第9話
傭兵団から出立したのは、団長と団員が3名に、テツ、キョウイチ、スイ、それから選ばれた男子1名だった。彼はキョウイチたちと打ち合っても引けを取らない腕を持っている。能力なしで剣を振るのは初めてだったが、それはテツ以外みな同じことだ。
残りの団員は留守番することになる。腕に覚えのある者は、主戦力が抜けている間、ホームたる集団を守ることに専念する。
戦闘面でいえば、テツはブランクがあるのが気がかりだった。反抗の可能性を危惧されていたので、狩りのときにしか剣を握らせてもらっていない。装備を渡されたのは今朝方である。
また、道場生組が身につけている防具は、そろって貧弱なものだ。これなら、剣道の試合で身につける防具の方がよほど防具らしい。
テツ以外は使い慣れた刀を帯刀している。そんな細い獲物で大丈夫か、という顔をされたが、大和人たる彼らは、刀以外は邪道だと考える。すんなりとショートソードに乗り換えたテツが異常なのだ。
見送りは粛々と行われた。団員たちにとっては珍しくもない戦であったし、残留組の道場生にとっても話しかけづらい雰囲気があった。
使い走りとして女性方々の覚えがいいテツは、初陣ともあって激励されていた。シンシアなどは、ポールも出立するというのに、テツに構いっきりであった。「生き残るのを第一に考えるんだよ」といって熱い抱擁をくれたのだった。
ミコトは意気消沈した表情で、言葉少なげに弟を含めた道場生組を見送りにきていた。何かをいいたげな様子だった。罪悪感でも覚えてるのかな、とテツは思う。この世界に飛ばされた仲間内では一番の年長者である己が参加しないことを気にしているのだろう。
「ぼくが死んだら、これを墓に埋めてください」と髪を一房切って手渡すと、本気で怒られてしまった。必死になってふざけているわけではないことを説明する。自分でも、死亡フラグを立てている気がしないでもなかったが、この戦で死ぬ可能性は高い。これは純然たる事実だ。
死して地面に伏せようとも、弔われない身の上は許しがたい。せめて、簡単にでもいいからよくして欲しい、と告げると、観念したようにミコトは了承した。テツに感化されて、今回参加する全員が彼女に髪の房を渡すことになってしまったが、決心を感じ取ったらしく、神妙な面持ちで受け取っていた。
行軍とも呼べぬ行程である。集合地点までは騎乗して行くものの、馬の頭数の関係上、道場生組はふたりで一頭に乗り合わせることになる。幸いだったのは、騎乗技術が現代大和においても廃れていなかったことである。武家文化の名残を色濃く残していたおかげで、学校の授業で乗馬を習うのだ。さすがに常用手段として馬を用いることはないのだが。もしも徒歩で同行する者が存在していたなら、行軍速度は比べものにならないほど遅くなっていたことだろう。
緊張のせいで発汗が多くなっているのを感じながらも、剣を抜くのはまだ先だと思っていた道中。
思いがけず、テツたちにとっての初陣が訪れてしまったのだった。
小規模ながらも、敵部隊の斥候と思わしき一団と鉢合わせしてしまったのである。
団長以下、歴戦の猛者たる団員の行動は速かった。状況を完全に悟らせる前に敵に襲いかかり、瞬く間に切り捨てていく。馬上からの一撃は正確無比に命を狩っていく。テツたちの出番などあるはずがなかった。
だが、彼らだけでも討ち取れたはずなのに、落馬した数名の敵をわざと生かしていた。訝しむキョウイチたちとは違い、テツはありがた迷惑だと心中毒づいた。
要は殺しの練習である。
「この程度なら、おまえたちでも討ち取れよう。さあ、―――――殺せ」
壮絶な笑みだった。地獄の悪魔もかくや、という団長に逆らうことなどできやしない。普段はおちゃらけた格好のポールも、このときは真剣な表情を崩さない。
馬上から、いの一番に降りたテツは左手の盾で身体を守り、抜き放ったショートソードを確かめるように強く握った。
それぞれが相手どれるよう、4人の敵が残されていた。テツが対峙している男はそれほど身なりがよくない。残りの敵も、似たような格好だった。
剣のグリップを握りしめた瞬間、いままで感じていた緊張感から焦りまでが、一気に引いていくのを感じた。スイッチが入ったといっていい。剣の重さが、鉄の匂いが、あたりの血の海が、ここが死地であることを教えてくれる。
―――――腐臭がする。
