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鈴の音の余韻

作者: 風戸稀琉

 灰色の空からしんしんと雪が白く降り積もる。静寂の中、山中に群生する針葉樹のてっぺんに、小さな影が静かに降り立った。チリン、と首元を飾る鈴が音を立てる。

『――――転化てんかまでの期限は三日。そして、戻ってくるまで正体を知られてはいけません』

 転化。それはこの世を去った魂が、転生の輪に加わるまでの間、神様の側で時刻ときがくるまで過ごすのか、守護霊になって大切に想う者を見守りにいくのかなど、どうあるかを定め、変化すること。猫は守護霊になることを選んだ。少しの間でもいいから、自分を大切にしてくれた彼女を護りたくて。

 守護霊になると彼女に話しかけることも、触れることもできなくなる。そこで守護霊にと希望した魂は、神様が定めた恩情で望んだ仮初かりそめの実体を持ち、実際に触れ、想いを伝えられる機会が与えられる。

『いいですか。どちらかひとつでもたがえれば、二度と側にいられないどころか、地獄の責め苦を負うこととなる。そのことをゆめゆめ忘れぬよう』

 現世げんせに舞い戻ってくる前に言われたことを思い出し、全身が透き通った銀灰色ぎんかいしょくの猫は分かってる、と胸中で呟き碧眼へきがんを細める。理解はしているが、時間はあまりない。

 彼女に伝えたいことがある。種族の違いで届けられなかった、この想いを。一生に一度、最初で最後のチャンスなのだ。しかし目の前に現れてただ口にしただけでは、混乱するだろうし伝わらないだろう。どうすれば正体を知られないように気づいてもらえるだろうか。

 焦りが具現化したように、銀灰色の背中を冷風が吹き抜け追い越していく。はやる気持ちを懸命けんめいに抑えながら、猫は少し離れた位置でにぎやかに山登りをしている一行を見据え、機会をうかがった。



 町内主催の雪山ハイキングに、服を着込んだ雪菜ゆきなは友達と一緒に参加していた。他にも家族連れや友達同士が集まったグループ、山登りをよくするのであろう準備万端なおじさんなど、町内だけにしては多くの人が集まっていた。

 景色や会話を楽しみ登っていく集団の中で、雪菜だけは楽しんでいるとは言えない表情でうつむいていた。肩まである栗色の髪と赤いボンボンで結ったサイドテールを揺らしながら黙々と歩いていく。

 隣にいる友達の紗織さおりが、垂れてくる髪を耳にかけながら顔をのぞき込んだ。

「雪ちゃん、大丈夫? 具合悪い?」

「あ、ううん大丈夫。ごめんね、誘ったのは私なのに暗い顔して」

 苦笑する雪菜の事情を知っている紗織は彼女の手をにぎり、行こっ、と明るい声で先導しはじめた。




 小学四年生の冬。終業式が終わり、いつもより早く帰路についていた雪菜はしばらく蒼太そうたとたくさん遊んであげられると、ちらほらと降る雪の中を上機嫌で歩いていた。

「なにして遊ぼうかなぁ。蒼太が好きな体を使ったアスレチック? それか去年みたいに雪だるまとかトンネル作るとか。んー雪の中を追いかけっこ? でも蒼太は犬じゃないし」

 ううむ、とあれこれ考えながら慣れた道を行く。交通量の少ない道路にさしかかったとき、反対側の歩道に歩いている猫を見つけた。白い景色の中で、ひときわ目立つロシアンブルー。弟のようにかわいがっている大切な猫だ。雪菜は目を輝かせて大きく手を振った。

「蒼太ーっ、今散歩中なの? 一緒に帰ろー」

 名を呼ばれ顔を上げた飼い猫に向かって、顔をほころばせながら歩道を飛び出す。道路の中央まで渡ったところで、耳を塞ぎたくなる様な音が聞こえた。視線を向けると、雪でスリップしたのか、少し離れた位置で自動車が左右に頭を振っている。茫然ぼうぜんと眺めていた雪菜は、やや置いてそれが自分のほうへと近づいてきていることに気がついた。

 瞬間的に自分がひかれる姿を想像してしまい、寒さとは違う震えが全身を駆け抜けた。スピードを緩めることなく迫りくる自動車が恐ろしくて、逃げなきゃと思うのに足が自分のものではないかのように動かない。運転手の焦った表情が認識できるほどに距離が縮まり、目を見開いたまま立ち尽くす。

