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第36話

 深夜過ぎの城内がにわかに騒々しくなった。すでに床についていたテツにも伝わるような喧騒だ。睡眠に入ってからそんなに時間が経っていない。どこか鈍痛のする頭を振りながら用意を整える。何事もなければ無駄に終わる準備であったが、何もしないで寝ぼけ顔を団長の前に晒したら斬り殺される予感があった。


 兵士たちの慌ただしさからして侵入者かな、と彼は当たりをつける。この街は裕福であるから、城の宝物庫もさぞ潤っていることだろう。それを狙って賊がやって来てもおかしくない。昼間もそうであったがこの城の警備はザルなのだ。


 城内は明かりが多く焚かれていた。おかげで視界の見通しもよくなっている。もしもまだ侵入者が残っていたら、さぞ逃げにくいことだろう。


 槍を片手に急ぎ足の兵士をひとり捕まえて事情をきく。最初は他人事だったテツの表情は一気に険しくなった。聞き終わったあとの彼は瞬きもせずに沈黙していた。兵士の居心地悪そうな雰囲気に気づき、礼をいって開放してやる。


 兵士の背中を見送ると、テツは走り出した。問題の現場は人だかりができていてすぐにわかった。傭兵団員たちも集まっている。その中心で、ポールは物言わぬ死体となっていた。自らの剣を胸に生やした彼は、大量の血を流し事切れている。骸にはシンシアが縋り付いていた。顔は見えない。


 この世界には死がありふれている。わかっていたつもりだった。同じ道場生でさえ、目の前で殺され、自分も村人を殺した。いつか自分の番がやってくるだろうことは覚悟していた。だが、ポールの死は予想以上にテツを叩きのめした。


 瞳は暗く、何も映していない。半開きになった口元から血液がこぼれ落ちている。まるで己の血で溺れ死んだかのようだ。導かれる死の苦痛は想像させて余りあるものだった。


 シンシアは泣き喚いていなかった。ただポールに縋り付いて肩を震わせていた。それがどうしようもなく悲しい。取り乱すことが彼の死を冒涜することだというように、彼女は嗚咽を堪えていた。


 やがて団長がやって来た。団員のひとりが殺害されたというのに、彼は恐ろしいほど普段通りだった。きっと、この男は自分が死ぬ間際になってもいつもの調子を崩さないのではないだろうか。テツは団長に底知れぬ恐ろしさを感じた。


 団長は兵士長に騒ぎを謝罪し、ガーティへの謝罪を伝えて欲しいとを述べた。兵士長は何かいいたそうな顔だったが、「自分たちの不始末は自分たちで行わせて欲しい」と下げられた頭に畏まるしかなかった。


 ポールの亡骸を囲むようにセブンス傭兵団は集まっていた。仲間のひとりを失った面々は実に多様な反応を見せていた。激昂している者もいれば興味のない顔の者もいる。けれど一様に感じられるのは、この状況を引き起こした人物に対する報復の意志である。戦直前のような張り詰めた空気になっている。


 団長はポールの亡骸を確かめると、顔を整えてやった。目を閉じられたポールの死相は安心したように静かだった。


 「背後から刺されたが、一矢報いたようだな」


 前後のナイフ、剣をそれぞれ触れて彼は呟く。


 「わたしはすでに城の兵士から聞いているが、テツ。この場を見渡してみろ。わたしのいいたいことがわかるか?」


 底冷えする声に強制され、視線を巡らす。アリアやサツキの姿も見受けられる。けれども、見つからない姿がある。血圧が急激に上昇したかのようだった。耳鳴りがして頭がクラクラする。ひとりでに「はっ」という情けない声が漏れた。


 「ヤツらは兵士を負傷させて馬を盗んだ。そのまま街の外に逃げたらしい」


 シンシアは振り向いてテツを見据えた。そこに憎悪の感情があったらどれほど救われただろうか、と彼は思う。そうであれば、少なくとも誤魔化すことができる。認め難い現実を。


 だというのに、シンシアはテツの身を案じていた。大切な人が殺され、自分のことだけで精一杯のはずなのに。その純粋さが、ひたむきさが、彼を困惑させる。なぜシンシアは憎まないのだ、と。


 「貴様らのうち3人。それからやつらが拾ったふたりが脱走した。しかもポールを殺して、だ。まあ、不覚をとったポールにも責任がないとはいえない。だがな」


 団長は音もなく接近し、その巨大な手でテツのアゴを掴み上げた。その気になれば骨ごと砕いてしまいそうな圧迫感だった。目を逸らすこともできず、その男の放つ虚無的な眼光に囚われる。君は死んだ、といわれても納得できる。まるで生きた心地がしなかった。


 「団員をやられて『仕方ないな』と逃がすわけにもいかないのだ。わかるだろう? 裏切り者には相応の報復をくれてやらねばならない。それはおまえたちも同様だ。以前にいったことを覚えているな?」


 か、と喋ろうとしてむせ込んだ。口の中が渇ききっていてうまく声が出せなかったのだ。団長の手から離れても、思うように喋れない。口はなんとか唾液を分泌させようと躍起になった。そしてようやく言葉を紡ぐ。