頬の筋肉がひきつって笑みの形をとった。その形相に敵は怯えた。その一瞬を、怯えに腰が引けた一瞬をテツは見逃さなかった。躊躇なく振り切った剣は、半円を描いて敵の右鎖骨から袈裟切りに入った。そのとき思ったのは、骨はなかなか固い、ということだ。
呆然と血が吹き出すのを見ていた男は、手で血を止めようとして崩れ落ちた。残心する間もなく、テツは残りの仲間の状況を把握すべく、振り返る。
戦闘はいまだ続いていた。能力を失ったとはいえ、草切道場の生え抜きがそろっている。雑兵ごときには遅れをとらない。しかしながら、実戦であることがネックとなっていた。
とどめをさせなかったのだ。無我夢中だったのだろう、勢いで殺してしまったあの男子はいい。だが、なまじ実力があったために、敵を無力化したあと、キョウイチとスイは刀を振り下ろせないでいた。
この戦において捕虜にとられるのは、身代金が望める貴族連中だけだ。他は捕虜にとる必要性がない。むしろ生かしておくと邪魔になる。
馬上から事の成り行きを見物していた団長は、一刀のもとに敵を屠ったテツを新しいおもちゃでも見つけたような目で見ていた。だがそのあと、ふたりがとどめをさせないでいるのを見ると、つまらなそうな無表情に戻った。
鈍色の瞳は、殺せ、と物語っている。
敵兵も、相手が新兵だと気づいたのだろう。途端に見下した顔つきになった。それでもふたりは刀を動かせない。乱戦だったらよかったのだ。殺す殺さないなど、考えている暇などないのだから。
眼前の命をどう扱うか。その決定権を自分が握っている。キョウイチもスイも、思考は固まってしまっていた。
無理もない、とテツは思った。むしろ人を殺して、その切りにくさの感想を抱いている自分がおかしいのだ。隣で戻してしまっている男の方が、よっぽど人間らしい。
ならば、この血の滴る剣をもつ自分は何者なのだろうか。悪鬼か、羅刹か。馬鹿馬鹿しい、と切り捨てる。何を異常者気取りで語っているのか。血も凍るほど恐ろしい男がいるではないか。あの男に比べれば、自分など赤子に過ぎない。
己より強い人間など、ごまんといる。それがテツの常識だった。
彼は無力化された敵兵の後ろをとると、驚く幼なじみの目の前で、首をはねた。作業的にもうひとりも済ませてしまう。青い顔で口元を押さえるスイと目が合うと、「ひ」と化物でも見たかのような反応をされた。
デジャヴだな、とテツは思った。どこで、誰に、なんて野暮なことは考えない。かつて自分が同じような反応をして、今度は自分がそう反応された。それは、嬉しくない暗示だった。
剣を一振りして付着した血と脂を払う。落ち込んでいる暇はない。目先の問題は、鬼よりも恐ろしい男へのいい訳だ。あの男の目的は、自分たちに殺しを慣れさせておいて、本番でへまをさせないためだったに違いない。殺しに本番も何もないとテツは思うが、その行程に水を差した理由を問われるはずである。
「……」
へたり込む3人には目もくれず、団長はテツを呼び寄せ、黙って見下ろした。生物的な本能というのは克服しがたく、すぐにでも背中を向けて逃げ出したい気分だった。逃げ出したところで、背中からばっさりやられるのがオチだろうとしてもだ。
ポールはやれやれと呆れている。馬鹿なことをして、とその顔がいっていた。
「おまえはもう少し、利口なやつだと思っていたのだがな」
テツは横っ面に拳をくらって派手に吹き飛んだ。脳を揺すぶられたせいで、なかなか立ち上がれない。
「な、や、やめてくださいっ。なんで殴るんですか!」
見ていられなかったのだろう、スイは怯えながらも制止に入った。
その彼女を、殺気だけで殺しかねない眼光で貫く。のどを詰まらせて、筋肉が硬直した。身体の芯から凍りついたようだった。なんだこの化物は、と恐慌に陥る。こんな恐ろしい、おぞましい人間は見たことない。嫌悪と恐怖で口がきけない。足は他人のもののように動いてくれない。
「―――――そこをどけ、腰抜け」
団長の抑揚を欠いた声が鳴る。テツは痛みなど感じている暇はなかった。どうにかしないとスイまで処分されてしまう可能性があった。
目線も動かせないスイの隣をいく。あの男ならきっとぼくらを殺す。殺しを、殺しと思っていないのだ。鳥の羽をむしるように、人間の首をはねるに違いないのだ。