 ふいに横から勢いよくボールが当たったような衝撃を受けた。不意打ちをくらって横に押され、倒れそうになった雪菜はしりもちをつく。瞬間、自分が立っていた位置で自動車が停止し、タイヤのホイールが目の前に映った。すぐ上の扉が開き、降りてきた運転手らしき男性が大丈夫か、と蒼白な顔で話しかけてくる。

 しかし雪菜は、男性の問いかけに答える余裕はなかった。

 ケガなく死なずにすんでよかったと安堵する前に、間近で聞こえた鈍い音が耳に残って消えない。自動車が立てるブレーキ音の中に、聞き慣れた鈴の音が聞こえた気がしたのだ。

 嫌な予感が脳裏を駆け巡る。ぎこちなく首を回し、自動車の進行方向へ視線を投じた雪菜は、離れた位置で倒れている小さな体を認めた。その下からインクがにじむように赤いものが広がっていき、薄く降り積もった雪と道路を染めていく。

 蒼太は歩道を歩いていたはず。どうしてあんなところで倒れているの。

 問いかけずとも答えは分かっていた。ひかれそうになった自分を助けて、代わりに。

 衝動のままに立ち上がり滑りそうになりながらも駆け寄った雪菜は、目を閉じたままぴくりとも動かない猫の前でがくりと膝をついた。徐々に熱を失っていく猫の体を揺さぶり、首を振りながら涙をこぼす。

「そっ……いや、蒼太、蒼太ぁ……っ!」

 雪はいつの間にか降りやんでいて、辺りは少女の泣き叫ぶ声と体を揺さぶられるたびに鳴る、猫の首元を飾る鈴の音が響いていた。




 自分は手のひらに軽いすり傷をつくっただけ。はねられるはずだった自分の代わりに、蒼太が死んでしまった。両親は自分が助かったことを喜び、蒼太が身代わりになってくれたことについて、気にすることはないと言った。

 気にしないわけがない。

 自分のせいで、蒼太は死んでしまった。車の通りが少ないからと油断して、確認もせずに飛び出したから。いつものように気をつけていれば、互いに無事で、家でたくさん遊べるはずだったのだ。

 そういえば事故の日は、蒼太を拾った日でもあった。

 一年前、同じように雪が降る帰り道でやせ細った子猫を見つけ、放っておけずに家に連れこんだ。世話をしていくうちに少しずつ元気になっていくのが嬉しくて、弟のようにかわいがり、蒼太も片時も離れていたくないと言わんばかりに懐いた。

 その存在がもういない。小さなぬくもりを抱きしめることは二度とできない。

 冬休みに入ったというのに一週間も部屋に引きこもったままの雪菜を案じて、両親が雪山ハイキングに友達と行っておいでと勧めた。そんな気分ではないが、これ以上両親を心配させるわけにはいかない。そう思い、紗織に電話して一緒に来てもらうことになった。

「あ、展望台に着いたみたいだよ。休憩だって、お茶飲もう」

 手を引いてくれていた紗織の声にはっと回想から戻ってきた雪菜は、うん、と頷いて丸太で作られたイスに腰かけた。水筒に入れてきた緑茶をコップに注ぎ、ゆっくりと飲み干して息をつく。白い息が口から吐き出され、瞬く間に消えていった。

「結構登ってきたね。この辺ね、人が埋まっちゃうくらい雪が積もってるところもあるんだって。ちょっと飛び込んでみたいかも」

「漫画みたいに人の形ができるかもね」

 本当に飛び込んでしまいそうな紗織を見やり、不思議と笑みが浮かぶ。彼女の明るさには何度はげまされたことか。どんなに落ち込んでいても明るくさせてしまう魅力が彼女にはあった。

「あ、ねぇ。柵の方に行ってみようよ。きっと景色がきれいだよ」

 紗織が立ち上がって手招きをし、パタパタと走っていく。荷物を置いて後を追いかけた雪菜は、目の前に広がる雪景色に見惚(みと)れた。

「白い雪と木の緑が混ざってて、すごくきれい……」

 降り積もった雪の隙間から緑がのぞき、雲が晴れて射し込む光が幻想的な輝きを見せている。もっと広い範囲を見てみたくて身を乗り出し、手をついて体重を柵にかけた。瞬間がくんと体が傾き、視界から空が消えて白と緑とごつごつした茶色が映りこんだ。

