10話 「作戦は既に始まっている」
「――――十億円の懸賞金の掛かった“キンジョウ”をみんなで捕まえよう大作戦!」
拳を天高く突き上げた八崎だったが、誰もそんな彼に乗ってくれる者はいない。
「え? 何? こんな感じじゃダメなの?」
「普通に話してください」
「ごめんなさい」
十六歳の女の子に怒られて、しゅんと肩を静める大人。そこには教師としての威厳はなく、見ていて情けなく思う。
こんな見ていて少し悲しくもなるおっさんが、先ほどまで良とシャーロットのいた白い部屋に来ることができた。それはただの教師ではないことを示している。
説明を求めようかと思って、口を開こうとすると、先に八崎の方から話し出した。
「まずは自己紹介が先か。俺はシャーロットのクラスの担任で、書道部の顧問で、んで、色々と勇者関係の仕事もやってまーす。とりあえず、分かんない事あったら、俺んとこ来ればいいから」
良の中に疑問が生まれる。
「なんで退院してからすぐに俺のとこに来なかったの? それか入院してる時に普通来るだろ」
「なかなか痛いとこ突いてくるねー。まあ、こっちにも色々とねぇ。やらないといけないことがあるわけよ。だから、この場を借りて遅れたことについては詫びとくわ。すんません」
教壇の上に立って頭を下げる教師など今まで見たこともなかった。
八崎が担任だったら、案外、楽しい高校一年生の生活が送れていたかもしれない。
「んで今日俺が話すべき事はお前が、俺たちと同じコミュニティに入ってるってことと、さっき言った“キンジョウ”ってヤツを一緒に捕まえようってこと。まとめるとこんな感じ」
チョークを持って、その二点を黒板に書いたはいいが、字が汚くて読めない。
「じゃあ、やっさんのパートナーってシャーロット?」
「おうよ! 俺は勇者の中でも強い方なんだぜ? 八崎だけに八つ裂きのやっさんとも呼ばれてたほどだ。はーっはっはっ!」
本当に強いのかは疑問だ。全く強そうには見えない。
「なんだよ、二人揃って疑いの目を俺に向けんなよ! シャーロットなんかは俺が戦ってるとこ見たことあんだろ? 強かったよな? な?」
「さあ、どうだったでしょう」
「……うん。もういいよ。話を戻そう。俺とシャーロット、ツカサとあともう一人の誰だっけ? あほっぽい顔してる」
確かにあってはいるが、教師としてその言い方は如何なものか。
「アヤネっすよ」
「そうそう。アヤネちゃんね! この四人で“キンジョウ”っていう人……いや、人じゃねえしな。骸骨? を捕まえるんで、よろしく」
言葉に重みがないので、真剣に受け止められない。本当に冗談で言っているのではないかという疑いすらある。
「此方の魔力が無くなる役立たずの方をどうにかしない限りには絶対無理なので」
フカフカの椅子に足を組んで座って、紅茶を味わっていたシャーロットがカップを皿の上に置いた。
「他の仕事にしてくださいません?」
「いやー。それがさあ、シャーロット。この件は上から直々に言い渡されたことでね。そう簡単に断れないんだわー」
「だったら、この方抜きの作戦でお願いします」
彼女は先ほどパンツを見られた恨みからそんな事を言っている訳ではない。
それに、こんな危なそうな仕事から外してくれるというのなら、それほど嬉しいことはないし、逆に外してくれと申し出てたいくらいだ。
しかし、良が申し出る前にその望みは打ち砕かれる。
「まあ、シャーロットの言い分も分かるんだけどさぁ。こいつ囮に使えるから。作戦から外すなんて無理」
「……え?」
一瞬、八崎が何を言っているのか聞き取れなかった。でも、目の前のだらしないおっさんは確かに良のことを囮だと言った。
「だって、お前そんくらいのことにしか使えそうにねえもん」
この人が担任であったら、この一年が楽しかったかもしれないと思ったが、その言葉は前言撤回する。こんなにも軽々しい発言ばかりする教師は一年間も共にはしたくない。
「俺、“キンジョウ”ってヤツ倒したんだけど! 勇者になったばっかで、魔法も使えなかった俺でさえ倒せたんだから、楽勝だろ!?」
「……お前、“キンジョウ”のこと何も知らんの?」
珍しいものでも見るかのように良を見る八崎の質問に頷く。
「お前じゃあ、ヘイトスピーチの事件知ってるか?」
最初はピンと来なかったが、ヘイトスピーチと言う単語に引っ掛かりを覚える。頭の中を探ってみると、答えは自ずと出てきた。