テツは口から流れる血をぬぐった。殴られることは予期していたから、歯は折られずに済んだ。これで完全な不意打ちだったら、奥歯の2、3本はやられていただろう。
団長はかがみ込むと、テツの髪を引っ掴んで顔を引き寄せた。
なんて臭いだ、と顔を顰める。この大男からは、ありとあらゆる死臭がするようだった。いままで殺してきた人間の、血と脂の混ざった臭いが、べったりとくっついている錯覚がした。なんともおぞましい香料だった。
「ぬるい。ぬるいなぁ、小僧ォ……」
歯をむき出しにして、
「おまえの相手をやった一撃はよかった。感心したほどだ。だがな、そのあとの行動はなんだ」
「ぐっ」
髪をむしり取られる勢いで掴まれて、テツは苦痛にうめいた。
「わたしがなぜ人数分残したのか、おまえならわかるだろぉ、テツ。それをわざわざ他人のぶんまで食いやがって。少々マナー違反じゃないか。違うか?」
「それは」
納得できるいい訳をしなければ許されないだろう。この団長は、全身筋肉のくせに妙に合理的だ。感情論では論破できない。だが逆に、そうするに相当な理由があれば理解してもらえる可能性がある。
「のちの、ためです」
「ああ?」
「彼らは、人殺しに強い禁忌をもっています。育ちがよすぎるからです」
そういうと、いまだに立ち上がれない3人を見て、ふむ、と団長は先をうながす。
「団長の策は、殺しを納得できる前提がなければ成り立ちません。こいつらの中では、無力化した人間を殺すことは、最大の禁忌なんです。無理に殺させれば、完全に心が折れるに違いない」
それでは困るでしょう、と問う。
「乱戦になれば、嫌でも殺さなければなりません。その方が、まだいいのです、こいつらにとっては。戦の中では、気分が高ぶって、殺しの嫌悪感など覚えている暇はありません。自分が死ぬか生きるかなんですから」
団長にとって、テツたちは兵隊だ。そのために武器食料を与えている。なのに本来の仕事を果たさなかったら割に合わない。
だがそもそも、なぜ団員ではなく使い走りの彼らを参加させたのか、という疑問も残っているのだが。
「この場で殺させるのは得策ではありません。だから、ぼくがやりました」
「なるほど」
掴まれていた髪が離される。
「確かに、あいつらの性格は、わたしよりおまえの方がよく知っているだろう。あながち虚言でもないのだろうな。だがなぁ、糞ガキ、覚えておけよ」
「かっ」
凶器のような手で首を絞められる。ミシミシと嫌な音がした。振りほどこうと両手で抵抗するが、万力に絞めつけられているかのようにびくともしない。
「戦場での命令無視は、死、あるのみだ」
こんどこそテツを開放する。空気を求めてあえぐ彼に興味をなくしたのか、団長はきびすを返す。
訳もなく涙が流れてきた。苦しさのせいか、生きていることを実感しているせいか。彼にはわかわない。だが下手すれば殺されていたかもしれない、と恐ろしくなる。敵に殺されるよりも先に、あの男に殺されるのではないかと思えてきた。
推移を見守っていたポールは、「命拾いしたな、テツ」とありがたくもない餞別をくれて行ってしまった。なんとも思いやりのない先輩である。
「テツっ」
「うわ」
腹にタックルされたのかと錯覚するような飛び込みだった。スイは顔を泣きはらしながら、「ごめん、ごめんね」と繰り返した。キョウイチの手前、抱きしめてやることなど論外だった。この青年は、そういうことを気にする性質なのである。
「すまない、テツ。おれたちのせいで……」
団長とのやり取りは、自分たちのせいなのだと理解しているのだろう。キョウイチは暗い表情でテツに謝罪した。
「ぼくが先走ったせいだよ。ふたりとも気にしないで」
「だけど……」
「問題なのはこれからだよ。さっき団長にいったのは、本心でもあるんだ」
わかっている、とふたりの幼なじみは頷いた。彼らだって、戦場で相手が遠慮してくれるなどとは考えていない。先の事態は、敵を無力化してしまったから起こったのだ。敵味方入り乱れる乱戦では、我武者羅に生き残るしかない、と覚悟を決めていた。
蚊帳の外に置かれていた顔色の悪い男子は明らかに弱っていた。テツから見ても、この先大丈夫なのか、と不安になる憔悴ぶりだ。その男子は「悪い」といったきり、黙りこんでしまった。人を斬ったことにショックを感じているのだ。
彼はあくまでも人間らしい。ならば、躊躇もせずに斬り殺した自分はどうなのだろう。テツは考えずにはいられなかった。