「雪ちゃん……!」

 後ろのほうから紗織の引きつった声で名を呼ばれ、宙に浮いたような感覚から自分は落ちているのだと自覚する。視界いっぱいに広がる茶色いものは、先程まで自分が立っていた崖の表面だ。

「たす……っ……」

 悲鳴を上げようとしても、吹きつける冷たい空気がのどに入り込んで息が詰まる。家族と過ごした思い出が脳裏を巡り、フラッシュバックのように猫を失った事故の記憶がよみがえる。

 ――――一瞬でも蒼太のことを忘れたから、罰が当たったのかな。

 眼下へものすごい速さで流れていく岩肌を眺めていた雪菜は、涙をにじませ眠るように目を閉じた。




 ――――なんであんな暗い顔してるんだ……?

 針葉樹の上で陽炎かげろうのごとくたたずんでいた猫は、寒さを感じないので黙々と飼い主だった雪菜を眺め続け、意味が分からないというように顔をしかめた。

 確かに俺は死んだ。だが俺は死にかけていた命を救ってもらい、自動車というものから雪菜を護って恩返しができたことに満足している。そして彼女は今も生きている。それは本人にとって嬉しくないことなのだろうか。

 思考回路から戻ってくると、生前よく遊びに来てかわいがってくれた紗織が、柵の前に出くるところだった。少し遅れて雪菜も柵へ近づいて雪山を眺める。それまで暗かった表情がほころんだのを見て、猫はほっと息をついた。

 やっぱり笑顔でいてくれた方が彼女らしい。そう思った矢先、雪菜の足元が崩れ、彼女が宙に放り出されるのを目の当たりにした。猫は体をぴんと伸びた形で硬直し、息を呑む。

 死んでしまったきっかけの、事故にあったときの記憶が掘り起こされる。あのときと同じような、全身がきしみ声に出しても治まらない痛みと熱を根こそぎ奪っていくような冷たさを、彼女に味合わせるわけにはいかない。

 ――――ごめんね、蒼太。

 雪菜の声が聞こえた気がした。離れているのに、悲しみに彩られた彼女の声が。

 なぜそんな声で謝る。生きているのになぜ、その顔が笑顔で満たされない。

 猫は苛立たしげに歯を食いしばり、針葉樹の上から跳躍した。一直線に雪菜のもとへ飛び、崖の側面に沿って落ちていく彼女に接近する。風にあおられて震える鈴が、今だと告げるようにひときわ大きく高鳴る。

「…………っ、雪菜!」

 今一度、彼女を護る力を。猫の姿ではなく、たくましい腕と体を持ち、想いを伝えられる人間の姿に。

 ほのかな光が猫を包む。実態のない透き通った身体が確かな質感を持ち、姿形が人間に変わっていく。髪は短く、猫だったときの名残を残すような銀灰色。紺色のトレンチコートと同色のベルト。そして猫は、二十歳くらいの青年としてこの世に顕現けんげんした。

 吹きつける冷風にあらがうように手を伸ばす。少しずつ距離が縮まり、気を失っている雪菜の手首をつかんだ。小柄な体をぐいっと引き寄せ、自分の体を盾にするように抱きしめる。