 「責任は、連帯だと」


 サツキたち、残された道場生が顔を青ざめさせる。テツのいう通りならば、ポール殺害の責任を取らされることになるのだ。しかも自分たちは置き去りにされただけだというのに。


 すでに道場生は、テツの他には女子しか残っていない。けれども、団長はその事情など一切考慮しないで断罪するだろう。一方的に、完膚なきまでに。テツたちは自身とは関係ない罪によって殺されてしまう可能性があった。


 その最悪の未来に待ったをかけたのは、シンシアだった。


 「この子たちを、殺すのはやめてください。ポールも、そんなこと望んでないはずです。お願いします……」


 「小僧らからの命乞いならば聞く耳持たなかったのだがな……ポールの女からとなれば話は別か」


 団長の言葉にテツは違和感を覚えた。いくらシンシアの言葉だとしても、そうあっさり聞くものだろうか。むしろ「女は黙っていろ」と一喝しているはずだ。


 心中に湧き上がった違和感の正体を突き止められぬまま、話は続いた。


 「コイツらを殺すなといったな。だが簡単に受け入れるわけにはいかないのだ。始末をつけねばならないからな。それに、コイツらにしても無罪放免とはいくまい?」


 「で、ですが、テツたちは何も関係ないのだし……」


 「関係はある」


 およそ、人間が発した声だとは思えなかった。殺気ともいえる言葉はシンシアを凍りつかせ、その後ろのテツたちまでも凍死させかねなかった。


 「脱走したヤツらは責任の連帯を承知だった。だというのに脱走を実行したのだ。ポールを殺してまでな。この責任は取られなければならない。必ずだ」


 傭兵団の面子がかかっている非常事態だ。いくら内部の揉め事とはいえ、城の人間に騒動は知れ渡ってしまっている。このまま脱走を許せば、セブンス傭兵団は笑い者になる。傭兵稼業において舐められるような事態は何としてでも避けねばならなかった。


 不幸というものは、いつも突然訪れる。テツは絶望的な心境だった。夕方まで軽口を交わし合っていたポールが殺された。しかもそれにはミコトたちが関わっている。ダブルパンチをくらったテツはほうほうの体だった。


 食事をしながら語り合った風景を思い出す。あのとき、ミコトはすでに脱走の計画を練っていたのだろう。テツと笑い合いながら、腹の底でどう逃げ出すかと考えを巡らせていたのだろうか。


 どうしようもないほどの喪失感が襲ってきた。そのまま座り込みたい気分だった。


 裏切られたなどというメルヘンな感想は持たない。ミコトだって馬鹿ではない。彼女なりに考えた末の行動だ。きっと迷いに迷ったに違いない。その上で決断したのだ。自分たちだけで脱走することを。


 「おまえが追いかけろ。そして殺せ」


 まるで簡単な仕事を頼むかのように団長はいった。緩慢な動きで彼を見返す。テツは動きの鈍った思考に活を入れながら言葉を返す。


 「ぼくが、ひとりで、ですか?」


 「そうだ」


 「無茶です!」シンシアの悲痛な声があがった。脱走者は5名である。捕らえるだけでも無謀であるのに、道場生の3名は戦闘も可能だった。テツひとりが追討に向かったとしても返り討ちにあうのが目に見えている。


 せめて数名の援護を、というシンシアの嘆願は聞き入られなかった。話の流れはすでに決定されている空気があった。団員たちは好奇の視線をテツに向けている。彼がこのあとにどういった結果をもたらすのか。彼らは一言も発せずに見守っている。


 作為的なものを感じずにはいられない。だがそれをいったところでどうなる。テツは腹を据えるしかなかった。


 「すぐに用意します」


 「馬はこちらで準備しておく。城の前に来い」


 団長の言葉に頷いて、テツは宛てがわれている自室に戻る。普段着ているボロ布の上下から道着へと着替える。手馴れたもので数分とかからなかった。立てかけておいた盾も持っていくことにする。背中にマウントできるように手を加えてあるから、乗馬の邪魔にはならないはずだ。


 道着に着替えたのは覚悟の現れだった。向こうとて生半可な覚悟でないはずだ。ならば予想される衝突が生命をかけたものになることは想像に難しくなかった。


 急いで指定されている場所へと向かう。移動していた面々の隣に馬が一頭待機していた。


 「ふん、わざわざ着替えたのか」


 「……死に装束は、これと決めていたものでしてね」


 団長には皮肉で返したつもりだったのだが、シンシアたちには本気と捉えられてしまったらしい。口々に「馬鹿なこというな」「死んだら許さない」とまくし立てられる。


 「わかっていると思うが、くれぐれも逃げようとは考えるな。残っている者はその間の人質だ」


 アリアやサツキたちを流し見て、


 「ぼくの力及ばず、死んだときは、どうか彼女たちを助けてやってください」


 「それは貴様の頑張り次第だ。ひとりも殺せないようでは話にならん。せめてふたりは道連れにしろ」


 冗談か本気か。きっと真面目にいっているに違いない団長の言葉をしっかりと胸に刻む。遠見テツの生命は自分ひとりだけのものではなくなった。もしも死ぬのだとしても、それは有効に消費されねばならない。


