9話 無駄な知識などない?
前世の私には、『三国志』と『水滸伝』にハマっている友人がいた。
私のなかに残る中国関連の知識は、その子から伝授されたモノが多い。
そして、その友人は中国人の名は全て中国発音で呼ぶことをモットーにしていた。例えば『曹操』は『ツァオツァオ』、『関羽』は『グァンユー』といった具合に。
その所為かどうなのか、たまたま文少年の部屋で『論語』の本を見かけた瞬間。
「あ、孔子」
私は不覚にも呟いてしまい、(又やっちゃった!)と失敗に慄いた。
「ニーシェイシー孔子?」
当然の事ながら、不思議そうに文少年が聞き返す。
うん、おかしいよね。『論語』を読んだことなどない筈の幼児が、そんな事を言い出したら。そもそも文字が読めない前提な訳だし。
私がそう考えて、何と言って誤魔化そうかと冷や汗を流していると。
「シーシェイデュ名ズー?」
どうも文少年の反応が、私の思っていたのと違う。まるで『孔子』を知らないかのような態度だ。
そんな、まさか!?
私は自分の想像に驚愕し、考えるよりも先に不安に駆られて口走る。
「孔子!」
そして、『論語』の書物を手ではっきりと示す。ところが、
「ブー。ドウフーズー」
少年に否定された。『ブー』というのは、否定の単語である。
後に続く言葉までは解らないが、『論語』と『孔子』は無関係と言っているようだ。
しかし、それはいくら何でも有り得ない話である。
恐らく、多分きっと。
私が『孔子』の名の発音を覚え間違えているのだろう。あるいは、地域によっては訛りで違って聞こえるだけであろう。
絶対そうに違いない…。
2013.6.9