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第38話

 「姉さん!」


 テツは渦を巻いて溢れ出そうとする感情ごと声を吐き出した。その後ろ姿は暗闇によって定かではなかったが、彼にはそれがミコトだとわかった。他の4人の姿はなく、彼女だけが待ち構えるように馬を走らせていた。


 振り返ったミコトは淡い光に照らされて幻想的な雰囲気だった。あるいは死さえも覚悟した人間の発する独特な空気があった。そこには逃亡者の面影はない。望んでいた待ち人がようやく現れたという安堵感が感じられた。


 徐々に速度を落とし、反転した彼女の馬は訪れた休息にいなないた。これまでずっと走り通しだったのだ、さぞかし休息を欲していたに違いない。彼女は馬を優しくなでていたわっている。


 どちらともなく下馬して向かい合う。たった数時間ぶりだというのに、まるで久しく会っていなかったように感じられた。それはその数時間の間に豹変した彼らの関係がそう思わせたのかもしれない。


 装束は両者とも袴の道場着である。純白の道着をまとったミコトの姿は、闇の中でもほのかに発光している。もちろんそれは錯覚なのだろうけれど、しばしテツは目的も忘れて見入ってしまった。


 我を取り戻したのは、遠方に人の気配が感じられたからだ。


 「ガヴァン副団長……」


 「彼が見届け人ってわけね」


 どうしてここに、というテツとは違って、ミコトは納得した様子だった。恐らくふたりが結託して逃走をはかろうものなら、彼によって追討されるのだろう。直に剣を合わせたことのない人物ではあるが、その実力が凄まじいのは想像に難しくない。


 テツには落ち着いているミコトの姿がいまいち理解できない。ポールを殺害してまで逃走をはかるようには思えないのだ。いまだって、追いつかれたというのに少しも悔しげな様子は見せない。


 遠くから動物の鳴き声が聞こえる。人工的な光の少ないこの世界では、星はありありとその姿を主張している。腕を広げた木々がときおり葉を揺らし、風があることを教えてくれる。


 草切ミコトは、そんな清澄な舞台の中心に立っていた。存在感というものがあるのならば、きっとテツは彼女の足元にも及ばないのだろう。圧倒してくる力を肌に感じつつ、テツは言葉を突きつける。


 「ポールが、死にました」


 「知ってるわ。わたしが殺したんだもの」


 ミコトが淡々というのをテツは否定した。


 「それはあり得ない。ポールは後ろから刺されたんですよ。そして彼は、その人間を殺すために自ら刃を突き立てた。姉さんは背後からナイフなんて陳腐なもので襲ったりしない。むしろ正面から斬ってかかるのでは?」


 「それは状況によるよ」


 ミコトは苦笑し、


 「誰がやったかなんて意味のない話だ。わたしたちの身勝手でポールさんは死んでしまったんだから。それは変えようのない事実よ」


 言葉では冷静さを装いつつも、僅かに語調の乱れが感じ取れた。ポールの死については、彼女も思うところがあるのだろう。それを理解したテツは救われた気持ちになった。


 同時に、どうしてミコトがこの場に残ったのかも理解できた。恐らく殿を務めるためにひとり残ったのだ。負傷した人間を抱えての逃亡は予想以上に難しいものらしい。


 性格からいって、弟やスイを犠牲にすることなど許しはしない。ミコトが残るのは必然といえた。


 「それにしても、こう長々と話していていいの? 他は逃げちゃうわよ」


 「もしも本当に、キョウイチたちの抹殺が団長の目的だったら、ぼくひとりだけで行かせはしないでしょう。ガヴァン副団長の監視だって不自然です。初めから、ぼくと、仲間の誰かとを殺し合わせるのが目的だったんでしょうね……」


 唾棄すべき事実に気づいてもどうしようもない。すでに舞台は整えられてしまった。これまでに感じられていた違和感は、この夜の布石だったということか。澄ました顔で嘘をつく団長には、憎しみを通り越して感心してしまう。


 「テツも気づいたようだね。わたしもおぼろげながら感じていたの。でも、団長の目的がはっきりしなかった。殺し合わせて、何をさせようとしていたのか。けれど最近になってようやくわかった。目的はテツ、あなたを傭兵団に引き込むためのものだったってこと」


 テツは納得できなかった。自分ひとりのためにそこまで大げさなことをするだろうか。たかが得体の知れない小僧のひとりやふたり、探そうと思えば自分より才覚溢れた人間など余るほどいるはずだ。


 「気づいてないのかな。テツ、あなた、剣を握ると雰囲気が変わるのよ。その姿がね、どことなく被って見えるの。団長の姿とね」


 「それは……嬉しくない事実ですね」


 「きっと団長はテツに何かを見出したのね。だから鍛えあげることにした。余分な部分を削ぎ落とすことにした。悔しいけど、それはうまくいってしまったみたい」


 自分のことを話しているはずなのに、まるで自分のことだとは思えない。遠見テツという別人を話題にしているかのようだ。ミコトがある種の妄想に取り憑かれているように思える。また同時に、彼女の話は、テツ自身が感じていた違和感の正体であった。


 おかしいな、と彼は混乱していた。どうして自分を中心に事態は動いているのだろう。いままでに経験のない事態だった。そう、おかしいのだ。この世界に飛ばされてから、かつてとまるで勝手が違う。能力の有無だけでは説明のできないうねりに巻き込まれているかのようだった。


