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第5話

 家に帰りたい、と荷馬車に詰め込まれたスイは思った。荷馬車はひっきりなしに揺れて乗り心地は最悪だし、すえた匂いが酷い。平時なら少しの間だっていたくない空間だった。


 豚を屠殺するように人間を切り捨てた男は、殺した人間の着ている袴を珍しく思ったのか、躊躇なくはぎ取っていた。もちろん、使用されることがなかった刀も回収されている。


 抵抗の意思をなくしたスイたちは全員の刀を奪われ、手足を縄で縛られた。歩けるように余裕をもたせてあるが、逃亡することは不可能に思えた。この連中は、逃げる素振りなど見せたら間違いなく斬って捨てるだろう。


 品定めするように全身を眺められた。スイを含め、残っている女子は5名だ。彼女たちの脳裏は、考えたくもないのに嫌な想像で埋まっていた。だが意外なことに、乱暴されることもなく、男子と同じ扱いで拘束され、いまに至る。


 慰み者になる予想は外れたものの、荒れくれ者らしくない態度に不信を覚える。いや、手を出されなかったことは喜ぶべきことなのだが。


 さらに厄介なことに、仲間内でも親密だと思われた関係の者同士とは一緒にならないように馬車を分けられていた。頼みの綱のキョウイチはもう一台の方に囚われている。幸いミコトとは同じ乗り合わせだが、あまり親しくすればどうなるかわからない。


 それに、とスイは見慣れた幼なじみの顔を盗み見る。


 いの一番に刀を捨てて命乞いをしたテツがいる。いつからこいつは臆病者になったのだろうか。昔はもう少し男らしかった気がするのに。


 内心で文句をぶつけてみても、当の本人はどこか見当違いの中空を眺めている。ときおり、馬車に揺られて首が人形のようにカクカクと上下した。


 捕らえられたみなは、絶望したように顔を俯かせている。その様子を、数人の女性が油断なく見張っている。どう見ても戦闘向きではない格好だ。中世の村娘といった風貌で、スイの目から見ても美人ぞろいだった。状況からして、あの男たちの仲間なのだろう。


 顔見知りの道場生が殺された。その事実は彼女の精神も大きく疲弊させていた。キョウちゃん、と精神安定剤よろしく恋人の名を口に転がす。鼻の奥につん、と鈍い痛みを感じる。


 スイは不安で押しつぶされそうだった。









 ―――――血の臭いがした。


 惚れ惚れするような一撃だった、とそれを語るならそう評価する。思いがけないところで出会ったテツの理想とする剣筋だった。『気』というブーストに頼らない、純粋な剣技。


 敵わない相手なら腐るほどいた。それは道場生であり、幼なじみであり、姉のような存在であり、当主であった。


 だが、見本にしたい、と思える人物に出会ったのは初めてだった。それが人殺しの剣を扱う人物であっても。


 目を閉じれば、鮮明に思い出せる。むせ返るような濃い血の臭いと共に。


 忘れないうちに、何度も何度も繰り返し想起する。もしも、あの剣を受けたのが自分であったらなら、同じように斬り捨てられていただろうか。圧倒的な一撃だ。刀のような細身をもって、かの振り落ろしを正面から受けられるはずはない。少なくとも、無能力者たるテツにとっては。


 いま彼を捕らえている集団の人間が能力者でないことはすでに気づいていた。拘束される際、何気なく「すばらしい能力の扱いですね」とカマをかけてみたところ、変なものでも見るような対応を返されていた。


 テツにとって扱うことのできない能力だが、それがあること自体は感じられる。つまり、相手が『気』を扱えば、彼には気配として感じられるのだ。雰囲気というか、風の流れというか、とにかく、彼にとって最大の壁ともいえる能力の残滓は、この男たちには全く見つけられない。


 そして先ほどの斬り合い、とも呼べぬときのこと。道場でもそれなりの使い手であった男が赤子の手をひねるようにやられたのは、気でブーストしていなかったからだ。反射神経を劇的に向上させる能力者ならば、いかに速いあの一撃でもいなせたはずなのだ。


 それにミコトを始め、みなが感じていた倦怠感。あれは能力が使えないことからくる症状ではないのか、と予想していた。


 能力者は、普段から無意識に身体能力をブーストしているという。戦闘時ほどではないとはいえ、日常生活においても、気の恩恵は能力者に与えられている。それが突然消失してしまったとしたら。微弱ながらも、常時強化されていた身体機能が低下する。それが倦怠感として現れたのではなかろうか。


 そう推測するに、まずい状況だ、とテツは貧乏揺すりをする。まだ若干とはいえ、大の大人も相手取れるミコトやスイ、キョウイチが万全の状態ならば、少なくとも野盗崩れの連中には遅れを取らない。