 雪を乗せた針葉樹に呑まれ、背や腕を木の枝が容赦なく打ち据えていく。葉を掻き分け枝を次々と折る音が途切れたと思ったら、冷たく柔らかい感触が二人を受け止めた。

 雪で背中が半分埋まっていた青年は、久々に感じる痛みに顔をしかめながら体を起こし、硬く目を閉じている少女を揺さぶる。

「おい、雪菜。しっかりしろ!」

 がくがくと揺さぶっていると雪菜の口から吐息がこぼれ、うっすらと瞳を覗かせた。切羽詰っていた青年は、安堵のあまり全身で息をつく。

 ぱしぱしと目を瞬かせた雪菜は眉根を寄せ、見上げて首を傾げた。

「……どうして、私の名前を知ってるの?」

「え、あ、まぁ、俺も山登りに参加しててさ、君の友達が呼んでるのが聞こえたんだ」

 うかつだったと焦りながらも、それらしい理由を取り(つくろ)う。雪菜は納得したらしく、そっか、と呟いて深々と頭を下げた。

「助けてくれてありがとうございます。えっと……」

「ああ。俺の名前はそ……そう、冬斎とうさいっていうんだ」

 無意識に名前を言ってしまいそうになり、青年は慌てて違う名を口にした。冬斎という名は転化した魂に与えられた異名で、いざというときに役立つだろうとつけられた。

 内心で別の名前をくれたことに感謝し、頭上を見上げた冬斎は雪の上に座り込んでいる雪菜に立つようにうながす。

「ケガは、してないみたいだな。よかった。崖の下にいたら、上からなにかが降ってくるかもしれない。だいぶ落ちてきたみたいだし、向こうの木の下で助けを待つぞ」

 崖から離れた針葉樹の下に並んで腰を下ろした二人は、特に話すことはなく黙り込んだ。

 ――――駄目だ。なにを話せばいいのか分からん。想いを伝えるチャンスなのに、どう言ったらいいんだ? 正体を知られないようにしないといけないのがめんどい。

 ふいに隣から鼻をすする音が聞こえ視線を投じると、雪菜は膝を抱え寒そうに身を縮こまらせていた。

『――――蒼太は抱っこするとポカポカしててあったかいね。カイロみたい』

 自分を抱きしめ、雪菜が嬉しそうに笑っていたのを思い出した冬斎は、無言で彼女を持ち上げて胡坐あぐらの上に乗せ、あらかじめ前を開けておいたコートと一緒に両腕で包み込んだ。

 びくりと肩を揺らしたのが目に入り、唐突すぎたかと気まずい気持ちになる。

「ごめん。寒そうにしてたから……」

「ううん、大丈夫、ちょっとびっくりしただけだよ。冬兄とうにいちゃんは寒くない?」

 優しい気遣いに胸が温かくなり、俺は寒いのには強いから平気だと笑って返す。

 その後もしばらく沈黙が続いた。うっそうと生い茂る森の中は静かで、生き物の気配が感じられない。まるで静かな眠りについているようだと雪景色を眺めていると、腕をつかまれ、見渡していた視線を落とした。

「ん、どうした?」

「冬兄ちゃんが温かくて……蒼太みたいだなって。なんだか安心する」

 自分の名前が出てどきりとしたが、かすかな反応に気づかれなかったようだ。冬斎が冷静を保ちつつ蒼太のことを訊ねると、雪菜はうつむきながらもぽつぽつと話してくれた。

 去年の冬に拾った猫のことで、弱っていたから毎日世話をし続けたこと。元気になってからは弟みたいでかわいくて、毎日が楽しかったこと。そして一週間前に車にひかれそうになり、自分をかばって代わりに死んでしまったこと。

「……学校から帰ってくると、いつも出迎えてくれたんだ。蒼太が側にいてくれただけで嬉しかった。なのに、いつも気をつけてたのに、私が飛び出したから蒼太は死んじゃった。助けてくれたんだってことは分かってるの。でもちょっと前までは一緒にいたのに、もういないなんて……っ」

 ――――そうか、俺がいなくなったから。いなくなったのは自分のせいだと思っているから、雪菜の笑顔が見られないのか。

 うんうんと相槌あいづちを打ちながら雪菜の頭をなで続ける。腕に寄りかかりながら泣きじゃくる彼女を見下ろしていた冬斎は、目をきつく閉じた。

 護れたから、死んでも本望だと思っていた。凍えるような寒さの中、今にも消えそうな命を救い上げてくれて、大切にしてくれた恩を返すことができたと思ったから。墓の前で泣いている雪菜も、少し経てばまた笑顔でいるだろうと勝手に解釈して天に昇った。しかし実際は大きく違っていた。まだ一週間ほどしか経ってはいないが、いまだに彼女の笑顔はかげったままだ。満足していたはずの心に、後悔の念がじわじわと広がっていく。

 自分はここにいると言いたかった。しかしそれは、神様との約束を破ることになる。二度と雪菜の声を聞くことも姿を見ることもできなくなる。せめて、彼女のせいではないと伝えたい。笑顔が取り戻せるようにしてあげたい。

 雪菜との出来事を思い起こし、すっと目を開ける。そして木々の隙間から覗く空を仰ぎ、遠くを見つめた。

「……………………大切だったからな。どうしても護りたかったんだ」

「……え?」

「消えそうだった命を助けてもらったんだ。それが嬉しくないわけがない。すっごく感謝していて、大切だった。だから雪菜が危ないとき、護らなきゃって必死だったんだ。結果的に自分が死んでも、その子が生きて笑っていてくれたなら嬉しい」

