3話 時は金なりですか?
ところで、今っていつ?
前世で日本人少女だった私が死んだ時代は、21世紀だった。
生まれ変わった現在は、もう22世紀を迎えているのかな?それとも、まだ同じ21世紀なのか?
正確な年月日を知りたいと思って室内を見回したけれど、何故かカレンダーが見当たらない。ただいま幼児の私の目線が低すぎるのかもしれないと、天井まで見上げたりして探したが、やっぱり無い。
一日の大半を過ごす部屋だけではなく、食事をするときの部屋、夜になると連れて行かれる部屋、さらには神様を祭ってあるらしい部屋、というように可能な場所を探したけれど、何処にも見付からなかった。
もっとも、幼児の行動範囲は限られているから、この家屋の隅々まで探索できた訳ではないので、不運な偶然が重なった可能性もある。
但し、それだけで済ませるには、実に有難くない事を気付いてしまった。
と言うのも、この家には時計が置いてない。さらに家族の様子を見る限り、腕時計や懐中時計を身につけている訳でもない。
カレンダーはまだしも、時計まで無くて、どうやって時間を知るのか?
しかも、室内の設備を見れば見るほど、変な気分になる。まるで歴史映画のセットのような建物、同じく小道具のような家具と小物類には、セメント・ステンレス・ビニール・プラスチックなどの、21世紀ならば普通に見かける素材が一切使われていない。
加えて、私の衣類はすべて手縫いで、生地にも手織りの風合いがある。
それら全てが、此処は未来ではなく、私に過去の時代に来たのだ、と告げているように感じる。
まさか、ね。
時を溯るなんて起きる筈がない。いくら何でもSFじゃあるまいし。
だけど、輪廻転生という神話的ファンタジーが有りで、時間逆行は無しと言い切るのは、おかしくない?
とにかく、そんなこんなの疑念を解消するためにも、是非とも現時点で何世紀なのかを知りたい。
そんな或る日、唐突にカレンダーの件には答えが示された。
なんと現世の私の父親が、『暦』と表紙に題字のある本を読んでいたのだ。彼の手元を覗き込もうと、私は精一杯に身を乗りだす。その拍子に危うく膝から転げ落ちそうになった幼児を、慌てて母親が抱き寄せるまでの刹那、私は文字列を目に焼きつけることに成功した。
私、やりました。頑張りました。それなのに!
残念ながら、結果は嬉しいものではなかった。
文字は漢字で、読むことも出来た。なのに、私には理解不能である。
どういう事かと説明すると、暦書は十干十二支で表記されていた。占い好きの女の子なら知っているかもしれない、『四柱推命』で使用されるあの形式だ。要するに年月日は漢数字ではなく、例えば『甲子』とか『乙丑』とか『丙寅』とかで印刷されていたのだ。
うわ~ん、こんなの意味不明だよぅ。
ご~ん!
このタイミングで、私のショックを表現するかのような、大きな音が響く。ちなみに、これは私の脳内表現ではなく、もちろん幻聴でもない、正真正銘の本物の鐘の音だ。
どうやら近くに寺院があるらしく、一日に何回も鐘を撞く音が聞こえる。前世では除夜の鐘くらいしか知らなかったので、初めの頃は驚いたけれど、さすがに毎日のことであるから慣れてしまった。
すると、音に気が付いた父親が顔を上げて呟く。
「ヨウアーデゥシージィエンチュシュイジャオ」
「シー、シャンゴン。
ジゥニャン、ニー爸爸ウェンハオ。ウェイ、シュオワンアン」
父親の言葉に母親が応えて、私に手を添えて軽くお辞儀の姿勢をとらせる。
会話がほとんど解らないのは相変わらずなのだけれど、中国語系統の言語だという事が判明してからは、簡単な単語は覚えれるようになっている。確か、『ワンアン』は『お休みなさい』の挨拶だと思うので、今夜はもう就寝の時間のようだ。
「わんあん」
幼児らしく呂律が回らない発音で挨拶すると、父親が破顔一笑する。
「ズォグァハオモン」
私を抱く背後の母親からも嬉しそうな気配が伝わる。
それから、母親に抱きかかえられたままで夜眠るときの部屋へ移動する。柔らかで温かな体に身を任せて揺られていると、睡魔とともにストンと腑に落ちるものがあった。
…ああ、そうか。
家族のみんなは、あの鐘の鳴る音で時間を知ってたんだなぁ、と。
…まあ、結局、いまが何年何月何日なのかは判らないままなんだけれどね。
2013.6.3