 だがいまの彼らは、一対一でも相手にできるかどうかだ。しかも道場生を目の前で惨殺されて、抵抗する気力を一気に奪われてしまった。数の有利はないも同然だ。


 身体を揺すりながら、おかしな連中だ、とテツは思う。身なりはそれなりの格好だ。中世の騎士といっていい。だが、映画で見られるような整然とした騎士ではない。むしろ騎士崩れの山賊、といった方が無難だった。


 外見とは裏腹に指揮系統はしっかりしているようだった。慄然たる一撃を見せつけてくれた男はリーダー格らしく、残りの者は彼に従っている。命令はスムーズだし、足も速い。荷馬車を守るように布陣して、ふたりを物見で先行させて道を進んでいる。


 自分の置かれている状況がいまいち把握できていないが、元いた世界とは違う状況に置かれていることは理解できていた。テツたちを捕らえた人間たちの身なりからして、現代らしくない。


 情報が少ないな、と毒づく。下手な態度は取れないが、テツたちを見張る女性らは普通の村娘のように見える。外見で判断する愚かさは重々承知している彼も、一見した以上の感想は描けそうにもなかった。


 「あの……」


 誰も口を開かなかった荷馬車内で、久しぶりに声が発せられる。その発声者たるテツは、努めて臆病そうな振る舞いをした。


 「ここって大和ですよね? それにしてはえらいど田舎で人も少ない。いったいどうなっているんですか?」


 無論、この周辺がテツの母国たる大和の国ではないのは一目瞭然だ。だが、あえて知ったかぶりの調子でいった。


 女性たちは顔を見合わせたあと、ひとりが怪訝そうに問い返してきた。


 「ヤマト? なんだい、そりゃ。……あんたたちも見慣れない服装だし、どこの人間だよ」


 「え、大和の国ではないんですか!? それじゃあ、英帝国らへんですかね」


 「……ヤマトでもエイなんとかでもないよ。どんだけ田舎人なんだ? この辺りはパッヘル領の境界付近だよ」


 当然ながら、その単語に聞き覚えはない。テツが口にした「大和」「英帝国」にも反応を示さないあたり、いよいよありがたくない状況に置かれているようだった。


 「そうですか……それで、その。ぼくらは、いったいどうなるんでしょうか」


 ひとまずの懸念事項はそれ一択といえた。殺されなかったとはいえ、ご丁寧に保護してもらったとは考えられない。利用価値があるからこそ、こうして捕らえられているのだ。


 予期していた質問らしく、ややぶっきら棒に女は答える。


 「どうだかね。珍しい服も着ているし、身代金でも取ろうかと思ってたんだけどね。なんかそれも無理みたいだね、話してみた感じは」


 魚市場でお目当てのマグロの身がスカスカだった競り師みたいな顔で、


 「人買いにでもやられちゃうんじゃないかい。きっと」


 「それは……困りますね」


 引きつった表情で答えるしかなかった。さりげなく聞き耳を立てていた者たちの動揺した気配が伝わってくる。


 彼女のいうことは奴隷として売られる、ということだろうか。少なくとも、テツたちがいた世界において奴隷が公然と黙認されていた地域は、ほぼ存在しなくなっていたといっていい。


 当たり前のように口にされたことから考えて、常識を異にする人間に捕らわれているのだろう。改めて、明日をも知れない身の上なのだな、と泣きたくなる。


 「こっちだって、ただでパンを食わせるほど余裕があるわけじゃないんだ。儲けにならないんじゃ、あんたたちを手元に置いておく理由はないさ」


 この世界が現代欧州である可能性はかなり低い。陳腐な台詞だが、異世界というものなのだろう。右も左もわからないような世界で生きていけるほどたくましくないテツからすれば、奴隷として売られるのも用済みとして捨てられるのもデッドエンドといっていい。


 どうにかしなければいけない。それだけは確実だった。


 黙り込んだテツを見る視線は幾分か和らいでいた。女は人見知りしない調子で、


 「あたしの名前はシンシアっていうんだ。あんたは?」


 「ぼくは遠見……いえ、テツ・トオミといいます」


 シンシアは難しい顔をして、「テツトオ……なんだって」と聞き返す。やはりというべきか、大和風の名前はわかりにくいようだ。


 「テツ、です。テツ」


 「テツ、だね。あんた、なかなか見込みがあるから覚えておくよ」


 気に入ってもらえたのは何よりだが、彼女の集団内での立場がわからない以上、深入りするのは好ましくなかった。愛想笑いをしてごまかしておく。


 それをどう取ったのか、癖のある金髪を指で絡めとりながら、


 「物怖じしないで情報収集とは恐れいったよ、坊や。少しは事態がのみ込めたかい?」


 「……」


 この雌狐め、という悪態は、すんでのところで口から出ることはなかった。


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