 テツは心配そうにしているアリアの頭をなでた。


 「あの、テツさま」彼女はいいづらそうに切り出した。「ミコトさまのことは、どうなさるんですか」


 この少女は、テツとミコトが浅はかならない仲であるのを知っているのだ。ゆえに心配していた。もしかしたら戦うことになるかもしれないふたりを。


 「ぼくも、ミコト姉さんも、剣士だよ。剣を抜かなくちゃならないときを弁えている。それはきっと、今夜のことをいうんだ」


 「テツさま……」


 それを聞いたアリアは、静かに覚悟したようだった。ずっとわだかまっていたものを吐き出そうと決意したのだ。


 「わたし、ずっと謝ろうと思っていたことがあるんです。でも、いい出せなくて」


 少女の独白をテツは黙ってきいていた。急かすようなことはしなかった。彼女の精一杯の覚悟をぶち壊す真似はしたくなかった。


 ミコトさまの様子がおかしかったのに気づいていたんです、と彼女はいった。それは懺悔のようだった。


 テツは聖職者でもない。それに、許しを請われる立場でもない。テツが気づけなかった変化だ。それをもっと早く教えてくれていれば、というのは余りにも愚か過ぎる。


 「いいんだ。アリアは悪くない」


 「そ、それに! まだ」


 「いつまでもそうしている暇はないぞ。ヤツらの誰かが負傷しているようだが、その者を捨て置いていく可能性もないわけではないのだ」


 団長の声が遮る。邪魔をされたアリアは悔しげに黙り込んだ。


 確かめるようにもう一度だけ彼女をなでて、テツは馬へと向かう。その背中に向かって声はかけられた。「お帰りをお待ちしています―――――わたしの騎士さま」


 泣き出しそうな声が心苦しかった。この少女にはいつも優しくできていない。こんな自分を慕ってくれる彼女を愛おしく思った。そしてありがたく思った。


 先には、腫れぼったい目をしたシンシアが待っていた。気丈に振る舞う姿には神聖ささえ感じられる。テツの下に駆け寄った彼女は彼の手を握りしめた。


 「テツ、絶対に帰ってきなさいよ。あたしの次の持ち主はあんたなんだから」


 「シンシアさん……それは」


 「死んだ団員の所持品は、違う団員に受け継がれる。それが決まり。だから帰ってきなさい。あんたまで死んじゃったら、どうすればいいのよ。ポールを、ポールのこと覚えてる人がどんどんいなくなっちゃうじゃないの。そんなの、あんまりだわ」


 本当にこの人はポールを愛していたのだな、とテツは痛感した。その上で、彼の死を受け入れようとしている。強くないとできないことだ。ただ愛されているというだけではできないことだ。彼らは本当に愛し合っていた。だからこそ、一方が欠けたいま、すでに亡き者が残された者を生かし続けている。


 力強く「必ず戻ってきます」とテツは返す。シンシアは泣き笑いながら彼を抱きしめた。これから絶望的な状況に赴く人間を励ますように。


 装備は簡素なものだった。すでに長い付き合いとなったショートソードに木製の盾。異様なのは大和式の道着の上にレザーアーマーを着込んでいることだ。まるでちぐはぐな感覚を抱かせる。だがそれがテツのスタイルだった。初めての戦闘のときも、村の略奪の際も同様の格好だった。ターニングポイントと呼ばれる場面で必ず纏っていた装束である。この道着には彼にとっての重要な意味がある。


 手持ちのランタンでは遠くまで見通せない。馬に乗っても速度は出せそうになかった。


 「ここに来るとき通った道は覚えているな? しばらくあの街道は続いている。ヤツらが逃げるにしても、そこを通らねばならない。おまえはヤツらが主要街道にいるうちに追いつく必要がある。そこから別れてしまえば追うのは困難になるだろう」


 「ご丁寧に、どうも」


 団長の説明に礼を述べると、意外そうに彼は聞き返してきた。


 「余裕そうだな」


 「まさか。いっぱいいっぱいで逆に落ち着いているだけです。でも、なんだか不思議な感覚です」


 そう。アリアの言葉にも動揺しなかったように、テツには予感があった。この夜がいつかやって来る予感が。それは超常的な力による予知などではない。普段の何気ない情報から、脳が無意識的に弾き出した答えだ。


 「まるで。まるで、こうなることが運命だったような」


 いつもなら否定しそうな団長はむっつり黙り込んだままだった。テツの言葉を肯定するかのような沈黙だった。


 テツは物いわぬ団長を一瞥すると馬を走り出させる。答えなど求めていなかった。誰かの思惑があったとしても、それに抗えなかったテツは行動するだけだ。自分の信念に従って、などと洒落た台詞はいわない。ただ、いまの自分にできることをする。シンプルだが、それが一番納得できる結果を得られる。


 「ミコト姉さん。姉さんも、こんな気持ちだったのかな」


 走り出したのだ。もう、止まることはできない。


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