人型ロボットの実用化に伴って、心配された事態が人間の雇用の減少だ。
高齢化社会、少子化でどんどん人口減少が進んでいるとしても、その問題は大きかった。
そんな中、現れたのが、仕事を奪ってしまうロボットを批判する団体。その団体は人と機械とを差別した。
最初はシュプレヒコール、ヘイトスピーチだけで済んでいたものが段々とエスカレートして、最終的には人を巻き込んだ事件に発展する。
「その団体の行動を裏で操って、エスカレートさせていた男が“キンジョウ”だ。あいつの唯一の誤算は自身が起こした事件で死んじまったことだな」
黒板に骸骨の絵を描きだした八崎だったが、下手すぎて骸骨だと認識したのはもう一度、口を開いて、黒板に描いた絵をチョークで指し示した時だった。
「んで、今回こいつがターゲットになったのは、人類に危険を及ぼす存在って上が判断したから。まあ、ざっくり言うと何かしら企んでるってこと。以上! 何か質問は?」
「倒したら二百万しか貰えなかったのに、なんで捕まえたら十億なの? それと、俺の二百万取られっぱなしなんだけど?」
せっかく倒したのだから、もう少し貰えてもいい筈だとそう思った。
「お前のは倒した内はいんねえんだよなーこれが! 俺もびっくりだよ! ヤツらは炎の類の攻撃は効かないらしい。だからお前の攻撃も全然効いてなっシング。これからも効かないからお前は使えない子! 二百万は治療費とかその他諸々のお金だと思っとけ! もう説明すんのめんどーになってきたわ。仕事もあるし、じゃあなー。また後日」
気だるそうに質問に答えた後、八崎は教室をすぐに出て行った。もう質問を受けたくはないらしい。
教室に取り残された良とシャーロットとその使用人。
「あなたは出て行かないの? 部活動をしたいのだけれど」
墨汁と硯を机の上に準備し始める彼女。
(ホントに書道やってるんだ……)
見た目は外国人なのに書道をやっているという何か違和感を覚える。そう珍しいものでもないのかもしれない。
怪我の治療をしてくれたのはどうやら本当に彼女のようで、これ以上ここにいたとしても二百万円は返してもらえそうにないので、大人しく出て行くことにする。
部室のドアの前で立ち止まって、彼女の方を振り返ってみると、一人で黙々と書道に取り組んでいた。
彼女は淋しそうな背中をしているように思えた。
「なにその手に巻いた包帯? 本当にチュウニ病に目覚めちゃった感じ?」
「違いますよ、笹屋さん。ただの怪我です」
書道部の部室から家には帰らずにいつもの古本屋に行くと、いつもどおり、その人は客をからかうことを楽しんでいる。
そういうからかい甲斐のある客を呼び寄せるために辺鄙なのところに店を出しているのだろう。
今日は、いつものように本の積み上がった机でだらしない格好のした女性と、他愛も無い話をしに来たわけではなかった。
「笹屋さんって魔界について詳しいですよね?」
「まあ、今のお前よりは詳しいと思うけど……パートナーに聞いた方が早いんじゃない?」
「いや、彩音に連絡する手段とか無いし……」
「あの子の方は連絡先知ってるんじゃないの?」
自分の名前が書いている紙を彼女は持っていた。それに携帯電話の番号も書かれていたかもしれない。
どちらにしても、今の良には彩音と連絡する手段は無いので、目の前の古本屋の経営者に聞くしかない。
「魔法を強くする方法とか知らないっすか?」
「魔法使えるようになったんだぁ。ふーん。なんだか、生気のある表情してるなぁって思ってたんだけど、そういうわけね」
にやにやしながらこちらを見てくる彼女の顔はいつもの人を馬鹿にするようなものも含まれていたが、彼女自身の嬉しさも滲み出ていた。
「私、ホント不憫でならなかった。魔界だとか魔法だとかを空想として受け入れて、そんなものとはかけ離れているのが現実なんだって信じきって、普通で満足してる。そんなお前の顔見てるとねぇ」
確かに彼女の言うとおり、最近の出来事は以前の退屈な日々とは違って、充実している。
笹屋に言われて、初めてそれを実感した。
これからは、既に死亡フラグの立ったつまらない人生ではない。今ならそう言い切れる。
だから、今回の作戦でもつまらない囮にはなりたくないのだ。
「“キンジョウ”っていう骸骨を捕まえるのが次の目的らしいんだけど、今の俺じゃ囮くらいにしかならない……だから、どうにかして、戦力になりたい」
