、大量の血が左わき腹から流れ出て、彼女の制服を赤く染めていく。
化け物の歯は抜いたらこれ以上に出血しかねないので、このまま刺さっている状態にしておく方がいいのかもしれない。
携帯電話は圏外。救急車は呼べない。
なら、彼女をそこまで連れて行くしかないとそう思った時、彼の目が捉えたのは死神か。
「なんで……さっき倒したはずだろ……?」
全身を黒い毛で覆われた狼人間のような化け物がまた、そこに存在していた。
「……あの化け物の叫び声でこっちに来たんだ……!」
「リョウ……逃げて……」
(逃げて……? アヤネを置いて……?)
彼がそう目で問いかけると彼女は首を縦に振った。
自分を助けて怪我をして彼女を置いて、自分だけが生き残る。なんて自己中心的な人間なのだろうか。
彼はそこまで自己中心的な人間にはなれないと思った。
彼女をそっとアスファルトの地面に寝かせて、彼は立ち上がると、彼女から与えられた刀の刀身を鞘から取り出した。
「戦っちゃダメ……!」
彼女の言葉を無視して、両手で刀を握り締めて目の前の化け物に向けて構える。
刀の切っ先がいろんな方向に動いて、自らの手がどれだけ震えているのかを示していた。
「グガァァアアアアアア!!」
口を大きく開いて、涎をあたりに散乱させた化け物はすばやい動きで、一瞬の内に彼との間合いを詰めて、右腕を大きく振るった。
鋭い鉤爪が刀とぶつかり合い、その勢いのまま後ろに吹っ飛ばされるかと思ったが、そうはならなかった。
意外にも耐えることができたのである。
だが、このままでは空いた左腕の鉤爪が襲い掛かり、彼の肉を抉り取ってしまうだろう。
そうしない為には彼女のように人間業ではない方法で避ける事もできないので、化け物の右手を振り払うしか方法はない。
「クソッ!」
声を発しながら体重を前に掛けて、化け物の右手を振り払おうする。
すると、どういうわけか分からなかったが、彼は簡単に化け物の右手を押し返して、振り払う事に成功し、その勢いのままバランスを崩した化け物に一太刀浴びせる事に成功した。
しかし、刀を扱ったことなどなかった彼の一太刀は深くは入らなかったようで、すぐに反撃してこようと、化け物は鋭い鉤爪を振るった。
その狙いは彼の足元だった。
咄嗟にそれを避けようと彼は軽くジャンプしたつもりだった。
「え?」
そんな困惑する声を彼が漏らすのも無理は無い。
彼は地上から約五メートルもの高さまで跳躍していたのだから。