 「団長には殺せといわれてるんでしょ?」


 頷いて返すと、ミコトは予想通りだと口元を歪めた。


 「ポールさんが死んじゃったんだ。許してくれるわけないよね。元より、許してくれなんていうつもりもなかったけど」


 「どうしてこんなことを、なんてきくのは野暮なんでしょうね」


 「その通りだよ、少年。それは野暮ってもんだ。キョウイチたちだって生半可な決意で脱走したわけじゃない。もちろん、わたしもね。残されたみんなのことを考えなかったわけでもない。忘れていたわけでもない。わたしたちが脱走しても殺されないっていう勝算があったから脱走を実行したんだ」


 「その計算は間違っていますよ。もしもぼくがひとりも討てずに殺されたりすれば、みんな死にます」


 テツから放たれた言葉は、ミコトの胸に当たって転がった。取り損ねた言葉の意味を確かめて、彼女は唇を噛み締める。


 「……そこまで急進的だったか。いや、それでこそあの男らしいともいえるわね。全く、わたしたちはどこまでいっても救えないヤツらだ」


 「けれども、後悔はしていないのでしょう?」


 ふん、とミコトは口をへの字にして、


 「大部分でね。ずっと団長に、傭兵団に囚われたままなんていうのは、どうしても許せなかった。村での出来事。テツの扱い。このままじゃいけないって、それだけはわかった」


 真っ直ぐな人間であればあるほど、それらは許容できないものなのだろう。だから略奪を拒んで売られていった仲間がいた。だから支配を脱して自由になろうとする仲間がいた。彼らを身勝手だとは非難できない。遠見テツは、ねじ曲がった心魂ゆえに適応できたに過ぎないのだから。


 そんな彼であっても、どうしてもどうやっても許容できない現実にぶち当たったとき。きっと彼らのような行動を取るのだろう。犠牲になる者を認識しつつも、動かざるを得ないのだ。


 「その上でいうよ。テツ、一緒に逃げよう。ふたりでなら、副団長もなんとかなるかもしれない。追っ手だって倒せるかもしれない。わたしひとりじゃ無理だけど、テツと一緒なら、どうにかなるって思うんだ。だから、ね。わたしと一緒に来て」


 その言葉には嘘偽りは微塵も感じられなかった。ミコトは心からテツを欲している。それは愛ゆえであるし、彼の身を案じてでもある。ここまで直球に求められることなど経験のなかったテツは快感さえ覚えた。愛されるということがこんなに素晴らしいものだとは思いもしなかった。


 ミコトは音もなく右手を差し出した。それは静謐さを感じさせる、テツをあたたかい世界に誘う右手だった。薬指に光る煌きを見て取って、彼は身体の奥底に眠る疼きが産声をあげるのを聞いた。


 魂を奪われたように彼はその手を見つめた。白く、極め細やかな肌だった。長年の修練によって蓄積された傷はなく、こちらの世界に来てから負った細かな傷が見受けられる。それすらも愛おしく思った。


 その柔らかな手を握ったら、どれだけ気持ちのいいことだろう。彼は想像した。艶めかしさを感じさせるミコトの肌。それを思う存分味わいたい。いままで感じたことのない欲望の炎が立ち上がるのを自覚する。


 男の多くが望むような未来。愛する人と過ごす時間。甘ったるくて、幸せで、時の流れを忘れてしまいそうになるような。思考にもやがかかる。甘美な誘惑はテツを幸福な世界に導いてくれる。どうして拒めよう。どうして幸せになりたいと思わずにいられよう。


 焼き尽くすような情念に身を任せかけたとき、残してきた者たちの顔が突然蘇った。それは雷鳴の如くテツを打ち据えた。身体中に流された衝撃は、一気に彼を始まりへと旅立たせた。


 幼少時代のキョウイチ、スイとの出会い。道場でのミコトとの出会い。友好的とはいえなかった同門の仲間たちとの出会い。


 そして飛ばされた世界での人々との出会い。セブンス傭兵団。団長、ポール、シンシア。殺してしまった女性の娘、アリア。


 彼らの顔がテツを通り過ぎていく。一瞬のようで永遠とも感じられる。見慣れたようで新鮮にも感じられる。彼らは一様に、テツにとって学ぶべき人間だった。剣だけではない、その生き方だ。中には良好とはいえない関係の人間も存在していたが、この次元では語るべきではないことだった。


 過ぎ去っていく彼らに向かって手を伸ばす。置き去りにされないようにと。いつかきっと追いついてみせると。力の限りに手を伸ばし。


 ―――――その光の先にあったものを掴む。


 それは、彼女の肌のように優しくはなかった。それは、彼女の声のようにあたたかさを感じさせるものではなかった。酷く冷たく、彼を拒絶するように強ばっている。


 ああ、ぼくは、救われない大馬鹿者だ。きっと早く死んだ方が世のためなんだろう。それを自覚しつつも拒めない。遠見テツは、剣を拒めないのだ。


 その一振りに彼の人生は集約されていた。自分以外の何もかも斬り捨てる。酷くシンプルでわかりやすい。


 ―――――腐臭がする。


 感じていたのは自分が腐っていると自覚していたからだ。救えない大馬鹿だと気づいていたからだ。けれども、わかっていても、なお変えようとはしなかった。


 それゆえに、キョウイチとスイは離れていき、アリアという少女を得て。


 初恋の人を、殺そうとしている。


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