 それまで泣いていた雪菜が不思議そうに見上げてくる。はっと我に返った冬斎は、勝手なこと言ってごめんな、と慌てた。

 彼女は首を小さく振り、考えるように目を伏せる。

「そっか……私生きてるもんね。死んじゃった蒼太のことで泣いてるんじゃなくて、あの子の分まで笑っていた方が、安心して眠れるかな」

 冬兄ちゃんありがとうと微笑まれ、冬斎は胸が詰まる思いがした。彼女なりに考え、理解してくれた。想いが伝わったことが嬉しくて熱いものが込み上げる。

「冬兄ちゃん? なんで泣きそうになってるの?」

「い、いや、なんでもない。雪菜はちょっと寝てろ。俺がいるから凍え死ぬことはないだろうし、今のうちに疲れを取っておいた方がいい」

 首を傾げる雪菜の頭を優しくなで、寝ろと肩に押しつける。しばらくして規則正しい寝息が聞こえ、冬斎は起こさない程度に抱きしめた。ぬくもりを感じる。泣くまいとこぼれそうになるのを意地でこらえ、静かに目を閉じた。

 雪菜との最後の触れあいを噛みしめていると、遠くからなにかが近づいてくる音が聞こえた。目を開くと雲が流されたのか、光が射し込む量が増えていた。青かった空は赤く染まりつつあり、夕暮れ時を知らされる。

 その茜色の空に飛来する影があった。低い位置を飛んでいることから雪菜を捜しているのだと察しがつく。抱き込んでいた雪菜をそっと雪の上におろしてひとなでし、別れを告げるように耳元でささやいた。

「これからもずっと、お前を見守ってるからな、雪菜」

 そう告げて冬斎は立ち上がり、懐に手を入れた。

 目当てのものを探り当て引っぱり出すと、かわいらしい音とともに青いリボンのついた銀の鈴が現れる。冬斎が拾われて元気になった記念にと、彼女からもらった唯一の宝物だ。

 愛おしそうに見つめていた冬斎は、日の当たる場所に移動して鈴を空に向かって掲げた。そして挙げた腕を一定のリズムで小刻みに振り、鈴の音を鳴り響かせた。




 目覚めると、白い天井が目に入った。声が聞こえて顔を向けると、両親がよかったと泣いて喜んでいる。状況がつかめなくて聞いてみると、昨日の夕方、救助ヘリに発見されて病院に送られたのだという。

「冬兄ちゃんは? ずっと側にいてくれたの」

 違う部屋にいるのだろうかと思ったが、予想に反する答えが返ってきた。助けられたのは雪菜だけ。もともと落ちたのはあなただけだし、他には誰もいなかったという。

「でもずっと、私が寝ちゃうまで一緒にいてくれたよ」

 そう両親に訴えても、夢でも見たんじゃないかと信じてもらえなかった。それが悔しくて顔を背けた雪菜は、備えつけの小さな机の上にリボンのついた鈴が置かれていることに気がついた。訊ねてみると、発見されたときに自分が握っていたらしい。

「この鈴……」

 手にとった雪菜は、青いリボンと小さな鈴にどこか見覚えがある気がしてじっと眺めた。揺らすと風鈴に似た涼やかな音が鳴り、同時に蒼太の姿が脳裏に浮かぶ。

「そうだ。この鈴、蒼太にあげた鈴だ」

 でもなぜ助けてくれた見知らぬ冬兄ちゃんが、この鈴を持っていたのだろう。確か蒼太を埋葬するときに一緒に入れたと記憶している。

『――――これからもずっと、お前を見守ってるからな』

 ふいに心が温かくなるような声が聞こえ、崖から落ちたときに助けてくれた冬斎の顔がよみがえる。彼の髪色は墨を薄めたような色だった。温もりに包み込まれて安心したこと、辛くて溜め込んだ想いを話したときも、離れずに側にいてくれたことを思い出す。それは蒼太に甘えたり、その日あったことを報告していたときとそっくりで。

 まさかという疑念が頭をもたげ、カーテンが揺れる先にある晴天の空を茫然と見つめた。

「蒼太……?」

 そのときに吹いた穏やかな風が、肯定するように頬をなでていった。


  



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