「お前の気持ちは分かったよ。だけど、その話を聞く限りは私にしてやれることはなさそうだねぇ」
少しだけ期待していた分、落胆はあった。
そもそも彼女に頼ろうとする事が間違いなのだ。自分で試行錯誤するしかない。
そう思って、店を出ようとしたとき、そのドアの向こうに誰かがいるのが分かった。
「まあ、私にしてやれなくても、彼女なら何かしてやれるかもねぇ」
笹屋の言葉が良の耳に届いた瞬間に店のドアが開き、客が入ってきた。
その顔を見るのは何だか久々のような気がした。
「リョウじゃん! 怪我の具合どぉ?」
「リョウじゃなくてツカサだって……もういいや。何回言っても、無駄だろうし」
最後に「バカだから」と小声で付け足してみたところ、聞こえていたらしく、彩音は「バカじゃないもん!」と言って頬を膨らませた。
制服姿の彩音は良と話をする為にこの店に来たらしい。連絡先を知ってるんじゃないかと尋ねてみると、「そう言えば」と言って鞄の中から書類を取り出した。
「それいつも持ってんのかよ。てか何書いてんの、それ?」
「覚えられないから持ち歩いてるの! 書いてあるのは、リョウの情報とか魔界の情報とか色々!」
そう言って、携帯電話を取り出した彼女は番号を打ち込んで耳に当てた。
すると、良のポケットの中に入っていた携帯電話がバイブし始めて、画面を見ると知らない番号が映し出される。
「その番号、私のだから! 登録しといて!」
断る理由もないので登録すると、彼女に対する質問が溢れ出してくる。
まずは何から聞いていけばいいのだろうと、考えているうちに彼女の方から良が魔界から家に帰ってくるまでを話し出した。
あの時、貧血を起こして倒れこんだ良を彩音が見つけたときにはもう、傍にはシャーロットと八崎がいたらしく、治療も既に済んでいた。
その後、良を八崎の魔法で家まで運んだ。
八崎と彩音はその時に連絡先を交換していたらしく、今回の“キンジョウ”を捕まえる目的も連絡を貰って、知っていた。
「ふーん。で、なんで“キンジョウ”ってヤツはアヤネのこと狙ってたの?」
「それは前に追い払ったことあったし、恨みでもあったんだよ。私、ボッコボコにしてやったしね!」
満足げなその顔をドヤ顔と表現するのだろう。
「じゃあ、そんな強いアヤネさんに頼みたいんだけど、俺を使える人間にしてくれないかな? 今の俺じゃ、囮にしかならないってよ」
「えー。でも、骸骨に火は通じないしなぁ……囮にしかならないって言うのは、合ってる!」
笑いながら言う彼女に抱いていた希望は砕かれた。
もう諦めて囮になるしか道はないのかと落ち込んでいたその時、ずっと話を聞いていた笹屋が口を開く。
「なら、必殺技的なの覚えちゃえばー?」
馬鹿にするような口調で、彼女は冗談を言ったつもりだったが、彩音は「それだ!」と言い放った。
「会心の一撃だよ! 明日、明後日、学校休みだし、一人で練習したらいいんじゃない!?」
「練習って……どうやって……?」
「考えて、イメージすれば良いんだよ! ドントシンク! フィール! だよ!」
発音の悪い英語を話すと、ますます馬鹿っぽさが際立つ。
こうして、何の収穫もないまま、古本屋を後にした。
この土日。ずっと妄想に耽っていた。
必殺技というのはゲームのように派手な方がいいのか、否か。
まず、必殺技ではなく、魔法に対する魔力効率を考えるべきなのではないのか。
そんな事も頭に過ぎらせながら、妄想し、最終的にはずっとゲームをしていた。
ゲームをすることで自分の中にある得体の知れない何かが刺激されて、全部うまくいくのでは、と思ったが、多分、そんなに世の中うまくいかない。
目的を達成する為にそれなりの準備も必要なはずなのに、ちゃんとやっているのだろうか、あのアホ教師は。
学校に行く途中に無駄な心配をしていたが、それは本当に無駄だった。
もう既に作戦は始まっていたのだ。何もしていないのは自分だけだった。
そう気づかされたのは朝のホームルームの時。
いきなり、転校生を紹介すると担任の教師が言い始め、教室に入ってきたのはよく知る女子高生の姿だった。
「桜 彩音って言います! 皆さんどうぞ、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた後、良と一瞬目が合った彼女はウインクして見せた。
教室にいる男子全ての恨みの視線が自分ひとりに向けられたような気がした。




